第2話 グレイ・ミラードとしての最後の仕事

「そろそろだな」


 石のように固いベッドから起き上がる。今晩、私がこのミラージュの宿に留まったのは、この地を去るのを惜しむためでは断じてない。


『ふへ?』


(起きろ、どうやら待ち焦がれたお客さんだ)


『少々、えげつないやないでっか。今、ピッチピチのお姉ちゃん達と酒池肉林しとる最中やったのに!』 


 ぶーぶと文句を垂れ流す駄剣をスルーし、ベッドの上で背伸びをしつつも耳を澄ます。

 木製の床が軋む音。それらはこの部屋まで近づいてくる。

 音は遂に私の扉の前までくると、丁度鍵穴目掛けて剣が突き刺さる。

 そして、ギーと扉はゆっくりと開かれ、三人の人物が雪崩れ込んできた。


「やあ」

「「「っ!!」」」


 三人の滑稽な鼠に右手を上げて、挨拶してやる。

 大層慌てて、周囲を確認する三人に、


「心配いらないよ。今、この部屋には・・・・・誰もいない」

「随分余裕じゃねぇか」


 先ほどまでの焦燥感溢れた態度から一転、余裕の表情で剣を腰から抜くと私に剣先を向けてくる。


「兄貴、この餓鬼、本当に四肢を切り取っていいのか?」


 出っ歯の傭兵がニヤケ顔で私の全身を舐め回すように凝視すると、短髪の傭兵――ズークを肩越しに振り返り、確認する。


「そうだ。やれ!」

「もったいねぇなぁ、こんな綺麗な顔をした餓鬼、幼子趣味の変態に売り払えば相当な金になるってのに」


 不健康に腹の出たメタボ気味の傭兵が、大袈裟に首を振る。


「売り払うさ。玩具おもちゃには四肢など不要だろう?」

「違いねぇ!」


 嫌らしい笑みを浮かべ私に近づいてくる傭兵二人。この手馴れた様子からも、この手の行為を弱者相手に今まで散々してきたのだろう。どんどん、罪悪感を失っていくな。


『マスター、こいつら殺してええか?』


 ムラが怒りと苛立ちを含んだドスの利いた声で私に尋ねてくる。


(どうした?)


 眉を顰めてムラに尋ねる。


『あかん、こいつらは、あかんで』


 よくわからんが、今のズーク達の発言がムラ自身で定めるルールにでも抵触したのだろう。らしくもなく相当怒り心頭らしい。

 だが、これはグレイ・ミラードとしての私の最後の仕事なのだ。


「いや私がやる」


 そういい放ち、私は地面を蹴り出っ歯男の懐に飛び込むと、右拳をその鎧目掛けて打ち付ける。硝子が砕けるような音とともに、鎧は粉々に砕け散り、ゴキッボキッと肋骨が何本も砕ける手応えがする。そして、出っ歯男は、身体をクの字に曲げ、白目をむいて蹲ってしまった。


「ひへっ?」

 

 不健康に腹がでた肥満気味の男は、泡を吹いて気絶している出っ歯男を、暫し茫然とながめていたが、恐る恐る私の顔を覗き込み、


「いひぃ!!」


 軽い悲鳴を上げ、尻餅をつくも、


「バ、バケモノォッ!!!」


 必死の形相で四つん這いのまま、扉まで逃げようとする。どこまでも失礼な奴らだ。

 男の後ろ襟首を掴むと持ち上げ、床に背中から叩きつける。


「つれないじゃないか。逃げるなよ」

「ゆ、許して……」


 泣きべそをかき、腰を抜かしたままで両手を忙しなく動かして後退ろうとする男に、私はゆっくりと近づいていく。


「この私がそれほど慈悲深く見えるか?」

「ぎひぃぃっ‼」


 絶望一色の悲鳴を契機に、私は奴の全身に拳の雨を浴びせる。骨が砕けて肉が裂ける生理的嫌悪のする音が部屋中に鳴り響き、忽ち肉団子が出来上がった。


「……」


 滝のような汗を流しながら、唖然とした顔で私を眺める短髪の傭兵――ズーク。


「感謝するよ。お前らにもう少し自制心があったのなら、こうは上手く運ばなかった。ねえ、そうでしょう?」

「もちろんじゃて。愚者はいつも滑稽に踊ってくれるものだ」


 隣の部屋から顔を見せる金髪の巨漢。彼の蟀谷には太い青筋がくっきりと漲っていた。


「へ? あ? だ、誰だっ!?」


 壮絶に混乱しつつもズークは後退るが、黒装束のイケメン男により、拘束される。こいつは私の【蟲毒】で作り出した三体目の虫人――スパイ。


「儂か。誰だと思う?」


 金髪の巨漢は、ズークの髪を鷲掴みにすると悪質な笑みを浮かべつつも顔を近づける。


「ま、ま、まさか……」


 ズークの顔から急速に血の気が引いていく。


「ほう、儂を知っておるようじゃが、存外、貴様も運がない。グレイ卿は儂ごときとは比較にならぬほど冷徹で恐ろしいぞ?」

「あのですね、ハルトヴィヒ伯爵殿、そういう人聞きの悪いことはあまり公言して欲しくないわけですが」

「すまん、すまん、じゃが事実であろう?」

「否定はしませんがね。で、伯爵殿、証人となっていただけますね?」

「もちろんじゃ。この程度で恩を返せるとは思っとらんが、ミラード家の奥方にこの馬鹿共を付き出して、必ずやサテラ嬢のミラード家からの放出を認めさせちゃる」


 サテラは使用人であり、奴隷ではない。だから本来ミラード家を出るのに許可などいらない。だが、サテラを始めとする使用人の幾人かは金銭の対価にミラード家に仕えているという事情がある。あの義母の歪んだ性格からして、サテラの解放をすんなり認めるとはとても思えなかったのだ。あの手のクズに弱みを見せれば、骨までしゃぶられるのが落ちだ。

 だから私はこの馬鹿を利用する手を思いついた。

 この傭兵共は義母が雇った私兵。貴族一般のルールにより、雇った私兵が暴走した場合は、そのあるじが責任を負う。知らなかったでは済まされないのだ。つまり、貴族の私を襲った以上、この三馬鹿はもちろん、義母も同罪。悪質で関与が明らかな場合は、死刑となる場合すらある。

 無論、腐っても義母はアクアの実母。殺すわけにも行かぬ。サテラの証文の破棄及び解放で手打ちとするつもりだ。


「お願いです。命だけは助けてくださいっ!!」


 遂に、命乞いをし始めるズークに近づくと、その頭を踏みつける。


「ぐぎゃっ!!」


 クシャッと鼻の潰れる音。悲鳴を上げつつもこっけいにも必死で逃れようとジタバタと両手を動かすズークの後頭部を踏みつける脚の力を次第に強めていく。

 

「馬鹿か、お前? お前達は私を襲ったのだ。そんな懇願を聞き届ける理由がどこにある?」

「ゆるじて……」


 遂に、ホカホカとした水たまりがズークの周りの床にしみ出す。


「死ね。今までお前にされた犠牲者達がそうだったように」

「くひぃぃぃっ!!」


 私は半狂乱で喚くズークの頭部を踏み砕かんと力を籠めようとするが、ハルトヴィヒ伯爵が私の肩を掴み引き離す。


「何のつもりです?」

「こ奴らにはまだ生きてライス準男爵と奥方の前でその罪を洗いざらい独白する責務が残っておる」

「証人なら、そこで転がっている二人で十分でしょう。生かす意義を見出せません」

「それには、儂も同意する」

「なら、なぜ!?」


 苛立ち気に叫ぶ私に、ハルトヴィヒ伯爵は肩を竦めると、


「こんな下種共、卿が手を汚す価値はない」


 そう宣言する。


「それは私が子供だからですか?」

「否定はしない」

「随分甘いのですね」

「それはそうじゃ。元来、大人は子供に甘いものよ」

「勝手な人だ」


 頭をゆっくりと左右に振ると、私は固いベッドに腰を掛けた。


「この件の後始末は全て私が引き受けよう」


 どの道、ハルトヴィヒ伯爵殿は一度決めたら梃でも動かない。仮に止めたいなら力ずくとなるが、私にそのつもりは微塵もない。伯爵殿に委ねるしかないのだ。


「わかりました。お任せいたします」

「おう。儂もミラード家の奥方との交渉が済み次第、トート村へ戻るとするぞ。

湯につかり、料理を食べ、物品を買う。まさに行楽地としては帝国随一じゃ。妻と子も大層喜んでおった」

「それはよかった。私も明日には顔を出しますよ」

「うむ」


 隣の部屋から、ハルトヴィヒ伯爵殿の部下と思しき数人の兵士が三人を担ぐと部屋を出ていく。

 数十分後、宿の前の道を十数の馬車が通り過ぎていく。森の中に控えさせていた伯爵殿の部下達が乗る馬車だろう。明日にでも、謝意を述べて置くことにする。

 これでミラード家からのサテラの解放と同時に、使用人達をいじめていた傭兵共の駆除も完了した。もうこの地の未練は完全になくなる。

 私は別棟にいた宿の主人に最後の挨拶を済ませると、ストラヘイムの自室へ転移した。

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