第69話 ミラード領への訪問(3)
ライス卿の独白が終わる。
「そういうことだ。僕は領民より、ミラード家の伝統という建前と家族との思い出を優先させてしまったのさ。僕は領主失格だ」
そもそもの原因は、ミラード家の先代がした借金にあった。かつてミラード家を襲った大飢饉をしのぐため、先代は、多方面から資金を工面した。その融資元の一つが、クリフの母の実家であるコルグ男爵家。
コルグ男爵領は土地が肥えており、鉱山も所有していることもあり、貸し付けるだけの潤沢な資金があったのだ。
当初借りたのは1000万Gだったが、その利子は膨れ上がり、忽ち、数年で数億Gにも上ってしまう。
貧乏領地に数億Gなどという大金を貸してくれるもの好きなどいやしない。借金は返せず、結局、ミラード領は莫大な爆弾を抱える事になる。
そんなとき、コルグ男爵家が利子停止の条件として提示したのは、娘ウァレリアとライスとの結婚だった。当時、ライスには将来を誓ったマグワイアー家のアンナがいたが、仮に婚姻を断れば、利子はさらに膨れ上がり、事実上、ミラード家の経営は破綻する。
アーカイブ帝国の国法では、経営が困難となった領地は国家に没収される。そして今回のような経営破綻を起こした領主に貸し付けている領主がいるケースでは、その債権者である貴族に国から移譲されることが多い。
これは他の領地の経営権を事実上牛耳る違法スレスレのやり口。要するに、ミラード家は嵌められたのだ。
コルグ男爵家に逆らえば、事実上経営破綻し、爵位も失う。ライスが採った選択はミラード家を存続させるために、コルグ男爵家に首を垂れる事だった。
「そういや、これってシラベ先生の授業に出てきたよな?」
プルートの何気ない感想に、
「確か、帝国に蔓延している詐欺まがいの収奪行為だったの」
ミアも過去の授業の内容を思い出して頷く。
「まさか、自分の領地で実演されているとは思ってもいなかったけどね」
クリフは、皮肉気味に笑いながら、感想を述べる。
「ご当主様、せめて私にくらい相談していただけたら」
セバスチャンさんの咎めるような言葉に、
「すまない。だけど、話が大きくなって領地が取り潰されるのは避けたかったんだ。もっとも、そのせいで、余計事態は悪化してしまったけどね」
深く頭を下げて、釈明の言葉を紡ぐ。
「で? 結局どうするんだ? クリフの母ちゃんの実家に対する借金はまだ残ったままなんだろう?」
プルートのいう通りだ。帝国の国法では合法である以上、このままでは、コルグ男爵家にこのミラード領は奪われてしまう。
「それは――」
トーマスさんが口を開けかけたとき、屋敷の外が騒がしくなる。
小さな舌打ちをすると、両腕を組んで口を閉ざすトーマスさんに、息を飲むクリフ。
この様子から察するに、今この場に向かってきているのはクリフの母親なんだと思う。
玄関口がざわめき、制止の声。ズカズカと迫る複数の足音。
そして、扉が勢いよく開かれると、中年に差し掛かった茶色の髪をおさげにした女性を先頭に、白髪交じりの茶髪の初老の男性、金髪の若い女性、筋骨隆々の茶髪の巨漢が幾人かの従者とともにこの客室へと入ってくる。
茶髪の夫人はトーマスさんをさも不快そうに眺めみると、次いでクリフを一瞥し、ライス卿の前へ行き、両手に腰を当てつつ、
「ご当主様、どういうことかご説明願いますか?」
低い声を上げて威圧する。喉を鳴らすクリフに、ライス卿は肩を竦めると、席を立ちあがって、
「見ての通りさ。私はこの領地の次期当主を、クリフに移譲する。同時にクリフが魔導騎士学院を卒業するまで、このトーマスを臨時当主につけることにした」
温和なライス卿とは思えぬ強い口調で言い放つ。
「そんな勝手な――」
「僕がこの領地の当主だ。継承権がある限り、僕にその決定権がある。そして、クリフには当主になる資格がある。長男のトーマスも同じだ。だから、君の指図は受けない!」
「な……」
忽ち、茹蛸のように憤怒に顔を染めるクリフの母――ウァレリアに、白髪交じりの初老の男性が薄気味の悪い笑みを携えてライス卿に近づき、
「えいらい、強気だのぉ? だが、いいのかあ? 利子もつけて借金は500億にはなるぞぉ? お前にその金銭、払えるのかぁ?」
濁声で彼の耳元で囁く。
「……」
押し黙るライス卿に、
「ほらみろ! ウァレリア!」
「ご当主様、リンダの娘婿となるこのパペットがこのミラード家を継承します」
マッシュルームカットの巨躯の若い男性に、右手を向けてウァレリアが勝ち誇ったように叫ぶ。
「一日やる。さっさと、この屋敷から出て行くのじゃな」
「リンダ姉さん、それで本当にいいのかっ!」
クリフの焦燥が入った叫びに、長い金髪を後ろで編んだ少女が俯き気味に、ビックと身を震わせる。
その顔は真っ青に血の気が引いており、どう見ても婚姻を喜んでいるようには見えない。
ウァレリアはリンダを背後から抱き締めると、
「ねえ、リンダ、パペットとともにこのミラード家を支えていくんですものねぇ?」
吐き気さえ覚える甘ったるい声で問いかける。
「……」
生気を失った目でコクンッと顎を引く、リンダ。
きっと、彼女は実母から好きでもない男性と無理やり、婚約でもさせられているのだろう。
トート村はラドルに匹敵する巨大都市。それを含有するミラード家の価値はそれこそ天文学的なものとなる。特に今後門閥貴族どもが勢力を握ったこのアーカイブ帝国なら、トート村の一部を中央政府に譲渡し、その地位を核たるものとするくらい考えているのかもしれない。
ウァレリアの最悪さについては耳にはしていたが、百聞は一見に如かず。ここまで醜悪な人物だとは夢にも思わなかった。少なくとも同じ女としてウァレリアの行為は許容できる範疇を超えてしまっている。
「リンダ、結局のところ、選択するのはお前なんだ?」
「選択?」
消え入りそうな声で呟くリンダに、トーマスさんは眉根を寄せて大きく頷く。
「そうだ。なぜ、使用人たちがこんなクズのような屋敷に残っていたか、わかるか? お前が心配だったからだよ?」
「無駄口は――」
ウァレリアが遮らんと口を開こうとするが、
「貴様は、少し黙っていろ! 今、リンダ姉さんが話している!」
クリフが激高し、隣のプルートの頬が引き攣る。当然だ。今のクリフは理性が飛ぶ寸前の表情をしていたのだから。
「母の私に向かって、なんて口を利き方ッ――」
「だから五月蠅いと僕は言っている」
クリフの猛獣のごとき眼光で睨まれて、まるで金縛りにあったかのように硬直化するウァレリア。その事実にさらに蟀谷に太い青筋を張らして、背後の騎士風の従者たちを振り返り、
「何をぼさっとしているのっ! それを拘束しなさい! あとで折檻します!」
とても母親とは思えぬ指示を出す。
「……」
だが、全員微動だにせず、カタカタと震えるのみ。戦闘中の際見せるこのクリフの視線は、慣れているミア達でさえも、身がすくむ想いがするくらいなのだ。一般の騎士に過ぎない彼らでは、抗う事すらできないだろう。
「なぜ、私の指示に――」
「もう一度いう黙ってろ」
もはや視線すら合わせず、クリフは愛槍の【狂槍】の先端をウァレリアに突き付けて、黙らせる。
「大体の事情は使用人たちから聞いている。あの唐変木の末弟はお前の気持ちなど全く気づきもしない。いいのか? お前がそいつらと一緒に行けば、誓ってもいい。グレイは二度とお前の前には現れないぜ?」
スカートの裾を握って身を震わせ、
「いや……」
ボソリと呟く。
「己の願望くらいはっきり言え‼」
トーマスさんの叩きつける様な言葉に、
「嫌だ! 結婚なんてしたくない! 私、ずっと、ずっと、ここでグレイの帰りを待っているって誓ったんだもんっ!」
泣きながら、ヒステリックな声を上げて叫ぶリンダに、目を見開くウァレリア。
そして、温かな目で眺めるライス卿とセバスチャンさん。部屋の入口にはこの屋敷の使用人たちが揃い踏みをしていた。
(もしかして……)
この手の女性の表情には覚えがある。特にグレイ先生がらみなら猶更だ。きっと、彼女は――。
「よく言った。リンダ。もうお前は大丈夫だ」
トーマスさんの言葉に、リンダは遂に蹲って幼子のように泣き出してしまう。
「いいだろう。穏便に済まそうと思っていたのは今まで尽くしてくれたライス、お前さんたちへのせめてもの恩情じゃったんじゃが、やめじゃ、やめ! 直ぐに500億Gを返済せよ! もしできぬならこの領地は儂らのもんじゃて」
白髪交じりの老人――コルグ男爵が、嫌らしい笑みを浮かべて高らかと宣言する。
しかし、ライス卿、トーマスさんを始め、屋敷の使用人たちの誰もが平然としていた。むしろ――。
「何分先代からの古い証文です。残っているんですかね?」
ライス卿の小馬鹿にしたような疑問に、
「証文? もちろんあるぞ。ほらこれじゃ!」
胸から一枚の書簡を取り出し、その紐をほどいてライナ卿に示す。
ライス卿は満足そうに頷くと――。
「セバスチャン、持ってきてくれ」
ライス卿の静かな指示に、
「はい」
恭しく一礼するとセバスチャンさんは、使用人たちを引き連れて、皆で丁度トーマスさんが出てきた奥の部屋に入っていく。そして複数の重そうな大きな袋を担いで出てきた。
「ここに500億Gある。見分してくれたまえ」
「うな……」
暫し絶句していたが、弾かれたのように布袋に近づき、驚愕に目を見開く。
震える手で紅の貨幣の一枚を手に取り、歯で強く噛む。
「ほ、本物? ば、馬鹿な……」
未だに放心状態にあるコルグ男爵に、
「私は不愉快です! お父様、直ぐに領地に戻りましょう!」
ウァレリアの甲高い声に、
「お、おう。そうじゃな」
右手に持つ書簡を懐にしまい、コルグ男爵はまるで逃げるように部屋の出口を向かおうとするが、出口には両腕を組んだ金髪の美青年が左足で扉を塞いでいた。
「どかんかっ!」
怒声を上げるコルグ男爵に、金髪の美青年は口端を釣り上げて、パチンと指を鳴らす。
突如、屋敷に突入してくる多数の黒ローブたちに、コルグ男爵たちは忽ち取り押さえられてしまった。
「ライナ卿、上手くいったようですな」
奥の扉から姿を見せる全身に傷のある金髪の巨漢の男と黒髪に顎鬚を生やした中肉中背の中年の男性が姿を現す。
「お父様! ブライまで! どうしてここに!?」
素っ頓狂な声を上げるテレサに、無言で右手を上げ下げして抑えるようなジェスチャーをする。
テレサの父ということは、あの巨漢の御仁が、地方豪族の雄、ハルトヴィヒ伯爵様だろうか。
「さてさて、コルグ男爵くーん、この世界商業ギルド総長ライナ・オーエンハイムが、ミラード家からコルグ男爵家への500億Gの返済の証人となろう。かまわんよね?」
ハルトヴィヒ伯爵様の言葉と、金髪の男性の宣言で、その正体に思い当たったのか、急速に青ざめていくコルグ男爵。
「さあ、契約書を提示したまえ」
ライナ卿の悪魔のごとき笑みの指示に、コルグ男爵は項垂れつつも頷いた。
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