5-2
地下保存室は私達三人以外の人物が立ち寄ることはない。必要性がないとして監視カメラも設置されていない絶好の隠れ場所。この場所がなければ私達は今回の計画実行に乗り出せなかっただろう。忌々しい空間が私達が希望を掴む第一歩となる。
早速、クライシスが一台のノート型パソコンを手にし、かなり小型の記録用デバイスを接続してキーボードを打ち始めた。人間では成しえない速度で作業を進めていくが私達にとっては慣れた光景だ。
「自分と接続すればそんな手間をかけなくていいんじゃないか?」
「俺達の脳内プロセッサ―に記録はできない」クライシスは顔を動かすことなく続けた。「任務後のデータ抽出時に発見されるからな。外部端子に記録させた方が利口だ」
「なるほど、確かに」
「さあ、そろそろ侵入だ」
クライシスはそう言うなり自身の首の後ろの接続部のカバーを外し、取り出したケーブルで自分とノート型パソコンを接続。これらに疎い私は何を始める気なのかさっぱりわからなかった。
「今から俺はパソコンのハードディスク内に意識を入れる。数秒ほど動かなくなるだろうが大丈夫だ。三、二、一……」
途端にクライシスの全ての動きが停止した。忙しなくタッピングしていた指もぎこちなく止まり、中途半端に開いた口もそのまま。彼の身体は宿主を失って抜け殻と化している。これはとても危険な行為だった。サイボーグの身体は私達の意識が内部の器官を働かせているので、クライシスの現在は一時的に心臓が止まった状態となっている。空のサイボーグに意識を移す時も機械を使って一定の電気信号を与え、意識の移動、覚醒が確認されるまでその機械は動き続ける。シニガミに意識を失うという事態は存在しないが、それは意識が飛ぶと身体そのものが機能しなくなる。これが睡眠という休息すらも奪われた成れの果てだ。もし生身の肉体でこんなことが起きれば、人間は最初の睡眠であっけなく命を落とすに違いない。
「あったぞ」
長く感じられた八秒間。ハードディスク内から意識を戻したクライシスは何事もなかったかのように作業を再開する。意識を失って身体的ダメージを受けるのは十秒から。あと二秒遅れていたら何かしらの不調を訴え始めるところだった。
「データをデバイスにコピーしながら俺が侵入記録を抹消する……便利な身体だな、全く」
モニターに映し出される増加するゲージとパーセンテージ。余計なデータまで盗み取ったのか、データの移動が中々終わらない。無駄とも思える時間の経過に苛立ちが募ってきた。
「早くしろ。見つかるぞ」
「俺の足跡を全て消しながらの作業だ、多少の時間はかかる」
一分が経過しようとしていた。九八、九九……ようやく終わった。クライシスは終了と同時に相手のパソコンから切断。抜き取ったデータを確認しようとするが、それには予想していた通りロックがかかっていた。だが、シニガミにそんなもの通用しない。何万通りの組み合わせからたった四文字を洗い出すのは簡単だ。スーパーコンピューター以上の処理能力を持つシニガミなら瞬時にデータ内に隠されたパスワードを拾い集めることができる。クライシスの言う通り、使いようによっては便利な身体だ。
ロックが解除され、中のデータを覗いてみると……その顔写真に私は絶句した。
「この男……私が撃った男だ」
「セロ、か」真剣に目を通すイーヴィル。そして、備考に目をつけた。「深淵教……まさかあの関係者が生きていたのか」
「深淵教? 宗教の一つか?」クライシスが問う。
「ああ、一部の信者から絶大な支持を受ける邪教だ。俺の母親が信者だった。深淵とは闇の更に奥深くにある領域だとかで、そこには善悪問わず魂を生命の輪廻に送る〈アディ・ジャック〉という神がいて、それを信仰しているらしい。その兄弟も神として同時に信仰対象だったそうだ。で、これを読むと……セロは次期教祖に選ばれていたみたいだな」
「アディ・ジャックの子孫? 神の一族ってことか? 信じられない」
「非現実的なものが宗教だ」私は言った。「いつかは知らないが、このアディ・ジャックという人物が都合の良いことを並べて唱え、深淵教を立ち上げたのだろう。神の一族なんて空想の肩書きだと思うが、能力数値を見る限り普通の人間とは言えなさそうだ」
シニガミになる前、必ず身体能力テストが実施される。それは全て数値化されて記録されるのだが、上限を百として表したこの結果はほぼ九十以上の高い数値を示していた。カウンセリングによる精神面の数値はやや低めだが、手術を受けるなら許容範囲内だろう。
「残り二人も同じく実験施設の監視対象か……」クライシスは画面をスクロールさせてデータに目を通していく。「だが、数値を見る限りでは危険と判断しにくい。まずはこの二人から始末するのが手っ取り早そうだな」
「実験施設に潜り込むのか? さすがに厳しいぞ」
「早まるな」私の否定的な言葉にクライシスは画面を指さした。「特記事項を見ろ。どうやら明日に実験施設からユイールの独房へそれぞれ移送されるようだ。狙うなら明日しかない」
「急な話だが待つよりマシか」目を細めるイーヴィル。「必ず殺してやる」
「明日の正午より移送が開始されるらしい。任務が入っていようがいまいが、翌日までに始末しなければ奴らはシニガミの身体になってしまう。まずは独房までのルートと警備体制を確認しなければならないな……よし、イーヴィルとオースティンでベアトリクス博士から聞き出してくれないか。ついでにこれも持って行ってほしい」
クライシスがイーヴィルに手渡したのは、ハッキングして盗み取ったデータが保存されている記録用デバイスだった。彼はノート型パソコンの電源を落とし、デバイスを示して言った。
「何も言葉は発しなくていい。その中身を博士に見せたら彼女は状況を理解する。そして、それに答えを記してくれるはずだ。終わったらまたここへ戻って来てくれ」
「やけに用意周到だな。お前らしくない」
「それは俺じゃなくて博士の方さ」私の嫌味に気付かないクライシス。「さ、任務が入る前に急いで帰って来てくれ。監視カメラには気を付けろよ」
「すぐ終わらせる」
受け取った小型デバイスを握り、私とイーヴィルは地下保存室を静かに後にした。その時の私は決して早まることのない機械的な鼓動の高鳴りを感じていた。もはや犯罪者と変わらない思考に染まり始めていることも自覚していたが、道徳や、あるべき人間性を前提に行動していたら私達は流されるまま、絶対的な支配の手から逃れられない。殺人に手を伸ばしても、人間失格だと叫ばれても、こうして抗うしか道はない。私達は本物になる。私達は本物の死神だ。
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