第46話 サガミ商会の決断

ゼムの葬式の後、グレイが、勇者――ユキヒロとキュロス公爵家の次期当主――マレク・キュロスへの傷害の容疑で捕縛される。

 そして、グレイと赤鳳旅団せきほうりょだんに対する耳を疑うような罵詈雑言ばりぞうごんが、サザーランド中に充満じゅうまんすることになった。

こうなることは、アクイド達にとっては予定調和のようなもの。それに、責任の一端があるのには違いはない。これ以上迷惑をかけることはできない。それが、団員達の総意。故に、サガミ商会副会長のジュドに、この度の会議の場を借りて、雇用契約の解除を申し出たのだった。


「必要ないな」


 アクイド達の申し出は実にあっさり拒否される。

 

「まったくじゃ。仮に契約解除などにしてみろ、あとでグレイにどんな嫌味をいわれることか……」

「そうそう、会長のあの無言の笑み、半端じゃなく怖いんだよ」


 技術部長ルロイの軽口に、同じ技術部の部下達が、相槌あいづちを打つ。


「駄目ですよ。赤鳳旅団せきほうりょだんとの契約を解除すれば、世間のあの恥知らずな噂が真実と認めることになりますから」


 サテラが普段の温和な彼女とは思えぬ血走った眼で、そう言葉を絞り出す。

 途端に、ルロイから笑みが消え、今まで冷静に見えた商会員達の顔にも憎悪が満ちる。


「もはや、帝国政府との反目は避けられないと思う。皆はどうか?」


 アーカイブ帝国は世界でも有数の大国だ。その国と対立するなど、通常狂気の沙汰だ。なのに、ジュドの問いかけに、誰も異を唱えない。

 

「わかった。俺の名で、商会の見解を発表しておこう。次が、もうじき来るアンデッドの襲来の件だが……」

「なぜ、グレイ様やゼムを悪くいう民衆を守るために私達が汗を流さなくちゃならないのさ? 直ぐにでも埋めてしまえばいい!」

「埋めるのじゃ!」


カルラが、歯茎はぐきき出しにして吠えると、ドラハチが右手を上げる。


「同感だ。奴らは会長の資産の譲渡まで損害賠償として要求してきている。こんな無茶苦茶、到底容認できない」

「そうだ! こんな恥知らずな都市、滅んでしまえばいい!」


 サテラを始め、誰もこの意見に異を唱えない。


「少し、落ち着け。サザーランドの民がこの度の事件を引き起こしたわけではあるまい?」

「奴らの虚言を信じて、私達を攻撃してくる以上、同罪だと思います。何よりも、あの人達はグレイ様を卑怯者と罵っているのですよ!」


サテラの震える声は、今のサガミ商会という組織の気持ちを上手く表現していた。


「それでも、このサザーランドの守護は大将の望み。俺達が真っ先にそれを否定してどうする? それに、この都市を見捨てることは、今までの苦労を水の泡にする行為。感情に任せた浪費は、大将が最も嫌うことだ。それは避けるべきだろう」

「なら、兄ちゃんは、グレイ様の厳罰を叫ぶ、あの汚物達を助けろと! そんなの誰も望んじゃいない!」

「それでもだ」

「なぜ!?」

「今は感情よりも利益を優先すべきだからだ」

「利益? そんなの知ったことじゃない! あたい達は、仲間の一人を殺されて、その主人さえも侮辱されているんだ! 兄ちゃんは、悔しくないの!?」

「悔しい……か?」


 ジュドの無表情だった顔が、鬼面に染まり、ぞっとする背筋が凍り付く疑問の言葉。


「兄ちゃん?」


 あまりの迫力に気圧されてか、恐る恐るその意を尋ねるカルラに、


「悔しいに決まってんだろ! 同じ釜の飯を食った仲間が殺され、あの大将までおとしめられたんだぞっ! 今すぐ、あのクソ勇者とボンクラ門閥貴族をぐしゃぐしゃに捻り潰してやりたい!」

「なら――」

「だがなぁ、大将は言ったんだ。帝国人である前に商売人であれと! 人間である前に科学者であれと! 今俺達が、感情に任せれば、あのクズのような貴族の期待通り、このサガミ商会は解体される。大将の不在を任された身として、それだけは絶対に許さん!!」

「落ち着け、ジュド」


 ルロイの制止の声に、ジュドは首を数回振ると、再び感情を消す。


「我らのサザーランドでの評価を一新させるためには、作戦をとどこおりなく遂行させることが不可欠だと思う」

「それには儂も賛成じゃが、他の商会員をどう説得する? サテラやカルラの意見は、商会員達の共通見解じゃぞ? 儂らが何を言っても聞く耳もたんじゃろう」

「説得するさ。それにあの大将が、理由もなく黙って捕縛されるはずがない。きっと、理由があるはずなんだ」

「それもそうじゃな。第一、グレイを牢に入れて捕えた気になるなど、滑稽こっけいを通りこして、笑えてくるわい」

「違いない」


 ルロイが豪快に笑い、次々に一同、相槌を打つ。

 ジュドが、席を立ちあがり、


「皆、思うところはあるだろうが、今は従ってもらう」

「アクイド、先にサザーランドのミラード家のテントで待っていてくれ」


 それだけ告げると、ジュドは姿を消してしまう。


 

「待たせたな」


待つこと、三〇分後、ジュドは、一度も目にしたことがない仕立ての良い異国の服に身を包んで姿を現す。


「それに着替えてくれ」


布袋に入った衣服をテーブルに置く。

 

異国の服を身に着ける。黒色の革靴と、パリッとした黒色の上下の衣服。奇妙な形をしたえりそでの白色のインナー。

 ネクタイとかいう衣服を身に着けるのには、難儀なんぎしたが、ジュドの指導のもとなんとか首にめることができた。


「いくぞ」

「どこへだ?」

「決まっている。商業ギルドへさ」


 ジュドは早足でテントを出て行ってしまう。当惑しながらも、アクイドはジュドの後を追う。



遠征軍の陣地では、僅かな兵士や傭兵達から、罵声を浴びせられることはあったが、そのほとんどが遠巻きにアクイド達を観察するだけ。


(もっと責められると思っていたんだがな……)


中にはアクイドと顔見知りの傭兵達も数人いたし、顔を合わせると喧嘩を売ってくる奴らもいた。その誰もが、口を閉ざし、興味深そうに眺めるのみ。

街中までいくと、向けられる視線自体が完全になくなる。皮肉なことに、あくまでこのサザーランドで悪名が轟いているのは、サガミ商会の主――グレイと、愚劣団こと、赤鳳旅団せきほうりょだんの名そのものであり、ジュドやアクイド達の各個人を知るものは皆無に近かった。特に今のジュドとアクイドの恰好は帝国人のどの服装とも異なっていたから、異国人にしか見えまい。

ただ、それもあくまで商人ではない者の間に限る。

 ジュドとアクイドが中央商業ギルド議会館へと足を踏み入れると、視線が一斉に二人に集中する。

 ジュドは構わず、一階建物の受付に行くと、


「私はサガミ商会副会長のジュド。本日は我が商会の決定を伝えに来ました」


 一礼し、懐からスクロールを取り出し、カウンターへと置く。

 どよめきが議会館中に響き渡り、商人達は噂話に花を咲かせ始めた。


「拝見いたします」


 受付の女性は、強張った表情でスクロールの中身を改めると、全身を硬直させ、小刻みに震わせる。


「少々、お待ちを!!」


悲鳴のような声を上げつつも、奥へと姿を消そうとする職員。


「結構、もう私達の用件は終わりました」


 ジュドはそれだけ伝えると、受付の女性の制止の声も聴かず、クルリときびすを返す。



「ギルドの職員と会わなくてよかったのか?」


 相手は世界経済を支配しうる巨大組織たる商業ギルド。帝国ともめるにしても、会って協力を仰ぐのがセオリーだろう。あのような突き放した対応では、ギルドさえも敵に回しかねない。そうなれば、サガミ商会は破滅だ。


「これは俺達の戦い。余計な第三者に首を突っ込んでほしくはない」

「しかし、相手はそう思っちゃくれやしないぞ?」

 

 商業ギルドとはそんな甘い期待をしていい存在ではない。


「ギルドが帝国側につくなら、その時はその時だ。俺達の敵がはっきりする」


 口端を上げるジュドの雰囲気は、まるで老獪な傭兵のようで、普通二十歳そこそこの若造にはとても出せるようなものではなかった。


「ぼさっとしないで行くぞ。やることは山ほどある」


 唖然とするアクイドを促すと、ジュドはテントへ向けて歩き出す。



 ミラード家の前には、四人の帝国貴族が佇んでいた。この四人とも全員知っている。というか、帝国の傭兵業を営む上で知らぬものなどおるまい。

 

「おぬしがサガミ商会の現代表者か?」


 その中の白髪の老人――大賢者ジークフリード・グランブルが、ジュドに尋ねてくる。

 ジュドは、姿勢を正すと、


「私はサガミ商会副会長のジュドと申します。皆様、どうぞ、お見知りおきを」


 胸に右手を当てると、一礼し、テント内へと招く。



「大将からのお言葉、確かに受け取りました。ですが……」


 会議中のカルラとの会話が全てだ。驚くべきことだが、皆、このたった数日間で、アクイド達を仲間とみなしてくれていた。その中で、ムードメーカーであり、兄貴分のゼムがお遊びのような理由で殺され、汚名を被せられた。そして、ふざけた理由でのグレイの捕縛が事実上の止めだった。あまりの理不尽に、皆、堪忍袋の緒がぷっつりと切れてしまったのだろう。もはや、グレイの指示だけで収まるような状況ではない。


「わかっている。私もグレイに託された身だ。商会員達への説得は私がしよう」

「しかし……」

「私が帝国貴族なのが問題なのだろう? それに、ミラード家でグレイは冷遇されていたようだしな。信じられぬ者がいても無理はない。だがこれは卑怯な私への孫からの初めての頼み、是非とも成し遂げさせてもらう」


 ダイマー・マグワイアーの引き締まった姿は、アクイドも戦場で度々目にすることがある。それは、死地とわかりながらも赴く軍人そのもの。それが祖国を救わんとしてからなのか、それとも孫のためなのかは判然としない。だが、少なくともダイマーは、この説得に命を賭けて臨む所存である。それだけは理解できた。

 

「了解しました。お願いいたします」


ジュドは、暫くの間、ダイマー・マグワイアーを凝視していたが、大きく頷く。


「私達の方からも、これを。どうか役に立てて欲しい」


 マクバーン辺境伯と、ハルトヴィヒ伯爵が羊皮紙のスクロールをテーブルの上に置く。


「それは?」

「グレイ君の解放を求める遠征軍の諸侯達の署名だ。遠征軍のおよそ、八割から得ることができた」

「八……割?」


 アクイドの口から驚愕の言葉が漏れ出てしまう。

 アクイド達、赤鳳旅団せきほうりょだんは噂の愚劣極まりない事件を起こした組織。グレイはその組織をこのサザーランドへ連れて来た最低な貴族。少なくともこのサザーランドの市民はその認識だ。だから、元々、赤鳳旅団せきほうりょだんに良い印象を持たぬ遠征軍の諸侯達からは、もっと否定的な反応をされると思っていたのだ。それが、逆にグレイの解放に署名するなど、おおよそ考えられない。


「理由をお聞きしてもよろしいですか?」


 ジュドの疑問に、ハルトヴィヒ伯爵がさも愉快ゆかいそうに豪快ごうかいに笑う。


「この前の会議の席でグレイ卿に会い、あのへなちょこ共、すっかり、卿にてられてしまいおってな。遠征軍の諸侯の中で、お前達が事件を起こしたと考えているものはまずいまい。ほどなく末端までその意向いこうがいきわたるじゃろうて」


 確かに、アクイドの顔を見知った傭兵や兵士達の視線はいつものあのさげすんだものとは、少し異なっていたようにも思える。


「勝ち馬に乗ろうとする諸侯の第六感といえばいいかのう。何ともたくましいことじゃ」


 真っ白な顎髭あごひげでながら、賢者ジークは呆れたように呟く。


「利益に勝るきずなはない。それが我ら大将の口癖ですし、信じますよ」

「ならば、話は早い。儂らはこの機会を利用し、帝国のうみの一つを排膿しようと思っておる」

「この度アンデッドの襲撃を受けたのは主に地方豪族達。門閥貴族の被害は軽微。ここでこの戦いに勝利すれば、門閥貴族の帝国内での権勢はもはや陛下でもおさえようがなくなる。キュロス公の排除は必須ひっすでしょうな」


 賢者ジークの言葉に、マクバーン辺境伯がうなずきつつも説明を補足する。


「これはいわば怪我の功名よ。この度、キュロス公は商業ギルドという世界最大の怪物を敵に回した。今こそが千載一遇のチャンスだ」


ハルトヴィヒ伯爵の声には耐えられぬほどの歓喜がたっぷりと含有していた。それもそうだろう。勇者ユキヒロを獲得してから、近年の門閥貴族の興隆こうりゅうは目を見張るものがあった。その首魁しゅかいともいえる貴族をつぶせるのだ。成功すれば、門閥貴族の勢力は激減する。少なくとも、勢力分布は、トントンまで持ち直すから。


「今回の件で、商業ギルドはキュロス公にはつかないと?」

「まず間違いなく。それに、それを問う時点で、君らはグレイ・ミラードという男の影響力を真の意味で理解していない」

「貴方なら理解しているとでも?」


 初めてピクッとジュドの眉が跳ね上がる。


「ああ、君達よりはね。同じ組織にいる君達は、いわば彼と同じ非常識予備軍のような存在となってしまっている。無理もないわけだけど」


 ジュドには悪いが、マクバーン辺境伯の言いたいことがアクイドには嫌というほど実感できていた。ジュド達は、長くグレイの非常識に充てられ、かなり感覚がマヒしてしまっているから。


「商業ギルドにも門閥貴族側の商人は多数いるはずですが?」

「それでも、彼らは商人なんだよ。商業ギルドは近年、爆発的に富を増やしている。その一端がグレイ君にあることくらい君なら重々承知しているだろ? 彼らが貴族の地位と金の二択を迫られれば、まず金をとる。違うかい?」

「ええ……そうだと思います」


 あの怪物お子様め、そんなこともしていたのか……グレイが一二歳なのはもはや何かの悪い冗談としか思えない。


「キュロス公め、相手が子供と見て侮ったのだろう。確かに、間違いではないからのぉ」

「私達は、商業ギルドに接触し、グレイ君の無実を証明するべく情報を調査しようと思っている。これは、キュロス公に情報提供者が消される前でなければ意味がない。協力してくれるね?」

「それはもちろんです!」

「それでは具体的な話に入ろう」


 ジュドが身を乗り出し、マクバーン辺境伯が口を開く。

 


 ………………


 聖暦一〇二〇年の現代の歴史学では、このサザーランド・アンデッド襲撃事件こそが、歴史の転換期であると信じる歴史家も多い。

この事件を契機に衰退期に入っていたアーカイブ帝国は息を吹き返し、世界・・覇権へと大きく動き出すことになったのであり、それはある意味正しかろう。

ここで、真なる転換点は、この地方豪族と一商会との会合にこそあったと主張する少数説がある。

この真偽につき、私は人が時代を創るという、使い古された格言を持ち出そう。

グレイという傑出けっしゅつした存在がいなければ、超大国――アーカイブは存在し得なかった。これについては、もはや異論をはさむものはおるまい。

しかし、たった一人の英雄の存在だけで歴史というドラマが動くほど、世界は優しくも甘くもできちゃいない。

彼らの存在があって初めて、グレイは、この未曽有の危機を乗り切ることができた。そう考えるべきなのだ。

だからこそ、あえて私は、この会談が、アーカイブが覇権へと大きく舵をとることになった契機と結論づけることにする。

そう。後世が英雄時代とも称する時代の歯車は、この時ゆっくりと確実に動き出したのである。

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