閑話 待ち望んだ再会 メイ

 マグワイアー家――筆頭メイド――メイ。


 本日もお嬢様は、お食事にほとんど手を付けていらっしゃれない。

 グレイ様がお生まれるになる前は、あれほど天真爛漫てんしんらんまんだったお嬢様は今や見る影もない。

それでも、ミラード家でのグレイ様の不遇の噂を耳にするまでは、毎週欠かさず、教会にお祈りに行くなど、積極性はあったのだ。それが、あの胸糞の悪い噂を契機に、今や一歩も部屋から出ずに、毎日ベッドで寝込んでいらっしゃる。


「お嬢様、本日はぽかぽかで良い日和です。外の空気を吸ってみませんか?」

「いい……」


 まったく、変わり映えのない返答。

 なぜ、この方から、グレイ様を取り上げる必要があるのだろう。母親が我が子と一緒に暮らす権利は、本来平民だろうが、貴族だろうが、享受できる類のもの。

そもそも、お嬢様はグレイ様をマグワイアー家の次期当主にするなどこれっぽっちも考えていない。ただ、グレイ様が大きくなるまで、一緒に暮らしたい。それだけなのだ。それをくだらない跡目あとめ争いだけのために、グレイ様をそんな非道な家に預けるなどメイはどうしても納得がいかなかった。

お嬢様はグレイ様さえいれば満足なのだから、一軒屋でも借りて、御二人で住めばいい。少なくとも、マグワイアー家に戻るのでなければ、家督の問題は生じ得ないし、ミラード家もいじめるほどグレイ様が憎いのなら、家から放逐することを躊躇ためらう理由などないはずだから。

なのに、そんな誰もが幸せになれる選択が、貴族という人達にはできないらしい。

一礼して、ほとんど残っているトレイを持ち、お嬢様の部屋を退出する。


このままでは、お嬢様のお身体がもたないが、相談できる人は限られている。

最も信頼できるのはグレイ様を引き取ることを、ミラード家に再三要請している先代様だが、今はサザーランドまで出兵していてこの地にはいない。

とはいえ、アンデッド襲撃事件が帝国軍の勝利で無事終結し、戦死者の中に先代様が含まれてはいない旨の報告を、近隣の街に住む魔法伝達師により受けている。もうじき、ご帰還なされることだろう。

どんな形であるにせよ、お嬢様にはグレイ様が必要。それを先代様にもう一度、改めてお話するしかあるまい。


外が騒がしくなっている。どうやら、先代様がご帰還なされたようだ。

 はやる気持ちで、一階へ降りると、御当主様、奥方様が神妙な顔で、玄関口に視線を向けていた。

それとは対象的には、傍らのお子様達は、頬をバラ色に染めて出口付近に熱い視線を送っている。

その皆様の視線の先には、先代様とその隣に不思議な異国の服を着用した一見して少女のような可憐な少年が佇んでいた。


(う、嘘……)


 その少年をメイは、知っていた。いや、正確にはこの屋敷の誰もが知っている。だって、数年前までこの屋敷に住んでいた御方だから。


「君はグレイなのか?」


 御当主様がその疑問を覚えるのも無理はない。その自信に満ちた立ち居振る舞いは、あの気弱そうな御方とは似ても似つかぬものだったから。

少年は姿勢を正すと、


「ええ、グレイ・イネス・ナヴァロです。叔父様、御無沙汰しておりました」


 軽く一礼してそう答えたのだった。


「イネス・ナヴァロ? ミラードではないのかい?」

「ええ、実に不本意ですが、陛下から一方的に叙爵され、そうなってしまいました」


 グレイ様は、肩を竦めながらも、そう投げやりに呟く。


「陛下から爵位を賜った? 父上、私には何が何だか……」


 遂についていけなくなったのか、先代様に助けを求める。


「グレイは既に爵位と領地を有しておる。従って、マグワイアー家での家督承継の問題に絡むことはありえん」


 気まずい静寂せいじゃくが訪れる。誰もが口を開かないのは、その内容がとても信じられないから。

 当然だ。仮令どれほどの才能や家柄いえがらがあろうとも、一二歳の子供が爵位と領地を得るなどおよそ考えられない。先代様が、悪質な冗談を言っているようにしか、とても思えなかったのだ。


「グレイ君の身分については、私が保証しよう」


 新に玄関口に入ってきた人物に、一同大口を開けたまま、全身を硬直させる。

 

「マ、マクバーン殿っ!!」


 ようやく、膠着状態こうちゃくじょうたいから脱した御当主様が、深く頭を下げ、マグワイアー家全員が慌てて、それに倣う。

 マクバーン辺境伯――地方豪族でありながら、帝国でも十指に入る最有力貴族。陛下の親戚筋にもあたり、マグワイアー家にとっては寄り親寄り子の関係にある。決して頭が上がらない御方なのだ。


「いつもながら、陛下の強引さにも困ってしまいますね」

「まったくです」


 マクバーン辺境伯につられ、乾いた笑い声を挙げるグレイ様。


「メイ、アンナを呼んできなさい」


 先代様に促され、あまりの事態に真っ白になっていた頭がようやく覚醒する。


「はい!!」


 頷くと、足は二階のお嬢様の御部屋へ向かっていた。

 数段飛びに、階段を駆け上がり、勢いよく扉を開く。


「お、お嬢様っ!! グレイ様が、グレイ様がぁ!!」


 必死で説明しようとするが、上手く言葉を紡げない。


「グーちゃん……がどうしたの?」


 消え入りそうな声で、そう尋ねてくる。何度も己の胸を叩き、無理やりに落ち着けると、


「今、下にグレイ様がいらっしゃっています」

「グーちゃんが?」

 

 寝ぼけているのかもしれない。お嬢様はただオウム返しに尋ねてくる。


「はい!」


 生気のないお嬢様の瞳に光が灯る。


「今、この屋敷にいるの?」

「はい! お嬢様を待っておいでです!」

「グーちゃん!!」


 ベッドから飛び上がろうとするが、足腰が弱っているためか上手く歩けずつんのめる。額から僅かに血が滲むが、それでも構わず、お嬢様はよろめきながらも部屋を飛び出してしまっていた。


「グーちゃん! グーちゃん!」


 お嬢様は、二階の階段の上から下を見下ろし、カッと目を見開き、全身を小刻みに震わせる。


「母様、ただいま」


 ポリポリと人差し指で頬を描くグレイ様は、気まずそうにお嬢様にそう告げる。

 お嬢様のぱっちりとした瞳から大粒の涙が流れ、階段を駆け下りると、グレイ様を強く抱き締める。


「グーちゃん、ごめん、ごめんねぇ!」


 大声で子供のように泣きながら謝るお嬢様の声を聴きながら、この数年の悪夢がようやく終わったことをメイはぼんやりと実感していた。

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