第68話 ミラード領への訪問(2)


 ミラード家の敷地は周囲の民家とは一転、絢爛豪華なものだった。

 よく手入れされた庭木に、花壇。ご丁寧に鑑賞用の池まである。建物の窓も全てガラス張りであり、新築といっても過言ではないものだった。


「ーっ!」


 先頭を歩くクリフのギリッと奥歯を噛み締める音。

 プルートが、後ろからクリフの頭をわしゃわしゃと撫でると、


「俺達はいつもお前の味方だ。だから、お前の気のすむようにすればいいさ!」

 

 クリフは呆気にとられた顔で振り返り、プルートを眺めていたが、その手を振り払おうともせずに、


「急にどうしたんだい? 君らしくもない」


 吹き出しながら尋ねる。


「お、おう。何かこうしなきゃならないような気がしてな」

「そうかい。だが、ありがとう。」


 クリフの瞳に憤りや迷いのようなものが消えると、再度歩き始める。



「クリフ坊ちゃま、お帰りなさいませ」


 玄関で出迎える執事服を着た目つきの鋭い白髪の男性。


「セバスチャン、久しぶり。父上は? さっそくで申し訳ないけど、話があるんだ」


 白髪の男性セバスチャンは、目を見開いてクリフを凝視していたが、姿勢を正して胸に手を当てて一礼し、


「承りました」


 ミア達を居間に案内すると、姿を消す。



 しばらく居間で待つと、細見の優しそうなおじさんが入ってきた。この人がクリフの父にしてミラード領の現当主――ライス・ミラードだろう。


「ただいま帰りました。父上」


 クリフはニコリともせずに、軽く会釈する。クリフがこんな態度をとるのは決まって、全く信頼していない者が相手の時だけ。

 クリフはシラベ先生の授業を受けた後も、貴族の矜持を頻繁に口にしていた。多分、クリフにとって父親とは、ミラード領という貧しい領地を必死にやりくりしている信念の人物だったんだと思う。

 でも、この領地の現状を目にし、その評価は百八十度変わり、ただの悪政を行う無能な領主へとなり下がってしまったのかもしれない。


「うん。御帰り、クリフ」


 クリフの前の席に座り、


「ご学友の皆さんにお茶を――」


 メイドたちがお茶を入れるよう頼もうとするが、


「いや、結構。用事が済めばすぐに帰ります」


 突き放すようにクリフは言葉を叩きつける。


(おい、クリフ、冷静にって言ったろ!)


 隣のプルートがクリフの脇腹に肘鉄を食らわせつつも、耳元で助言の言葉を囁く。


(わかってるさ!)


 クリフは大きく息を吐き出すと、


「父上、今この帝国で起こっている現状、認識しておいでですか?」


 姿勢をただしてミア達がこの領地に出向いた用件を口にする。


「ついさっき、中央からの書簡が届いたよ。帝国新政府からの反逆者グレイ追討の命令のことだね?」


 反逆者との言葉に、クリフの横顔が怒りに歪むが、直ぐに平常を取り戻して、


「はい。ミラード家はグレイ卿を支持したうえで、今回の内乱には不干渉の意を示していただきたいッ!」


 両手を付いて机に額を押しつけて、そう懇願した。


「わからないな。君は昔からグレイを嫌っていたはずだよ?」

「ええ、嫌っていました。だって、貴方が真に愛情を注いでいたのは決まってグレイだけだったから。醜い嫉妬という奴ですよ」


 クリフは自嘲気味に吐露する。

 初めてライス卿の顔から笑みが消え、親しみといったものが軒並み消失する。


「僕はグレイには無関心を装っていたはずだけど? 少なくとも君らの前ではね」

「家族でそれに気づいていなかったのは、グレイ本人ぐらいです」

「そう、皆、気付いていたのか……しかも、グレイがこの屋敷で肩身が狭い思いをしているのは私が原因だった? 笑えてくる。結局、全て裏目裏目に出てしまっているじゃないか!」


 狂ったように声を上げて笑うライス卿に、クリフは奥歯を食いしばる。

 今のクリフの気持ちは痛いほどわかる。だって、ライス卿は正面切って、クリフを真に愛してはいないと認めてしまったのだから。


(気に入らないの)


 かつてミアもクリフと同じように、父親に捨てられたと信じていた。だからかもしれない。ミアはこの人がこのときどうしても許せなかったのだ。

 だから、ライス卿への批難の言葉を吐き出そうとしたとき――。


 ――だめだよ、ミア、よく見るんだ。今の君なら、彼の違和感に気付くはずさ。


 突如、頭に響く穏やかな声に、茹で上がったミアの感情は一気に冷めていき、ライス卿の両眼が全く笑っていないのに気付く。


(おかしいの)


ミアは真実を見極めんと、ライス卿の一挙手一投足の観察を開始した。


「一つ、お聞かせください」

「何だい?」


 笑うのを止めるとライス卿はクリフを見据えて聞き返す。


「なぜ、ミラード領でこんな出鱈目な経営を行っているんです? これでは生まれた場所が少し異なるだけで、その生活に天と地ほどの差が出てしまう」


 きっと、トート村の件を言っているだろう。確かに、この領地はあまりに歪だ。トート村という帝国でも有数の大都市を内在し、そこを一歩でも出れば、貧困が広がる。こんな領地、帝国全土を探しても、ここくらいだ。


「なぜって、ウァレリアがそれを望んだからさ」

「母上が望んだからぁ? 父上、真面目に答えてください! 僕はこの領地のふざけた経営方針の理由について、お聞きしているんですっ!?」


 クリフは立ち上がって掌で机を叩くと、声を張り上げる。


「んー、そう言われてもそれが真実だよ」

「そんなの理由になっていないッ! 母上が望んだだけで、己が預かる領民に、なぜこんなむごい事ができるっ!?」


 すまし顔でお茶を飲むライス卿に、クリフは増悪の表情で睨みつけながら激高する。


「それは少し勝手な意見だねぇ。クリフ、君だって、数年前までウァレリアのことなら全て正しい。そう思っていたじゃないかい?」

「それは……」


 言葉に詰まるが、右手で胸を押さえると、


「そうさ。その通りだよ! 僕は母上の敷いたレールを歩いてきただけだ! 他人の言葉や地位を価値あるものと無条件で信じれば楽だからそうしてきただけだっ! でもさ、そんなのただの思考停止。死んでいるのと何ら変わらない! それを魔導騎士学院で僕は学んだんだッ!」


 ライス卿は恐ろしく厳粛下顔で両手を組み、クリフを凝視すると、


「それで?」


 話を続けるように促した。


「僕はもう誰にも縛られない。自分の目で見て、調べて、会話して、僕自身の手で結論を出す。そう、僕は誓ったんだ!」


 クリフの絶叫に、ライス卿は何度か大きく頷く。


「君の言いたいことはわかった。でもね、君がつらく当たったいたのはグレイだけじゃない。この屋敷の使用人やこのミラージュの住人へもだ。君はウァレリアと一緒になって、彼らに無理難題を押しつけてきたんじゃないかい? その君が心を入れ替えました。そう言って、彼らは、受け入れるものかな?」

「……」


 下唇を噛み締めて顎を引くクリフに、ライス卿は口端を上げると席を立ちあがる。そして、クリフの席まで行くとその肩を叩く。


「トート村の復興を成し遂げたグレイはもちろん、アクアもこの領地の改善に尽力してきた。なのに、君はどうだい? 自分のことで頭が一杯で、今の今までこの領地の確認すら来なかった。そんな君に僕を批難する権利はない。違うかい?」


 得々と話すライス卿に、


「おい、おっさん、さっきから黙って聞いていれば好き勝手抜かしやがってッ! クリフが夏季休校のときに、領地に帰らなかったのはこの領地を救いたい。その一心からだ! こいつが、休みを返上してどれほど努力してきたか、あんたにわかるかっ!?」


 クリフは皆が夏季休暇で帰郷しているときも、学院に残り、サガミ商会から出向している先生たちに頭を下げて、寝る間も惜しんで学んでいた。それは全て、自身の領地の発展のため。ミア達はそのクリフの努力を傍でずっと見てきたのだから。


「いくら努力をしても、血が通ってないのものには人はついてはこない。そういうものだよ」

「はぁ? クリフに血が通ってない? 阿呆かっ! こいつほど、仲間を思いやれる奴はいねぇ! 領民に対しても同じだ! 今のこいつの目線は俺達平民と何ら変わりはしねぇ!」


 ライス卿は再度、クリフの正面の席につく。そして、テーブルに両肘を突いて両手を組みまるで品定めでもするかのうように、ミア達をグルリと眺めみていたが、直ぐにクリフに視線を固定する。


「そうかな? 例え百歩譲ってそうであっても、僕ごときに言いくるめられて黙るようなら、彼女には抗えない。昔のように押し黙るだけさ。今の君には、この地の領主なんて無理だよ」


 ライス卿はそう冷たくつき放つ。

 やはりこの会話変だ。冷静になった今、はっきりとわかる。もし、本当にこの人がクリフに愛情を抱いていないなら、そもそも、こんな会話をする意味などない。笑顔であしらわれて終わりだ。


 ――思い出しなよ。君がかつて最も傷ついたのは何?


 そうだ。ミアがかつて最も傷ついたのは、父親から見放されて捨てられたことだ。お前など一切の興味がない。そう言われた気がして、もう全てがどうでよくなるくらい父を憎んだ。でも、結局、憎む事はできても、父を忘れる事はできなかった。

 ライス卿も同じ。こんなクリフの怒りや憎しみを煽るような真似をする自体、クリフの現在に興味があると自白しているようなものだ。

 つまり、ライス卿は――。


「あんたは――」


 遂に机に右拳を叩きつけ立ち上がろうとするプルートを右手で制し、


「プルート、うるさいの。お座り!」


 いつものようにプルートを宥める。


「お座りって、お前なぁ、俺は犬かよ!」


 ごちゃごちゃ五月蠅いプルートから、視線をライス卿へと向けると、


「クリフは本心を語った。だから、貴方も隠し事をしないで話すの!」


 有無を言わせぬ口調で叫ぶ。

 どうやら図星だったようだ。ライス卿に常にあった余裕が消失し、ミアを見据えてくる。

 

「随分、唐突なお嬢さんだね。僕が本心を述べていないと?」

「そうなの! きっと、本心からの言葉は、グレイ先生を愛しているとういことだけ。他は全て出鱈目、ねぇそうでしょう?」


 ライス卿の背後に控える白髪の執事――セバスチャンさんに尋ねる。彼はライス卿とクリフのやり取りに、今ハンカチを取り出して、目元を押さえていた。そのクリフに向けている温かで、優しい表情からも、もうミアにもこの茶番の予想がつく。

 セバスチャンはいそいそとハンカチを胸ポケットにしまうと、


「旦那様、クリフ坊ちゃんはもう大丈夫です。これ以上は我らの勇み足というものでしょう」


 胸に手を当てて進言する。

 ポカーンとしているクリフを尻目に、セバスチャンさんは奥の部屋の扉へ行くと取っ手を持って勢いよく開く。


「おわっ!?」


 勢いよく部屋に転がり込んでくる恰幅の良い金髪の青年。


「は? え? トーマス兄様?」


 床に尻餅をつくトーマスと呼ばれた恰幅の良い男性を視界に入れてさらに混乱するクリフに、トーマスさんは頭を掻き、


「よ、よお、クリフ、久しぶりじゃね?」


 右手を上げて挨拶をする。


「だから、私はこんな真似は、悪趣味だと申し上げたのです」


 セバスチャンさんのたっぷりと批難のこもった言葉に、


「いや、はは……」


 気まずそうに笑うライス卿に、


「だってさ、あの母上至上主義だったクリフが変わったとかいうんだぜ? 確かめてみたいと思うのが、心情というものだろう?」

 

 トーマスさんは口を尖らせて反論する。


「それで、トーマス様の結論はいかに?」

「そんな決まってんだろ? 合格だよ! 合格! まったく、あのバケモノ末弟があれほど明確に断定するから、粗の一つでも探してあいつの鼻を明かせてやろうと、息巻いていたんだが、予想以上で、ぐうの音もでねぇよ」


 トーマスさんは、頭を掻くとライス卿の隣の席に座り、


「ちなみに、クリフ、お前は大きな勘違いしている。この人はそれなりに子煩悩だよ。何せ、ご丁寧に家を出た俺に頻繁に手紙をよこしてきたくらいだからな」


 今一番クリフの心の中にある不安への解答を口にする。


「て、手紙? でも、ずっと連絡なんて取っていないって……」


 言葉に詰まるクリフに、


「実際に、連絡は取っていなかったさ。何せ、一度も返信もうけたことはない」


 ライス卿の自嘲気味の言葉に、


「そりゃあ、今更鬼畜母の操り人形が何の用だよってずっと思ってたからな。だが、結婚して子供ができて、俺も親父になるって知って、初めて親父殿の気持ちってものに興味が出てさ。手紙を読んで、ここにいるってわけ」


 頬を掻きつつするトーマスさんの独白に、


「結局、兄さんもグレイにここに来るように言われたのですね?」


 クリフのどこか寂しそうな疑問に、


「いんや、それは違うぞ。俺がここにいるのは父上殿の手紙を見たからさ。あいつからは何も指示を受けちゃいない」


 トーマスさんは即否定する。


「でも、さっきバケモノ末弟がって?」

「あー、あいつとは最近、司法官としての仕事関係で知り合ったのさ。同僚からシラベ・イネス・ナヴァロの噂には聞いていたが、まさかそれが我がミラード家の末弟のグレイだと知ったときは目ん玉が飛び出るほど驚いたがね」


 肩を竦めるトーマスさんに、


「私もアンデッドの事件でのグレイの活躍を諸侯から耳にしたときは、似たようなものだったよ」


 乾いた笑い声をあげるライス卿。


「ともかく、グレイはそこまでこのミラード家を重視も、信用もしていない。あいつの認識からすれば、ミラード家は、あの糞鬼母の支配区域であり、門閥貴族どもの領地と大差ないのさ」

「そう……だね。グレイが信頼し家族と思っているのはこの屋敷の使用人たちとアクア、そしてクリフ、君だけだ」


 自嘲気味に、そして悲しそうに口にするライス卿に、


「ご当主様、時間も押していますし、話を進めるべきでは?」


 若干重たくなった会話を変えるかのようなセバスチャンさんの提案にライス卿は大きく頷くと、


「そうだね。僕のこの領地の経営は明らかに誤っている。それはクリフ、君の指摘の通りさ」


 はっきりと断言する。


「まあな、ここのミラージュの住民の生活は酷いものだ。生活水準の劣悪さはもちろんだが、一番はその眼だ」

 

 トーマスさんはふくよかな顎肉を摩りながら、ぼんやりと答える。


「眼?」

「ああ、彼らの目からは、希望という名の光が消えている」


それはミア達も気付いていた。だからこそ、クリフはあれほど憤ったわけだから。


「既に、他の村から、トート村に移住しようとする村民が後を絶たない。この領地の経営はもはや破綻寸前だ」


 酷く厳粛した顏でライス卿はそういうと、席を立ちあがり、硝子張りとなった窓の外を眺め観る。


「親父殿、言いにくいのは重々察する。だが今は……」

「ああ、わかってるさ」


 ライス卿はクリフに向き直り、話し始めた。


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