第84話 至上の召喚士の最後

――ゲッフェルト公爵領の郊外 


 近くにブレインの気配はない。警戒すべきは奴のみ。奴以外の追手なら、例え七英雄であっても勝てぬまでも逃げのびる自信はある。だが、ブレインモンスターだけは駄目だ。奴の悪質性は、英雄協議会に所属していたことがあるものなら誰でも、骨身にしみて知っている。

 一度敵とみなされれば、どこの誰だろうと、どこへ逃げようと、必ずこの世から消し飛ばされる。しかも、たっぷりの絶望を与えられて。そんな痺れるような悪意の塊がブレインモンスター。勝てる勝てないではない。奴に喧嘩を売ること自体、破滅に直結する最上の愚行。

そんな酔狂な馬鹿は、この世でもおそらく二人――七英雄の狂った現筆頭と英雄楽土の盟主のみ。あの二人以外で、ブレインモンスターを倒すなど夢のまた夢だ。

 他世界へ逃げよう。それがあの怪物モンスターから逃れる最良の方法だ。

だが、他世界へ紛れるにも、ゲートは地球にしかない。一度地球に戻らねばならないが、アストレアの言ではゲートは一時的に破壊されてしまっている。地球側でなければ、ゲートは再構成できない。


(ちくしょうっ! それじゃあ、間に合わないんだよぉ!!)


 よりにもよって、奴を本気で怒らせ、この世界に閉じ込められてしまった。いわば、腹のすかせた猛獣と一緒の檻の中で、いつ喰われるのかを怯える兎と同じ。この世界にいる限り、ブレインモンスターは必ず、ソロモンを探し出し、考えられぬほど残酷に殺すだろう。


(アストレアの奴め! 何がブレインモンスターはもういないだっ! 適当なこといって、ボクちゃんを巻き込みやがって!)


 闇夜の森の中を必死で走り抜け、ようやく森を抜け切り、地面にへたりこむ。

 大丈夫だ。この世界での奴の気配は覚えた。少なくとも今、この近くに奴はいない。今ならわずかばかりの休息は取れる。とりあえず、適当な小国にでも逃げ込み、現地民に紛れてやり過ごそう。

 最良の結果は、英雄楽土の盟主がブレインをぶっ殺すことだが……。


(難しいだろうね……)


 過去に倒せたのは、まさに偶然。英雄楽土の盟主をあの怪物が信頼していたから。もう一ミリもあの悪魔は隙など見せまい。現段階で両者がまともにぶつかれば、まず、ブレインモンスターが勝利する。というか、純粋な力だけで奴に抗えるとすれば、英雄協議会の現筆頭のみ。

 だが、あのイカレポンチの変態は、ある意味ブレインモンスターの次くらいに厄介だ。何せ、常識が通じないし、基本狂ってやがるから対話もできない。まず、組織を抜けたソロモンは、喜々として粛清される。奴を頼るなど狂気の沙汰だ。


(やはり、なんとしてもこの世界を脱出するしかない)


 もういい。どの道、こんな場所で野宿などぞっとしないし、早く変装して近くの街で宿でも借りよう。

 立ち上がって衣服に就いた地面の土を払っていると、月明かりの中に佇む人影が視界に入り、思わず悲鳴を上げそうになる。

 

(大丈夫だ! 奴はいない)


 闇色の髪をオールバックにした片眼鏡の男。このタイミングでこの特徴的な容姿だ。十中八九、【無敵】のラーズ。あいつが、ブレインならその可能性も十分予想の範疇というもの。

 【英雄楽土】からの情報が真実ならば、【無敵】は、唯一、何人も立ち入ることを許されぬはずの世界三強の領域に、片足を踏み入れていると噂される男。

 今のソロモンでさえも、真面に戦えば無事にはすむまい。少なくともこいつを殺すには、秘蔵のコレクションの消費は必須。そうなれば、ブレインモンスターからの逃亡に支障をきたす。やはり、ここは撤退するのが最善。

 再度、森の中へ身を隠すべく、後退しようとするが、


(ちっ! しかも、囲まれている)


 ソロモンを取り囲む新たに生じた三つの気配を感知し、踏みとどまる。


「やあ、ソロモンさん、始めましてぇ♪ 僕らが誰かわかるかなぁ?」

 

 マスクをしたスーツ姿の茶髪の青年が、森の中から姿を現すと、今更過ぎる疑問を投げかけてきた。


「ああ、知ってるよぉ。【カーディナルシンズ】とかいう協議会の幹部どもを襲っている頭のおかしい連中だろう?」

「まさか、天下の元七英雄様がご存知とは、嬉しいねぇ♪」

「はっ! このボクちゃんを舐めるんじゃないよ! この状況での登場だ。それ以外、あり得ないだろう!」


 こいつらはブレインの養子ども。昔から溺愛していた奴が、こいつらを刺客として送り込んでくるとは多少意外だが、それほどこの【無敵】を信頼しているといことか。


「……どうしてそう思うんだい?」


 茶髪のマスク男から軽薄な笑みの一切の感情が消失し、ただ、そう尋ねてきた。


「御託はいいさ。ボクちゃんから聞き出したけりゃ、力ずくで来い!」


 重心を低くし、構えをとる。


「そうだね。そうしよう」


 奴ら四人が身構える。

 この肌のヒリツク感じ、久しぶりだ。確かにソロモンは、ブレインには到底かなわない。だが、仮にもあの怪物だらけの世代の中で七英雄にまで上り詰めたのだ。こんな若造に後れを取るほどなまっちゃいない。


「見せてやるよ。召喚術の神髄ってやつをねぇっ!」


 喉の奥から声を絞り出し、ソロモンはとうの昔に置いてきた獣を解き放つ。


 ……

 …………

 ………………


 久方ぶりに全力を出した。秘蔵のコレクションも全て使用した。

 正直、【黄泉人】どもだけなら、ソロモンが勝利していただろう。だが、【無敵】の強さはソロモンの想像を絶していた。

 ソロモン最大の秘術により生み出した魔神は、【無敵】の生み出す業炎により瞬時に塵と化す。奥の手の呪術により生み出したとびっきりの呪いも、地獄の最下層から召喚した獄炎も、奴の黒炎に飲み込まれてあっさり、消滅してしまう。

 こいつも、噂通りの怪物らしかった。

 

「くけけっ……ちみ、理不尽に強いねぇ。あいつがボクちゃんの始末を委ねるわけだ」


 今、精根尽き果てて、嫌になるほど美しい月を背景にポケットに両手を突っ込んだまま佇む方眼鏡の男に、素朴な感想を述べる。


「あいつって?」


 マスクをした茶髪の男が、方眼鏡の男を押しのけるように眼前に立つと、ソロモンを見下ろしながらそう尋ねてきた。


「うん? そんなの決まってるだろ――」


 待てよ。もしかして、こいつら――。


「君ら、もしかして、あいつの正体に気付いていないとか?」

「……」


 茶髪マスクの男は、苦虫を嚙み潰したような顔で下唇を噛み締める。

 そうか。肯定か。とすれば、ブレインの奴も知らぬのだろう。いいな。これはいい。これでほんの僅かだが、奴に意趣返しをすることができる。


「僕は教えなーい。精々、もんもんとしてなよぉ」


 体内に仕込んでおいたとびっきりの呪術を起動させる。


「ちっ! 下がれ! ブラストッ!」


 ラーズが舌打ちをすると、茶髪マスクの男と、金髪の女を抱えて黒色の炎を上げてその姿を消失させる。カチューシャをした美青年も頷くと同時に、瞬時にその存在そのものが消えてなくなる。


「くけけっ! すごく、ややこしくて、楽しい状況のようじゃないかぁ! これから君がどんな選択をするのか地獄の底で見ていてやるよ――」


 最後にあの憎き化物へ細やかな抵抗をできたことに、僅かな満足を噛み締めながら、ソロモンの意識は真っ白に染め上げられていく。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る