第54話 狒々王爆誕


(なんなんじゃ! あのバケモノはっ!?)


 必死に走りながらも自問自答を繰り返すがもちろん答えなど見つかるはずもない。


(甘かった! いや甘すぎた!!)


 あれは人の皮を被った正真正銘のバケモノ。

毒酒は仮にも【ラグーナ】の最高幹部。幾多もの強者を屠ってきたし、幻獣、ドラゴン等、伝説の生物とも刃を交えたことがある。

だが、あんなおぞましくも恐ろしい生き物には毒酒は、生まれてこのかたお目にかかったことはない。

紅に発色した瞳に、裂けるほど吊り上がった口角。何より、大気すらも歪める奴の全身から濁流のように流れ出る濃密で凶悪な紅の魔力は、毒酒から戦意というものを軒並み削り取ってしまっていた。

おまけに、あの糸や部下達を捻じり上げた摩訶不思議な能力。あれは魔法なのだろうか? だが、それにしては、あまりに出鱈目に強力過ぎる。あんな力、幻獣や精霊たちでも使えやしまい。

考えられるとするなら、人外の存在。

グレイの命とやらで【ラグーナ】本部を襲ったあの蜘蛛の怪物。あれは相当強かった。何せ、四統括全員でようやく退けたほどなのだから。奴はあのクラスのバケモノを使役しているのだ。奴がより強力だとしても何ら奇異はない。

さらに、サガミ商会はフェアリー族を傘下に収めているとの情報が上がってきていた。フェアリー族は人族を低位にみている。奴隷として無理やり従わせるならともかく、人に自らの意思で仕えるなど奴らのプライドが絶対に許すまい。

 だとすると、グレイとはフェアリー族が跪く価値のある人外。そんなものは限られてくる。即ち――超高位の精霊。


(まさか、聖霊王とかいう伝承上の生き物か?)


 聖霊王とは、精霊たちが崇める存在だ。そんなものは神と大差ない。神に人ごときが抗えるものか。超常的存在だからこその神なのだから。


(早急に手を引かねばならん)


 あれは人類がどうこうできる相手ではない。何より、奴は伝言を残したのだ。『私はお前達を考えつく限り、最低、かつ、残酷な方法でなぶり殺す』と。

あんな怪物に【ラグーナ】は、狙いを定められてしまった。人外が、一々人の命など惜しむものか。最後には部下達のように――。


「冗談ではないわい!!」


 あんな目になどあってたまるものかっ!!  絶対に逃げ切って見せる。

この帝国はあの怪物の牙城。この地を捨てて他国へ逃れなければならない。組織の勢力の相当の後退は余儀なくされるが、それでも一方的に蹂躙され潰されるよりはなんぼかましだ。


(ついたか)


 ストラヘイムやや南東よりの夜の歓楽街に【ラグーナ】の本拠地はある。


「直ぐにこの場を離れる用意をせよ!!」


 屋敷に転がり込むように、叫び声を上げるが誰も答えない。いや、そもそも人っ子一人いない。

 ここは大都市ストラヘイムの【ラグーナ】支部だ。幹部を始め、かなりの数の構成員が滞在している。それが、一人の姿が見えないのはどう考えても異常だった。


「いやー、やっと来ましたねぇ」


 部屋の奥から姿を現す頭から黒色の布を被ったマスクの男。


「貴様の仕業かの?」


 怒気を隠せず尋ねるも、奴は肩を竦め、


「ええ。ご心配なされずとも、ちゃんと奥に控えていますよ。なにせ、大切な材料ですしねぇ」


 弾むような声で返答した。


「材料? 何をした?」


別に部下などただの肉の楯程度の認識しかないが、だからこそあの怪物の追跡を振り切り、このストラヘイムを無事脱出するには必要な兵隊なのだ。


「そんなことより、どうやら尻尾巻いて逃げ帰ってきたようですねぇ?」

「当たり前じゃ! あれが人間だと!? 謀りおって‼」


 激高するが、奴は薄気味の悪い笑み浮かべ、


「彼は人間です。それは誓ってもいい。もっともぉ、何分、あんな原住民の子供の姿ですし、まだどこの時代のどこの国の英雄なのかまでは不明なわけですがねぇ」

「原住民? 英雄? お主の言っていることはまったく意味がわからん」


 そうは口にするも、奴のその人形のような作り笑いを認識し、身体中を無数の虫が這いずり回るような嫌悪感に襲われる。


「ええ、私は知りたいのですよぉ。彼の中身をねぇ。なのに貴方はそのペンダントの効果を試しもせずに、逃げ帰ってきてしまった。いただけない。それは、実にいただけない」


 大げさに両腕を広げて、得々と毒酒への批難と侮辱の言葉を口にする。

 本来ならば、激怒する場面だ。なのに、毒酒の本能は全力でこの場からの脱出を痛いくらいに主張していたのだ。


「仕方なかろう。あの怪物との真っ向勝負は少々、儂には荷が重い」


 危険だ。この男もあの怪物と同様、恐ろしく危険だ。おいそれと関わるべきではなかった。


(微温湯につかり過ぎた体たらくのつけがこれか!)


 全盛期の毒酒ならば、こんな素性も知れぬ怪しい男と手を組もうとは絶対に思わなかったし、あのグレイとかいう怪物についてもより正確な情報を得てからことを起こしていたはずだ。

 裏社会の頂点へと昇りつめ、世界に禄な敵がない状況が続き、驕りが生じてしまっていたのだろう。

 だが、今更後悔しても詮無きこと。今はこの鉄火場のような状況をどうやって切り抜けるかだ。

 

「だから貴方には役に立っていただきたいのです」


 嚙み合わない言葉。毒酒の言葉など耳にすら入れていないのかもしれない。


「善処しよう」


 大きく頷きつつも横目で脱出路を確認し、気付かれない程度に重心を僅かに低くする。

 あとはタイミングのみだ。


「まずはそのペンダントです。それにはある機能を有していましてねぇ。まあ、それがそのペンダントの本来の役割と言っても過言ではありません」


 顎に手を当てて、床をぐるぐると回る奴に、


「そうか」


 相槌を打つと、丁度奴が毒酒に背を向けた瞬間、扉である背後に全力でバックステップする。

 ドンピシャのタイミング。これなら一先ずの脱出は可能――のはずだった。

 ドスンッと背中に対する衝撃。とっさに振り返ると、奴が満面の笑みを携えて、右手で毒酒の頸部を握っていた。


「まだ話は終わっていませんよ。いけませんねぇ。実にいけない」


 左の掌で顔をおさえて、首を左右にふり、毒酒の頸部を持ち上げていく。


(ば、馬鹿な‼ こうも容易にこの儂が!? 儂は四統括の毒酒じゃぞ!!)


 マスク越しに見上げてくる闇色の瞳に射抜かれ、毒酒はすんなりストンと理解した。こいつもまたあの怪物と同様の存在だと。


「離せぇ!!」

  

 必死にもがくが、まったくビクともしない。その事実がひたすら恐ろしい。


「ふーむ、ではさっそくその【魔王種の器】の効果、試させていただきましょう。喜びなさーい。貴方はこの世界の原住民の中では相当の実力者。さぞかし、強力な魔王となっていただけるはず」

「うぁ……」


底の見えない谷底へ引きずり込まれていくような独特な絶望感から、呻き声を上げていた。


「望むらくは、本実験で彼の出自が明らかにならんことを」


 コンダクターは左手を毒酒のするペンダントへと向けると、ゆっくりと触れようとしてくる。


「やめろっ! やめろおおぉぉぉぉっ!!」


 あらん限りの拒絶の言葉にもかかわらず、コンダクターの手がペンダントへ触れる。

 

 ドクンッ!!


 ペンダントが脈動し、視界が真っ赤に染まり、赤熱の棒を脳髄に直接打ち付けられたかのような激痛が走る。

 

「ぐおおおぉぉぉ――」

「では、ご健闘、お祈り申し上げます」


 コンダクターの歓喜の声を最後に、毒酒の人としての最後の記憶は消失する。

  

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