6-5

 次だ。部屋を移ると私以外の物音と低い独り言が聞こえた。だが、このターゲットは私の存在に気付いていない。うずくまったまま聞き取れない言葉を並べているだけ。毛布は肩からかけていたので、薄っぺらい枕を掴んで男の目の前に立った。それでも彼の視界に私は存在していない。


 壁際にいたので枕で頭部を壁に押し付けるようにして手早く発砲した。多少手足がバタついたが、発砲と同時に脱力して床に不自然な格好で倒れ込む。


《簡単に死んだな。残るはセロだけだ。あいつは……一筋縄ではいかないぞ。最悪、近付かないで射殺してもいいが、できれば奴に質問の一つや二つを投げかけてみたい》


 なるほど、それは手間がかかりそうだ。私は意を決して二つの部屋を素通りし、端の独房に到着。静電気に触れているかのような拒絶されている感覚があったが、構わず檻の方へ視線を向けた。


 奴はこちらをしっかりと見ていた。いや、正確には見えていないが、私の無機質な気配が気になって仕方がないようだった。気味が悪い男だ。


 私は静かに銃口をセロの頭部に向けて照準を合わせた。恐らく死が迫っていることはわかっていないだろうが、全く動かない視線は全てを見透かしているような気がしてならない。


 あまりにも不気味だったため、クライシスの言葉は彼方へ葬り去られ、返り血のことなど考えもせず発砲した。銃弾は額を貫通し、おびただしい量の血液が壁に吹き付けられたことも確認したが、それでも死亡した事実を求めて近寄り、髪の毛を掴んで顔を拝んでやることにした。


 後頭部は直視することが難しい状態になっていた。頭蓋骨の内側に収まった臓物が破裂して飛び出し、それはもう無様な姿だった。私が欲していた満足感を得るためには十分な光景だったので、半開きの目をした顔を眺めてから手を離し、私は一歩退いた。死体を蹴飛ばす気にはなれなかった。


《おい、俺の言葉を忘れたか? 何をそんなに恐れてるんだ?》


 クライシスからの問いかけに無言を貫く。


 別に大層な理由があったわけではない。ただ単に忌々しいものを目の前にしてそれを本能的に避けただけであって、順序よく説明はできないというよりも言葉にして相手に伝えることが困難だと思う。私が奴を忌避したのは感覚的であったし、人によって感受の仕方も異なる。言ったところで私が求める返答があるとは限らない。


《まあいい。そのまま真っ直ぐ廊下を出て、看守室を通って同じ道を戻って来い。音声は切るが映像はそのままにしておく。気付かれるな、警戒しろ》


 小さなノイズと共にクライシスの声が途絶えた。その時の私の気分は最悪で、たった一瞬のノイズに吐き気を覚えそうだった。


 鉄球でも引きずっているかのような重い足取りで独房を出て、死体が転がる看守室を過ぎ、緊張の糸が切れないうちに来た道を辿る。その道中、私は何をしているのか理解ができなくなっていた。淡々と人を殺して何事もなかったかのように帰路につく。普通の精神の持ち主ならそもそも殺人すら行えないが、精神異常をきたした私達なら、それこそ本物の機械のように命令されるがまま生物の命を奪い去ることができる。何も感じないというよりは何も感じられなくなってしまったという言い方が正解だろう。戦場に滞在する時間が多過ぎたのか、それとも生身を捨てた時点でこうなる運命だったのかわかりもしないが、これについてあまり苦悩することがなくなった辺り、もう救いようがない状態だ。肉体だけでなく心までもが機械化されていく感覚に悲しみはなく、ただただ居場所を失った虚しさだけが募るばかりである。


 真夜中の殺人劇は誰も悲鳴を上げることなく幕を閉じた。地下保存室に帰った私にイーヴィルは「よくやった」とねぎらってきたが、精神的な疲労が大きかった私は「ああ」とだけ返して腰を休めた。濃厚な内容だったにも関わらず瞬く間に過ぎ去っていった時間に私自身が追いつけておらず、状況の整理が完了するまで多少の時間を要した。


「何も深刻に考えることじゃない」クライシスは私の行いを正当化させようとしていた。「奴らがイーヴィルに脅迫したことが間違いだった。手術は任意だろ? 俺達はイーヴィルを守るために殺した。それだけだ」


「頭ではわかっていても――」私はそこまで言いかけたが言葉を呑んだ。「いや、なんでもない」


 「変な奴」とこぼしたクライシスの言葉はしっかりと聞こえていた。私はそれに対して否定する気はなかった。本人でさえおかしいと思える私の思考回路はショートするというよりは、全く別の回路同士が繋がり始めたと表現すべきだ。今日の私は異様なまでに感傷的なことについてイーヴィルやクライシスは全くもって気付いていない。長く喋る機会があれば察することができるとは思うものの、こういう時に限って私は口を開かなくなる。自分の心情の変化を知られたくない気持ちが強く、己の中だけで悶々とし続けたいという願望さえあった。何故こうなったのか、その結論を出したくなかったからだ。理由を知るのが怖かった。


 重大な任務を終えた後、オートマチックをカプセルの冷却装置の隙間の奥に入れて証拠を隠蔽。ボディをくまなく清拭して、会話が始まる様子もなく夜明けの時間を迎えた。もうそろそろ交代する看守が殺人現場を目撃して騒ぎが起きるだろう。人の心を捨てて冷静を保ち、事の終息を待つだけだ。


 出撃のブザーが鳴るまでひたすら黙っていたが、午前九時頃、地下保存室に不穏を運ぶ来訪者が顔を覗かせた。ブリザードでも発生したのかと勘違いするほど空気が凍り付く。


「やってくれたみたいだな」


 怒りを隠す様子もない訪問者。大股で入って来るや否や着席しているイーヴィルの元へ一直線に向かい、義足だろうが構わず右の拳で顔面を殴りつけた。イーヴィルはベンチから転がり落ちるというより吹き飛ばされたと表記した方がいい。ダメージが全快していないボディの装甲はいくらか欠けてしまい、彼は立ち上がることが困難だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る