第81話 こいつの目を見ろよ!
――ゲッフェルト公爵領
(くそ! くそ! 無能どもがぁっ!)
ウエィスト商会の会長――ガーベージ・ウエィストは、今もゲッフェルト公爵家の屋敷へ向かう馬車の中でもう何度目かになる悪態を吐く。
「心配いらん。領民など履いて捨てるほどいる。ソロモン殿なら、あの小僧を一撃で屠れる兵隊を作っていただけるだろう」
ゲッフェルト公が得意げに宣う。大して、強がりにも見えない。本気でそんな妄想を信じ込んでいるのだと思う。
「ゲッフェルト公、期待していますぞ! この戦に勝利した暁には、あの小僧の親族郎党、男とおいぼれは全て死罪、若い女は奴隷として娼婦に売り払ってやる! もちろん、儂が存分に楽しんだ後だがなぁ」
舌なめずりをするマジロ将軍に、
(だから、そのできもしない大層な口を噤め!)
内心でありったけの罵声を浴びせかけた。
さっきからこの二人は、グレイに勝利した後の輝かしい未来を口にしてばかりいる。だが、度重なる敗戦により、既に新政府軍の支配地域は帝都とこのゲッフェルト公爵領のみとなっている。
しかも、あのサザーランドでのゲッフェルト公爵の客人が怪物であったことが痛かった。あれ以来、将校、将兵、一般兵からも脱走兵となるものが続出し、とっくの昔に新政府軍は、軍として機能していない。もはや新政府軍の敗北は明白。今は戦後どうやって己の地位を確保するかを考えねばならない。なのに、この二人から聞こえてくるのは勝利の話のみ。
(端から関わらねばよかった)
そうすれば、少なくともこんな破滅的な状況にはなっていない。
もちろん、あのサザーランドの一件以来、ガーベージも新政府軍を見限り逃げようとした。だが、それも、同じ腕輪をしたゲッフェルト公の部下が、失態を犯し、粉々の肉片となることによって妨げられる。どうやら、この腕輪はゲッフェルト公の意思一つで起動し爆破するらしい。
ゲッフェルト公からのもらい物だと言う事で、その場でしてしまったのが運の尽き。あのとき、マジロに同行したいなどいわなければ――。
「着いたぞ。まずは、ソロモン殿に挨拶でもすることにしよう」
まるで、主人にでも謁見するかのような口ぶりのゲッフェルト公爵に猛烈な違和感を覚えながら、渋々そのあとに続く。
ゲッフェルト公の屋敷の豪奢な客間でくつろいでいたのは、異国の服をきた灰色髪の男。
この男が散々道中聞かせられたソロモンなのだろう。
ゲッフェルト公は、まるで夢遊病のようにソロモンの前で跪く。ソロモンは無言で右手を頭に当てると、サザーランでのあの悪夢のような光景が浮かび上がる。
客人とはいえ、三大公爵の一角であるゲッフェルト公が跪くなど凡そ考えられない。なのに、ゲッフェルト公のこの異様な行動に、部屋の誰もが異を唱えない。ただ、感情が抜きとられ多様な表情で指先一つ動かさず、黙ってみているのみ。この異様な状況に、このときガーベージは猛烈な悪寒がしていたのだ。
「こ、これはアモンの身体を利用して創り出しているのかっ!? そんな出鱈目異能、奴以外持てるはずがないっ! そもそもアストレアはあの子供はこの世界の原住民と言っていた。謀られた? いや、今のこの混沌とした状況でアストレアにボクチンと敵対するメリットなどない。ならばただの原住民なの……か?」
ソロモンが反応したのは、超絶魔法でも、あの動く鉄の黒箱でもなく、ましてはこの敗戦濃厚な戦況でもない。グレイが使用したあの怪物の身体の一部を消し去ったシーン。
ソロモンは、ソファーに蹲りながら、血の気の引いた真っ青な顔で指の爪を噛んでいたが、勢いよく立ち上がり、狂ったように笑い始めた。
「クハハハハ! 原住民? 笑わせるな! こいつの目を見ろよ! アイツの目とそっくりだ。あの血も涙もない怪物の目と!」
そしてピタッと笑みを止めて真顔で、
「こいつはブレイン……モンスターだ」
そう喉の奥から震え声で絞り出す。
「僕は研究結果をまとめ次第、この国を去る。君らはその足止めをするんだ」
ゲッフェルト公に強い口調で指示を出すと、
「は! マスターのお望みのままに!」
ゲッフェルト公を始め、マジロ伯爵及び、その従者たちは立ち上がり、帝国式の臣下の礼をとる。
呆気にとられているガーベージに、ソロモンはその蛇のような温かみの欠片もない視線を向けてくる。
「ふむ。君はまだ教育されていないようだねぇ。駒は一匹でも多い方がいい。ご協力願うとしよう」
「ひっ!」
不吉な言葉に扉まで後退ろうとするが、執事とメイドに背後から押さえつけられてしまう。
「さてさて君には何を憑依させようかなぁ」
「や、やめろっ!」
凶悪な笑みを浮かべて近づいてくるソロモンに、ガーベージは腹の底から絶叫を上げる。
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