第86話 不可解な涙

 ゲッフェルト公爵家の陥落により、全ての門閥貴族派は旧政府軍に無条件降伏する。

 ここに、新政府軍は事実上壊滅し、その勢力は帝都周辺を残すのみとなる。


「降伏勧告には応じないと?」

「再三しておりますが……」

 

 口ごもるホルス軍務卿の様子からも、ここまで頑なに降伏を拒絶するとは、彼にとっても想定外だったのかもしれない。

 イスカンダルの目的は、帝国内のゴミ掃除。その目的が達成された以上、部下に降伏を命じ自分一人で立てこもるのかと思っていたのだ。なのに、この圧倒的に不利な状況で、奴の優秀極まりない部下たちは全く動く様子もない。

 しかも――。


「それで、ゲオルグ皇帝陛下を人質にとり、私とサテラのみでレムリア宮殿を訪れろと?」

「はい。もし、一刻でも遅れれば、皇帝陛下及び、オリヴィア殿下を殺すと」


 益々意味不明だ。私と闘いたいなら私だけで十分なはずで、わざわざサテラを呼ぶ必要はない。

 それに、イスカンダルが仮にトチ狂ったとしても、あのシルドレ・ラヴァルまでその愚行に従うのは違和感がある。第一、そんなことをすれば、イスカンダルの立場が危うくなるばかりじゃないか!


「その信憑性は?」

「処刑台が設置されておりますし、真実なのは間違いないかと」


 あの野獣! 一体何がしたいんだ? 私と闘ってケジメを付けたいなら、嫌でも戦ってやるというのに。


「どうなさいますか?」

「どうもこうも、要求に従わないわけにもいかんだろう」


 ま、サテラは覚者だし、あれからも日々の鍛錬を怠っていないらしく、相当強くなっている。それに転移能力もあるから、私とイスカンダルの戦いでも足手纏いにはなるまい。

 奴の意図が微塵も予想がつかないが、無視するには帝国が失うものが大きすぎる。



 ――帝都レムリア中央区サガミ商館


 レムリア中央区のサガミ商館に転移すると、入口付近にサテラが佇んでいた。


「よ、よう、久しぶりだな」


 暫く見ないうちに、別人のように大人びてしまったサテラに、若干の動揺を覚えながらも、右手を上げて挨拶する。


「はい」


 以前のように抱きついてくるのでもなく、サテラはただ顎を引くのみ。

 お互い、すっかり変わってしまってことか。寂しさも確かにある。だが、それ以上に、私からようやく卒業できたサテラに純粋にほっとしていた。

どの道、いつまでも私は彼女の傍にいれるわけではない。近くない将来、彼女は私がいない世界で生きていかねばならないのだから。


「……」


 ……またこの思考だ。最近、やけに頻繁だな。特に、【永久工房】が解放されてから、この傾向が加速度的に増している。ま、実際には、行く当てなどどこにもないわけだが、どうにも中二病を発症している高校生のような思考でどうにも馴染めないな。


「危なくなったら、直ぐに転移するように。じゃあ、行こう」


 サテラは頷かなかったが、いざとなったら、強制的に転移させればいいさ。


レムリア宮殿前広場は帝都民により、人盛りができていた。その理由は最悪な形で判明する。


「あの馬鹿野郎がっ!」


 地面に無造作に転がる死体の山に、私は怒声を吐き出していた。

 真っ青に震えるもの、涙ぐむもの、顔を恐怖に引き攣らせるもの、様々な視線が静まり返った広場で大声を張り上げた私に集中する。


「グレイ!」


 処刑台に拘束されていたオリヴィアが、裏返った声を上げる。その顔は気丈な彼女らしくなくグシャグシャに涙で濡れていた。

 死んだように血の気の引いた顔をしているが、ゲオルグはまだ無事のようだ。まあ、あとほんの数分遅れていたら、どうなっていたかはわからなかったが。


「グレイ卿、来たわねぇ」


 大剣を振って血糊を落とすと、白粉を顔中に塗りたくった巨躯の男――シルドレはその剣先を私に向けてきた。


「あんた、どういうつもりだ?」


 駄目だ。怒りが微塵も抑えられない。死者の中には、イスカンダルの弟や、あのいつぞやの潜入調査していた捕虜となっていた黒髪の少年もある。

 この御仁だけは、イスカンダルに命じられたとはいえ、こんなふざけた愚行には加担しないと信じていた。少なくとも子供を殺すなどできない人物だと思っていたのに――。


「サテラ、陛下たちを保護しろ」


 気が狂いそうに憤怒の中、サテラにそう強く指示を出す。


「承りました」


 私に恭しく一礼すると、サテラはゲオルグ達に向けて走り出す。


「させると思って――」


 地面を蹴って、サテラに向けて大剣を振り上げるシルドレまで接近すると、その右腕を掴むと握りつぶす。


「……」


 利き腕たる右腕を潰されても、眉一つ動かさぬシルドレに、


「もう一度だけ、聞くぞ。どういうつもりだ?」


 再度、疑問を口にする。


「んふふーん。別にどうも。イスカ陛下の御命令とあれば、私は悪魔にでもなるわぁ。たとえ、いとし子の命だろうと、奪って見せる」

「ふざけるな! その少年は、あんたを心底信じていたんだ! それを、そんな下らないことのために、奪ったのか!?」


 シルドレは初めて不快そうに顔を顰めると、


「くだらないかどうかは、見解の相違ねぇ。私にとってイスカ陛下の御命令こそが至上。それ以上のものなど存在しない」


 さらっと、くだらない戯言を口にする。


「それ、本心からの言葉か?」

「ええ、勿論」


 そうか、結局私はイスカンダルとシルドレという人物を根本的に見誤っていたということだろう。


「もういい。死ね」


 爆糸の糸で雁字搦めに拘束すると、空中に放り投げて一斉起爆する。

 一斉に刃を向けてくるシルドレの部下どもに、右の掌を向けたとき――。


「グレイ様っ! 上っ!」


 サテラの声に上空を見上げると、虎の顔をした怪物が私の脳天に大剣を振り下ろしてくる。

 咄嗟にそれをムラで受ける。合わさる二つの剣戟の衝撃波により、見物していた帝都民やら、シルドレ達に捕縛されていた捕虜たちも吹き飛ばされるが、サテラの風系の魔法【風網ウインドネット】により、全てキャッチされる。

 

「どうやら、全員、人間を止めていたということか」


 シルドレだけではない。その部下たちからも体毛が生え、猛虎の頭部へと変わっている。

 今のシルドレたちが正気なのかはわからない。ただ、このむごたらしい惨劇さえも外道の描いたシナリオであることだけは確かだ。

 

「まったく、どこまでも不快な奴だ」


 なぜだろうな。このクズのようなシナリオを描いたクズに、もっと怒りが湧きそうなものだが、感情が死んだように何も感じない。いや、きっととっくの昔に振り切れてしまっているのだろう。


『グロロロロ……』


 大剣を構えて獣の唸り声を上げるシルドレに、ムラの剣先を向ける。


『マスター、きっとこいつは――』

「わかっている。理由はあるんだろう。だが、ムラ、もうそんなレベルの話じゃないんだよ」


 いかなる理由があろうが、シルドレたちは私の禁忌に触れた。もう、いかなる理由でも私が剣を収める事はない。そう。これはいわば私の信念だ。たとえ、どこへ行こうとも変わることはない。


「こい! 最後の手向けだ。一思いに殺してやる」


 シルドレの獣化でステータスは、S-まで増加しているが、それでも今の私と辛うじて張り得るレベルに過ぎない。私の得意とするところが、肉弾戦にない以上、やはり私の敵にはなり得ない。


『……ロロロロッ!!』


 シルドレは天へと咆哮し、超高速で私に肉薄するも、ここら一帯に張り巡らせれていた爆糸により、あっさり阻まれ拘束される。


「最後の手向けだ。とっておきの術で送ってやる」


 ――【劫火ごうか


 私は最近制御が効くようになった術を無詠唱起動する。

 巨大な立体魔法陣が突如出現し、それらの魔法式ルーンがシルドレたちを取り囲むと、高速で回転し続け――内部で爆発を繰り返す。

 丁度人型の球体内部での爆発が止まり、ボコボコとマグマのごとく茹で上がる中、人に戻ったシルドレが佇んでいた。

 もっとも、その身体は既に至る所が溶解しており、もうあと十秒も原型を保てまいが。


『君の信じた道を進みなさい』


 笑顔でかつて投げかけられた台詞を口にし、奴は細胞一かけら残さず炎滅してしまう。


「ふざけるなっ!」


 どうして、どいつもこいつも、勝手なことばかり言いやる? 己の都合を他者に押しつけて、不幸をばら撒き、納得顏で死んでいく。これほど不愉快なことはそうはない。

 

「グレイ――」


 悲壮感たっぷりの顔でゲオルグが何かを口にしようとするが、それを右手で制する。


「わかっている。イスカンダルたちにもこの愚行の理由があるってんだろう? だが、もうダメだ。この内乱の黒幕の傀儡であろうとかなろうと、奴はやり過ぎた。殺す以外に道はない」

「違う! 俺が危惧しているのは、お前のことだっ!」

「私のこと?」

「お前、気付いていないのか?」

「あ? さっきから何、訳のわからんことを――」


 滲む視界に咄嗟に袖で拭う。手で拭うとみっともなく流れ落ちる涙。

 は? 私がこんな外道どもを殺すことに、怒り以外の感情を覚えるはずがあるまい。なら、これはどういうことなのだ?


『マスター、サテラがおらんッ!』

 

 焦燥をたっぷり含有したムラの声に、振り返るとサテラの姿が忽然と消えていた。

 くそっ! 状況から言ってサテラが暴走したのだろう。その切っ掛けはきっと私。私がこんな無様な姿を見せたからだ。


「グレイ! 妾もついていく!」


 目尻に涙を命一杯貯めながら、助け出されたオリヴィアがヒステリックな声を上げる。


「駄目だ!」


 構わず走り出そうとするが、オリヴィアは私の腰にしがみ付き、必死に抵抗する。


「グレイ、頼む。オリヴィアを連れて行ってくれ」


 状況からいってイスカンダルも怪物化しているだろうし、サテラが暴走してしまったこの状況で足手纏いを連れて行くことがどれほど危険か、少しが考えれば一目瞭然だ。だが、この半狂乱の女をここに残しておくと暴走しかねんのも事実。多分、ゲオルグもそれを危惧しているんだろうしな。


「クソがっ!」


 頭を掻きむしると、オリヴィアを抱き上げて、


「ゲオルグ、あとは頼む!」


 そう言い残すと、私はレムリア宮殿内へ向けて走り出す。




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