第14話 教師も教師なら生徒も生徒か

 学科試験終了のベルがなり、ミアは机にペンを置いた。

 難解な問題ばかりだったが、全問題とも一度シラベ先生の授業でやったところばかりだったし、大筋は外れてはいないと思う。

 

「用紙を集めます。ペンを机の上に置くように!」


 まだ、指先が震えている。これほど精神すり減らしたことは生まれて初めて。それも当然かもしれない。ミア達の成績次第では、シラベ先生がこの学院が追い出され、領地を没収されてしまうのだから。

 心を静めるべく未だに小刻みに震える両手を机の下に置き、姿勢を正す。

現在、各試験官がミアたち生徒の答案を回収していた。丁度、後ろから三番目のミアの机にある答案を掴むと、最上部に置いて左の掌を重ねた。


(ん?)


それに気付いたのは偶々だった。もし、そのときの試験官の顔を目にしていなければ、変な癖のある人だな。そう思ったに過ぎなかっただろう。

試験官の口の両端は引きつるようにまくれ上がり、その顔は狂喜に染まっていたのだ。


(っ!!?)


 ぞわっと背筋に無数の虫が這いまわるような独特な悪寒がミアの全身を駆け巡り、


「やめるのっ!」


 その試験官の左手首を掴み捻じり上げた。


「ぐぇっ!!?」


 裏返った声を上げて試験官は、答案用紙をばら撒き床に尻餅をつく。

 咄嗟に地面に落下したミアの答案を見るが、名前以外、空白だった。


「嘘……」


 己の答案用紙を拾い茫然としていると、


「み、皆さんっ! 見ましたよね! この裏切り者の娘が試験官の私に暴力を振るい答案を強奪したのです!」


 試験官は勢いよく立ち上がり、大袈裟に両腕を広げて捲し立てる。


「けっ! どこぞの貴婦人じゃあるまいし、あれが暴力ってほどかよ」


 隣の席のアランが不愉快そうに舌打ちをする。

真っ白になった頭がようやくミアの答案が白紙となった事実を認識し、


「ミアの答案に何をしたの!?」


 右手で試験官の胸倉を掴むと引き寄せて、何度もブンブン振る。


「なっ!? 離しなさい!!」

「何をしたっ!!?」


 必死だった。学科が零点にでもなればミアの40番以内は絶望的となる。ミアは退学となり、皆とお別れとなってしまう。シラベ先生もこの学院からいなくなってしまう。それがどうしても嫌で、たまらなく許せなくて、ミアは何度も試験官の胸倉を乱暴に揺らした。


「何してるんだ、君は!?」


 背後からクリフに引き離され、押さえつけられてしまう。


「答案を戻せ! 戻せぇ!!」


 情けなくて、悔しくてまるで涙腺が壊れたかのように涙が止め処なく流れ、ミアはまるで癇癪を起した幼児のように叫び続けた。

 クリフは床に落ちたミアの答案を見下ろし、


「そういうことか……」


 顔を苦渋にそめつつもそう呟くとミアを椅子に座らせ、右拳を固く握ると試験官を殴りつけたのだった。



 一時、殴られた試験官が腰の長剣を抜くが、隣の教室にいたレベッカ先生がすぐに駆けつけ仲裁してくれた。

 その後、レベッカ先生はミアとクリフを学院三階の隅にある個室へ押し込めると、慌てたように部屋を出て行ってしまう。

 約30分後、レベッカ先生は三人の先生方を連れて部屋に戻ってくる。

 現在、彼らに事のいきさつを説明しているところだ。


「試験後、教壇の上に置かれた答案用紙が収められる保管箱は魔法具により錠がされ、以後、鍵を持つ学院長以外取り出せなくなる。言い換えれば、保管箱に収められる前ならいくらでも改竄は可能。やられたな。まさか、これほどあからさまな方法をとってくるとは夢にも思わなかった」


シラベ先生が資料の束をテーブルに投げ捨てると、そう吐き捨てる。


「子供にまで不正をするか! どこまでも腐りきったウジ虫共めっ!!」


腰まで伸ばした金髪の紳士が右拳をテーブルに叩きつけた。この人は入学式で見たことがある。魔導騎士学院の学院長――ライオット・ベルンシュタイン、その人だ。

 普段温和そうな男性の強烈な怒りに彩られた顔にポカーンとしているミア達に、


「じゃが、ミアたちが騒いでくれてむしろ助かったわい。あのままではGクラス全員の答案が零にされていたかもしれんしな。のう、そうじゃろう?」


 学院長の隣に座る白髪の老人――ジークフリード・グランブルが真っ白な長い顎髭をさすりながら、難しい顔で腕を組みつつも壁に寄りかかっているシラベ先生に同意を求める。


「ええ、でも殴ったのはいただけない」


 シラベ先生の眼球がマスク越しにクリフに向くと、


「なぜ殴った?」


 そう静かに問いかける。


「すいません」


 項垂れたまま声を絞り出すクリフに先生は、


「いいか、平時では議論もせずに手を出したら、その時点で負け。例え相手がいかに卑劣な方法で仕掛けてこようとだ」


 幾度となく教えらえた言葉を口にする。


「はい」

「忘れたわけじゃないようだな。ならなぜ、殴った?」

「許せなかったから」

「許せなかった? 何を?」

「何も知らない奴が、薄汚い方法でミアの今までの努力を踏みにじったことが!」


 クリフが目を尖らせて体を震わせながら、噛みしめるように口にした。

 シラベ先生は大きなため息を吐くと、


「まったく、教師も教師なら生徒も生徒か……」


 呆れたように首を左右に振る。


「そうじゃぞ。お主、クリフを責められるほど、我慢強くはあるまい? 特に幼子と身内のことになるとすぐに頭に血が上るようだしのぉ」

「重々、承知しているさ。しかし、奴らに主導権を握られているのも事実。さて、どうしますかね」


 シラベ先生は誰に問うでもなしに独り言ちる。


「君らは大丈夫だ。この度の不始末は全て私達学院側にある。我らが何とかしよう。だから、何の心配もせず、もう試験会場に戻りなさい」


学院長がレベッカ先生に視線を向けると、


「はいはーい、じゃあ、行きましょうねぇ」


 普段ののんびりした間延びした声で返答し、立ち上がりミアとクリフに目配せをしつつも、ミア達の手を引きつつも部屋を出て行く。



 個人実技の試験会場へ行くと案の定、噂を聞きつけた周囲からの罵詈雑言がミアの耳に飛び込んできた。


「聞いたかよ? ゴキブリの連中、試験問題が書けないもんだからいちゃもんつけて試験官殴ったんだってよ!」

「最低だな! そんなんでよく魔導学院に入学できたもんだっ!」

「キュロスのコネよ。もういいじゃない。どうせ、直ぐに退学になるんだしさ」


 ミア達に気付いたプルートたちが近づいてくると、


「気にすんな。どうせ何もできねぇよ」

 

 力強く励ましてくる。


「すまない」


 クリフが頭を下げるが、


「事情は粗方推測くらいつくぜ。お前がやらなかったら俺がやっていた」


 プルートが右の掌を向けてそれを制する。


「わたくしもだよ!」


テレサも両拳を握り大きく頷く。


「でも、どうする? ミアの点数はまず零とされてしまった。正直、これをひっくり返すのは……」


 クリフが苦渋の表情でいま最も危惧している事項を指摘する。


「実技で盛り返そう。得点配分はわからないけど、チーム戦で優勝すれば合格はできるはずだよ」

「でも……40位内に入らなければ先生は――」

「40位は僕らの試験の合格とは無関係。そうだよね?」


 ミアの泣き言を遮り、エイトはプルートに尋ねた。


「あ、ああ、その通りだ。クラスを問わず一回生の進級条件は、200満点の40%である80点の獲得。ミアは俺達とは異なり一回生だから、実技で80点以上を獲得すれば進級は可能だ」

「で、でもそれじゃあ、シラベ先生が――」

「学科が0点の可能性が高いミアに、40番以内は無理さ。だからこそ、奴らはこんな小細工をしてきたんだろうし」

「お前、起死回生の手、あるんだろう? もったいつけないで教えろよ」


 エイトは皆を見渡すと口角をにぃと上げる。


「実技のチーム戦で優勝することさ。聞いたところによると皇帝陛下を始めとする皇族の方々や普段姿を見せない上皇陛下も観戦するらしいじゃないか。これだけでも、帝国民の注目度はかなりのもののはず。もし、僕らのチームが優勝すれば、彼らも軽はずみに退学になどできなくなる」

「なぜそう言い切れる? 相手はこんな無茶苦茶やるような奴らだぜ?」

「考えてもごらんよ。彼ら門閥貴族派の教授たちの精神的支柱は誰だい?」

「上皇陛下だろうね」


 クリフが即答し、満足げにエイトは頷く。


「そう。上皇陛下さ。そんな偉い人達の前でもし優勝者を退学にでもしてみなよ。当然、得点の配分がおかしいという批判が巻き起こるはず。そうなればどうなるだろう?」

「なるほどね。こんな無茶な得点配分は今年から。状況から考えて、まず間違いなく噂の今年新しく変わった教授陣の意向だ。その批判の矛先は彼らへ向かう。それだけじゃない。その噂が上皇陛下の耳に入れば、その怒りを買う危険性すらもある」


 エイトの問にクリフが納得したように返答し始める。


「その通り。理由を付けて僕ら全員を合格にしようとするはずさ」

「だが、先生は? 俺達全員が40位内に入ることが、先生がこの学院に残る条件らしいぞ?」

「あのね、最底辺のGクラスを実技で優勝まで導いた教授。もしクビにでもしてみなよ。それこそ大問題に発展する。下手をすれば、例の国家棄損法の適用を受けるかもしれない」


 国家棄損法とは、帝国の国家利益に著しく反する行為をしたものを罰する法だ。先生曰く、権力者の意思一つで死刑台に送れる点で、最悪の悪法らしいが。


「ようやく僕らの道が見えてきたようだね」

「そうだな。どの道、俺達の目標は優勝だったし、今更怖気づいたり、悲観したりする必要はないぜ」

「わたくしも賛成ぇ!」


 皆の言葉が、態度がどうしょうもなく心強くてミアは頭を下げると、


「ミアのせいで、ごめんなさいなの」


 謝意を述べる。


「何言ってんだ。お前が気付かなきゃ。俺達全員零点にされたまま、何が悪かったのかもわからず、退学になってたんだぜ。むしろ礼を言わなきゃだな」

「そうそう、ミアちゃんには感謝だよ」


エイトはミア達の前に立つと肺に息を吸い込み、


「僕ら五人は必ず全員で進級し、シラベ先生の授業を受ける!! そうだろう!?」


 大気を震わせるような大声を上げてミア達にその意思を問うてくる。


「「「「おう!!」」」」


 ミア達も喉が裂けんばかりに声を張り上げたのだった。


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