第45話 大魔法

 サームクスの現街長と司法長官達は既に出立しており、捕縛は諦めた。

 しかし、キュロス公の家財を乗せた馬車は、早々に、ルカ達、サームクスの兵により捕縛される。

 当初、拷問官達は口をつぐんでいたようだが、私が顔を見せると知りたくもないことまで必死の形相で暴露ばくろし始めた。

 まったく、これではどちらが拷問を受けていたかわからん。ルカ達の視線も痛いし、勘弁かんべん願いたいものだ。

 ともあれ、拷問官達から、キュロス公より、私を拷問し、その諸権利を無条件譲渡させるように指示を受けたとの証言を得た。


 アムガゼム領への避難はとどこおりなく進み、サームクスには僅か一〇〇人が残るのみとなった。そして遂に襲撃日早朝を迎える。


 サームクスは、サザーランドと同様、周囲を円状に守られた城壁と堀からなる。

 その城壁の上に、街に残った一〇〇人の兵士が存在した。私個人としては、魔法の行使を見られたくない観点から、全員避難して欲しかったわけなのだが。

 朝日が山脈の端に顔を覗かせる。その淡い光に照らされ、地上を埋め尽くさんがごときアンデッドの群れが視界一杯に入る。


「あ、あれが全てアンデッド?」


 兵士の一人の震え声が、鼓膜を震わせる。

 視界一杯に、土煙と地響きを上げて迫る大軍勢は中々の迫力だ。


「断っておくが、必勝だと嘯くつもりはない。今から避難してもらっても構わない」

「いえ、ここにいさせてください!!」


 私にとって都合のいいこの提案は、実に容易に拒絶されてしまう。


「ここにいる皆には、グレイがあの勇者にいかにして勝利したかを伝えておる。賢者ジーク以上の魔法の使い手だともな」


 隣の厄介極まりない老人に、半眼を向ける。


「エル宰相閣下、貴方もこの危険極まりない場所から、避難していただけると嬉しいのですが?」

「この戦を見届けてから、直ぐにでも避難はする。それに、アムガゼム子爵は、遠征軍所属。ならば、陛下の密書がある以上、彼も一切の反対はすまい。儂の有無など些細ささいなことさね」


 門閥貴族共と対立している現皇帝は、遠征軍には圧倒的な人気がある。それはそうかもしれないが……。


「そういう問題じゃなくてですね。いや、そういう問題かもしれませんが、ともかく、ここにいては危険ということでして――」

「ほう、儂にも秘密ということか? だが、おぬしの性格上、危機に瀕すれば、躊躇ためらいなく使うのだろうしのぉ」


 カラカラと笑う宰相閣下の発言からも、ジーク辺りに私が転移能力を使えることを聞いたのだろう。あの爺さん、あれほど秘密にしろと念をおしたというに。


「グレイ殿、噂の奇跡の御業、拝見させてもらいますぞ!」


 モヒカン頭のサームクス街副長――ジルケン・ミッドランが、好奇心に目を輝かせながらも、そんな有難迷惑な宣言をしてくる。

 おい、爺さん、一体、私についてどんな説明したのだ?


「敵に、動きがあった!」


 ルカの言葉に、皆、顔のすべての曲線を緊張させつつも、アンデッド共の軍勢を注視する。

 行進していたアンデッド共の軍勢は、城門前、数キロ手前で止まっていた。

そして、軍が二つに割れ、青色の鎧を身にまとった一人の男が姿を現す。


「ラ、ランペルツ!!?」


 宰相殿は、しばし驚愕に目を見開いていたが、直ぐに顔を悪鬼のごとく歪ませた。


「あれが、ランペルツ将軍……」


 ルカが掠れる声でその名を口にする。

 ランペルツ・ブラウザー――帝国では正規軍に所属しながらも、上官たる門閥貴族の命にことごとく背き、最後まで、民衆の味方であり続けた将軍。あの似非勇者とは似ても似つかない真の英雄だ。


「グレイ、あやつは、ランペルツは、帝国の民に命を捧げてくれた男じゃ。どうか、奴をあの呪縛から解き放ってやってくれ」


 この宰相殿の悲痛な表情から察するに、あの門閥貴族が跳梁する魔境のような正規軍において、ランペルツの存在は、皇帝や宰相達にとって、唯一ともいえるよりどころだったのかもしれない。


「そのつもりですよ」


 《風操術》により、風を操作し、城門を降りると、ランペルツが、アンデッドの軍勢を離れ、一人で城門の方へ歩いてくる。そして、不自然にも、一切の動きをピタリと止めるアンデッド達の軍。

 私もランペルツの元まで歩いていく。


 

 既に、ランペルツと数十メートルの距離まで接近し、その姿をはっきりと視認した。

 青色の四肢と胴体を覆うフルアーマーを纏い、右手にはボロボロの大剣を携えている。その佇まいは威風堂々としており、歴戦の猛者であることを伺わせた。

 その青白く生気と意思が消失している顔がなければ、誰も死者だとは判断はできまい。


「帝国正規軍将軍――ランペルツ・ブラウザーだな?」

「……」


 案の定、肯定も否定もせず、その何も映さぬ闇色の瞳で私を見つめるのみ。

 やはり、ランペルツに意思は感じられない。

しかし、なら、なぜ、ランペルツは、この場に一人でいる? あの鎧のアンデッド達は、なぜ進撃を止めた? 

 そう。今もあの鎧を着たアンデッドの軍勢は、遠方で、身動き一つせずに、こちらを傍観しているのみ。あれでは、まるでランペルツという上司に忠実に従う規律ある軍隊ではないか。


(余計なことをしようとしているぞ)


 アンデッドは死者。いや、たとえ相手が生者しょうじゃであっても、敵となった以上、普段の私なら、駆除一択だったはず。

 なのに――。


「このグレイ・ミラードが、貴殿に一騎打ちを申し込む」

 

 こんな笑ってしまうような身勝手な自己満足の言葉を声高く叫んでいた。

本来私は、過程より結果を重視する主義。特に相手は意思のないアンデッド。実験動物以上の価値を見出すことはない。こんな流儀からは大きく外れる茶番など、最も私が嫌悪する類のものだろう。

 しかし、この時、私はなぜか、この男を完膚なきまでに叩き潰し、屠ってやる必要がある。そう感じていたのだ。

 ランペルツは、初めて、右手の大剣を振りかぶり、天を仰ぎ、


「ウオオオオオォォォッ!!」


 獣のごとき咆哮を上げ、私に向けて疾駆する。私も重心を下げ、己を闘争へ特化させた。


 

 ランペルツの怒涛のごとき猛連撃。それらはどれも洗練されており、目を見張るものがあった。仮に身体能力が同等ならば、かなりの苦戦を強いられていたかもしれない。

 豪風を纏って私の左頸部に迫る大剣を躱し、懐に潜り込むと、ランペルツの左腹部に向けて左掌底を打ち付ける。

 くの字に折れ曲がり、丁度、顔が下がり、殴りやすそうな位置に来たランペルツの顔面に、右拳を打ち下ろす。

 右拳に伝わるゴギッと骨の拉げる鈍い感触とともに、ランペルツの全身は地面に叩きつけられ、地割れを引き起こす。

 間髪入れずに、私は右足をランペルツの胴体に向けて振り下ろす。

 クレーターが形成されるが、かまわず私は右足を何度も振り下ろしていた。



「私の勝利だ」


 私の勝利宣言に、ランペルツは相変わらず、生気のない目で私を見上げ、口端を上げると、


「ありが……とう。部下たちを……頼む」


 消え入りそうな声でそう呟いた。


「――」


 口を開こうとするも、ランペルツの全身は、ボロボロになり風化してしまう。

 突如、城塞に向けて突進を開始するアンデッドの騎士達の大軍勢。まるでそれは、上司であるランペルツの最後の願いに応えたかのような、消える寸前の灯を私に連想させた。


「その依頼、承った」


 大きく息を吐きだし、私は城壁の上に転移する。


「へ?」

「今あそこに!?」


 突然、眼前に出現した私に、慌てふためくサームクス守衛隊の面々とは対照的に、宰相殿は私に深く頭を下げてくる。


「グレイ・ミラード、我が友を眠らせてもらい感謝する」

「礼は少々気が早いですね」


 今も地響きを上げて城門へ殺到してくる騎士達のアンデッドに向けて右手を向ける。

 これは、ランペルツから受けた依頼であり、契約。私は一度受けた契約は必ず履行りこうする。

 彼らの黄泉への旅路のはなむけだ。現在の私の最大の術を持って、応じるのが礼儀だろう。

使用するのは、未だに使用したことのない戦略級伝説レジェンドの魔法。伝説レジェンドの戦略級魔法は、どんなに手加減しても周囲が確実に更地と化す。それは、『古の森』で一度使用しているからまず間違いない。

 特にこの魔法、私が獲得した四つの伝説レジェンドでは最強クラスの大魔法。魔導書の説明書きによれば、威力いりょくだけは神話ゴッツに相当するが、反面、制御がいちじるしく利きづらいというデメリットがある。それゆえ、使用するタイミングをつかみ損ねていたわけだが、ここは誰もいない平野へいや。まさに、彼らへの手向たむけには、丁度良い。 

 私は、片目を閉じ、詠唱を開始する。



「【紅の流星群クリムゾン・ミーティア】」


 私が長い詠唱を終え、その魔法名を唱えると同時に、遥か上空に掛かる雲から、一筋の紅の光が差す。その紅の光は今も猛突進してくるアンデッド達を一瞬で炎滅し、その地面さえも蒸発させていく。

そして、それらの光は、ポツン、ポツンと増殖していき、地上を紅の光で照らしていく。

 半径数メートルの紅の光は、次々に、疾走してくるアンデッドの騎士達を蒸発させつつも、無数に増殖していく。


「すごいっ! あの紅の光でアンデッドが一瞬で焼き尽くされた!?」


 ルカが今も高熱で蒸発させられているアンデッド共に指先を固定し、興奮気味に叫ぶ。


「うむ、素晴らしいですぞ、グレイ殿。あれはいかなる魔法なのですかな?」


 サームクス街副長――ジルケン・ミッドランが、顔を真っ赤に上気させながらも尋ねてくるが、私はとても答える余裕などなかった。

 嫌な予感しかしなかったからだ。だってそうだろう? あの魔法は、光術などではなく、本来、隕石を落とすという単純明快な魔法であるはずなのだから。


「【至高の盾アイギス】!!」


 全力で、今私が持つ最高ランクの防御魔法――超位スーパー魔法【至高の盾アイギス】を何十も重ね掛けする。

数えきれない青色の被膜が、サームクスの城壁をドーム状にすっぽりと覆いつくす。

 あの隕石の直撃でなければ、これでおそらく耐えられるだろう。多分、きっと……。


「お、おい、あれ……?」


 兵士の一人が右手の人差し指で、上空を指し示し、口をパクパクさせていた。

 そのはるか上空を眺める彼の顔からは、まるで発汗器官がぶっ壊れたように滝のような汗が流れでていた。

 無理もない。その指さす先の雲の隙間からは、巨大な真っ赤な炎を纏った隕石が顔を覗かせていたのだから。


「うぁ……」


 ようやく、あの紅の光がただの前菜オードブルに過ぎなかったことに気づいたのだろう。次々に、悲鳴を上げ、カクンと膝や腰を城壁の上の冷たい石の上に下ろす。

 無常にも雲から次々に姿を現す炎の隕石群。それらは既に上空を隙間なく埋め尽くしていた。

 そして、無数の隕石が発する熱により、大地は焼けただれていく。


「あれ……は、まさか、まさかっ――!」


 宰相閣下が、絶望の声を上げた途端、隕石群の一つが落下を開始する。

 高速で隕石は地上に衝突し、全ては真っ白に染め上げられた。

同心円状に広がる超高熱の風を含んだ衝撃波は、アンデッド達を一瞬で蒸発させながらも、吹き抜けていく。

 たった一個が落ちた余波だけで、大半のアンデッドを消し去った上、【至高の盾アイギス】の数個さえも消滅させてしまう。ぞっと背筋に冷たいものが走る。


「冗談ではない!!」


 ありったけの力を込めて、必死で【至高の盾アイギス】を作り続ける。

そして、遂に地獄の幕があがり、一斉に隕石群は地上へ落下していく。


「うおおおおぉぉぉっ!!!」


 私はひたすら、死に物狂いで【至高の盾アイギス】をかけ続けた。


 ……

 ………… 

 ………………


 それはたった数分の出来事に過ぎない。【至高の盾アイギス】を二枚残してようやく余波よはが止み、私は額の汗をぬぐう。


「助かった……」


 よかった。もう少しで自滅するところだった。サザーランド前の戦争で使用していたら、その余波だけで、皆、仲良く黄泉の国へ大行進していたのは疑いがない。

 眼前に広がる底の見えない大穴。あの化け物隕石群は、猛威を振るい、アンデッドどころか、大地すらも消滅させてしまう。

 これは、事後処理が大変そうだ。この規模だと元に戻すまであと数か月は必要となるかもしれないな。まっ、己のしでかしたことだ。最後まで責任は持つさ。

 周囲を見渡すが、あまりの事態に、大部分が気絶してしまっており、意識を保っていたのは、僅かのようだ。


「グレイ、おぬし、本当に人族か?」

「それ以外のわけがありませんが」


 宰相閣下がそんな至極当然なことを尋ねてくる。


「いや、こんな力、バカげた力、人には絶対不可能。だとすると、精霊や幻獣? 否! 否! 断じて否っ! これほどの奇跡、どんな高位な精霊や幻獣にも起こせるものか!! だとすれば――」


 私の返答など無視して、ぶつぶつと一人でトランスモードに入ってしまう宰相閣下。

 そして、今もペタンと臀部でんぶを地面に下ろしながらも、目の前に広がるイカレ切った光景に目を奪われているルカ司法官。ジルケン副長に至っては、両膝を地面に付け、口から泡を吹き意識を手放してしまっていた。

 ともあれ、アンデッドはもう塵一つすら残っていない。サームクスの街並みは無事だ。一先ずは、作戦は成功と見ていいだろう。


「もうサームクスについては大丈夫でしょう。宰相閣下は、この街の事後処理をお願いいたします」

「承りました」


 宰相閣下の妙なニュアンスの答えに首を傾げながらも、私はサザーランドの北門付近まで転移する。

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