第5話 蟲毒

 階段を上りきると、一斉に視線が集まる。


「おい、今日の地下の見張り番は誰だ!? 餓鬼共が勝手に逃げ出してんぞ?」


 見張り番ね。ということは、地下の惨状さんじょうを知ってて、許容きょようしていたというわけか。


「おい、お前、見ない顔だな? まさか、お前が逃がしたんじゃねぇだろうな?」


(この私を知らぬとは、随分と【ラグーナ】も温くなったものだ)


 近づき威圧する髭面の大男に、クラマは目を細めると両手をゴキリと馴らし、髭面の男に両手を伸ばす――。


「クラマ、余計なことをするな。そいつらは、全て私の獲物だ」

 

 そうさ。ここまで、私の醜い感情を呼び起こしてくれたのだ。誰だろうと、譲るものか。血肉はおろか、魂の一欠片残らず、全て私が壊し尽くしてやる。


「失礼」


 優雅ゆうがに一礼すると、クラマは一歩後退る。


「さてと、君達の中で、地下室で捕らわれていた彼らの惨状につき、否定的なものはいるかね?」

 

 これは私の最後の慈悲。仮に否定的な感情を少しでも感じているなら、苦しまずに殺してやる。

 一瞬の静寂の後、下卑げびたる笑いが部屋中に巻き起こる。

 そうかよ。ある意味、安心した。これで、心置きなくこの狂気をぶつけられる。


「聞いたかよ。家畜の分際で、権利なんか主張しちゃってるよ? ボクチン、可哀そうな家畜なんでちゅ。助けてぇってか!」

「それより、こいつマジでいい女じゃね?」


 酒瓶さかびんを持った出っ歯の男が、アリアに近づきジロジロと観察する。


「確かにな。俺達が、元の場所に戻してやんよ」


 髭面の大男と出っ歯の小男は、下品な笑みを顔一面に張り付かせつつもアリアを取り囲む。そして、出っ歯の男がアリアに右手を伸ばす。


「触るな、下種!」


 嫌悪を顔一面に染めたアリアは、出っ歯の小男に右ストレートをぶちかます。アリアに、殴り飛ばされた出っ歯の小男は、吹き飛ばされ白目を剥いて気絶してしまった.

 まさか、素人娘に殴られて気を失うとは夢にも思わなかったな。

 

「てめぇ!」


髭面の大男は、額に太い青筋を立てて右拳をアリアに放つ。


「やれやれだ」


 私は、アリアに向けて振るわれた右拳を掴むと、足を払って、男を一回転させ、背中から叩きつける。


「なっ……」


 絶句し硬直する兵隊共の視線は、皆、今もあわを吹いて仰向けに気絶する男にそそがれていた。


「その餓鬼は俺がやる」


 奥の円卓の壁側の席で、果実酒を飲んでいた屈強な体躯を有する山賊のような外観の男が、立ち上がり、壁に立てかけてあったメイスをつかむ。


「ユーリン、それで、構わねぇよな?」


 背後で、腕を組んで眠っていた頬の痩けたローブの男に念を押す。


「ああ、だが、バームよ、あまり遊ぶな」

「もちろんだとも」

 

 バームは、醜悪しゅうあく極まりない笑みを浮かべると、兵隊共を押しのけ私の前まで歩いてくる。


あわれだなぁ、ボスに見初められたばかりに、お前ら家畜は皆、苦痛の中死んでいく」

「憐れむ割には、実に嬉しそうではないか?」


 私の疑問に、バームは、顔を醜く狂喜に染める。


「わかるかぁ? だってなぁ、俺も餓鬼と女の悲鳴が大好きだからさぁ。

 馬乗りになって、殴ってるとよう、必死で許しを請ってくるのさぁ。ごめんなさい、許してくださいってなぁ。あの征服感、たまらねぇんだぁ」


 顔を恍惚こうこつに染め、夢想むそうするバーム。一度でも慈悲を与えようと思った自分が、心底馬鹿馬鹿しくなるな。


「まったく、いつの世も、雑魚ほどうるさく吠えるものだ」


 もうこれ以上、こんな蛆虫と会話をするのも億劫おっくうだ。早く、終わらせよう。


「この俺様が……雑魚だと?」

「そうだ。雑魚といったのだ。お前ごときなら、ゴブリンの方がよほど手強い」


 別に比喩ひゆでもなんでもなく、事実だ。あのゴブリン共も引けを取らないほどのクズだったが、こと戦闘に関してはこいつほど腐ってはいなかった。


「クソガキがぁ!!」


 案の定、憤激に真っ赤に染まりながらも、単細胞バームは激高し、私の脳天に振りかぶったメイスを叩きつけてくる。

 豪風を上げて迫るメイス。その亀のようにのろいメイスを易々と避けて懐に飛び込むと、腰の短剣を抜き、奴の右腕に突き刺し、捻り上げる。


「ぐぎゃっ!!」


 壊れた右腕の痛みから顔をしかめ、片膝をつくバーム。


「おい、痛がっている暇、あるのか?」


 私は無造作に、バームの全身に雨あられの拳打をあびせる。


 ――胸部のアバラを叩き折り、内臓を満遍まんべんなく痛めつける。


「や、止べ」


 ――大腿部だいたいぶ上腕部じょうわんぶの骨を粉々に砕く。


「だす……げ……で」


 ――そして、耳と鼻を潰し、顎を破壊する。


 奴の慈悲を求める言葉を平然と無視し、私は殴り続けた。


「……」


 遂に言葉を失ったバームの顎を蹴り上げる。破裂音を上げて、骨の砕ける音とともに、垂直に直進し、頭から天井に激突した。

 振動する建物と、白目を剥いて落下していくバーム。


「……」


 フィーシーズファミリーの兵隊共は、浜に打ち上げられ死にかけている魚のように、ピクピクと痙攣するバームを、目を点にして眺めている。


「で? 次は?」

「うあ……」


 小さな呻き声を合図に、震えながらも、剣を抜き構える者に、


「いひぃ!!」


 恐怖に震えた豚のごとき悲鳴を上げつつも、屋敷の外へとけだす者。

 

「馬鹿が……」


 吐き捨てるような呟きと共に、私の前を炎の球体が通り過ぎ、屋敷の扉前に殺到さっとうした兵隊共に直撃する。


「裏切れば、死。そのファミリーのおきて、忘れたか?」


 掟……そんな糞の役にもたたないもののために、仮にも仲間を殺したのか。とことんまで、こいつらは、私が嫌悪する類の人種だ。

 

「お前が、そこのゴミの代わりに相手をしてくれるのか?」


 今も白目をいて、痙攣けいれんしているバームを見下ろしながらも、わかりきったことを尋ねてみた。


「けっ!」 


 ユーリンは、鼻で笑うと、右手を掲げ、炎の球体を放つ。球体が向かう先は、失神しているバーム。たちまち、全身は真っ赤に燃え上がる。


「弱者はファミリーにはいらん」

「弱者ね……」


 弱者という点では、お前も大して変わらんだろうに。

 確かに、無詠唱の【火球ファイアーボール】を使用可能だし、魔力もE-はあるから、威力もまあまあある。なんでも、下位の【火球ファイアーボール】でさえも無詠唱なら宮廷魔法師クラスらしいし、マフィア界ならそれなりに強者なのだろう。

 だが、それだけだ。シーザーのような野性のような突出した戦闘技術はないし、魔力もE-で貧弱。およそ警戒にすら値しない雑魚といっていい。むしろ、その程度で恥ずかしげもなく、他者を弱者とののしれるものだ。


「小僧、お前の体術が強いのはわかった。我らのファミリーに入る資格がある。ボスには俺の方から進言しといてやる」


 そんな馬鹿馬鹿しいことを言い出しやがった。


「断ったら?」

「殺すのみよ」


 本当に滑稽こっけいすぎで笑いすら込み上げてくるな。


「少し、思い違いを正す必要がある」

「思い違い?」


 まゆひそめユーリンは、オウム返しに尋ねてくる。


「ああ、二択を突きつけられているのは、私ではなくお前達の方だ」


 奴と全く同じ【火球ファイアーボール】をユーリンに向けて、十数発、連射した。

 ただし、その大きさ、威力、速さは奴のファイアーボールものとはけたが違う。その暴虐の火の玉は、高速で回転しながらも、ユーリンの丁度、数ミリ外側を僅かに逸れて、屋敷に激突し、爆発を引き起こす。

 勢いよく燃え上がる炎は、【炎舞フレイムロンド】により炎を操り、鎮火ちんかさせておく。


「……」


 ユーリンは、壊れたブリキのように、ぎこちない動作で、背後を振り返り、息を飲む。

 

「いいか、勘違いしているようだから、教えてやる。お前ら裏人が好き放題できるのは、あくまで同じ裏人に対してのみだ。お前らは、その最大の不文律ふぶんりつ抵触ていしょくした」


 それが嫌なら、己の手を悪道ひどうになど染めねばいい。正道おもてを歩き続ければいい。そうすれば、きっと、太陽の光は、優しく包み込んでくれるはずだから。

奴 こいつらは、地下の惨状を笑って受け入れていた。既に、どっぷり、裏に足を踏み入れてしまっている。もう薄暗い闇の中から戻れない。


「お、お前は……一体?」


 消え入りそうなかすれた声で、ユーリンは私にそんなどうでもいいことを尋ねてくる。


「これは私からの最後の願いだ。せめて、人らしく、決死の覚悟で、あらがってみて欲しい」

「――ざけるなぁ!」


 怨嗟えんさの言葉を絞りだし、ユーリンは詠唱を開始する。

 詠唱から察するに、上位魔法【炎舞フレイムロンド】だろう。まあ、余計なものが多分に含まれてはいるわけだが。

 上位魔法【炎舞フレイムロンド】――一定範囲の発火及び、炎の操作能力。込められる魔力に限度があり、しかも、範囲も限定されていて、貧弱な効果しかない最弱の上位魔法だが、扱い安さは段違い。慣れてくると、雑魚魔物の炎滅から、焼き肉の焼き加減の調節まで、結構重宝している。要するに、生活利便性りべんせいに富んだ生活魔法のような位置づけの魔法だ。

 まさか、よりによって、最も戦闘に不向きな生活魔法を使用してくるか。それなら、無詠唱の【火球ファイアーボール】の方が幾分、センスがあった。

 

「――炎舞えんぶを踊れ!」


 長い詠唱が終了し、ユーリンの前面に炎の壁がらめく。陳腐ちんぷな炎だが、この部屋にいる者達程度なら、焼き尽くす程の火力はある。

 制御しないで【炎舞フレイムロンド】を暴走させると、ああなるわけか。制御に特化した魔法である【炎舞フレイムロンド】を、暴走させようとは通常思わない。中々、斬新ざんしんな発想だな。


「ふむ、面白くはあるな」

「許しをうても無駄だ! 俺の炎は、ここ一帯を焼き尽くす!!」

 

 興奮のためか、真っ赤に血走ったまなこで私に射殺いころすような視線を向けてくる。

 対して、焼き尽くすとの宣言をされ、今度こそ退避をするべく、必死の形相で玄関口に殺到さっとうするフィーシーズファミリーの兵隊共。

 むろん、【風繰術】により、扉には風の壁を張っておいたのでびくともしない。


「あ、開かない!!?」

「どけっ!」


 兵隊の一人が、他の者達を押しのけて長剣を扉に叩きつけるが、ゴムのように弾かれ、扉には傷一つつかない。


「死ねぇっ!  【炎舞フレイムロンド】ォォォッ!!」


 炎の壁は揺らめくと私に向けて、木製の床を焦がしながらも、走り抜けてくる。

 迫る炎の壁を、逆に【炎舞フレイムロンド】により、操作し右の人差し指の先へと集約する。


「へ?」


 ユーリンの間の抜けた声。他の兵隊たちも、ポカーンと大口を開けて私の指先を凝視していた。


「もう終わりか?」

「そ、そんな、【炎舞フレイムロンド】は、上位魔法だぞ!? 宮廷魔法師でも扱えるのは限られているはずっ!!」

「【炎舞フレイムロンド】は、汎用性はんようせいも高い、いい魔法だ。ただし、あくまで生活魔法の範疇はんちゅうではだがな」

「生活……魔法?」


 茫然ぼうぜんと、かすれる声でオウム返しに繰り返すユーリンの顔からは、まるで幽鬼のように生気が消失していた。

 さて、そろそろ、茶番は終わらせよう。


「面白いものを見られた礼だ。本物の戦闘魔法を披露しよう」


 右手の掌を掲げ、指を鳴らすと、部屋は真っ赤に染まる。そして、次の瞬間、異変は訪れた。

 床、天井、壁、テーブル、椅子さえも、円状の黒色の靄が浮かび上がり、そこから、這い出てくる小さな生物たち。


「いひぃっ!!?」


 床や、壁を埋め尽くす、蜘蛛くも蟷螂かまきり共が群れを成し、空にははちが悠々と飛び回る。


「む、虫ぃ!?」


 兵隊共は、一斉にユーリンのいる部屋の中心へと退避し、悲鳴を上げ、震えて縮こまる。

このランク超位スーパーの魔法蟲毒こどくは、一定領域内に、蜘蛛を呼び出し、使役する魔法。

 ただし、その呼び出される虫の強度は、術者の魔力に依存し、虫一匹一匹は、ステータス平均D-という強度を誇る。

 一応、ジュド達で試してみたが、呼び出せる虫の強度は、G+に過ぎなかった。つまり、私が使う場合限定で、最悪といって過言ではない効果を示す魔法となるわけだ。

 肩越しに振り返ると、案の定、真っ青な顔で、ガチガチと歯を噛み合わせているアリアが視界に収まる。


「アリア、お前をサテラ達の元まで送る」


 しかし、その瞳には、取り囲む虫達に対する濃厚な恐怖とともに、奴らへの比較にならない激烈な憤怒が色濃く刻まれていた。


「いやだ。そいつらは、私の愛する街民にあんなひどいことをしたんだ。私も最後までみてる!」


 阿呆あほう、未熟な子供が見てはいけないものがあるのだ。こればかりは絶対に譲れない。


「クラマ、いいな?」

「はい。私も少々、貴方という御方を見誤っておりました。それに、もう十分です」

「ふざけないで! 何を勝手な――」


 クラマが暴れるアリアをあっさり制圧するやいなや、アリアはその姿を消失させる。


「さて。これで邪魔はなくなった」

「いひぃっ!」


 私がユーリン共を眺めると、自らの幸のない未来を感じ取ってか、部屋中から悲鳴が上がる。


「せめて己の犯した罪を悔いて、死んでいけ」

「や、やめ――」

「虫共よ、存分に喰らいつくせ」


 ユーリンの拒絶の言葉を平然と無視し、私は虫達に食事の許可を出す。

 刹那、部屋を埋め尽くしていた虫達は、大波となって、一斉に男達に群がり、その体の中と外からボリボリと食い散らかしていく。

 部屋はたちまち、阿鼻叫喚の地獄へと変わった。



 虫共は、ユーリン達を血液一滴すらも喰らい尽くした。そう命じたのだ。それはいい。だが、流石にこれは想定の範囲外だ。

 等身大型の三体のむしの化け物が、私の前でひざまずいていた。

 虫達は、ユーリン達を喰らった後、次々に合体し、三体の人型の魔物となったのである。一匹が蟷螂かまきり人、二匹目が蜘蛛くも人、三匹目がはち人。

 

 しかも、蟷螂人のステータス平均C。蜘蛛人がC+。蜂人がB-もあった。

 流石にこれはいくら何でも強すぎるし、魔法ランク超位スーパーの域を超えていると思う。

 以前は虫を呼び出しただけで、食わせたことはなかった。まさか、こんな科学反応を起こすとは……まあ、検証は後だ。三体の虫達に待機を命じると、分裂し細かな虫となり姿を消す。


「終わったぞ。立てるか」


 滝の様な汗を流しながらも、片膝をつきつつも微動だにしないクラマに右手を差し出すが、ふら付く足取りで自ら立ち上がる。


「お気遣いなく。先へ進みましょう」

「ああ、そうだな」


 私達はボスとやらがいる二階へと移動する。

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