第83話 最後の優しい言葉

「お嬢様、お帰りなさいませ」


 屋敷の玄関に入ると、執事とメイドが笑顔で出迎える。その姿にメッサリナが一瞬泣きそうな顔となるも、奥歯を噛み締め、


「ただいま。お父様は? 話したいことがあるの」


 笑顔で口にする。


「ご案内いたします。どうぞこちらへ」


 執事が歩き出し、メイドが私たちの背後につく。どうやっても逃がさぬという意思表示だろう。



 客間に入る。あの恰幅の良い男がジーモン・ゲッフェルト。短髪の巨漢がマジロ将軍か。より正確には、だが。


「お父様、帰りました」

「うむ、娘よ、よく帰った。しかも、小僧を連れてくるとはよくやったぞ。これで契約は無事履行できる」


 満足そうに何度も顎を引く。


「もう、会話すらも真面にできなくなってしまわれたのですね」


 悲痛の表情でのメッサリナの呟きに、


「うん? 会話はしているじゃないか。そうだ。お前に婚姻の話を持ってきたぞ。あのロナルド殿下だ。どうだ。お前もずっと憧れていただろ?」


ジーモン・ゲッフェルトはさも意外そうな顔で席を立ちあがると、メッサリナに近づこうとする。


「お父様の声と顔で近寄るな! 下種がっ!」

 

 怨嗟の声を上げて、腰の長剣を抜くとその剣先を突き付ける。


「前言撤回ぃ! いけない子ねぇ。実にいけない子。お前のような愚娘には、王子様など、もったいなぃ! オークかゴブリンが御似合いよぉ! 精々、仲の良い夫婦になるがいいわぁ!」


 突如全身をくねくねとしならせると、瞳の色が赤と黒の禍々しい色に染まり、両口の端は耳元まで裂ける。

 父の変貌に言葉を失っているメッサリナの手首を掴むと背後に佇むクリフへと渡す。


「クラマ、クリフ、メッサリナを頼む」

「は!」


 クラマの隣のクリフが彼女を抱き締めると、彼女を守るように槍を構える。

 私が奴らに向き直ると、


『こんな弱っちいのの足止めだけで、契約が履行かぁ。ホント、楽すぎる条件だよなぁ』


 マジロ将軍の身体がボコボコと沸騰するかのように湧き上がり、三つ頭の怪物へと変わっていく。


『ええ、そうですね。これで僕らも自由だ』


 金髪碧眼の好青年も相槌を打つと、背中から黒色の翼を生やす。

 メイドと執事も蜥蜴頭の怪物へと変わる。

 背後でメッサリナが息を飲む声が聞こえてくる。娘の前であえて大切なものをぶっ壊してみせるか。まったくもって、いい趣味してやがる。だがな、もう私は――。


「さーて、これからは私たち外道畜生の時間だ。お前らには私は一切の容赦はせん。精々足掻いてみせろ」


 両腕を広げて奴らに近づいていく。


――きっと、とっくの昔に限界なのさ。


『なーにぃ、こいつ、マジキモイわぁ』


 眉をしかめる恰幅の良いおかま口調の怪物。


「うん、とりあえず、お前からな」


 【永久工房】により、四肢を収納する。

 血しぶきをまき散らして、床に倒れ込むおかま口調の怪物は、暫し、己の失った四肢をキョトンとした顔で眺めていたが、


『ぎぃぎゃあぁぁぁぁっ!!』


 劈くような絶叫を上げる。


「五月蠅い」


 顎を含めた下顎全てを収納する。


「心配するな。お前には是非ともやってもらう事がある」


 とびっきりの笑顔を向けてやると、まるで世界の終わりのように顏を引き攣らせ、声にならぬ呻き声を上げた。


『貴様は、一体――』


 三頭面の怪物までの距離の空間を収納し、奴の頭部の一つを両手で鷲掴みにする。


「うーん、何に見えるぅ?」

『ぎひぃぃぃ、バケモノぉぉぉ!!』


 実に失礼な叫びを合図に、私は三頭面の全身を虫食い状に収納した。



 主に三頭面と黒色の翼の化物を尋問したが、結局、奴らはソロモンから何も知らされていなかった。きっと、端からこいつらはこんなときのための囮にすぎなかったのだろう。まったくもって、不快な奴。私が始末できればよかったのだが、ネロ達も悪質性という点では似たようなものだ。どうせ、碌なことはなるまい。

 

『メッサ……リナ……』


 上半身だけとなったジーモン・ゲッフェルトが、僅かに瞼を開けると、視線をクリフの背後に向ける。

 おかま言葉の怪物には非常識な修復力があったので、それを利用し散々痛めつける。

 遂に滅びたいと強く懇願し、残された僅かな時間をジーモン・ゲッフェルトに明け渡したのだ。

 私の目的達成という奴だ。


「お父様ッ!?」


 クリフの後ろから飛び出したメッサリナが、ジーモン・ゲッフェルトに近づくと抱き起す。


『長い夢を見ていたよ。あいつと初めて出会ったときのこと、一緒になってくれと告白したこと。お前が生まれたこと。皆でピクニックに行った時のこと、本当に楽しかったなぁ……』

「お父様、私も――私もですっ! もう一度、一緒に――」

『メッサリナ、幸せになりなさい』


 ジーモンは優しい笑顔で、右手でメッサリナの頭を撫でると、その腕の中で塵へと消えてしまう。


「お父……様? いや、いやぁ、いやだぁぁぁぁ!!」


 メッサリナの悲痛な叫び声が、私たちだけとなった屋敷中へと響き渡っていた。



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