第38話 蔓延する狂気の顛末

 赤鳳旅団せきほうりょだんのメンバー――リアーゼは、弟である最年少の団員――ロシュを連れて、あと数日にせまった作戦案の密書みっしょを届けるため、サザーランドの正規軍本陣に向かっていた。


「グレイはマジで、スゲーよ」


 今も興奮気味に叫ぶロシュに、


「うん、結局この戦争を支配しちゃったしさ」


 相槌を打つリアーゼ。

 二人は、姉弟であり、物心ついたときに既に、赤鳳旅団せきほうりょだんにいた。もちろん、幼い頃にこの残酷ざんこくな世に放り出されたのだ。親の顔など覚えちゃいないし、二人にとって、団長であるアクイドが親であり、団員達が家族だった。

 そんなリアーゼ達にとって、様々な戦場を駆け抜け、勝利と名声を得ていく団長達赤鳳旅団せきほうりょだんは誇りそのものであり、憧れそのものだったのだ。

 だからこそ、七年前のあの山の民の襲来以来、評価が一変し、愚劣団と卑下されるのは悲しく、そしてどうしようもなく悔しかった。

 そんな辛い日々も、グレイに雇われたことであっさり、一変してしまう。

 彼は、高額の対価で旅団りょだんを雇い、至高の魔法と噂される聖属性の魔法の魔導書を各団員に与えた。そして帝国史上最大の危機ともいわれるこの度の戦争のかじを取ってさえいるらしい。

グレイの評価が著しく向上したせいだろう。以前なら、歩くだけで侮蔑の対象だったのが、赤鳳旅団せきほうりょだん腕章わんしょうをして歩いても、遠征軍からは、罵声ばせいを浴びせられることはなくなった。

 といっても、歩けば否定的な視線は向けられるし、不快そうに顔を背けられるくらいはする。それでも、少しずつだが、赤鳳旅団せきほうりょだんは、前に進んでいる。それが実感できて、どうしようもなく嬉しかった。



 正規軍のほとんどが門閥貴族のお抱え軍隊。本陣は、北東の高級住宅街にある。

 現在、リアーゼ達がいるほんの目と鼻の先の看板からは、明らかに風景が異なっていた。

 規則正しく整列された煉瓦造れんがつくりの建物に、ゴミ一つ放置されていないストリート。その通りには、幾つもの高級な店が立ち並んでいる。

 ここは世界でも有数の商業都市サザーランド。本来、実力至上主義の商人達の楽園であるが、この北東の高級住宅街だけは、門閥貴族の勢力範囲となっている。この場所に、正規軍の本陣がある。そうサテラちゃんが教えてくれた。


「気を引き締めなさいね」

「言われるまでもないさ!」


 ロシュはゴクッと喉を鳴らす。

 ここから先は、いわば敵地。これはただのお使いではない。重要な作戦資料の運搬を目的とする任務。本来、リアーゼ達、新米が行うべき仕事ではないのだが、皆の役に立ちたくて、アクイド団長に頼み込み、許可してもらったのだ。


「文書渡すだけなら、俺達だけでいけるのにさ」

「駄目よ。団長の条件忘れたの?」


 団長はリアーゼ達が仕事を執行しっこうする条件として、正規軍が駐在ちゅうざいしている特区には、副団長のゼムの到着を待ってから入るよう指示してきた。

 

「わかってるよっ!」


 まったく、子供なんだから。少しはグレイの冷静さを見習って欲しい。



「蛮族の虫けらが、私の時計に水を零すとはどういう了見ですぅっ!!」


 耳障りな濁声だみごえが鼓膜を震わせ、店の扉から一人の黒髪の女性が地面に転がる。

 次いで、小太りの金色の髪をカール状にしたきらびやかな衣服を身に纏った貴族が、顔をヤカンのように紅潮させながら、店の扉から出てくる。


(あ、あいつっ!!?)


 忘れるはずもない。あいつは、赤鳳旅団せきほうりょだんにとって、かたき同然の奴だから。


「あの野郎っ!!」

「押さえなさい!!」


ロシュの右腕を掴み、押さえつける。


「この時計ぃ~、いくらするか知っていますかぁ!? 君達、虫が一度も目にしたこともない金ですよぉ!?」

「申し訳ありません! どうかお許しを!!」


 地面に亀のように丸くなり、謝罪の言葉を述べ続ける女性に、小太りの貴族は罵声を浴びせながら蹴りを入れる。

 奴は、ドルト・マゴッタ子爵。元は、マクバーン辺境伯の寄子よりこだったが、自己の領民を犠牲にして逃げ出そうとして、団長にフルボッコにされた屑野郎。

 そして、あの今も震える黒髪夫妻の容姿は、このアーカイブ帝国民ではない。おそらく、赤鳳旅団せきほうりょだんが苦渋を飲む羽目になったあの事件で、帝国との戦争に敗れ、強制併合された山の民――ラドル人。

 

「姉ちゃん!」

「駄目よ。今、ようやく私達に風が吹いているの。ここで出て行けば、全て水の泡。私達は全てを失うわ」

「で、でも――」


 同じ店員と思しき制服を着た黒髪坊主の男性が、血相を変えて店から飛び出してくると、両手を広げて割って入ってくる。


「妻は、今お腹に赤ちゃんがいるのです。どうかご慈悲を!」

「知ったことではありませんなっ!」


 奥さんの前で土下座する黒髪坊主の男性の顔を思いっきり蹴り上げる。


「私のできることならなんでも致します。ですからどうか、どうかお許しを!」


口から血を流しながらも、黒髪坊主の男性は、再度額を地面にこすりつける。


「いいんじゃな~い。ドルト、彼、何でもするって言ってるし、何より面白そうなゲームになりそうだ」


 薄気味の悪い笑みを張り付かせながらも、壁にもたれかかっていた金髪の女のような顔の少年が、ポケットから金貨を一枚取り出す。


「もちろんですともぉ、マレク坊ちゃま」


 怒りの形相を一転させ、喜色満面きしょくまんめんで、もみ手をするドルト。


「どう、勇者君も一口乗らない?」

「僕は勇者だぞ。そんな低俗ていぞくなこと、するわけないだろ」

「うーん、いけずぅ~」


 金髪の美少年はその美しい顔で、黒髪坊主の男性を見下ろす。その快楽にまみれたどす黒い瞳をみたとき、戦慄せんりつ電光らいこうのように頭に閃く。

 まずい、これ以上ここにいてはならない。いれば、決して見てはならないものを目にする。そんな気がする。


「行こう、ロシュ」

「嫌だ!」


 全く、この子は――! 以前のロシュならきっと、従っていた。それができないのは、きっと、グレイに出会ってしまったから。

あのリアーゼ達のヒーローである団長達は、グレイを生涯賭して仕えるべき主人と認めている。おそらく、グレイが拒絶しない限り、この事件の後も、赤鳳旅団せきほうりょだんは、グレイについていくことになるだろう。

 ――莫大な資産を有し、

 ――多種多様な伝説上の魔導書を持ち、

 ――マクバーン辺境伯や時にはこの国の皇帝さえも対等に会話をすることができる。

まるで御伽噺のような人物が、団長のような歳の離れた父親の様な人物ならば、それは憧れの範疇をこえやしなかった。

 だがグレイは、まだ一二歳。ロシュと同年齢に過ぎない。憧れにするには若すぎる。多分、ロシュは、グレイならばこのような非道を許しはしないと、自分を重ねてしまっているのだと思う。


「このおバカッ!」


 ここでロシュの手を放せば、一生後悔する。それだけは、確信できた。だから、必死にロシュ押さえつける。

 そして――非道な戯れは最悪へ向かって加速する。


「ここに一枚のコインがありますぅ」


 くるくると手の中で金貨を遊ばせながらも、マレクは夫婦の周囲を歩き始める。


「表が出れば君の勝ちだ。奥さんのドルトに対する無礼、許してあげるよ」


 周囲の観客の反応は、貴族区と住民区では対照的だった。

 住民区の通行人は顔を嫌悪と恐怖に染めると、店や建物の中に逃げ込んでいく。対して、貴族区では、興味深そうに笑いながら遠巻とおまきに眺めるだけ。


「もし、裏が出れば?」

「想像にお任せする。あーと、断っておくけど、ゲームを降りるということは、君達の破滅を意味する。いいよねぇ?」


 両手を叩くと、黒髪夫婦は貴族の私兵らしき者達に一斉に取り囲まれる。


「さあさあ、御立合い、御立合い。彼ら夫婦の一世一代の賭けを、とくとご覧あれ! 

皆々様、表ならこの帽子に、裏ならばここに金貨五枚を入れてください」


嬉々ききとして、金貨を入れていく周囲の貴族達。


(く、狂ってる!)


 こいつらは恐怖を遊びか何かと勘違いしている。このアンデッド共に攻められる国家の危機でさえも、他者の悲鳴で快楽を得る。これがどれほど愚かで許しがたいことか、この馬鹿共は理解しているのだろうか?


「イカサマ扱いされるのは御免なんだ。さあ、コインを振りたまえよ」


 マレクは、黒髪坊主の青年の震える右手にコインを握らせる。


「私も暇じゃない。早く投げてくれないかな?」

 

 取り囲む兵士の剣先が、黒髪の女性の首元くびもとてられる。


「うあ……」


 息を荒げながらも、青年はコインをはじく。

 コインは回転しながらも、地面に落ちる。


「ふぁ……や、やったぁ表が出た。私の勝ちだっ!!」

 

 安堵からか、泣いて喜ぶ黒髪の青年の肩を軽く叩くと、


「おめでとぅ~、確かに君の勝ちだ。じゃあねぇ」

 

 青年は腰から短剣を抜くと黒髪の青年の喉を一突きにする。

 まき散らされる血だまりと、ゆっくり倒れる黒髪坊主の青年。

 頭が上手く働かない。だって、そうだろう? ただ、貴族の時計を汚した。たったそれだけで、人一人死んだのだ。訳が分からない。


「あな……た? あなたぁっ!!」


 泣きながらも、屍を揺らす、黒髪の女性に、同情や憐憫の視線は一切向けられず、大半の見物人が本来の目的地へ向けて足を踏み出し、賭けに勝ったものは金貨を受け取り、意気揚々と帰路に着く。


「あーあ、蛮族の汚い血で汚れちゃったよ。これはもう廃棄かな」


無造作に、ナイフを地面に投げ捨てると、高級料理屋の扉へと踵を返す。


「余興も終わったし、また、飲みなおそう」

「ああ」


 勇者と呼ばれた青年も大きな欠伸をしつつも、頷き、店に入ろうとするが、


「よくもぉ!!」


 黒髪坊主の青年が腰にしていた短剣を抜き去ると、黒髪の女性は小刻みに震える手で、剣先をマレクに向けて突進する。


「うぉ?」


 女性のナイフは側近の兵士に止められたが、マレクはつんのめって顔から地面にダイブする。


「痛ぇ、このクソ売女がっ! せっかく許してやろうと思ったのによぉ!」


 女性の顔を蹴り上げる。女性は数メートル吹き飛ばされピクリとも動かなくなってしまった。


「どけよっ!」


マレクは据わりきった目でギロッと周囲を人睨みすると、兵士達を始め周囲の貴族達も数歩後退する。


「ああ、家畜が人間様に逆らいやがってっ!」


短剣を片手に女性に近づいていく。

 

「ロシュっ!」


 リアーゼの口から悲鳴が漏れる。それもそうだ。ロシュが、リアーゼの拘束を振り払い、短剣の鞘を持ち、マレク目掛けて疾走していたのだから。


「死ねっ!」


 憎悪ぞうおに満ちた顔で、黒髪の女性に短剣を振り下ろそうとしているマレクの右腕に、ロシュの短剣の鞘が渾身の力で振り下ろされていた。


「ぐぎゃぁぁー!!!」


 短剣の鞘により、見事に折れ曲がった右腕を押さえて、泣きながらも、地面をのた打ち回るマレク。

 遂にやってしまった。どんな理由があるにせよ、貴族を傷つけたのだ。ただでは済むまい。


「逃げるわよ!」


 リアーゼも近づくと女性をかつぐとロシュをうながす。


「わかってるよっ!」


 この狂った横暴おうぼうさ加減を見ても相手は門閥貴族。ロシュの馬鹿は、その最悪ともいえる相手にきばをむいたのだ。


(でも、どこに逃げよう!?)


もう団にも戻れない。戻れば、十中八九、団とグレイは破滅するから。

 泣きべそをかきたい気持ちを必死で押さえつけ、疾走しようとする。

 しかし――。


「逃げられないさ」


 腹部に衝撃が生じ、景色が地面と空を数回移り変わる。

 女性を抱えながら、バラバラになりそうな全身に鞭打ち、立ち上がると、眼前には、勇者と呼ばれた青年が立っていた。


「君らはキュロス公の長男に手を上げたんだ。ただでは死ねないさ」


 勇者のその真っ黒な瞳に射貫かれただけで、全身が小刻みに震えるのを自覚する。


「お前ら、何ボーっとしている? 早く仕事しろよ?」

「「「はっ!!」」」


 勇者の言葉に、兵士達に一瞬でリアーゼ達は制圧されてしまった。

そして、勇者はマレクに近づくと、折れた右腕に触れると、詠唱を開始する。


「――癒したまえ」


勇者の長い詠唱が終了し、魔法陣が浮かび上がると、マレクの全身が青白い光で包まれ、忽ち傷が癒えていく。

勇者の奇跡の力により、感嘆の声が至る所から上がる。

もっとも、リアーゼとロシュが、唯一与えられたのは、あの手の回復系の魔導書だったから、まったく感慨を覚えなかったわけだが。


「このクソ野郎がぁ!!」


 右腕の痛みが消失すると、みっともなく泣き喚いていたマレクは、自身の涙を拭いもせず、ロシュに近づくと、腹を蹴り上げる。


「父上にぶたれたこともないこの僕にぃ!!」

「へっ! だから、そんな根暗になったんじゃねぇの?」


 ロシュは、痛みに顔歪めながらも、あきれ果てたように、そう言葉を絞り出す。


「貴様らだけは、ぜ~~~たいに許さんっ!! ただでは殺さんぞ。一族郎党、一匹一匹、ありとあらゆる苦痛を与えて殺してやる!!」

「恐れながら、そやつらは、赤鳳旅団せきほうりょだん。悪逆非道の傭兵風情でございます!!」


 ドルトが跪き、マレクに進言する。


赤鳳旅団せきほうりょだん? あのいけ好かない餓鬼の兵隊か」


 勇者が醜悪な笑みを浮かべ、そう呟く。


「餓鬼!? ユキヒロ、知ってるのか!?」

「ああ、それは――」

「俺がそいつらの保護者だ!!」


 喚声かんせいが響き、勇者の言葉をさえぎり、スキンヘッドの男がリアーゼ達に向かって歩いてくる。


「「ゼムッ!」」

「ゼムゥ、この裏切り者がぁ、貴様、どの面下げてほざくっ!!」


 ドルトがひたいに太い青筋を浮かべながらも、激高げきこうするが、


「ウザイ。少し、黙ってろ!」

「ぼ、ぼうじわけありばじぇん(申し訳ありません)」


マレクに裏拳を食らわせられ蹲り、謝罪する。


「お前らもそいつらを放せよ」

「し、しかし……」

「心配しなくても、妙な動きをしたら、僕が責任をもって殺すさ」


 勇者がそう言い放つと、ロシュとリアーゼから兵士達が離れる。


「そいつら、お前と同じ赤鳳旅団せきほうりょだんなんだろう?」

「そうだ」


 美しいはずの勇者の快楽に歪んだその顔は、吐き気がするほど醜かった。


「その餓鬼、キュロス公の次期当主たるマレク・キュロスを傷つけたんだ。落とし前は付けるべきだとは思わないか?」

「何が望みだ?」

「その小僧と小娘を殺せ。そうしたら、僕がおとがめなしにするようキュロス公にかけあってもいい」

「ユキヒロ、お前――」

「マレク、僕に任せろ」


 勇者ユキヒロはマレクを見もせずに、反論を防ぐ。マレクは、舌打ちをすると、怒りの形相で、近くのたるを蹴り上げる。


「断ったら?」

「あのグレイとかいうクソ生意気なお前の雇い主は、マレク・キュロスへの傷害の罪で、捕縛される。無論、実行犯であるお前の赤鳳旅団せきほうりょだんも全て死罪だ」


 ゼムは、ロシュとリアーゼを見下ろしてきた。

 リアーゼ達を見るゼムの瞳の中には、いつもの温かみのようなものが一切欠如していた。


「ロシュ、お前、どうして俺の到着を待てなかった?」

「俺は間違ったことは一切していない!」

「覚悟はできている。そう理解していいのか?」

「ああ!」


 ロシュは、そう言い放ち、胡坐あぐらをかくと、両腕を組み、まぶたを閉じる。

 ロシュのしたことは、門閥貴族が絶対的権勢を有するこの帝国では、何人でも決して許されないこと。しかも、相手は門閥貴族中でも一二を争う権勢を有するキュロス公の次期当主。いかなる理由があるにせよ、処罰を受けるのは間違いない。

 ゼムが処罰しなければ、間違いなく赤鳳旅団せきほうりょだん処断しょだんされる。それだけではない。十中八九、リアーゼ達が恩のあるグレイも、叩き潰される。

 ロシュの覚悟は何ら間違ってはいない。だから、リアーゼもロシュにならい、地面に正座をする。


「悪いな。団とグレイのためだ」


 ゼムは腰から剣を抜き放ち、上段に構える。

 剣を握るゼムの両手が震えているのが視界に入る。

わかっている。ゼムはリアーゼ達にとって、親であり、兄。そして、それはゼムにとっても同様なのだ。


「ゼム、私達は大丈夫だよ。でも、できれば私からやって」


 精一杯力強く、そう言葉にし、瞼をきつく閉じる。卑怯だけど、ゼムロシュを殺すところだけは絶対に見たくはないから。


「うおおおぉぉぉっ!!」


 ゼムが獣のような唸り声を挙げ、鼓膜を振るわせる。

 しかし、一行に来る気配のない痛みに、恐る恐る瞼を開けると、剣先はリアーゼの鼻先で止まっていた。


「すまん。グレイ、やっぱ、俺にはできねぇわ」


 そう叫ぶと、剣を下げると、勇者に向き直る。


「この餓鬼共の保護者は俺だ。こいつらの責任は全て俺が負う」

「悪いけど、足りないね」


ユキヒロが微笑を浮かべつつも、肩を竦めて見せる。


「どうしてもか?」

「どうしてもさ」

「なら、仕方ないな」


 ゼムは不適な笑みを浮かべつつも、ロシュとリアーゼに手話で合図を送ってくる。


《ミラード家の陣まで戻れ!》


 刹那、ゼムがユキヒロ目掛けて疾走し、その剣を脳天目掛けて打ち下ろす。

ユキヒロが、腰の青白い光を放つ長剣を抜き放ち、ゼムの長剣を易々と受け流す。

煌めく斬撃と剣戟の音を契機に、


「ロシュ!」


リアーゼは今も茫然としているロシュに駆け寄り、その頬を叩くと、


「逃げるわよ」


 そう叫び、周囲を見渡す。

ミラード家のテントがある南北に伸びる中央区のメインストリートの南側は、リアーゼ達を取り囲むように、今も兵士達が立ちふさがっている。反対方向で、厳しいけど、今はこの中央区を突っ切り一度、北側にまで抜けるべきだ。


「逃がすなっ!!」


 マレクの怒号にも似た指示が飛び、倒れている女性を背負い、リアーゼ達も渾身こんしんの力で走り出す。

 


 リアーゼとロシュは、我武者羅がむしゃらに足を動かしていた。後方から兵士達の多数の気配けはいが迫るのを感じる。

 リアーゼ達は、しょせんは子供、しかも女性を背負っているのだ。身体能力は圧倒的に相手が上。次第に詰められているのは間違いなく、捕縛されるのも時間の問題だろう。

 突如、右足に激痛が走り、もんどり打って地面に倒れる。激痛のする先に視線を移すと、右足の脹脛ふくらはぎには、矢が深々と刺さっていた。


「姉ちゃん!」

「逃げなさいっ!!」


 リアーゼが叫ぶと、屈強な兵士により、地面に押さえつけられる。


「姉ちゃんを放せっ!」

「このクソガキ!」


 兵士に蹴られ、ボールのように転がるロシュの姿が視界に入る。


「面倒だ。両手、両足、切断しておけ。死んだら死んだでそれでいい」


 部隊長らしき髭面の男がそんな、おぞましいことを口にすると、兵士の一人が、ロシュの前まで行くと、長剣を抜き、振りかぶる。

 ほんの数十分前にはあれほど輝いて見えた風景は、今や真っ赤な血と死で溢れている。

なぜ、こんなことになってしまったのだろう? ロシュがあのマレクとかいう貴族を傷つけたから?

 いや、ロシュはマレクとかいうクサレ貴族の手から、あの女性を助けようとしただけだ。何も悪いことなどしていない。それだけは、今でも自信をもって言える。


(誰でもいい。助けてよ!)


 他力本願たりきほんがんでは、なにも成せない、誰も救えない。だって、世界はリアーゼ達にとてつもなく残酷ざんこくに出来ているから。

 だけど――こんな理不尽な理由で、苦楽を共にしてきた大切な弟達家族が傷つくのだけはやっぱり許せない。

 

 そんなリアーゼの願いを嘲笑うかのように、兵士の剣はロシュに振り下ろされ――。


「なっ!?」


 一人の少年の指で軽々と掴み取られる。


「お前、私の部下に何をしている?」

 

 火のような怒りの色を顔に漲らせ、グレイは兵士の長剣を人差し指と親指でへし折ってしまう。


「ば、化け――」


 その声は最後まで発することは叶わず、兵士は道を一直線に何度もバウンドしながら、吹き飛ばされる。

遥か遠方で、ピクピクと全身を痙攣させている兵士を怯えた魚のように目と口をぱちぱちさせながらも、眺める兵士達。


「き、貴様、我らはキュロス公の――」


 まさに瞬きをする間、グレイは部隊長らしき髭面の男の懐に存在した。


「死にたくなくば、歯を食いしばるがいい」

「ひっ!!」


 グレイの右回し蹴りにより、部隊長らしき髭面の男の身体はくの字に折れ曲がり、建物の壁に叩きつけられ、白目をむいたまま、うつぶせに倒れ込む。


「さて」


 グレイがその真っ赤に発色した瞳で、グルリと見渡すと、兵士達は悲鳴を上げ、武器を地面に放り投げて、蹲り震えだす。


「リアーゼ、ロシュ、説明しろ! これはどういうことだ? ゼムはどうした?」


 グレイの隣にいたアクイド団長が、焦燥たっぷりの声で、リアーゼ達にそう尋ねてくる。


「ゼムが、ユキヒロとかいう勇者と戦ってるんだ! このままじゃ、きっと殺される! 早く助けてよ!」


 グレイは、リアーゼの矢を抜くと一瞬で回復魔法により傷を癒す。そして、今も半泣きで喚くロシュに近づくとその両肩をつかみ、


「もう心配いらない。落ち着くのだ。あったことを簡潔に説明せよ」

「うん」


 震え声で何度も頷くと、ロシュはたどたどしくも説明を始める。



「そうか……事情は粗方あらかた、理解した」


 ロシュの取り留めのない話をグレイは黙って聞いていたが、大きく頷き、


「お前は何も間違っちゃいない。私はお前を誇りに思うよ。よくやったな」


 ロシュの頭を優しく撫でる。


「お、俺っー!」


 必死で抑え込んでいたものが、遂に決壊したのか、泣き崩れるロシュ。グレイは僅かな間、ロシュの背中を叩き、その後頭部を撫でていたが、立ち上がり、アクイドに向き直る。


「アクイド、お前は全員を商館へ移動させろ。この街のミラード家のテントには誰も残さんでいい。仮に実力行使に出てきたら、全力で抗ってもらって構わない」

「それはいいが、グレイ、お前は?」

「私は、キュロス陣営と話をつけてくる」

「それは、危険だっ!」

「危険? それは――奴ら次第だな」


そのぞっと背筋が凍りつくような言葉を最後に、グレイはリアーゼ達に右手をかざす。

前方の景色がぐにゃりと曲がり、散々見慣れたストラヘイムのサガミ商会の商館へと変わる。


「団長、グレイは!? ゼムは!?」


 気が動転しているのだろう。泣きながらも、アクイドにしがみ付くロシュに周囲のサガミ商会の職員達も眉を顰めて、近づいてくる。

 無理もない。ロシュにとっては、自分の行いの結果で大切な家族と最も尊敬していた人を失うかもしれないのだから。


「グレイも言ってたろ。お前は何も悪くない。悪いのはこの狂った国と俺達大人の方だ。

 だから、今はゆっくり眠れ」

「団――」


 リアーゼが言葉を紡ごうとしたそのとき、強烈な睡魔が遅い、意識は真っ白に染め上げられた。

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