第六章 離別

6-1

 ベアトリクス博士が利用している第三研究室は一階の研究区。それゆえ研究員の数も多ければ往来も激しい。シニガミが頻繁に出入りしていたら多数の目が何かを不審に思い始めるだろう。迅速かつ手早く用事を済ませてここを立ち去らねば。


 怪しい素振りを見せないよう完璧な機械になりきって廊下を進む。小さくしたつもりだろうが、どんな小声も私達の聴覚はそれを全て拾った。シニガミになって間もなくであれば心無い言葉の数々に酷く憂鬱になっただろうが、人間とシニガミの住む世界が違うとわかれば気にも留めなくなった。例えるなら人間が犬に向かって何故、四足歩行しているのか、自分達と違って気持ち悪いと口にしているようなものだ。


 何もためらうことなくイーヴィルが第三研究室のドアを開ける。私もそれに続き、奥のデスクで分厚い書物に目を通すベアトリクス博士の前に並んで立ち止まった。監視カメラは私達の正面右上に設置されていることは前もって知っていたので、イーヴィルがこのまま彼女にデバイスを渡すとは思えない。どうする気だ?


「何を読んでらっしゃるのです?」


 クライシスから言葉を発さなくていいと言われていたはずなのに、構わずそれを無視したイーヴィルには何か作戦があるのだろうと私は察した。私はただついてきたフリをする。


「科学の進歩について書かれた論文よ。五○年近く前のものね」


「それは興味深い。目を通しても?」


「ええ、もちろん」


 そう言ってベアトリクス博士は開いたままの本をイーヴィルに渡す。それを手にした彼は一ページずつめくって部分的に読み、更に興味を抱いたかのような様子で本を閉じようとした瞬間だった。丁度、監視カメラから陰になったところで手に隠し持っていたデバイスを紙の間に滑り込ませる。デバイスはとても薄く頑丈なので、挟まったところで違和感はない。


「とても面白そうです」


 彼は何事もなかったかのように閉じた書物を博士に返却した。私はこの無難すぎる方法が監視カメラに捉えられていないか気が気ではなかった。


「あら、何か私に用事があって来たのでは?」


「いえ、暇を持て余していたので博士の顔を見に来ただけです。失礼します」


「またいらっしゃい」


 ベアトリクス博士には薄く、ぎこちない笑顔を浮かべて見せたが、踵を返した瞬間にその表情は失われていた。淡々とした足取りで研究室を出て行き、再び地下保存室に戻る。たったこれだけで本当に博士は私達の計画の進行に気付くのか?


 何故かすっきりせず悶々としながらイーヴィルの後を歩いていた時、出動のブザーが全ての邪魔をし始めた。なんてタイミングが悪いんだ。

《エリア五にてジンの反応あり。複数体の可能性。距離二○キロ。至急、Bチームは〈冥門〉に集合し、ただちに現場へ急行してください。繰り返します。エリア五にて――》


「どうやら任務後が勝負になりそうだな」イーヴィルは私の背中を叩く。「行くぞ」


 シニガミが走り出すと廊下がとても騒がしくなる。金属的な硬い足音が廊下中に反響し、けたたましく鳴り響くブザー音に負けずと音を張る。亀のように歩く研究者達は壁に張り付いて道を開け、無関係な顔をして再び自分のペースに戻る。腹立たしい。お前達研究者が忌々しい存在を作り上げたのだから、自分達の手で片付けろと声を大にして怒鳴ってやりたい。自分の尻は自分で拭え、と。


 慌ただしいスタッフ達が待ち受ける〈冥門〉に到着、数秒遅れてクライシスも合流。手早く身支度を進める。防弾コートを羽織り、背中にある六個のジョイントにWMBが装着され、接続者からのエネルギー供給が開始される。それに伴ってボディ深部のデルタ粒子発生器の出力が上昇し、WMBの起動音が高まっていくと同時に劣化ウランの回路を遮断していたロックも解除、L-30から身を守るマスクも着け、〈冥門〉の大きなシャッターが電動で開放される。エネルギーが充填されたWMBが轟音と共に起動を完了。両足の枷が外された途端、私達は戦場に猛スピードで突っ込んで行った。


 日は完全に暮れ、闇が地上に落ち着いていた。輪郭がぼやけた月は地上の汚染が深刻であることを表し、救いようがない状態を冷ややかな月光で照らし出すのは嫌味なのか。誰も慈悲の手を差し伸べてくれないことに嘆くばかりで、人類の過ちに気付こうとしない人々。太陽が昼夜問わず存在し続けてくれるだけ救いだと思える者はいないものか。いいや、存在するわけがない。人類は己の罪さえ自覚していないのだから。


《生命反応を探知。各自確認しろ》


 イーヴィルの無線で私は視界を拡大した。明かりがほぼ皆無なので赤外線に切り替えると、七つの熱反応があった。移動している様子はない。あの形はもしや……。


《散開!》


 その一言で三人は一気にばらけた。地上を滑りながら高速移動する中、暗闇を裂くようにして飛び交う青白いプラズマレーザーの嵐に私達は飛び込んでしまったことに気付く。私は視界の数値の減少を確認しながら両手のブレードを起動した。


 相手は中型でダンゴムシのような山型に膨らむ姿をした〈シュニー〉と呼称されるジンだった。移動速度は恐ろしく遅いが、背中に背負った高火力の三台のレーザー砲が脅威だ。集団で行動することが多く、今回は七体。ということは、常に二一発のプラズマレーザーが発射される計算になる。一人につき七発が常時付きまとい、一瞬でも動きを止めれば集中砲火を受けるだろう。ただ、〈シュニー〉は完全なる遠距離タイプなので近距離特攻が可能な私とイーヴィルで一気に畳みかければ簡単に片付くと思われるが、敵と同じく遠距離タイプのクライシスは苦戦を強いられるに違いない。彼は両腕にブレードは実装されておらず、代わりに両手を銃口に変形させて砲撃するので両者の撃ち合いが見ものかもしれない。クライシスの火力ならば相手のレーザーを撃ち落とすことも可能だ。


《クライシスは援護、オースティンは俺と来い。一体ずつ確実にやるぞ》


《了解、援護に回る》


 クライシスがデルタ砲を発射しながら後方へ下がる中、私はイーヴィルの近くへ移動し、クライシスによって次々と撃ち落とされるプラズマレーザーの火花を浴びながら一体目の破壊に取りかかった。


 WMBによる高速移動で接近し、二人で両脇からブレードを切り込ませる。長さを調節してやれば、双方が放出しているデルタ粒子が結合して一枚の巨大なブレードへと変化する。それはほんの一瞬の現象だが、分厚い装甲に守られた中央のコアを確実に破壊するにはこの方法が有効だった。ただし、デルタ粒子の消費は通常の倍に跳ね上がるため、今後を考えると多用はできない。長い時間をかければ体内で新たなデルタ粒子が生成されるが、ブレードに回せるだけの量が確保できるとは限らない。残量が半分を切った時点で別の作戦に移行した方が賢明だ。


 二体目、三体目、四体目……その頃にはデルタ粒子の残量は予定通り四分の二。戦闘後の更なる襲撃に備えるならば別の角度からコアを狙いに行き、エネルギーを温存しなければならない。


「イーヴィル、作戦変更だ。後部のファンをやった方がいい」


《馬鹿を言うな。あんなところに足を突っ込んだら粉々にされるぞ》


「だが、連戦を視野に残量を考慮するとそうするしかない。私達がクライシスの代わりになることもできないだろう」


《連戦なんてそう滅多にあるものじゃない。このまま続行だ》


《二人とも待ってくれ》クライシスが口を挟む。《俺達は運が良い、そうだろ? 敵援軍のお出ましだ。早くそっちを片付けてくれ、北の方角より反応あり、高速接近してるぞ!》


《クソ!》


 悪態をついたイーヴィルは両脚のブレードを起動させ、鈍い〈シュニー〉の後方へ回り込み、高速回転するファンに触れる手前でブレードをヒットさせた。劣化ウランによる爆発が起き、砕けたファンから黒煙が上がって攻撃を受けた個体は機能停止する。高火力の裏には高熱を逃がすための仕掛けがあり、換気のためのファンはコアと直結しているのである。弱点が露出しているのは珍しいことだが、一歩間違えればファンのプロペラに足を巻き込まれて木っ端微塵だ。もっとも、個体が少なければこんなリスクの高い手段を取らずに済んだのだが。


 私もイーヴィルに続いて六体目を撃破。だが、爆発音よりも低く唸るような音を聴覚がキャッチした。同時にクライシスが叫ぶ。


《まずい、〈スカイロード〉だ!》


 直後、月光を遮るようにして上空を通過する巨大な物体に私達は絶望を感じずにはいられなかった。思考が停止しかけるが、イーヴィルの怒鳴り声で我に返る。


《全員、撤退用意! エリアから離脱する、行け、行け!》


 もはや〈シュニー〉のことなど構わずに攻撃の手を止めて逃走を図る。通り過ぎて行った巨大な飛行物体は旋回してこちらに戻って来た。腹部の兵器庫を開き、露出した大量のミサイルが視界に入り込んだ。相手を観察している場合ではない、逃げなければ。


 WMBにありったけのエネルギーを送り、できるだけその場を離れようとした。だが、そう簡単にいくはずもない。背を向けた後方で〈スカイロード〉による空爆が開始された。爆音と衝撃波に襲われ、体勢を崩したと察した瞬間にWMBの出力を抑えて滑るように地面に倒れこんだ。

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