閑話 時代が生んだ怪物 セバスチャン

 このミラード領は、アーカイブ帝国の中で一二を争う貧しい領地。領地自体は他と比較し、約二倍近くあり、広大だが、土地が痩せており、収穫量が低く、気候が変動するとライ麦は取れず、直ぐに飢えてしまう。

 セバスチャンは、そんな貧困ひんこんあえぐ領地を治めるミラード家に代々仕える家臣の家に生まれた。

 幼い頃も確かに貧しかったが、それでも先代の領主様は、領民のために身をけずり、決して贅沢ぜいたくなどしなかった。それは、息子の現当主様に受けがれている。そう信じていた。

 しかし、南方の男爵家から当主様がよめむかえ、領民の生活は激変げきへんした。より正確にいえば、先代の当主様がお亡くなりになった途端、あの女狐は正体を現したのだ。

 当主様に迫り、税をピンハネし、贅沢三昧ぜいたくざんまいの生活を送るようになる。それからが地獄だった。

 僅かに残ったたくわえを吐き出さされれば、飢えるしかない。既に、ミラージュ以外の村では、餓死者もちらほら耳にする。なのに、当主様はまるで動こうとしない。

 聡明そうめいであった長男のトーマス様は、魔力が通常より低いという実にくだらない理由で、次期当主から排除はいじょされ、地方都市の役人に収まってしまった。

 次男のクリフ坊ちゃんは、確かに魔力も強く魔法の才能もある。しかし、領主となるには、決定的に、他者を思いやる気持ちに欠けている。それもあの女の教育によるものであり、あわれみを感じはするが、あるじにしたいとは夢にも思わない。

 対して、アクアお嬢様は、逆にトーマス様以上に賢く、正義感が強い。あの曲がらない気質は前当主様の血筋ちすじ彷彿ほうふつとさせる。

 だが、いかんせん。帝国の家督継承かとくけいしょうの基準は男性のみ。その貴族家の子供が女性だけの場合、他の領地から男性の貴族を婿養子むこようしにするのが通例だ。そして、アクアお嬢様は、次女。長女には、リンダお嬢様がおり、家督相続の順位はさらに低くなる。リンダお嬢様は、あの女狐の行為を盲目的もうもくてきに信じている。仮に、クリフ坊ちゃんが、何らかの理由で継承権をはく奪されたとしても、リンダお嬢様の婿養子がこのミラード家を継ぐことになるだろう。そして、リンダお嬢様の婿養子には、あの女狐が介入するのは目に見えている。あの女が選んだ貴族が適切に領地経営を行うなどまず、考えられない。

 このミラード領は、良くも悪くも考えが保守的ほしゅてきなのだ。

 他の名主達は、きっと男で魔法の才能があるという理由だけで、クリフ坊ちゃんを支持する。仮令たとえ、クリフ坊ちゃんが、最低最悪のあの女の傀儡くぐつだと知っていたとしても。

 セバスチャンが諦めかけていたとき、絶望しかないこのミラード家に一筋の光明が差し込む。

 それが、グレイ・ミラード様。当主様が、マグワイアー子爵の御令嬢ごれいじょうに産ませた子。そして、マグワイアー子爵の母の元、愛情たっぷりに育てられたが、教会の行う魔力検査で最低値を記録してしまい、家督争いで頭を抱えていたマグワイアー子爵家は、これ幸いと、無理矢理母からグレイ様を引き離し、このミラード家の子となった。

 グレイ様は、あの女やクリフ坊ちゃん、リンダお嬢様に虐められ、いつも、泣いてばかりいた。それが変わったのは、グレイ様の初めての家出からだ。

 あれから、グレイ様はお変わりになられた。あの女の嫌がらせなど、ものともしなくなり、使用人達へ手を差し伸べてくださるようになる。

 使用人達は、当初、グレイ様に関わることによるあの女やクリフ坊ちゃん達の嫌がらせを恐れて、近づかなかった。特にこの屋敷にいる使用人は、家が貧しく、仕送りにより生活が成り立っている家も多い。だから、あの女ににらまれるわけにはいかなかったのだ。

 だが、それもあの女やリンダお嬢様の虐めから、グレイ様に助けられて、美味しい料理をご馳走ちそうしてもらい、次第に変化していった。今や、セバスチャンを含めたこの屋敷の全使用人はグレイ様を信頼している。特にダムは、もはや、グレイ様の信者といっても差し支えない。

 明らかに、人間性はこのミラード家のお子様方の中では別格だ。だが、人間性だけでは、この腐りきったミラード領を変えることはできない。少なくとも前当主様と同格以上の才覚さいかくが必要なのだ。だから、その本質を見抜みぬくべくセバスチャンはグレイ様を観察し続けた。

 結果驚くべきことが判明する。

 一つは、グレイ様の身体能力は我ら大人をはるかに凌駕りょうがしていること。水のたっぷり入った桶を片腕で軽々持ち上げるのだ。明らかに八歳の子供とは思えぬ膂力りょりょくだ。

 二つ、驚いたことにグレイ様は魔法を使えるようなのだ。お隠しではあるようだが、野鳥や野兎を、風を操り、捕獲し、血抜きをしているところをミラージュの狩人数人が目撃している。その際にグレイ様は風を何の詠唱もなしに、まるで自分の身体の一部のごとく、操作していたらしい。無詠唱の風操作など、宮廷きゅうていのお抱えの一流魔導士レベル。流石にそれは見間違いか、狩人達が大げさに吹聴ふいちょうしているだけだと思われるが、それでもかなりの魔法の才能を持っているのは間違いないと思われる。

 三つ目が、さざなみていでのストラヘイムの商人とのやり取りの噂。店主とは幼い頃からの旧知きゅうちの仲であり、よく酒を酌み交わす。その彼からもたらされた情報によれば、グレイ様が、ストラヘイムの商人と数百万にも及ぶ取引を行っていたらしい。

 そして、先ほどのグレイ様から領地の農業改革の話を聞き、セバスチャンは自身が大きな思い違いをしていたことに気が付いた。

 ――彼は前当主様と比較対象にすらならない、希望のないこの時代が生んだ怪物なのだと。

 

 グレイ様について、詳しく知っているのは、このミラード領ではセバスチャンだけ。依然として彼が、このミラード家の当主になる確率は限りなく低い。

 もちろんあの女の妨害もあるだろうし、他の名主達への説得もある。さらに、母方のマグワイアー子爵家がグレイ様の才覚を知れば、まず、呼び戻そうと画策かくさくするはず。前途多難ぜんとたなんどころか、ほぼゼロといっても過言かごんではない僅かな可能性。それに掛けるしか、崩壊するミラード領の民を救う手はない。


(やるしかない)


 セバスチャンは、既に折れそうになる気持ちを奮い立たせ、動き出す。

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