第52話 魔王ムンク  

『ムンクの有する魔王種の種の発芽が確認されました。ムンクは【スライム公爵】から、【魔王ムンク】へと進化いたします』

 

 この女の機械的な声はたびたび起こる世界の声ってやつだろうか。


「ま、魔王?」


 そう呟くガイウスの両眼には濃厚な不安の色が色濃く染まっていた。

 ガイウス達の焦燥溢れた様子から察するに、どうやら、今の声、私だけに聞こえたわけではなさそうだ。少なくとも、一定の範囲には聞こえた可能性が高い。もしそうなら、パニックになるぞ。

 それにしても――。


(魔王ね。確か、かつて二つの大隊を滅ぼした――)


 突然、生じる釘でも打ち付けられたかのような激しい痛みに、思わず右手で頭部を抑える。

 はて、二つの大隊を滅ぼす? そんな史実、この世界の本に書いてあったか?

 確かに魔王という魔物たちの王がこの世界には六度出現したとあった。だが、それで滅ぼされたのは大隊どころではなく、国そのものだったはずだ。六度、無数の国が滅ぼされたというその脅威度故に四度目に魔王を滅ぼした勇者が冒険者ギルドを設立したわけだしな。二つの大隊が滅ぼされたのも間違いではないのだろうが、そんなマニアックな事実、とんと記憶にない。疲れているんだろうか?

 

「いひひひっ! 最高の気分だぁ。今なら何もかもぶっ壊せる。そんな気がするっ!!」


 全身を毒々しい紫色に染めたムンクが、恍惚の表情で夜空を仰ぎ見る。


「そうかよ。だが、生憎、ゴミ掃除がまだ残っている。お前のような雑魚に構っている暇は私にはないのだ。殺してやるからとっとと来い」


 人質がいるというのもあながち嘘とも言えぬだろうしな。直ぐにでも向かわねば手遅れになりかねぬ。


「この俺を雑魚だとっ!?」


 片目を大きく見開き、首を傾け威圧してくるムンクに、


「ふむ、それ以外に聞こえたか。それとも、魔王とやらになると人語を理解し得なくなるのか? まあ、ケダモノ化するんだし無理もないか」


 肩を竦めさも呆れたように言葉を発する。

 別に虚勢を張っているわけではなく、ただの事実だ。ムンクの平均ステータスはB+。それなりの強さだが、真破邪顕正しんはじゃけんしょうを持つ私にとって魔王化しても大した脅威ではない。まだ人間の方が万が一があり得る。

 まあ、勇者等の称号にはこの破邪顕正のような能力を含んでそうだし、この黒幕が魔王を故意に出現させているなら、対策は立てられやすいともいえるわけだが。

 兎に角、ムンクと相対した今の私の平均ステータスはS-。魔力に至ってはS+。相手にすらならん。

 

「貴様ぁっ!!」


 ガイウス達に不可視の迷宮インヴィジブルラビリンスをかけると、増悪の表情で睥睨してくるムンクに向けて、私はゆっくりと歩を進める。


「舐めやがってぇっ!!」


 ムンクの身体から無数の液体が分離し、私の肌に殺到する。


「お、おい!」


 ガイウスの焦燥たっぷりの声を無視し、私は付着した紫色の液体を払いもせず、ムンクに近づいていく。

 

「な、な、なぜ、効かない!?」


 再度、私に無数の紫の棘を放ってくるが、右腕を振る風圧だけで吹き飛ばす。


「くそぉっ!! このまま飲み込んでやるっ!!」


 ムンクの全身が歪み球状になると私を頭部から飲み込んだ。


「どうだ、これで貴様も俺の腹の中――」

「鬱陶しい」


 液体を掴むと魔力を込めてやる。


「あばばばばばばっ!!?」


 ムンクは、けったいな声を張り上げて砕け散ると、急速に集まり人型を形成していくと床に這いつくばり、荒い息を吐きながらも、私を見上げてくる。


「なぜだ!? こうすれば、どんな奴も支配できたんだっ!」

「知らぬよ」


 私は構えを取り、重心を下げると、右肘を引き、魔力を拳に乗せてラッシュを開始した。

一撃で砕け散ったムンクの身体。そのはじけ飛んだ一滴、一滴を満遍なく殴りつける。


 水滴が完全にはじけ飛んだのを確認し、私は拳を下ろす。

 水滴が集まって人の形を形成してはいたが、魔王化する前よりも力を感じない。どうやら、さっきが致命傷だったらしい。


「お前は……何なんだ? 伝説の勇者……なのか?」


 仰向けで、ムンクは私に尋ねてくる。


「私が勇者? はっ! やめてくれ。そんな殊勝なものではないよ」


 私が奪った人の命を鑑みれば、どちらかというと真逆であろうしな。

 

「だったら、なんだ!?」

「しいて言えば、人間だよ」

「ふざけんな! そんなバカげた力をただの人間が持てるはずが――」

「私が何者などこの際どうでもいい。そんなことより、立て。お前のそのしみったれた根性、黄泉へ送る前に叩きなおしてやる」


 ムンクは暫し呆気にとられたように私の顔を凝視していたが、ぷっと吹き出すと、

 

「ほざけ――」


 顔を神妙な顔に変え、ヨロメキながらも立ち上がり、ファイティングポーズをとる。

 私は右拳を握ると、無造作に奴の頭部へとぶちかます。


 ……

 …………

 ………………


「くく……負けちまったかぁ……あーあ、やっとアクウより、誰よりも強くなったと思ったのによぉ」


 ムンクの表情は、長年のつきものが落ちたように穏やかだった。今のこいつなら聞きたい話を聴取できるかもしれん。


「最後に一つ、聞かせろ。なぜ、バドラックという少年を売った? 大して金にもならなかったろ?」


 そうだ。これだけがこの事件の最大の謎だった。

 債権もない冒険者を売るなど重大なギルドに対する敵対行為。そんな危険をあの奴隷商の元締めがすんなり受け入れたこと自体が、相当奇妙な話だったのだ。要するにリスクとそれを犯して得られる利益が明らかに釣り合ってはいなかった。


「さぁな。むかついたからじゃねぇのか」

「バドラックという少年が他の組織の間者だったからか?」


 ムンクの穏やかだった顔が僅かに歪む。やはりビンゴか。

 仮にも冒険者の最大の禁忌を犯したのだ。ただの傷害と人身不正売買ならば、直ぐにムンクは捕縛されていたことだろう。なのに、ウィリー達は私がギルドに提出してから三週間もの間、動かなかった。既に証拠となりうる資料は提出していたのだ。例え【人間スライム事件】のためで遅延したとしても、裏付け調査だけで三週間は聊か長すぎる。


「バドラックが間者!? どういうことだ!?」


 叫ぶアクウの疑問に答えたのは――。


「バドラックという少年は、エスターズ聖教国の間者だった。それが理由で犯罪奴隷として売られたってわけさ」


 振り返ると、どじょう髭がトレードマークの眼つきの悪い男が佇んでいた。


「調査部の犬、やはり来ていたか」


 ハクロウ男爵は私の言葉に肩を竦めると、


「もちろんだとも。何せ、長年の我らの悲願である【ラグーナ】の最高幹部の一人、毒酒を捕縛できるわけだしなぁ」


 予想通りの返答をした。

 端からこの男が絡んでいないわけなどなかったのだ。リリノア達のいたあの部屋の奥にでも控えていたか。


「どういうことだ? 俺にはさっぱり」


 頭を抱えて呻くアクウに、


「俺があの餓鬼の右腕を切り落とし、売り払った。それだけだ」


 ムンクは、仏頂面で言い放つ。


「いったろう? バドラックという少年は、エスターズ聖教国で幼い頃から戦闘や隠密の訓練を受けていた我が国に侵入した間者だ。彼の右腕が切り落とされたのは、当時、お前の仲間が命がけで止めた結果だよ」

「なぜ、エスターズ聖教国が俺を?」


 震える声でアクウの疑問に、ガイウスとハクロウ男爵から深いため息があがる。そりゃあそうだ。このアクウの認識こそが、本事件における最大の原因なのだから。要するに、脇が甘すぎたのだ。


「お前が、世界でも三人しかいないSランクの冒険者だからさ」


 Sランクともなれば、もはや人間兵器に等しい。軍備拡大を狙う大国からすれば、喉から手が出るほど欲しい人材だろうさ。


「勧誘ってわけか? だが俺は一言も――」

「当たり前だ。聖教国がやろうとしてきたことは、お前の出自の暴露を引き合いにした脅迫的勧誘だからな」


 ハクロウ男爵が紙の束を地面に放り投げる。


「やめろぉっ!!」


 血相を変えて、ムンクは激高する。

 構わず、資料を拾うとパラパラとめくるアクウ。


「俺の両親があのスクラブヘイトの惨劇を起こした張本人の息子で、俺は内密に幼い頃にこのストラヘイムの孤児院へ預けられた?」

 

 スクラブヘイトの惨劇――大した理由もなく中立の大都市スクラブヘイトに攻め入り、数千の民を拷問、殺害した最悪の統治者だったか。結局、当時通商を持っていた帝国を始めとする三大強国の怒りを買い滅ぼされたらしい。

 未だにその子孫は指名手配中となっている。罪のない血縁者まで処刑しようとするか。実に下らん連中だ。


「信じるなぁ! そんなのは全部嘘っぱちだっ!!」


 このムンクの必死の形相からも、鈍い私にもムンクが守ろうとしてきたものが何だか分かり始めた。

 ムンクは紛れもない悪党だ。クラマが調査した事情からも、新米の冒険者に対する脅迫、傷害など少なからず泣いた者達が確かにいたし、ムンクなりの保身を考えてこの事件での悪魔の甘言にのったのだろう。 

 だが、例え命をアクウから狙われたとしても譲れないものも確かにあった。それがこれか。

 

「真実だよ。我らの諜報能力を甘くみないでもらおうか」


 ハクロウ男爵の断言し、アクウは肩を落とし、ムンクの傍まで行く。


「大馬鹿野郎がぁ」


 泣き崩れるアクウに、ムンクは大きく息を吐き出すと、


「うるせぇ。俺はあいつらを殺しちまったからな。もうお前とは仲間でも何でもねぇよ」


 そうそっけなく言い放つ。


「お前――」

  

 アクウが口を開こうとするが、


「さて、そろそろ無駄話は終わりのようだ」


 ムンクの言葉により遮られる。既にムンクの足首まで、ボロボロに風化していた。


「おい! しっかりしろ!」


 崩壊は、腰まで到達していた。


「サトリ、アクウを頼む」

「うん」


 サトリの頷く姿に、安心したように、ムンクは何度か頷くと、


「あーあ、どこで狂っちまったのかな。アクウを超える冒険者になって、国中の女を侍らすつもりだったんだがよぉ」

「そうだったな」


 アクウが相槌を打つ。


「アクウとクランを立ち上げて、仲間が増えて、ホント毎日が楽しかったよなぁ」

「そうだな」


 もう目はみえてはいまいし、アクウの声すらも聞こえちゃいまい。意識があることすら疑わしい。たが、独白を続けるムンクに、アクウは頷き続けた。


「そうだ。そうだった。なんでずっと忘れてたんだろう。俺はあの幸せが続くことを願ったんだ。だから、俺は……」

「おい、ムンク!!」


 アクウの叫び声に、ムンクは微笑むと、


「だって、俺はあいつらの兄ちゃんなんだから――」


その言葉を最後に、ボロボロの塵となって、風化してしまった。


「ムンクぅ!!!」


 アクウの悲痛な声が周囲に木霊したのだった。

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