第39話 お前はずっと不敵に笑ってろ


 妙に重い足を動かし、私は事件現場まで疾駆しっそうしていた。

 変人だが、国王とは思えぬ気取らない皇帝や、少女と大差ない皇女リリノア、機智きちに富むジークや、マクバーン辺境伯に触れ、私はこの帝国の統治者としての貴族というものが存外捨てたものではない。そう思ってしまっていたのかもしれない。

しかし、その認識は大きな過ちだった。

 人は理性と知性を獲得し、獣から進化した。この二つは、人という種にとって、最も重要で掛け替えないもの。それを十数世紀にわたり、停滞、抑圧させてきたのは、上民思考の為政者共だ。幾つもの形態をとり、偶像をすり替え、ちっぽけな自己の保身と富を守るために、数多の科学や人類の遺産をほうむってきた。


「これは私の失態だ」


 人は誤る。その救いようのない誤作動は、時代や文化を超えて歴然として存在し、世界中に不幸をばらまく。私はそれを生前、魂から思い知っていたはずではなかったか?

そうだ。私はこの帝国にはびこる癌を明確に認識していながら、今回の人事につき、ろくに考えもせずに、許可してしまった。

 おまけに、私はロシュ達に回復系の魔法しか渡していない。ロシュ達が攻撃系の魔法を有していれば、少なくともこの下らん茶番から逃れることくらい出来ていたことだろう。

私の致命的なミスによるペナルティーは、私自身ではなく、弱く力もない私の仲間達へと向かう。


(ゼム、はやまるなよ!)


 ゼムは、聖属性の上級魔法のマスタークラスを取得している。しかも、ゼムの戦闘センスはかなりのものだ。たとえ身体能力では大幅に劣るとはいえ、あの似非勇者程度なら、逃げるくらいは可能だろう。

 私が危惧しているのは、そこにはない。あの愚直な馬鹿がこの事件をその責任で終わらせてしまうこと。


(頼むから、全力で抗ってくれ!!)


 ただその一心で走り、私は辿り着く。

そうさ。私はわかっていたはずだった。真に心の底から望んだことは、決まって私の手から滑り落ちてしまうという現実を。

 血だまりの中、いくつもの剣で、全身をつらぬかれ、地面に伏すゼムの姿を認識し、私の最悪の予感が現実のものとなったことを自覚する。


「ぐ……」


 頭に僅かな痛みが走る。その痛みはチクリとする針が刺さるようなものから、巨大なハンマーで、脳みそを直接叩かれたかのようなものに変わっていく。


「ほらほら、少しは抵抗してみせろよ! 雑魚ォ!!」


 恍惚こうこつの表情で、もはや動かなくなったゼムに何度も剣を突き刺す金髪の青年。

 雑魚だと? ゼムは組織の一翼いちよくになうもとしてのけじめを取っただけだ。


「のけ」


 青年の背後に移動すると、後ろ襟首を掴むと、放り投げる。そして、ゼムに駆け寄り、突き刺さる剣を抜き、仰向あおむけにすると、即座に回復魔法を発動する。

 

「か、回復魔法っ!!?」


くだらん餓鬼が喚いていたが、それを無視し、私は幾度となく、【上位回復ハイヒール】をかさけする。


(無理か……)


 傷はふさがったから、まだ生きてはいるのだろう。だが、全く血の気が戻ってはいないし、呼吸も虫の息だ。

 魔法とは奇跡ではなく、ただの現象だ。故に、その限界も当然のごとくあるのだろう。

 誓ってもいい。もう、あと数分、いや、数十秒でゼムは死ぬ。

 ゼムはまぶたを開けて、私を見る。


「グレイ……か?」


 そうか、もう見えないんだな。


「ああ」

「そうか、間に合ったか」

「お前のおかげでな」


満足そうに、うなずくゼム。そして――。


「俺は死ぬのか?」


 そんなことを聞いてきやがった。


「ああ、死ぬ」

「そうか……アクイド達を頼む」

「わかった。任せろ」


 可能な限り力強くそう宣言すると、ゼムは震える右手で私の頬に触れると、にぃと口角を上げて、


「らしくねぇ……泣くんじゃねぇよ。お前は……ずっと不敵に……笑ってろ」


 そう呟き、ゼムの右腕から力が抜け、地面に落ちる。

 人の死で一々、感傷かんしょうひたるほど若くはない。そう信じていた。なのに、この世界に生れ落ちて、初めてともいえるいくつもの激しい感情が、複雑に渦巻うずまき、からみ合い、本来の私を狂わせる。

 

「おい、答えろ! なぜ、お前のような貧相ひんそうな餓鬼が、回復魔法を使える!?」


 うるさい餓鬼だ。今の私にとってお前はまさに道端の石程の価値すらない。

クズ餓鬼に、左手の掌のみを向け、


「《氷の大竜ケートス》」


 氷系の中でも最も単純で使い易い魔法を必要十分な魔力を込めた上で唱える。この程度の虫けらなら、これで十分だ。


「うおっ!?」


 四匹の氷の龍は宙を高速で疾駆し、屑餓鬼ユキヒロへからみつき、その四肢に牙を剥く。


「ぐぎぃ!!」


 痛みで呻くのも一瞬、たちまち、屑餓鬼ユキヒロの四肢は氷結してしまう。

 《氷の大竜ケートス》――上位ハイの氷系魔法であり、正直、大した術ではないが、私が扱うに限って最強といっても過言ではない特性を示す。即ち、この魔法の氷結能力が魔力に比例するという特性だ。私の魔力は、S-。魔法耐久力がC-の奴に防げる道理はない。


「ゼム、少しまってろ。直ぐに、家族の元まで連れて行ってやる」


 その前に、落とし前はつけねばならん。これが正当な報復だと、正論ぶるつもりもない。暴力を暴力で返す以上、私もまた同じ穴のむじな。その自覚はある。

しかし、そもそも、私はガンジーのような相手の良心を信じるような平和思想の人格者でもなければ、他者の行いを非難できるほど清廉潔白せいれんけっぱくな人間でもなかったはず。むしろ真逆。

私に損害を与えた以上、明確にこやつらは、私の排除すべき敵となった。それだけなのだ。


「ぼ、僕の手が! 足がぁ!!」


 鬱陶うっとうしくわめ汚物ユキヒロに、ゆっくりと近づいていく。


「く、来るなよぉ!! ば、化け物ぉ!!」

うるさい口だ」


 小さな《氷の大竜ケートス》を、汚物ユキヒロの口から顎に発動し、噛みつかせる。


「――!!」


まるで、陸に上がり、窒息しそうな魚のように、滑稽こっけいにも狂ったように体をくねらせる汚物ユキヒロに、


「これは、忠告だがね、あまり、暴れんことだな」


適格な助言をしてやる。

もっとも――。


「――!?」


 あっさり、バランスを崩し、地面に転がってしまう。同時に、響き渡るガラスが粉々に砕ける音。


「言わんこっちゃない」


 悲鳴が至るとこで上がり、無様に地面に転がる汚物ユキヒロ。その四肢は根元から砕け、口を含むあご半分は細かな粒子となって消えてしまう。

 顔を涙でぐしゃぐしゃにし、汚物ユキヒロは、私を見上げてくる。


「お前には少し同情する」


 首を動かし、周囲を観察するが、皆、真っ青に血の気が引いた顔で、凍結したかのように、微動だにせず眺めるだけで、制止の声一つ起らない。勇者様、勇者様と称されても、その程度の薄っぺらい関係に過ぎなかったわけか。

私は、地面に転がるゼムの剣を拾うと、ユキヒロの無事な胸部を踏みつけ、その額に剣先を固定する。


「今から、ゆっくりとお前の頭蓋をこの剣で突き刺す。喜べ、それでお前の犯した愚行は、お前のちっぽけな命で手打ちにしてやる」

「――!!!」


 必死でクビを振るユキヒロに、私は額に剣先を埋めていく。

 剣先が皮膚を割き、小さな一本の血の筋が流れる。


「ゆっくり、ゆっくり、頭蓋を割り、脳に食い込み、命を落とす。痛みと痒みの狭間はざまでの死。中々味わえぬ経験であろうよ。精々楽しみ、くがよい」

「――」


 遂に、グルリと白目をくとユキヒロは気絶する。地面にはホカホカとした水たまりが形成されていた。


「破滅的に根性のない奴だな。冗談に決まってるだろうが」


 どうしょうもなく救いようがない。


「私はお前を癒さん。ジーク老の良心でにもすがるのだな」


 剣を地面に深く突き刺すと、尻もちをつき、真っ青な顔で、私を見る金髪の美青年に顔だけを向ける。

 こいつがキュロス公の次期当主――マレク・キュロス。この救いのない茶番を引き起こした元凶げんきょう


「ま、ま、待て! 待ってくれ! お前のその力、素晴らしい! 我がキュロス家に迎え入れても――」


 私はマレク・キュロスまで数歩地面を蹴ることにより、間を詰めるとその口を靴先で塞ぐ。


「これでも、ゼムが死んでいなければ、お前達と対話の用意があったのだぞ?」


 もはや、それは天地がひっくり返っても、ありえない話だがね。


「ぐむごぅ!」

「悪い、何て言っているかわからない」


 マレクの顎を踏み砕いた。


「宣言しよう。これは私のただの自己満足。正当性など微塵もない。なぜなら、本来、これはお前の父の役目なのだから」


 今から私がやろうとしていることは、質の悪い獣に対するしつけ。それ以上でも、以下でもない。その程度の取るにたらない行為に過ぎない。


「マレク、今からお前をしこたま殴る。心配するな。ちゃんと癒してやる。

 だが、それが救いであるとは思わんことだ」


 私はマレクの胸倉をつかむと、右拳を固く握り、殴り始めた。



 私はマレクの全身をくまなく殴り、【上位回復ハイヒール】で癒し、また殴る。それをひたすら繰り返していた。


「そこまでじゃ!!」


 私の右拳による一撃が闇色の杖により、制される。

 眼球だけを動かすと、白服を着た白髪の爺さんが、佇んでいた。


「随分、お早い到着で」

「皮肉をいうではないわ! 無茶しおってからに!」


 ジーク老は、転がっている勇者ユキヒロに一瞬目を見張るが、直ぐに駆け寄ると、回復魔法を展開させ始める。

 そうだ。ジーク老が来た時点で、この無駄極まりない調教も終わり。早く、ゼムをあいつらのもとに連れて行ってやろう。

 その前に――。


 マレク・キュロスの髪を鷲掴みにし、持ち上げて、顔を固定すると、その頬を叩き、無理矢理叩き起こす。


「ひいいいぃぃっ!!」


 意識を覚醒したマレクは、顔を恐怖で歪ませて、泣き叫んだ。


「黙れ」


 軽く数回、頬を叩き、無理矢理黙らせる。


「いいか、私はお前らを絶対に許さん。こんな程度で楽になれると思うな。一生かけて、その行為のケジメを支払わせてやる。あの馬鹿勇者が起きたら、そう伝えておけ」

 

 再度、泡を吹いて気絶するマレクを地面に放り投げ、ゼムの元へ行き、背中に担ぐ。



「帰ろう、ゼム」


 ゼムを抱え、私はミラード領のテントへと足を動した



 サガミ商会の全社員と赤鳳旅団せきほうりょだんの全メンバーをストラヘイムの商館に集め、ゼムの死を説明する。

 今晩だけは皆でゼムの死を悼んでやりたかったが、アンデッド共はもうあと数日に迫っている。あと一日の遅れも許されない。

 ここまでのことをした汚物共は、今も勇ましく吠えることしかしない。少なからず本作戦の遂行が、奴らの虚栄心きょえいしんを守ることにつながると思うと、猛烈に正規軍にアンデッド共の相手をさせたくなる。

 しかし、このサザーランドを死地にできないという点では、やはり、この作戦、途中で放り投げられぬのだ。

 赤鳳旅団せきほうりょだんのメンバーには、今晩の爆薬設置には加わらなくてよいと指示したのだ。そのはずなのだが、全員がその仕事に従事していた。



 次の日の朝、ゼムの葬儀を執り行う。

 この世界では土葬であり、ストラヘイムの高台にある墓地の見晴らしの良い場所の一等地を買い取り、その亡骸なきがらを埋めることにした。

 赤鳳旅団せきほうりょだんのメンバーはもちろん、サテラやカルラ達も皆その死をいたみ、黙祷もくとうしている。

 そんな中――。


「俺のせいだ……俺がゼムの指示を無視して、暴走したから!」


 私の隣のロシュがボソリとそう呟く。その顔には生気が消失し、死人のように青ざめていた。


「そうだ。ロシュ、ゼムの死はお前の行動に起因きいんする」

「グレイ――」


 団員の一人が、反論を口にしようとするが、アクイドに右手で制される。


「だが、きっとそんなお前をゼムは誇らしかったんだと思うよ」


 アクイドやゼム達、赤鳳旅団せきほうりょだん愚直ぐちょくさ加減を鑑みれば、たとえ、ゼムがあの場所にいても、結局結果は変わらなかっただろう。そんな救えないほどの大馬鹿野郎共だからこそ、私は彼らを雇うことにしたのだし。

 そして、ゼムはロシュという新たな芽が育っているのを確認し、自らの死の意味を見つけてしまったのかもしれない。


「嘘だぁ!!」

「それを真にするのか、嘘にするかは、お前次第だ」


 私はそう言い放ち、首のみを動かし、周囲を見渡す。

 皆、泣きはらした顔で、私を見ていた。


「聞け、今日この時をもってお前達は私の家族。その家長たる私の最初の命だ。

 泥水をすすってでもいい。罵声を浴びせられてもいい。情けなくてもいい。ただ――いつも笑顔で、全力で生き抜け!!」


 ゼムの墓に背を向け、私はサザーランドにあるミラード家のテントに転移する。



 ミラード家のテントの前の椅子に腰を掛け、頭にくるほど綺麗な青空を眺めていた。

 仕切り直しが必要だ。

 今まで私は、この世界の文明を発展させることが、真理へ到達への鍵だと考えていた。

 しかし、キュロス公のような利己主義の塊で、無能な貴族共が統治する世で科学を発展させればどうなる? 

 この度以上の悲劇を世界にまき散らすのは目に見えているし、富を独占しようと技術を隠蔽いんぺいしようと考えるはず。

 私が今後好きなように実験をしていくにも、あの無意味で非生産的極まりない貴族共の排除が是非とも必要だ。

 そして、この帝国では、キュロス公を始めとする門閥貴族が絶大な権力を有している。今回の一件のような馬鹿馬鹿しくも情けない惨劇がこの帝国では至る所で起こっている。故に、門閥貴族共を排除すれば、多少はマシにはなるのだろう。

 しかし、それだけだ。数年後か、数十年後かはわからないが、十中八九、キュロス公化する。人間という生き物は、元来、強くも清廉でもないのだ。それを今回の一件で骨の髄まで思い出した。

 だとすれば、どうすればいい?


「いや、止めよう」


 端から答えは出ていたのだ。ただ、その方法は、とても残酷で、あまりにも多くの血が流れるから、無理に選択肢として除外していたに過ぎない。

 だが、血に染まらぬ変革が成功するほど、この世界は優しくできちゃいない。それを今回の件で魂から理解した。

 私がやろうとしているのは、いわば、帝国民に自らその手を血で染めさせること。そこには、正義もなければ、正当性もない。キュロス公達と同じ、外道の所業だ。それでもやらねば、帝国はこれからも、貴族という呪縛から逃れられない。

 

「くはは……傑作だ。私はいつから薄汚い政治屋になった?」


 そんな自問自答をしてみても、もちろん答えなど出やしない。

 だが、やらねばならぬ。それが私の目的達成への道ならば。私は、どんな手段を用(もち)いても、知識の源泉たる真理へ至る。そう誓ったのだから。


「来たか」


 テントに近づく無数の気配に、顔を上げると、いつぞやの悪趣味な衣服のどじょう髭の貴族を先頭に、数十人の兵士が姿を現す。

 

「グレイ・ミラード、なぜこんなバカなことをした?」


 そう尋ねるどじょう髭の男の顔には、困惑と不快感が張り付いていた。


「知りたいか?」


 どじょう髭の男は、瞼を固く閉じると、顔を大きく左右に振る。


「捕縛せよ」


 その命令を契機に、周囲の兵士が、一斉に私に刃を向けて取り囲んだ。


「まだ、子供だ。剣を向けるな」

「し、しかし、ハクロウ男爵、こいつは、あの勇者様を――」

「聞こえなかったのか? 私は剣を向けるなと言ったのだ?」


 額に太い青筋をらせて射殺すような視線を兵士達に向けるどじょう髭の男――ハクロウ。


「意外だな。あんたそんな殊勝しゅしょうな性格してたのか?」

「はっ! どこの世界に、子供が傷つくのを見て喜ぶ大人がいる? それがたとえ、お前のような気色の悪い餓鬼だとしてもだ」

「全くだ」


 私の返答に、不愉快そうに、鼻を鳴らすと、ハクロウ男爵は右手を上げる。


「グレイ・ミラード、貴様をキュロス公の子息――マレク・キュロス殿及び勇者――ユキヒロ・カザマ殿への暴行・傷害容疑で拘束こうそくする」


 こうして私は帝国に身柄を拘束された。

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