閑話 誇りを守ってくれてありがとう ジル

ジルは孤児だ。幼い頃は教会に預けられていたが、12歳の頃に飛び出した。それ以来、泥水をすするような生活をしてきた。

 生きるためには、なんだってやった。暴行、傷害、恐喝、窃盗など日常茶飯事。このころのジルは、改めて思い返しても、救いようのないクズ人間だったんだと思う。

 二十歳となり、ルネットで、若い男女にいつものように因縁をつけて金を巻き上げようとするが、逆に金髪の女に完膚なきまでに打ちのめされる。

 ジルは元々ガタイもよく、腕力もあったから、喧嘩にはそれなりの自信があった。なのに、女にあっさりと敗北してしまう。

 その女は、地面に転がるジルに「もし、やることがないならうちに来なよ。歓迎する」、そんなことを言いやがったのだ。

 この時、ジルにとって劇的な内心の変化があったわけではない。ただ、確かにどうせ暇だし、それもいいかもな、そう思ったにすぎない。それでも、一匹狼だったジルは、彼女を頭とするリバイスファミリーという組織に所属したのだった。

 先代である金髪の女はおよそ、マフィアとは思えぬ綺麗ごとばかり言う人物だった。

 一つ、孤児となって親がいないものを大人になるまで引き取り育てる。

 一つ、ルネットで困難に見舞われているものの相談に乗り、全力で力を貸す。

 一つ、人身売買や不法な薬物は決して許さない。

 まさに、マフィアとは思えぬ行為しかしない。当初は、こんなんでマフィアなどやっていけるわけがないと不満を漏らしていた。

 しかし、共にルネットの街の人々に寄り添い生活するうちに、次第にそれが当たり前のようになっていく。それを、なぜかジルは心地よく感じていたのだ。


 それから、色々あった。

 リバイスファミリーが大きくなり、ジルに慕ってくれる舎弟ができる。

 先代に恋人ができ、アリアお嬢様が生まれる。

 もちろん、つらいことも沢山あったが、それでもジルは確かにこのとき幸せの中にいたんだと思う。

 しかし、その幸せは、先代の死によりあっさり暗転する。

 先代の死の理由は、流行り病。どんどん自らも弱っていきながらも、他人のために奔走し、結局、先代は自分の意思を貫き通して命を落とした。

 それからが、ジル達にとっては、苦難の日々だった。

 【ラグーナ】の支配だ。先代は幾人かの高位貴族とも一定の関わりを持ち、絶えず根回しをしていた。だから、面倒なルネットには【ラグーナ】の勢力は足を踏み入れることはなかった。

 そのたがが外れてしまったのだ。

 【ラグーナ】の命を受け、【フィーシーズファミリー】というクズファミリーをルネットに送り込んでくる。そして、奴らから、人身売買を命じられる。

 【フィーシーズファミリー】のボス、マウンテンは少年少女を切り刻んで犯すのが趣味の変態野郎。

 女は娼婦で死ぬまで強制的に働かされ、男は炭鉱等の肉体労働で酷使される。それでも大人はまだ命が保証されるだけまだいい。子供は、マウンテンの趣味により嬲り殺されてしまう。そんな中、奴らは、一定の奴隷の売買と子供の引き渡しのノルマまで課してきた。

 何度も、【ラグーナ】に反旗を翻そうかとも思った。だが、それをすれば、ルネットはどうなる? まず、歯止めがきかず、奴隷以外の市民にまで手を出し始めるのは目に見えている。先代があれだけ愛したルネット市民がだ。だから、ジル達は奴隷を生贄に捧げることを選んでしまった。奴隷の子供達を内密に保護することを免罪符にして、外道へと落ちてしまったのだ。

 諦めという感情とともに、ジル達の誇りは根こそぎ辱められ、精神は、ゆっくりとだが確実に壊れて行った。

 そんなとき、不幸の坩堝にあったルネットの街にアリアお嬢様と数歳しか違わない子供が現れた。 

 その子供は、自らをグレイと名乗り、あろうことか、【フィーシーズファミリー】を一夜で完全壊滅させてしまう。

 そして、その子供から告げられた一言が、ジルを事実上救ってくれたのだ。

 

 サガミ商会の一員となって、日々、戦闘訓練を受ける。

 人らしい生活。それは先代が存命だったあの頃が戻ってきたようで、ただただ嬉しかった。

 ほどなく皆で話し合い、ジル達は自らの犯した過ちに対する償いをすることにしたのだ。

 それは全国の奴隷の子供達を買い取り、大人になるまで無償で育てること。これは凡そ先代が嫌う最低な方法ではあるが、それでもジル達しかできない救いとなる。

 どことなく先代と似ているグレイ会長ならば、きっと反対すると思っていた。だが、グレイ会長はあっさりそれを支持してくれる。このとき、ジルは薄っすらと気付いてしまう。会長の奥底には、ジルには想像もできない絶望と闇が眠っていることを。

 こうして、ジル達は誇りを取り戻す機会が与えられたのである。


 そして、奴隷と娼婦の解放を目指したあの会合で、ジルは最大のヘマをしてしまった。

 会長達、皆を喜ばせたくて、ことを急いでしまったのだ。

 あのとき、ジルは紫髪のバケモノの傀儡となってしまう。

 それは、暗い闇の中で鉄の檻に入れられ、強制的に光景のみを見せられているような、絶望的な感覚だった。そして、そのとき、なぜか紫髪の怪物の思考の一部が流れ込んできたのだ。

 【ラグーナ】は、随分と昔から新米冒険者に接近し、不法な仕事をさせた上、口封じのために奴隷として売り払うという行為を繰り返し実行していた。奴らは、最近のこの新米冒険者の失踪事件の犯人をグレイ会長に押し付け、サガミ商会を解体し、その商会の莫大な資産を、帝国の門閥貴族共の協力の元、奪取する。そんな腐りきった計画を立てていた。

 サガミ商会はジル達の第二の故郷に等しい場所だ。アリアお嬢様もようやく、この商会で重要な役割を与えられ、新たな道を進もうとしている。アリアお嬢様だけではない。他の皆もこの商会で希望を見つけて毎日一歩一歩着実に進んでいる。

 そんな救いの場所を、あんな【ラグーナ】とかいう低俗な屑に奪われる。それだけは許容できない。

何より、皆とお嬢様をあの絶望から救ってくれたグレイ会長を危険にさらすわけにはいかないのだ。

なのに、ジルは死ぬこともできず、ただその光景を視覚情報としてみていることしかできなかった。それがどうしようもないほど、悔しくて、許せない。

 絶望に屈服しそうになったとき、ジルの前にあの黒い鳥が現れたのである。


(僅かな時間だが、君に人間に戻れる機会を与える)


 そう黒鳥は宣言する。


(人間に戻れる?)

(君は既に人間ではない。あとは、奴らの傀儡として利用されるだけ)

(そうか……)


 既にジル自身、死は予想していたことだ。今更人間ではないと指摘されても、大して驚きはしない。

だが、あいつらの操り人形となり、仲間の足を引っ張るのだけはまっぴらごめんだった。


(ただし――)

(わかってるさ。人間に戻った後、俺は死ぬんだな?)

(へー、気付いていたんだ?)


 黒鳥は意外そうにジルに尋ねてきた。

 

(まあな)


 そもそも、人でなくなった時点で死んでいるのと同義だ。今のジルはいわば、墓所の冷たい地面から這い出してきた亡霊のようなものなのだと思う。


(それで、人に戻るつもりかい? それには途轍もない激痛がともなうよ?)

(愚問だ)

 

 人でなくなってまで生きているつもりはない。何より、我が身可愛さに、恩義のあるグレイ会長に迷惑をかけることだけは絶対にできない。


(相変わらず、彼の部下はやりにくいね)


 黒鳥は呆れたような声を最後に、姿を消してしまう。


(やってやるさ!)


 こうして、ジルは最後の勝負に打ってでることにしたのだ。


 それから、ひたすら機を伺っていると、都合よく機会は与えられた。部屋から人の気配が消えたとき、テーブルには奴らの冒険者のプレートが置いてあったのだ。

 ジルは身体を動かす。真っ赤な焼け火箸に貫かれるような大激痛の中、奴らのプレートをポケットの中に入れることができた。このプレートを渡せば、会長ならば、あの紫髪の怪物まで辿り着くはずだ。

 意識が著しく希薄となっている。感覚でわかる。きっと、これを行えるのはよくてあと一、二度。それを過ぎれば決定的な終わりが訪れる。

 残された時間は少ない。失敗は許されないのだ。


 ジルの最後のチャンスであり、闘いが始まる。

グレイ会長をはめようと、紫髪の怪物は冒険者ギルドで、フェイク情報を話すようジルに指示してきたのだ。

 応接間に通され、金髪の美青年の前で、フェイク情報を口にする。その途中で、ジルは口のみを動かし、「会長を呼んで欲しい」と告げた。

 この結果、予想通り、さらに意識は希薄となり、深い闇へと溶け込んでしまう。


 次にジルが気付いたのは、「お前、身体は大丈夫なのか?」と会長から尋ねられたときだった。


「会……長?」


 なぜか口も動かせている。会長と再会させてくれた。そのとびっきりの奇跡に、ジルはこのとき生まれて初めて、神に感謝した。

 途端、七転八倒の痛みが全身を駆け巡る。たまらず、両膝を床につく。気が狂わんばかりの苦痛のなか、ジルは必死に言葉を紡ぎ続ける。

 

 

 そして、ようやく、終わりの瞬間が訪れた。どういうわけか、気持ちは曇り一つなく澄んでおり、やり遂げたという強い充実感があった。

 かつて、ジルは先代が弱っていくのを見ているしかなかった。そう、無力に苛まれながらも、黙って眺めているしかなかったのだ。

 だが、今回は違う。ジルはこの偉大でどうしょうもなく優しいボスのために、命を懸けることができたのだから。


 眼前にはグレイ会長の幼い顔。

 ああ、そうだ。この糞のような救いのない世界で、この人だけがジル達の救いだった。この人の傍で働ける。それがどうしようもなく誇りだった。

 この人はこれからも幾人もの人々を救い、正しい道へと導いていくのだろう。その姿を、その傍らで見れないのは非常に残念だ。

でも、いいさ。今いる仲間達の笑顔が、これから会長が出会うであろう人々の笑顔がこうして容易に想像ができるのだから。

 これが多分最後の会話となる。


「会長……俺に誇りを取り戻してくれて……ありがとう」


ジルは心の底からの最後の言葉を伝えたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る