第3話 天然我儘少女


 私がミラード家と決別した次の日、ハルトヴィヒ伯爵殿に挨拶するためトート村へ訪れている。

 もはや、私はミラード家と縁を切った身。トート村の観光案内をするのは少し、いや、かなり見当違いな気もするが、この村はサガミ商会と関わりが強いのも事実。ハルトヴィヒ伯爵殿一家が喜ぶならそれはそれでいいのかもしれん。

 

「聖人様だっ!」


 いつものように集まってくるトート村の村民達に、軽く挨拶をし、ハルトヴィヒ伯爵殿一行が宿泊する宿へと向かう。


「これはグレイの旦那!」


 宿からフラフラと出てきた黒髪に顎鬚を生やした男が私を見ると、姿勢を正してくる。ここからでも匂うアルコール臭さと、すっかり出来上がった真っ赤な顔からも、相当飲んだのだろう。

 彼はブライ。ハルトヴィヒ伯爵殿の直属の配下であり、百戦錬磨の護衛でもある。以前、護衛中は酒どころか料理すらも口にしなかったくらいだ。このように泥酔状態にあるなどおよそ考えられぬこと。

 このトート村の守衛隊は全員、伯爵殿の部下達よりも強い。大方、それを見越して伯爵殿が部下に休暇を与えたのだろう。


「無理をしなくていいよ。伯爵殿はいるかい?」

「ええ、本日早朝から将棋の試合です。大層楽しんでいらっしゃいますよ」


 このトート村には観光と呼べるほどのものはあまりない。なのにこの村への貴族や豪商達の来訪数は日々増加傾向にある。故に、娯楽の一つとして将棋やチェス、麻雀、オセロなどゲームの施設をつくるよう提案してみた。

 具体的には毎日、トーナメント方式のゲームを開催し、参加者はゲームの参加料を払い、勝負を行う。優勝者には、トート村での商品の購入や飲食店での飲食、宿の宿泊等に使用できる商品券を獲得できるというもの。トート村の時計や眼鏡等の人気商品は、基本予約制で数か月を待つこともざらだ。宿に関しては数か月先が埋まっているような有様。

 この点、優勝者の分だけ商品に余剰をもたせておけば、優勝者は確実にその場で利益を享受できる。それだけでプレミアムが付くし、時計や眼鏡の原材料などサガミ商会からすれば、元手は大してかかっていない。まさに一石二鳥なのだ。

 この試みは見事に成功し、まだ数週間に過ぎないのに、豪商達や貴族達が殺到し、毎日ものの数分で参加者枠が埋まるという珍妙な現象が起きているらしい。


「伯爵殿……自分が楽しんでどうするよ……」


 今回のトート村来訪は、奥方や娘さんのための家族サービスも兼ねているはずなのだが。


「いーえ、奥方やテレサお嬢さんも買い物や温泉にそれぞれ満喫しておいでです」


 まあ、楽しんでいるならいいか。


「案内して欲しい」

「はっ!」


 敬礼をすると私を先導して歩き出す。


 ゲーム専用施設、通称――遊戯屋の建物からトボトボ出てくる全身に傷のある金髪の巨漢の男。

 あの御仁また負けたな。ハルトヴィヒ伯爵殿は戦略系のゲームに子供のように夢中になるが、滅法弱いという不憫なさがを持っているのだ。

 

「グレイ卿、また負けてしまった」


 そんなこの世の終わりのような哀れな表情で独白されても、どうリアクション取ればいいんだ。


「得手不得手はありますよ、伯爵殿」

「旦那、それって全く慰めになっていませんぜ」


 有難い助言をしてくるブライに肩を竦めると、村一番の料理屋へ直行する。



 春が到来したとはいえ、まだかなり肌寒い。こんな日は鍋料理に限る。

 しゃぶしゃぶをつついていると、ハルトヴィヒ伯爵が口火を切る。


「ミラード家とは話を付けてきた。サテラ嬢は自由の身だ」


 とりあえず、これで一番の危惧は消えた。あとは全ておまけだ。


「感謝します。それでズーク達はどうなります?」

「あ奴らは儂らの方で処分する」

「そうですか」


 ならばもはや私が口を出す理由はない。伯爵との関係を破壊してまであんなクズどもの生死に興味などない。正直どうでもいいのだ。それに仮にもこの鬼伯爵が処分というのだ。死んだほうが余程マシかもしれんし。


「……」


ハルトヴィヒ伯爵殿が私の様子を神妙な顔で暫し眺めてくるので、


「何です?」


 その意図を尋ねる。伯爵は深いため息を吐き、


「グレイ卿、武術、魔法、商い、農法、卿は何でも知っている。だが、もっとも単純明快なことが見えていない」


 意味不明な言葉を口にする。


「単純な明快なこと? 何です、それ?」

「家族の絆というものじゃよ」

「家族の絆ですか?」


 私にとってミラード家中で家族と呼べるのは、姉アクアと使用人達だけだ。あんな義母とその傀儡が家族? 虫唾が走るってものだ。


「ああ、卿がいくら嫌い否定しようと家族は家族なんじゃ」

「伯爵殿、私とあの義母との関係は説明したはずです。奴がどれほど救いようのないクズだということも」

「それは儂も同意する。あの奥方は本当に最悪じゃ。昨晩、あの馬鹿共を引っ立ててミラード家の屋敷を訪れ、グレイ卿を襲撃し、殺そうとしたとミラード家全員の前で説明した。あの奥方、どうしたと思う?」

「大方、逆ギレでもして、伯爵殿達を盗賊呼ばわりしたのでは?」

「概ねその通りじゃ」


 よほどの屈辱だったのだろう。ブライの顔が憎悪に歪む。


「不快な目にあわせてしまい申し訳ありません」

「構わんよ。何年も門閥貴族共とやりあっておるのだ。あの程度の罵詈雑言など、日常茶飯事。それよりも儂が真に憤っているのは、儂の所在を明らかにした途端、あっさりズークを儂らに売ったことだ。ご丁寧に聞いてもいないことまで暴露しおったわ」


 あの恥も外聞もない女ならそうするだろうな。


「そうです。救いようがないんですよ」


 投げやりに肉を口に入れ、そう断言する。


「奥方にとって卿は赤の他人。じゃが、御父上と姉君にとっては家族。儂はそう感じたのだ」


 義母をのさばらせておく父とあの義母にそっくりのリンダが家族? 第一、リンダは子供の私が戦に出ることを笑って送り出すような奴だぞ。あり得ん話だ。


「伯爵殿が、冗談がお好きだと今日初めて知りましたよ」

「今の卿に何を言っても信じまい。じゃが、これだけは伝えておこうと思う。

卿が殺されかけたと聞き、ライス卿はズークを泣きながら殴り、卿の姉君は真っ青な顔で寝込んでしまった。儂にはあれが演技だとはどうしても思えんかったよ」


 その言葉を最後に、ハルトヴィヒ伯爵は強引に話題を変えると二度とあの晩の件について口にしなかった。


               ◇◆◇◆◇◆


「誰かな?」


 膝まで伸ばした艶やかな金色の髪をハーフアップにした長身の美女が、訝し気な顔で腰に手を当てつつも私を見下ろしていた。

 170㎝を超える女性には比較的珍しい長身と、引き締まった細い身体に真っ赤なドレスは絶妙に似合っている。まだ幼さが残る容姿から察するに、一五、六歳くらいか。

 彼女がハルトヴィヒ伯爵の一人娘――テレサ・ハルトヴィヒだろう。


「グレイ。君の御父上からこの村の観光を頼まれたものだよ」

「日頃から父と母に手紙で聞いてるよ。よろしく! じゃあ、これ持ってよ」


 突然彼女の両手に持っていた布袋を渡してくる。相当買い込んだようだ。

 

『うひょう、えらいボインボインの姉ちゃんやなぁ!!』


 歓喜の声を上げる駄剣を即アイテムボックス内へ放り込もうとするが、


『嘘やで! 冗談やって! 本気にしなや!』


 必死な声を上げ、ブンブンと柄を振る。


(少しでも妙なことをすれば、即封印するからな)


『はいねん』

 

テレサがキョトンとした顔で私と腰の駄剣を相互に眺めていたので、


「案内するよ」


その右手を取り、


「う、うん……」


彼女が頷くのを確認し、私も歩きだす。



トート村が誇るショッピングモールに目を輝かせて買い物に勤しんでいたが、


「グレイ、わたくし『古の森』に行ってみたい」


 そんな迷惑な懇願をしてきた。この短時間で彼女と一定の信頼関係を構築できたのは幸いだが、その分彼女から遠慮のようなものが消失してしまっている。


「あのね、そんな危険なことできるわけないだろう。頼むから大人しくしてくれ」


 実際は私がついてれば大して危険ではないが、天然娘の面倒ごとにこれ以上付き合うのは御免なのだ。


「ふーん」


 この壮絶天然我儘娘のことだ。てっきり怒りだすかと思ったが、鼻先近くまで顔を近づけると私の顔を覗き込み、ニンマリと嬉しそうに笑う。


「な、なんだよ?」


 マジマジと見つめられ、柄にもなくどもってしまっていた。

 

「グレイは私が心配なのね?」

「そりゃあまあ……」


 実際はこれ以上、彼女に引っ掻き回されたくないというのが真実なわけだが。


「私を心配……くふふ」


 気味の悪い含み笑いをすると、私の右手を握りスタスタと歩き出す。


「ねぇグレイ」

 

 私の右手を放すとテレサは、もじもじと手を動かす。


「ん?」

「もうお父様達から聞いてる?」


 伯爵から? そういや、此度、伯爵から新たな事業の相談をされたんだったな。


「うん、聞いてるよ」

「受ける……つもりかな?」


敵地に足を踏み入れたような険しい顔で、私を見下ろすテレサを怪訝に思いながら、


「伯爵には色々世話になっているし、断る理由はないさ」


 大きく頷く。途端、ピシリッと彼女の表情に亀裂が入る。


「お父様の恩義のために、受けると?」


 形の良い顎を引き、プルプル震えるテレサ。


「ああ、今後も伯爵とは良い関係を――」

「最ぃー低っ!!」

 

 右頬に生じる軽い衝撃、そして眼前には目尻に大粒の涙を貯めたテレサ。

打たれた右頬を摩りながら宿まで走っていくテレサの後姿を暫しボーと眺めながら、


(ムラ、今、彼女を怒らせること言ったか?)


 聞くまでもないことを腰の駄剣に尋ねる。


『マスター、流石にさっきの発言は、彼女に失礼やと思うで』


 駄剣ムラは非難に満ちた感想を述べた。


「だが、真実だしなぁ」


 私を観察するかのように、数回鞘を動かしていたが、


『マスター、あの娘と添い遂げるつもりありまっか?』


 そんな阿呆なことを尋ねてきた。


「何だ、唐突に? あるわけなかろう。第一、彼女まだ子供だぞ?」


『あーなるほど、よーわかりましたわ』


 駄剣は、呆れと憐憫をたっぷり含有した声色で奇妙な納得をすると、それ以来口を閉ざしてしまう。

 これ以上、ここに突っ立っていても仕方がない。深く息を吐き出すと、私も宿に戻るべく足を動かす。



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