4-2

 最初に向かうべき場所はもう決まっていた。研究者ヒューイの下だ。私達が信頼を置く研究者と言えば彼しかいない。断られるのは承知しているし、それをどうにか説得する覚悟はある。本音を言うのならば馬鹿なことをしでかそうとする私達と関わってほしくない。それは先程も口にしたが、やはり考えても、考えても、結局のところ彼しか思いつかなかったのだ。


 彼の研究室はシニガミの立ち入り禁止区域なので、まずは中庭を当たってみた。しかし、入り口は固く閉ざされている。どうやらL-30を中庭内に放出して実験している最中のようだ。だとすれば、彼は隣のコントロール室にいる。私はそう考えて進行方向を変えた。


 狭いコントロール室に入った途端、L-30で満ちた大きなタンクが視界を占領する。そこから剥き出しのパイプが這い出ていて、壁の上の方から中庭へと続いていた。簡易的な椅子に座って制御装置と睨み合うヒューイの後ろ姿はもう見慣れたものだ。猫背で脂肪がついた背中は初めて出会った頃と何も変わらない。


 私はL-30の注入が終わるまで彼に言葉をかけなかった。ヒューイは集中している時に声をかけられることにすごく腹が立つと言っていたからだ。黙って様子を見守り、L-30がパイプを勢い良く通過していく空気音を聞きながら、彼の大事な作業が無事に終了するのを待ち続けた。


 その間、私は彼の背中を眺めながら考え込んだ。何度も言うが本当はヒューイを巻き込みたくない。それが本心なのは確かだが、長年アルバに居続ける私達をよく知る人物なんてそうそういない。二十代でシニガミとなったイーヴィルに関しては実年齢は既に五十歳を超えている。それ以上の年齢の人物は組織内で探すと限られているし、更にその中で心を許せるのは片手で数えられる程度。何度も私達だけで成し遂げようと考えたが、どんなに大変な努力をしても不可能なことに気付いた。申し訳ない気持ちではあるが、ヒューイには手伝ってもらわなければ。


 しばらくもすればパイプの空気音とタンクの騒音が止んだ。体勢を崩して中庭内のL-30の濃度を表すメーターに目をやる。そこで私が一歩を踏み出した。


 最初の足音でヒューイは気配に気付き、こちらへ顔を向けた。気配の正体が私であると確認すると、すぐにメーターへ視線を戻してしまう。


「イーヴィルの件はどうなったんだ?」


「説得は概ね成功したが、あまり良い状況へ向かっていない、と表現した方が適切かもしれないな。そこで相談があるんだが……」


「言ってごらん」


「実はイーヴィルが手術を受けると言い出したのは、ブラッドリーから新人加入の話を受けたからだった。ベアトリクス博士も手を回してくれると言っていたが、それを待っている時間はない。そこで私達は新人が誰なのか突き止めて先手を打つことにした」


「先手?」


「新人をこの手で始末しようと思う」


 それを口にした途端、曇った表情をしたヒューイがこちらに顔を向けた。驚くというよりも、悲しみが見え隠れしている。私がこんなことを言ったことに対して悲しいのかもしれない。


「話を続けてくれ」


「新人を始末できたとしても、もしかしたら誰かにその事実を知られる、または疑いをかけられるかもしれない。そうなった場合、私達はここを出るつもりだ。それには技師や知識を持つ研究者の同行が必要不可欠となってくる。人間が水と食料を必要とするように、私達にもメンテナンスと内部を循環する液体や物質が必要だからな。私達が最も信頼するヒューイ、その時が訪れたら私達と共にアルバを抜けてほしい」


 事情を説明し終えると、ヒューイは難しい顔をして再び私に背を向けた。最初の答えはあまり期待できないかもしれない。だが、少し強引でも彼に話を承諾させなければならなかった。彼に断られてしまったら他に当たる人物はもういない。


 時間の経過はそれほど早く感じられなかった。ヒューイはそのままの姿勢で発言する。


「今まで君達が身を削られる思いで何事にも我慢し続けてきたのは知っている。今回はその選択肢はなかったのかい?」


「最初から浮かぶ答えは一つだった」


「言っておくが、君達は自ら棺桶に足を突っ込もうとしている。新人を殺害したのがシニガミだと漏れたら、それこそアルバが総力を挙げて君達を破壊しようとするだろう。冷凍された生身の肉体も即刻破棄だ。下手をすればそれぞれの家族にも影響が及ぶ。君達がこれからしようとしているものは自己満足でしかないということを理解しているかね?」


「家族には……できるなら実行の前に話をつけておこうと思う。もう一○年近く連絡を取っていないが……」


 変わらない私の態度にヒューイは忠告を諦めたような様子だった。これ以上何を言っても聞かないと察したのか、彼は短い溜め息をついた。


「この話は承諾しよう。息子も連れて行く」


「アランを? 何故?」


「この老いぼれに何か問題が起こった時の後釜だよ」


 私は返事を詰まらせた。ヒューイもいつ何があってもおかしくない年齢であることを突き付けられた瞬間だ。私達シニガミは年を重ねない。だが、彼は生身の人間だ。細胞の老化は常に進むし、病魔がどんな形で襲ってくるか予想もつかない。人の意識を持ちながら、人ではないという実感が胸を強く締め付けるような感覚がした。


「ところで、行く宛てはあるのかね?」


「いいや、何も」


「そうだと思ったよ。人よりもまずはそれを考えるべきだ」


 ヒューイにそう指摘されて私は頭を悩ませる。隠れ家として利用できる場所なんてあるのだろうか? と根本的な疑問がよぎったが、疑問を浮かべるよりもまずは手当たり次第、案を出さなくてはならない。


「昔の企業の建物は残っているだろうか」


「わからん。なんせ私もアラランタの外に出たことはないからね……憶測でしかないが、建物のほとんどはジンの餌になって跡形もないと思う」


 ヒューイの言葉で一切の道を絶たれたような気分になった。しかし、運が良いと言うべきか、私は母親との古い会話を思い出した。


「確か……母が昔、父のことを話していた時の会話で、父が研究を行っていた施設は地下にあると言っていた覚えがある。もしかしたらそこはまだ無傷のまま残っているかもしれない」


「研究者……だって?」


 予想にもしなかった。ヒューイは地下施設のことではなく、父親の話に食い付いてきた。そうだった、私は両親について誰にも語ったことがない。話せば私自身を追い込む結果になると母親から念を押されていたのに……つい口走ってしまった。私は焦りを隠そうとするが、動揺してしまって言葉が上手く出てこなくなった。


「いや、その……とにかく、その地下施設がどこにあるのか、保管されている資料を見直してから――」


「オースティン、君は何を隠しているんだ? 父親が研究者だって? どこの?」


 私のごまかしは通用しなかった。自らの失態で問い詰められ逃げ場を失う。まさかこんな形で明かすことになるなんて思いもよらなかった。この話を聞いたら、もしかしたらヒューイは激怒して私に殴りかかってくるかもしれない。不安で胸が張り裂けそうだ。


「父は……今まで誰にも言っていないんだが、頼むから落ち着いて聞いてほしい。私の父親はバベルストロームの研究者だと母から聞かされた。ジンの開発チームの責任者だと……」


 一言ずつ進めていくうちにヒューイの顔色が変わることに気付き、私は話すことをやめた。怒りが見えているわけではないが、良い顔はしていないのは明確だ。これは当たり前の反応かもしれないと私は自分を納得させて絶望しないように保険をかける。


 バベルストロームは残された人類にとってジン以上の悪であると認識されているのは間違いなかった。金属生命体を生み出した悪の親玉。人間の理解を超え、制御できない生物を何故、安易に作り出してしまったのか。私もそれらに対しては憎悪の感情を抱いている。だが、時代背景を見ればバベルストロームだけがそういった無謀な実験に手を染めていたわけではないとわかってくる。他の大企業も、一歩でも誤ればそれこそジンと同等の兵器を開発してしまっていたかもしれない。ただ今回はそれらが失敗し、バベルストロームの研究が運良く――運悪くと表現した方が正しい気もするが――成功してしまっただけのこと。結果だけに目を向ければバベルストロームこそが悪で間違いないが、そこまでの経緯を含めると、その時代に存在した全ての企業が同罪であると断言できる。ジンはバベルストロームが生み出したのではなく、時代が招いた結果なのだと。


「どうして今まで言わなかったんだ?」


 ヒューイのその言葉にどんな意味が込められているのか、冷静になれない私には察することができなかった。怒っているのか、それとも別の感情が混じっているのか。


「教えてくれれば研究に役立ったかもしれないのに」


 その一言で私が勝手に抱いていた想像は打ち砕かれた。ああ、確かに。研究者の立場として真っ先にそう思うのが普通かもしれない。私はどこまでも一般人の感覚だ。


「母親から決して口外するなと言われ続けていて……」


「ジンの開発者が誰かなんて、私達みたいに専門的に頭を突っ込んでいる人間でなければ全くわからない。世界崩壊からしばらく経った今では企業の名前を出されたってちんぷんかんぷんだ」


「企業名を口にしなくても、親がジンの研究者だと言えば通じるだろう。本人ではなく、私達家族が憎悪の標的にされるのがオチだ」


「街で言えばもちろんそうだろうね。だが、専門家にとってそこは大した問題じゃない。知りたいのは研究内容とジンについての情報だ。言っていることはわかるね?」


 私は頷いた。


「君を責めているわけではないよ、オースティン。ただ専門家としてもう少し早く知りたかったと残念なだけだ。……さて、話を戻そう。バベルストロームが所有する施設が地下にあるんだったね。その地名は聞いているかい?」


「いいや、何も。人里離れた土地、とは聞いているが、全てが荒野になった今では見当もつかないだろうと思う」


「人里離れた土地、ね……アルバのデータベースには以前の地図が保存されてたはず。空気汚染が始まった頃だとは思うが、そこから割り出してみよう。植物達がL-30を完璧に吸収したら作業に移る。察するに、君はまだ話すべき人物がいるんだろう?」


「ああ、ジェドに話を持ち掛けてみようと思う。信頼できる技師は彼しかいない」


「確かに、それは同感だ。さあ、早く行きなさい。ブザーが君達を呼ぶ前に」


 そう促され、私は一安心してコントロール室を後にした。次は〈冥門〉へ歩を進めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る