第54話 一つの旅の終わり

帝国を襲った未曽有みぞうの危機たるアンデッド襲撃事件はかろうじて帝国の勝利で幕を閉じた。

 もっとも、勝利といっても、帝国の領土の北部方面がほぼ壊滅状態となり、その国力は激減してしまっている。おまけに、その壊滅状態に陥った領土を治めていたのは、地方豪族達であり、門閥貴族共の権勢はさらに増すのは目に見えていた。

 予想を裏切らず、門閥貴族共はこの度の戦争の勝利が正規軍、特に前線で奮闘したキュロス公によるところが大きいと主張し、褒賞を求める。

 箝口令でも敷かれたのだろう。当初、サザーランドの街中には、正規軍の華麗なる活躍のみを謳う吟遊詩人達で溢れかえっていた。これ自体、前面に出たくない私としては願ったりかなったりであったわけだが、そうは上手く事態は運ばない。

 キュロス公裏切り疑惑が、サザーランド中へ流れることになったのである。

決定的だったのは、サームクスへのアンデッド襲撃の事実をキュロス公が知っており、何の対策も立てずに、家財家具を運び出そうとしてたことが、キュロス公の使用人とお抱えの拷問官達の証言により明らかになったことに尽きる。そして、それを証明する文書が、キュロス公の使用人達の一人から提出され、功績など吹き飛ばす大混乱へと陥った。

 その事実の暴露を契機に、サームクス等の直轄地での無法行為、違法行為など、次々に明らかになる耳を覆いたくなるキュロス公の噂が、サザーランド中に蔓延し、民衆たちの暴動を引き起こすまでに発展。遂に中央の司法局が動き出す事態にまで至った。

 そして、止めは商業ギルドのキュロス公との全面取引禁止令である。この世界で、商業ギルドに加入せずに商売をしているものは存在しない。より正確にはできない。商業ギルドにさえ加入していれば、安全、公平に商売をする権利が与えられる。そして、ギルドの登録維持料は、商売人にとってそう高いものではない。故に、道端の露店であっても、ギルドに加入しているのが通常だ。つまり、商業ギルドの取引禁止令とは、露店でさえも物を買うことができなくなることを意味するのだ。無論、他の貴族や使用人を通して物を購入することも可能だろう。それも、ギルドの知る所となれば、その貴族や使用人にも取引禁止令が発令されることは予想するに容易い。そんなのはまっぴらごめんのはず。もはや、帝国のどの貴族もキュロス公と進んで関わりになろうとは思うまい。

 キュロス公が正式に捕縛され審理にかけられることとなったことは、その表れといってよかろう。

門閥貴族共と帝国政府との間にかなりの駆け引きがあったのだろうが、結局、門閥貴族共はキュロス公という尻尾を切ることを選択したというわけだ。

 それと連動するように、息子のマレク・キュロスとドルト・マゴッタ子爵、勇者ユキヒロによるラドルの民の殺害の事実が、勇者ユキヒロの口から語られ、それを支持する証言が次々に現れる。

 こうして、私達にかかっていた汚名はようやく晴れたのである。

 仲間の名誉が守られたのだ。それは喜ばしいことだ。

 しかし、正直いって、これは予想外もいいところだった。


「グレイ・ミラード、貴殿に男爵の爵位を与える」


 皇帝の隣のエル宰相閣下が、仰々ぎょうぎょうしく文書を読み上げた。


つつしんで、お断りします」


 冗談ではない。私は貴族という制度自体をこのアーカイブ帝国から排除しようとしているのだ。その私が爵位を受けるなど示しがつきやしない。

 それに帝国政府が私に爵位を授与する理由など容易に想定できるし。


聡明そうめいけいならわかっておいでだろう。心苦しいが、貴方あなたに、拒否権はない」


 エル宰相閣下が、心底申し訳なさそうに、軽く頭をさげてくる。

宰相閣下の私に対するやけにうやうやしい態度に、騎士達や政府の重鎮達から奇異な視線が私に集中する。対して、皇帝の奴は面白がってみているだけのようだ。


「私にこの度、アンデッドの被害を受けた土地の復興をせよと?」

「最北端の領地を運営してもらいたい。お前ならできるだろ?」


 皇帝は、私の疑問に肯定も否定もせず、ただ愉快そうに念を押してくる。


「問題をすり替えないでいただきたい。できる出来ないはこの際関係ないでしょう。このような無茶な褒賞、許されるはずがありませんよ。きっと、軋轢あつれきを生みます」

「お前こそ、問題のすり替えをするなよ。そもそも、軋轢などとうの昔に生じている。救いようのないほどにな。今更、多少増えようと些細なことさ」


 確か、最北端ってミラード領ばりの開発に向かない高山地帯だよな。しかも、そこに住むのは、その八割が山のたみ――ラドルの民。あの門閥貴族共の行為を鑑みれば、帝国に対する不満は蓄積し、既にいつ爆発してもおかしくないレベルに到達しているはず。


「わかりました。お引き受けいたしましょう。ただし、いくつかの条件があります」

「何でも申してみよ」


わざとやっているのだろうが、ノ〇タ皇帝の尊大な態度は、私を無性にイラつかせる。


「領地開発が軌道きどうに乗ったあと、理由をつけて接収せっしゅうされるのは御免です。今後も私の領地であることを、文書で明確にしていただきたい」


 もっとも、この帝国でそんな文書がどれほど役に立つかは不明だがな。


「もちろんだとも。気張って我が帝国のために、馬車馬のごとく働いてくれたまえ」


 これからの人の苦労もしらずに、満面の笑みで了承するクソ皇帝をみていたら、マジ殴りをしたくなってきた。


「あとは、私についてですが――」

「心配には及ばない。おい、エル」


 エル宰相閣下が、残りの羊皮紙に掛かれていた文面を読み上げる。


「グレイきょう、北方領地――旧ダビデ領の統治を貴殿に委ねる。それにつき、貴殿にイネス・ナヴァロの称号を与える」

「どうだ? 本日からお前は、グレイ・ミラードではなく、グレイ・イネス・ナヴァロ男爵殿だ。褒賞の正式な発表もイネス・ナヴァロの名で行おう」


 今は目立ちたくはない私としては、願ってもないことだが、なぜそこまでしてくれる。この皇帝とエル宰相閣下は、マクバーン辺境伯ばりの結構なやり手だ。理由もなく、こんな特殊な褒賞を与えるわけもない。


「何を企んでるんです?」

「純然たる厚意こうい故だよ。グレイ、お前は少々、疑心暗鬼ぎしんあんきぎるぞ。もっと、余たち大人を信用したまえ」


 本当に信用できるタイプの人間達ならばそうしているさ。この皇帝達は中々のたぬきだ。そんなありもしない希望にすがるほど私はおめでたくはない。


「今はそういうことにしておきましょう。お話はそれで終わりですか?」


 苦笑いをするエル宰相と、『そう、つんけんすることもあるまい』と口を尖らせ、不満を垂れ流す、お調子者ノ〇タ皇帝


「では、私はこれで」


 姿勢を正し、一礼し、踵を返そうとすると、


「ああ、そうそう。貴族の爵位獲得の条件、お前は知っているか?」


 爵位獲得の条件ね。


「父親が貴族であれば、世襲せしゅう武勲ぶくんによる授与では?」

 

 確か、父親が貴族であれば、世襲又は武勲による授与で爵位を獲得できる。それ以外は、当代限りの爵位たる騎士公のみが授与される。

 私の父は、一応、ライス・ミラード。貴族だ。爵位の獲得に年齢制限などない以上、勲章くんしょう授与の条件は満たしているはず。


「形式的にはそうだ。だが、功績による爵位の授与については、例外的に慣例かんれいがある」


 また貴族のしみったれた慣習か。正直、嫌悪感しか覚えない。


「なんです? これ以上の面倒ごとは、マジで勘弁願いたいんですがね」


 エル宰相閣下を始めとする重鎮達が気まずそうに目を逸らす中、皇帝は悪餓鬼が悪戯いたずらに成功したような笑みを浮かべる。


「帝立魔導騎士学院の卒業資格さ」

「はあ?」


 おいおい、まさか……。


「早速、学院の受験手続きをしておいたから、来月帝都へ向かって欲しい。大丈夫、お前なら合格は間違いないぞ」


 色々、突っ込みどころ満載だ。


「あのですね、その間の卒業まで領地経営は誰がすると?」

「もちろん、イネス・ナヴァロ男爵として学院に通いつつ運営してもらう」

「はあ? 卒業が、爵位獲得の条件なのでは?」

「いんや、領地経営の必要性などの一定の事情と帝国政府の承認があれば、学院を一〇年以内に卒業することを条件に、爵位を授与することが可能だ」

「そんな取ってつけたような無茶苦茶な制度あってたまりますか!」

「あるさ、なにせ、慣習だからな。それでも構わんわけよ」


 だったら、そんな慣習、とっととどぶに捨ててしまえ!

 そう、怒鳴りつけたくなるのを全力でこらえて、荒狂った内心をととのえる。交渉事では、冷静さを欠いたものが常に敗北する。それは歴史が証明している真実といえるから。


「新領地は帝国でも最北端。可能だと思っておいでですか?」


 私の転移につき、エル宰相すら知っていたのだ。この皇帝が知らぬはずがない。無駄な足掻きなのは重々承知だったが、縋るように尋ねてしまっていた。


「可能だとも。他ならぬ、お前ならば」


 ニンマリと勝ち誇ったように皇帝はそう宣言したのだった。



 押し付けられたあまりの面倒ごとに、重くなる足取り。いっそのこと、この帝国から亡命してやろうかという気も少しある。


「グレイぃー」


 シリル離宮を出た私に気づき銀髪娘が顔一面に満悦らしい笑みを浮かべ、両手をブンブン振ってきた。


「リリー、転ぶなよ」

「わっと――」


 予想を裏切らず、リリノアは見事につんのめるので、その細い腰に手を回し、抱き寄せる。

 私が大人なら、中々の絵になったのだろうが、実際は姉に抱き着く弟の図だ。なんとも無性に情けないな。


「気をつけろと言ったろう」

「う、うん」


なぜか、真っ赤になって俯くリリノアの頭を、背伸びをしつつも、でる。


「じゃあ、元気でな」


 リリノアから離れ、右手を上げて、ミラード家のテントへ向けて足を動かす。

今晩、祖父ダイマー・マグワイアーと共に、私はこのサザーランドを去る。

リリノアは皇女だし、超が付くほどのお嬢様学校に通っているようだ。下級貴族になったに過ぎない私がこれほど関わることもこれが最後だろう。

少し寂しい気もしないでもないが、ただでさえ厄介ごとを押し付けられているのだ。トラブルメーカー的な性質を持つリリノアとは必要以上に関わりあいにならないのが正しい生き方というものだ。


「うん、またねぇ」


 おっとりとしてはいるが、不吉な内容を含有した声を背中に私は帰路に着いたのだった。


     ◇◆◇◆◇◆


 今、私達は、マグワイアー家へ向かって旅を続けている。


「マクバーン辺境伯殿、ついてきていただいてありがとうございます」

「構いませんよ。私もこの近隣に用がありましたからね。一石二鳥というやつです」


 相変わらず嘘が下手な御仁だ。帝都暮らしが多い伯がこのような辺境に訪れる用など、おおよそ考えつかない。

 

「そろそろです。早馬で我らの到着を知らせます」


祖父であるダイマー・マグワイアーが、マクバーン辺境伯に了解を求める。


「うん、そうするがいいでしょう」


 どうも、お爺様はさっきから落ち着かない。多分、私のこの肉体の母をおもんばかってのことなのだろう。

 そういう私も、ライ麦畑の何気ないこの農村の風景を目にするだけで、幾度となく説明不能な感情が沸き上がり、心を乱されている。

 これはこのグレイ・ミラードの脳に記憶された幸せの記憶。そう理解すれば、一応の説明はつく。

 しかし、記憶とはしょせん脳内に記録、保管された事実に過ぎない。いわば、他人の幼少期のビデオを断続的だんぞくてきに見せられているようなものだ。それだけで、この私がここまで動揺どうようすることがありうるだろうか。

 この世界に転生されてから、数年もの間暮らしているのに、ずっと私はミラード家に愛着がまったく持てなかった。

 確かにあの義母達がくずっていることも多少の影響はあるのだろうが、ミラード家に暮らしているのは義母達だけではない。むしろ、義母とその取り巻き以外とは、良好な関係をきずけていたと思う。なのに、あの強烈な疎外感そがいかんと、領地を出なければならないという使命感にも似た強烈な意思。それらは、まるでくさりとなって私の全身を雁字搦がんじがらめに拘束していたように思える。


 馬車が止まるやいなや、祖父――ダイマーが飛び降りる。私もそれに続き、馬車を降りる。

 客人であるマクバーン辺境伯がいるのに、屋敷に一目散いちもくさんに駆けていく祖父。


「辺境伯、申し訳ありません」

「いえいえ、私は大丈夫です。早く行っておあげなさい」

「感謝します」


 にこやかに微笑むマクバーン辺境伯に、感謝の意を述べると祖父へと続く。


 屋敷には、かつて家族だった人達が私達を迎えてくれていた。

 赤髪の優しそうな青年とその隣の金髪の女性は私の叔父と叔母だ。そんな気がする。そして、隣にいる私の従姉妹いとこ殿達。


「君はグレイなのか?」


 いい機会だ。マグワイアー家の家督争かとくあらそいに参加する資格が存在しない旨を同時に宣言しておこう。


「ええ、グレイ・イネス・ナヴァロです。叔父様、御無沙汰ごぶさたしておりました」

「イネス・ナヴァロ? ミラードではないのかい?」


 案の定、私の宣言に眉をひそめながらも、そう尋ねてくる。


「ええ、実に不本意ですが、陛下から一方的に叙爵され、そうなってしまいました」


 とりあえず、皇帝のせいにでもしておこう。人に散々、厄介ごとを丸投げしてくるのだ。このくらい役に立ってもらうとする。


「陛下から爵位をたまわった? 父上、私には何が何だか……」


 そうだな。皇帝がやけにフレンドリーなので、最近麻痺まひしていたが、通常皇帝と一般貴族との距離は遠い。この手の冗談は奇異以外の何物でもないか。


「グレイは既に爵位と領地を有しておる。従って、マグワイアー家での家督継承の問題に絡むことはありえん」


 どう説明しようかと思案していたところ、祖父――ダイマーが助け舟を出してくれた。


「……」


 しかし、一同、正気を疑う顔で、私達二人を眺めるのみ。

 どうやら、また対応に失敗したらしい。どうにも、ここに来て、普段の冷静さを保てていない。

 それに、どうやら、ここには、いないようだ。


「グレイ君の身分については、私が保証しましょう」


 遅れて到着したマクバーン辺境伯の言葉で、ようやく時は動き出し、祖父が促し、ポニーテールのメイドさんが二階へ駆けていく。


「グーちゃん! グーちゃん!」


 扉が勢いよく開かれる音、そして必死な女性の叫び声。

 桃色の女性が、階段の上から、私を見下ろしていた。


(そうか……)


 ようやくこの湧き上がる強烈な感情に私も心当たりが付いた。それは、生前で私が味わったことがない気持ち。

 即ち――。


「母様、ただいま」


 鼻がつーんとなる中、私は必死で頬を掻いて誤魔化しながらも、どうにかそんな言葉を口にする。

 桃色髪の女性は階段を転がるように、降りてくると、私を強く抱きしめた。


(きっと、これが親の温もりというやつなんだろう)


 こうして、私――グレイ・ミラードの旅は終りを迎える。

強烈な幸せの感情に抗うこともできず、私は生まれて初めて声を出して泣いたのだった。


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