第2話 緑髪の童女

 さきほど大きな湖畔こはんを抜けたから、アーカイブ帝国の首都――帝都レムリアは、目と鼻の先。馬車であれば、本日中には到着できるだろう。


 これは中々壮観そうかんだな。

 道は太くなり、綺麗きれい舗装ほそうされている。行き交う旅人や行商人、貴族の乗る馬車が格段に増えていた。

 雲一つない青空、そして遠方にそびえ立つ石造りの巨大な壁。

 帝都は他の都市とは異なり、十数個の街をそのまま包括ほうかつする構造となっている。つまり、およそ信じられんことではあるが、あの中からが帝都レムリアになるわけか。

 この帝国では、山林や湿原などの自然界には魔物と称される面倒な生き物が存在する。おそらくあの防壁はその魔物共から身を守るために編み出した人類の遺産というわけか。中々どうして、感慨かんがい深いものではないか。



 しばらく進むと、馬車や旅人達による長蛇の列ができており、それらは周囲を木製の高いへいで囲まれた小さな町へ入っていく。いわゆる、宿場町しゅくばまちというやつだ。

 この列の長さからして、通行の手続きに丸一日かかるのはまず間違いない。宿をとってサテラだけでも休ませたいが、最近、サテラは抱き枕の私がいなくては熟睡じゅくすいできないという厄介やっかいな体質となってしまっている。


「サテラ、宿をとるから――」

「嫌です」


 案の定、満面の笑みで拒絶されてしまう。

 やれやれ、少々、甘やかしすぎたかもしれん。なげいても仕方ない。本日はここで、キャンプを張ろう。


われは、人間の街に興味がある。明日の朝までには馬車に戻るぞ」


 その捨て台詞を最後に、シルフィは、子供のように頬をほころばせながら、外へ出て行ってしまった。

 お前、一応、私のボディーガードのはずではなかったか? まったく、勝手な竜畜生ドラゴンだ。


「仕方ない。大人しくここで順番を待つことにしよう」

「はい!」


 サテラは、私にしがみ付くと、快活かいかつにそう返答した。



 日が暮れ、役人が関所の扉を閉じ、本日の業務は終了してしまう。

 関所の前にある名簿に記入すれば、明日はその順番に検問けんもんを受けることができる。

 いざとなったとき可能な限り足手纏あしでまといは少なくしたいとの理由から、御者ぎょしゃは雇っておらず、馬車には最低でも一人は残らなければならない。本日もサテラとテント内で雑魚寝ざこねをするしかあるまい。

 馬車を宿場町――ルネットの南広場まで移動し、サテラと共に馬車のそばに、テントを設置していると、


「そっちに、いったぞ!」


 怒声が鼓膜こまくを震わせる。そして、私達の前を通り過ぎる七、八歳くらいの緑髪の童女を背負った金髪ツインテールの娘と、彼女達を追う一見してごろつきとわかる様相の男達。

 あの金髪ツインテールの女も結構な身体能力をもっているが、多勢たぜい無勢ぶぜい。たちまち十数人の男達に囲まれてしまった。


「その子は、フィーシーズファミリーにおろす商品です。わたしてください」

「いやだ!」


 金髪ツインテールの女は、白い歯を剥き出しにしてそう言い放つ。一方、取り囲む男達は大きな溜息ためいきを吐いたり、肩をすくめるだけで、彼女に対する怒り等の否定的な感情は読み取れなかった。


「お嬢も、わかっておいででしょう? この街で、いや、この世界で奴らに逆らっては、生きていけません」


 小柄な男が心底困り果てたように、己の禿頭とくとうでながらも優しく語り掛ける。


「あんた達もあの変態の所業、知ってるんでしょ? この子を渡せば、どんな目に会わされるか」


 ビクッと、身を竦ませ、ツインテールの女にしがみ付く緑髪の童女。


「それでも、儂らが生き残るには、他に方法がない」

「ふざけんじゃないわよ! 大人の醜い理屈に、この子を巻き込むなっ!」

「お嬢、頼むから今は、引いてくれ」

「私は絶対に認めないわ! こんな――こんな非道、お母様が、許すはずがないっ!!」


 小柄な禿頭とくとうの男が、初めて顔を歪める。それは、まるで泣きそうな子供のよう。

 どうも、私の想像していたものとは、違うな。


「グレイ様……」


 サテラが私のそでを引っ張る。


「ああ、わかっているさ」


 私は、正義の味方を気取るつもりはないし、何の対価もなくアクイドのように泣く者に手を差し伸べるほどお人好しでもない。

 だから、尋ねようと思う。

 私は野次馬と化した人込みをき分け、男達の造る輪の中まで行くと緑髪の少女に近づく。


「お、おい、坊主!」


 あわてたような、男達の声に構わず、緑髪の童女の前に立つ。


「ちょっと、あんた――」


 私の肩を掴むツインテールの女。構わず、私は少女の著しく生気の欠いた瞳を眺めつつも、口を開く。


「お前の名は?」

「……」


 震えるだけで緑髪の少女は答えない。


「人ならば、名を答えよ」


 緑髪の少女はビクッと小さく身を震わせ、


「シーナ」


 小さくそう呟く。


「では、シーナ、お前が今、一番したいことはなんだ?」

「……」


 シーナはキョトンとした顔で小首をかしげるのみ。


「お前が一番したいことは?」


 再度、強い口調で尋ねる。


「お母さんに……会うこと」


 そうか。生前はその気持ちがまったくわからなかったが、今なら少しだけ理解できる。


「その母に会うために、お前は私に何を提供できる?」

「あんた、まさかあいつらの――」


 金髪ツインテールの女は、私の肩に力を込めてくるが、


「私の主人が尋ねているんです。貴方は少し黙ってなさい!」


 サテラが割って入り、逆に私から金髪ツインテールの女を引き離す。


「もう一度だけ聞くぞ。お前は私に何を提供できる?」

「肩……たたき。お母さん……喜んでくれたから」

「そうか。取引成立だ。お前は私の肩たたき専用職員。いいな?」

「……」


 無言でコクンと頷く少女の頭を撫でると、禿頭とくとうの男に向き直る。


「これより、このわらべはこの私が雇用する。身請け金が必要ならば、望む額を払うが?」

「あのな、坊主、大人を揶揄からかうもんじゃない」

「理解している」


 まったく、取り合おうとすらしない禿頭とくとうの男に、アイテムボックスから白銀貨30枚、計3000万Gの入った袋を取り出すと、放り投げる。

 禿頭とくとうの男は、怪訝な顔で、袋の中を確認するが、目を見開き、硬直してしまう。


「おい、ジル?」


 他の男達も禿頭とくとうの男――ジルの背後から袋の中を覗き込むが、同様にフリーズしてしまった。


「足らないか? ならば、好きな額をいえ」


 何せ、人の身請みうけなど経験がない。相場の額は知らぬが、仮にも他者の人生を引き受けるのだ。最低でもこの程度は必要だろう。


「お前の意図はなんだ?」


 今までとは一転、警戒心けいかいしんたっぷりの言葉を投げつけられる。


「私はその童女を我が商会に雇うことにした。その童女の身請けをしたい。先ほど、そう伝えたはずだが?」

「そうじゃねぇ! あんなふざけた額で、こんな役にもたたねぇチンチクリンを購入しようという理由だ!?」


 ジルの大声に、ビクッと身体を竦ませると緑髪の童女――シーナは私の背後に隠れる。


わめくな。子供がおびえるだろ」


 まゆひそめてジルをたしなめるも、


「いや、お前も十分子供だろ……」


 そんな真っ当な突っ込みをしてくれた。


「話を戻すぞ。購入の理由だったな。彼女は、私の肩たたき専用職員だ。お前も聞いていたはずだが?」


 しばし、私の返答に絶句していたが、


「もういい。悪いが、お前に売る気はない。さっさと、消えてくれ」


 うるさはえでも追い払うように、ジルは右手をプラプラ振る。

 そうもいかん。言ったはずだぞ。私は童女シーナを身請けすると。


「先方に気を使ってなら。私が直々に説得しよう」


 私は一度決めたことは何が何でも実行する。仮令どんな手を使ってでも。

 売り手のこの者達が、首を縦に振らないなら、この者達の本来の買い手である取引相手を説得し、納得させるまで。


「駄目に決まってんだろ! バカなこと言ってねぇでその子供を渡せ」


 ジルは、私に3000万Gの袋を放り投げると、そう求めてくる。


「何の騒ぎですかな」


 そこに、細身で形のよいちょび髭がトレードマークのダンディなおっさんが、人混みから姿を現す。


「わ、若頭!」

「クラマ」


 ちょび髭紳士を一目見ると、男達は軽く一礼し、金髪ツインテールの女は眉を寄せる。

 黒色の手袋に、パリッとした衣服、鷹のような鋭い両眼。この貴族のマダム達に大層モテそうな外観の男が、ジル達の組織のTOPらしい。というか、この肌のひりつく感じ、この男、おそらく――。


「我らが館でお話をいたしましょう。アリアお嬢様も、お茶の用意ができております」


 若頭と呼ばれたちょび髭男は、私達にそう告げると、歩き出す。

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