第三章 弟子育成編
第1話 離別の言葉
魔導騎士学院の始業式が一週間後に迫り、現在、ミラード家の屋敷へ荷物の整理のため訪れている。荷物の整理といっても、貴重品は全てアイテムボックス内へ収納しており、物置のような狭い屋根裏部屋に僅かに寝泊りのための生活の残滓が残るのみだ。
「掃除をしていてくれたようだな」
部屋内は埃一つないほど不自然に清掃されており、私はただ数少ない荷物をアイテムボックス内へ入れるだけだった。
グレイという子供にとってこの屋敷は義母という悪鬼に、意地の悪い兄姉のいる魔境に等しい場所。それでもここがグレイ・ミラードという人間をここまで育てたことには変わりがないのだ。
だから私は、
「感謝する」
頭を深く下げた。
挨拶を済ませるべく真っ先に厨房に行くと、
「坊ちゃん!」
私に気付いたダムが喜色満面にあふれながら私の傍までやってきた。
「やあ、挨拶に来たよ」
「そう……か。坊ちゃんももうそんな歳になったか……こんなしみったれた場所を卒業できるんだ。めでてぇ! なあ、お前ら!」
私の両肩をいつものようにバンバン叩き、振り返ると多数の使用人達が佇んでいた。
「……」
誰もダムのその言葉に返答せず、俯くのみ。
涙ぐむもの、身体を小刻みに震わせる者、一人の例外なく皆には愁いの色が顔に表れていた。
ようやく、鈍い私にも今まで誰が私の部屋を掃除していてくれていたのかに思い当たる。
「みんな今までありがとう」
「坊ちゃん……」
ダムは上を向くと、右袖でごしごしと顔を何度も拭き叫ぶ。
「ほらほら、しみったれた顔をすんじゃねぇ。今日は坊ちゃんの門出だぞ!! 皆で伝えるんじゃなかったのか!!」
使用人達は涙を拭いて一列に並び、メイド長が一歩進み出ると
「坊ちゃん、今までいつも助けていただき、どうもありがとうございました」
頭を深く下げると他の使用人達もそれに倣う。
「これからは、俺達が若い奴らを守っていく。だから、俺達はもう大丈夫。坊ちゃんには前だけ見ていて欲しいんだ」
その真っ赤に腫れ上がったダムの目には偽りのない強い決意が溢れていた。
「お元気で!」
「坊ちゃん、どうかお身体にお気を付けください!」
「いつかきっとこの地に戻ってきてください。待ってますから!」
不覚にも目頭が熱くなるのを必死に抑えながら、私はダム達に背を向ける。
もう別れの挨拶は済ませた。これ以上は、ダム達の決意に水を差す。だから、破裂しそうな心を何とか抑えつけ、私は厨房を後にしたのだ。
(まさかこの私がこの地を去るのに、こんな気持ちになるとはな……)
よほどの事情がない限り、私がこの地を踏むことは二度とない。それは幼い頃から日々夢見ていたことのはずなのに、いざ到来してみると、胸に穴をあけられたような激しい喪失感に襲われている。
(それもそうか)
彼らとはこの数年間、毎日のように顔を合わせてきたのだ。共に食卓を並べ、何気ない話に花を咲かせ、家族同然に過ごしてきた。そもそも家族との別離に悲しさを覚えない方がどうかしているのだ。
数回、ダム達に一緒にこないかと求めたが断られてしまう。どうやら、ダム達にはこの糞みたいな屋敷で働くことに強い使命感のようなものがあるらしい。
そして、長い間生活を共にすれば、その理由にも粗方気が付く。それはどうやっても今の私には叶えてやれぬ類のもの。
『マスター、珍しく感傷に浸っとんのか? らしくないでぇ。っちゅうかキモイ』
それは、お前にだけは言われたくない台詞だ。ムラの鞘を数回かなり強めに小突くと、足を踏み出した。
(さて、決別の時だ)
屋敷一階の居間へと入る。父――ライス・ミラードに、義母――ウァレリア・ミラード、長女――リンダ・ミラードが長テーブルの席につき、お茶を飲んでいた。そして父の傍に控えるセバスチャンが私に恭しく一礼し、義母の背後の目つきの悪い傭兵が舌打ちをする。
屋敷内の家具がやけに豪奢になっている。領民から搾り取った金でこのような生活を満喫しているとはいい気なものだ。まったくもって反吐がでる。
「何の用ですっ!!」
立ち上がり、義母はムッとした顔つきで鼻の穴を膨らます。
「奥様、俺が叩き出しましょうか?」
金色の髪を短髪にした傭兵が指をポキポキと鳴らし、私に近寄ってくる。こいつの名は確か、ズークとかいったか。義母の手足として、家族に等しい使用人達を今まで虐めてくれた元凶の一人。
この外道を絶望のどん底に落とすのはもう少し先の予定だったが、本人が望むのならば、仕方ない。うむ、これはやむを得ない処置なのだ。
『マスター、大人げないでぇ』
(当然だ。私は子供だからなぁ)
眼前に立ち悦楽の表情で右拳を振りかぶる傭兵の腹部目掛けて、右肘を引き固く握った右拳を放とうとしたとき――。
「やめたまえ!」
いつになく強い父の制止の言葉に、傭兵――ズークは動きを止めると舌打ちし、義母の背後に控えた。
もうこんなゴミ溜めのような場所になど、二度といたくはない。
「父様、今生のお別れの挨拶に参りました」
別に大げさではない。私がこの者の子として会うのはこれが最後。以降は完璧に赤の他人となる。これは単なる振舞いではなく、事実そうなるという意味だ。
「勝手な――」
目じりを吊り上げ立ち上がろうとするリンダを一睨みで黙らせる。
怒るポイントがわからん子供だ。あれほど私を蔑み、毛嫌いしておいて、今更、私が家をでることに勝手もクソもないだろうに。
「うん、わかってるよ」
ライスは寂しそうに何度も小さく頷き、立ち上がりポケットから何かを取り出す。そして、私の前までくると、首に下げてきた。
「これは何です?」
ライスの奇行に面食らいながらも尋ねる。
「君が一三歳になったとき渡そうと思っていたものだよ。もちろん、捨てても構わない。でも可能ならば持っていて欲しい」
死地に赴く軍人のような引き締まったライスの表情に、少し圧倒されながらも小さく頷く。
「御当主様、そのようなことは聞いておりませんっ!」
ヒステリックな声を上げる義母に、ライスは顔すら向けずに、
「当然だよ。相談してないもの」
そう告げた。
「そんな贅沢――」
罵声を浴びせる義母に右手を上げてそれを制し、
「それは僕の宝物を売って買ったもの。君にとやかく言われる筋合いはない」
震え声で、強く言い放つ。
初めてともいえる父の抵抗に義母は口をパクパクさせていたが、次第に顔を真っ赤に怒りで染めていき、親の仇でも見るような目で私を睨む。
もうこれ以上、話すべき話題もない。
「では私はこれで暇乞いをさせていただきます」
「あと一日、そう一日でいい。屋敷に泊まっていけば――」
「御当主様っ!!」
「君は少し黙っててよ! ねぇ――」
「折角ですが、既にこのミラージュに宿をとっていますので」
「そう……」
肩を落とすライスに、私は姿勢を正すと、
「今まで育ててくれて、ありがとうございました」
ライスに頭を深く下げる。心底、気に入らない男だったが、それでも私をこの歳まで育ててくれたのだ。身売りすらもあるこのご時世だ。例え親としてはあり得ない無関心による放置だったとしても、礼だけは述べるべきなのだ。
「……」
ライスは無言で椅子に座ると大きく息を吐き出した。
私も背中を見せると扉へ向けて足を動かす。そして義母の傍で不貞腐れているズークの傍を通り過ぎる際に、立ち止まると、
(よう、雑魚、命が惜しければ、これ以上噛みつかぬことだ)
そう告げた。忠告はした。あとは、選ぶのはこの男自身。
「き、貴様っ!!」
背後から聞こえる罵声を無視し、私はゆっくりと屋敷を後にする。
「坊ちゃん!!」
屋敷の門前で、セバスチャンに呼び止められ足を止めると振り返る。
「君にも礼を言わねばならないね」
「不要ですよ。それに坊ちゃんは、きっとこの地に戻っていらっしゃいます。私はそれまでこのミラード家と使用人達を守護いたしましょう」
否定するのは容易い。だが、それは既に私が幾度となく宣言したこと。セバスチャンだってきっとわかっている。その上での言葉だ。だから、この男の意思を汲もうと思う。
「皆を頼んだよ。セバスチャン」
「イエス・マイロード」
片肘をつくと胸に手を当てて宣言する。
マイロードね。冗談にしては笑えない。
『マイロード、ええ響きですやん!! 儂にも言うてくれへんかな』
ごちゃごちゃと煩い駄剣を無視し、私はミラージュ唯一の宿へと足を運んでいく。
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