閑話 希望の光 ゼム
ゼムは、山の民たるラドルの民の暮らす小さな村落で生まれたらしい。らしいというのは、その故郷たる村落は、物心つく前に帝国との
帝国に雇われ、その戦で村を滅ぼした傭兵団は、奇特なことに焼け野原で生き残ったゼムを保護したのだ。
その名もない小さな傭兵団――
ゼムが一八歳になったとき、その温もりは粉々に砕け散る。そして、その破壊の引き金を引いたのは、他ならないゼムだった。
旅団が、流行り病により移転を余儀なくされた小さな村の護衛を引き受け、見回りをしている際、不審な一二、三歳の少年を捕縛する。その少年の独特な身なりは、山の民の民族衣装であり、迷い込んだものと推測された。
ゼムは自分が同じラドルの民であることを伝え、他言無用を誓わせた上で、解放した。
そして、悲劇は起こる。
村を取り囲む圧倒的な人数のラドルの民。養父だった団長達大人は、村人達を逃がすために、
ゼムが自らの失態につき告白したとき、養父たる団長は、¨これはいわば、因果応報。お前は間違ったことは何もしていない。お前は、あいつらの兄貴だろう? ならば、役目を果たせ¨、そんな、ゼムにとって呪いにも等しい言葉を残し、その
ゼムはわからなくなった。少なからず、この事件までは同族たるラドルの民に、一定の愛着はあった。話せば分かり合えるのだと、どこかで信じていたし、あんな盗賊すらもそっぽをむくような
何を憎めばいいのか、わからなくなったゼムだが、まだ、当時幼かった弟や妹達がいた。彼らを養うために、団長の一人息子であるアクイドを新団長として、その生じた疑念を脇に置き、
アクイド達といくつもの武勲を上げていくうちに、
そんな中、あの事件が起きる。
ゼムが放った
ドルト子爵の決断は、マーギュリスの街を放棄し、ただちに、後方の帝国遠征軍と合流すること。そして、マーギュリスの街の民はドルト子爵と家臣の家族以外一切同行は許さない。
要するに、ドルト子爵は、保身のために自らの領民を囮にするつもりなのだ。
正直、ゼムはこの決定につき、大して驚きはしなかった。むしろ、この卑劣極まりない方法に、一定の理解すら示していた。
確かに、自らの領民を見捨てるのは
街の民も馬鹿ではあるまい。素人であっても、多少の抵抗はしよう。しかも、流石に野蛮なラドルの民であっても、マーギュリスの民を皆殺しにではできまい。制圧するにも、それなりの労力が必要なのだ。
そんな
だから、アクイドのした行為がゼムには信じられなかった。
「アクイド、なぜ、ドルト子爵を殴った?」
「当然だろ! 奴は、己の領民を見捨てようとした。しかも、囮にして使い捨てようとしたんだぞ!?」
「アクイド、これは戦争だ。この街にいくつかの仕掛けを施しておけば、大した労力なく、あの蛮族共を殲滅できる。今からでも遅くはない。子爵に謝罪しに行こう。今ならまだ間に合う」
「ゼム、仮にこれが戦争であっても、曲げてはならんものがある。あの豚は、その鉄の掟に平然と唾を吐いた。殺してないだけ、まだ俺は理性的さ」
「わかってるのか? 相手は、帝国の貴族様だぞ!?」
「知ったことか! それにな、ゼム、お前こそ、いつから、山の民を蛮族と呼ぶようになったんだ? お前のくだらん復讐心を満足させるために、団を巻き込むなっ!!」
「――っ!!」
アクイドのこの言葉に、ゼムは一言も言い返すことができなかった。だって、気付いてしまったから。
端からアクイドはこの戦争に参戦することには、反対の立場だった。この戦争に加わることを強固に主張したのは、ゼム自身。多分、ゼムはまったく、許してはいなかったのだろう。
己の良心を踏みにじったあの子供と、優しかった養父を殺したラドルの民を。その復讐を遂げるために、よりにもよって、最も大切なものさえも利用してしまった。
その救いのない自らの愚かさに気づいてしまい、ゼムは反論を述べることができなかった。
結局、ゼム達はマーギュリスを
◇◆◇◆◇◆
あの事件は、第二次ラドルの役と称され、帝国軍の紙一重の勝利で終わる。山の民――ラドルは滅び、帝国へ
あの戦争以降、
そんな傭兵にとって屈辱以外の何物でもない環境も、ゼムにとっては、家族との生活は幸せだったのだ。そんな中、転機が訪れる。不思議な子供が団を尋ねてきたのだ。
その女のような容姿の子供は、グレイ・ミラードを名乗り、あろうことか、帝国を襲ったこの度のアンデッド襲撃事件の私兵として、団を雇いたい。そう提案してきた。
通常ならば、笑い飛ばす冗談にすらならぬ提案だ。なのに、アクイドを始めとする団員全員が、グレイ・ミラードという子供の言葉に引き込まれていた。
グレイが一億Gの大金で
――帝国でも有数の資産を有すること。
――特級のマテリアルである無数の魔導書を有し、それらを団員に与えたこと。
――マクバーン辺境伯達と対等に話せるその胆力と
これらのたった一つでも、断じてただの子供に可能なものではない。
いや、誤魔化しは止めよう。それらは全て、本質ではない。
立ち居振る舞い? カリスマ? はっ! そんな子供騙しで、グレイ・ミラードという男を評価し得るものか。
そう。言葉で形容するのは困難だが、最も適切な言葉は闇。深淵の一筋の光も届かぬ闇が、グレイという小さな少年の身体には内包されていた。
そのとびっきりの狂気性に気付いているのは、マクバーン辺境伯達を含めたごく僅かに過ぎまい。
おおよそ考えられないことだが、グレイは過去にゼムごときが想像することすらできない絶望と怒りの体験をその身に味わったことがある。そんな気がしたのだ。
だからこそ、グレイはアクイドという融通の利かない光を欲したのかもしれない。
アクイドは何人相手でも、自らの信念を絶対に曲げることはない。仮令その先が破滅だったとしても、泣いている者がいれば手を差し伸べる。そんな愚かで温かい奴だから。
グレイという主人を獲得した
そのゼムの予想を証明するかのように、グレイという雇い主の存在により、団員達はゼムが失わせてしまったかつての誇りを、少しずつだが取り戻していく。それがゼムには、飛び上がらんばかりに嬉しかった。
だからこそ、この男にはゼムの持つ決意を伝えねばならない。そう想い、ある宣言をする。
それは、主人たるグレイや家族に不利益になるあらゆる事象をゼムが取り払うこと。たとえ、それがグレイや家族達を裏切ることになったとしても。
その宣言にも、グレイは肯定も否定もせず、ただ頷くだけだった。やはり、この人はゼムがずっと持ち続けてきた苦悩をわかってくれる。このとき、ゼムは最高の主に引き合わせてくれた運命とやらにひたすら感謝していた。
だが、その運命様はまるでゼムを嘲笑うかのように、これほどかというほどの絶望を突きつけてくる。
ロシュが、門閥貴族の首魁たるキュロス公の子息を傷つけたのだ。
血だまりの中、地面に倒れているのは、ラドルの民の男。大方、貴族の遊びで殺されでもしたのだろう。こんなことはこの帝国では日常茶飯事であり、珍しくもない。助けようとしても、逆に捕縛され、一族郎党全て殺される。もちろん、助けようとしたラドルの民もろともだ。それがわかっているからこそ、ゼムは遭遇しても決して助けない。
なのに、ロシュは助けてしまった。ロシュとリアーゼの両親は、前団長である養父が死んだあの逃亡戦で亡くなった。いわば、ラドルの民は親の仇も同然。その件は、ロシュとリアーゼには既に話している。つまり、ロシュは仇の民族を守るためその命を張ったのだ。
その事実は、どうしようもなく嬉しく、同時にとても悲しかった。だってゼムは、グレイや家族を守るため、二人を殺すしかなくなったのだから。
案の定、勇者ユキヒロは、ゼムに二人の処断を求めてきた。奴らの立場なら当然の主張であり、求められるままに、ゼムは愛刀を振り上げる。
何度も振りおろそうとするが、全く手が動かない。掛け声を上げるが同じ。
(できるわけねぇか……)
ゼムがロシュとリアーゼを殺す? そんなこと、天地がひっくり返ってもできやしない。
端からわかりきっていたことだった。
(情けねえ、
ここで、ゼムのちっぽけな命で、グレイと家族を救える可能性はないに等しい。それでも、やらねばならないのだ。
ロシュとリアーゼに、ミラード家の陣まで戻るよう指示を出し、勇者――ユキヒロに切りかかる。聖属性の魔法が使えるといっても、ゼムと勇者では、生物として格が違う。端から結果は見えている。それでも、ゼムはみっともないピエロの役を演じなければならない。
数分の打ち合い後、勇者の剣がゼムの腹部を一閃し、ゆっくり仰向けに地面に倒れる。
「まったく、あの餓鬼に関わる奴はみんな生意気で、ムカつくなぁ」
勇者はそう吐き捨てると、剣を数回振り、
「君らも、やっていいよ」
周囲の複数の兵士が、近づいてくるのが気配でわかる。
(すまない)
そんな小さな泣き声が鼓膜を震わせる。ぎょっとして顔を覗き込むと、剣を振りかぶる兵士達の目尻には涙が浮かんでいた。
(そうか、同じだったんだな)
これ以上、憎まなくて済む。なんだかその事実が、無性に嬉しかった。
どのくらい時間がたったのだろう。既に、痛みも感覚も感じない。視界も真っ白だ。ただ、懐かしい主人の声が鼓膜を震わせていた。
「グレイ……か?」
「ああ」
「そうか、間に合ったか」
グレイがここにいる。それはロシュとリアーゼが保護されたのと同義だ。それを成せる力をこの男は持っている。
「お前のおかげでな」
「俺は死ぬのか?」
もう視界も感覚もないのだ。それは聞くまでもないだろうが。
「ああ、死ぬ」
やはりか。それは残念だ。家族に会えないことはもちろんだが、このグレイという最高の
「そうか……アクイド達を頼む」
この素晴らしき主人ならきっと、アクイド達を正しき道へ導いてくれる。
「わかった。任せろ」
そのグレイの宣言に、あの養父が死んだとき空いた穴がようやく塞がった気がした。
ゼムのあの日の選択が、アクイドと
これは勝手で卑怯な思い込みだ。だが、それでも、あのときラドルの少年を助けたのは、間違いではない。そう素直に思えたのだ。
もう終わりは近い。至高の主のあの不敵な笑みを最後に見たくて、その顔に触れる。
そうか。
だから――。
「らしくねぇ……泣くんじゃねぇよ。お前は……ずっと不敵に……笑ってろ」
――どうか、俺の大切な
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