3-2

「それはヒマワリという品種だよ」


 突然、横から挟まれた声。いつの間にか私達の隣には白い防護服を纏った男の姿があった。彼は研究員のヒューイ。この研究所内でまともな人間で、シニガミである私達をまるで親しい友人のように扱ってくれる。更に彼はこの研究所でシニガミへの差別を撤廃しようと活動していて、年々彼に賛同する人間も増えていると聞いている。だから、ヒューイは私達にとって救世主であり、唯一の友人と言えるのだ。Aチームのシニガミはそれに対して関心がないようだが。


「ヒマワリ……ああ、知っているぞ。夏という季節に咲く花だな?」


「そうだ。この花がたくさん植えられているヒマワリ畑を目指そうと思ってね」


 五○代くらいのヒューイはゆっくり話すが、言葉の一つ一つに芯があった。まるで機械のような他の研究員とは違って、彼にはちゃんとした心がある。最も人間らしいと言えるだろう。


「素晴らしい発想だ」イーヴィルは彼を褒め称えた。「是非、見てみたいものだ」


「それにはやはり外界テストが必要でね。膨大な土地を確保しなければならない」ヒューイは眉間にしわを寄せる。「この中庭はもうほとんど隙間がない。あっても小さな花を数本植えるだけで精いっぱいだ。とはいえ、簡単に外界で土地を作るわけにもいかない。生きているうちに実現するかどうか……」


「あまり悲観するなよ、ヒューおじさん」クライシスが彼の肩に手を置く。「あんたはたった三○年でここまでやったんだ。きっと上手くいくさ」


「ああ、そうだな。私もそう思いたいよ」ヒューイはイーヴィルへ視線を移した。「君達は本当、シニガミとは思えない感性を持っている。特にイーヴィル、君は……三○年前と何も変わらない。周囲の人間はどんどん老いていくのに、君達は……」


「ヒューイ、やめてくれ」イーヴィルは彼の言葉を遮った。「俺達は望んでこの道を選んだ。本来ならこの感性も捨てなければならない。なりそこないだ」


 そう言うイーヴィルに対し、ヒューイは首を横に振る。


「人間の意識が完璧に機械と同等になるなんてありえない。そもそも、人間の意識を使用したこと自体間違っているんだよ。最初から人工知能を搭載すればよかったものの……開発者達は身勝手極まりない」


「だが、Aチームは……」私は強い劣等感を抱いた。「上層部が理想とするシニガミになって見せた。だから私達も相当な努力を重ねれば感情や自我を捨てることが可能だ。それをあえてやろうとしない私達に罪はある。けれどもし、その努力を始めたら……何かが崩壊しそうな気がする。人間としての根本的な何かが」


「俺もだ」クライシスが私に同意する。「Aチームの奴らを見ていると、ああいう風にはなりたくないって思う。命令に忠実な操り人形のような、抜け殻のような……気味が悪い」


 すると、イーヴィルは溜め息のような音を出した。機械が溜め息を吐くなんて、今では慣れてしまったが不思議なことだろう。


 簡単に説明すると、私達サイボーグは空気を取り込み、それらがいわゆる人間の心臓と似たような器官に取り込まれ、潤滑油やデルタ粒子などを全身に送り出すことに利用される。もちろん、空気がなくても私達に問題は起こらないが、強いて挙げるなら動きが多少鈍くなるということくらいか。気道に汚染物質をろ過する三重のフィルターがあり、空気中にどんな有害物質が溶け込んでいても影響を受けない。ただ、外界に蔓延するL-30の濃度は恐ろしく高いため、さすがに任務に出る時はろ過機能を向上させるためにガスマスクを装着する。酸素や二酸化炭素、どんなものでも構わないが、L-30だけは機械である私達にも害を及ぼしてしまうため、フィルターの改良が何度行われたか忘れてしまうほどだ。


「いいか、俺達の意思は尊重されない」きつい口調でイーヴィルは続ける。「説明を受けただろう? シニガミに人権はない、努力で感情を自ら消滅させ、機械に近付くように、と。必要なら感情を剥奪する手術も受けることができると言われたな。しかし、俺達三人はその提案を蹴った。自力でなんとかできると思った。だろう? Aチームの三人は俺と同期だが、彼らは進んでその手術を受けた。だから彼らに感情がないのは当たり前だ。もはや自我がない……いいや、皆無ではないが、奴らが望む人格に書き換えられてしまったからだ。俺が選択を誤ってから三○年、どうやっても今の感情というものを破壊することは未だにできていない。わかるか? 自力では無理なんだ。上の奴らが俺達を劣った存在として嫌味を言ってくる理由の中には、手術を受ける度胸がないというものも含まれている。手術を受ければ、晴れてエリートの仲間入りだ。優秀になることを選ぶか、劣等感にさいなまれながらも人間らしい部分を守るか、早く決断をすべきだ」


「じゃあ、お前はどうなんだよ」


 唯一、一○代後半で生身を捨てた最年少のクライシスがイーヴィルに食ってかかる。だが、イーヴィルは全く動揺しなかった。


「俺は手術を受けようと思う」


 その衝撃的な発言に驚いてしまって私は言葉が出てこなかったが、その後に湧き上がる感情を代弁するかのようにクライシスはイーヴィルの顔面を殴り飛ばした。彼は尻餅をついたが、その表情は全く変化していない。冷静と真剣な色で立ち上がる。


「俺はもうこんな惨めな思いは――」


「誰に吹き込まれたんだ?」


 察しの良いクライシスはすぐさま口を挟む。


「誰に? これは俺が出した結論だ。誰も関係ない」


「嘘をつくな。今までずっと手術はしないと言い続けていたじゃないか。お前の意思はそんな簡単に変わるのか?」


「放って置いてくれ」


 イーヴィルは言葉を吐き捨て、目を合わせることなく一人で中庭を去って行った。


 険悪な空気だけが残った。クライシスは苛立っているし、ヒューイは溜め息をついて肩を落としている。私はというと、溢れ出る疑問で思考回路が破裂しそうになっていた。


「ブラッドリーに何か言われたか、それともAチームの奴らとの間に何かあったのか……」苛立ちは声にまではっきりと表れていた。「どちらにせよ、イーヴィルは止めるぞ」


「仲間思いの感動物語でも繰り広げるつもりか? もう……勝手にさせればいいじゃないか。手術は個人の自由だ。それを望むのなら私達に止める権利などない」


 私は多すぎる疑問から逃れようと投げやりになっていた。精神を休ませるために中庭に来たというのに新たな問題が発生して余計に神経を使うはめになったし、それによって更に苛立ちが募ってきて、何がなんだか訳がわからない。


「お前はいつもそうだ。任務以外では俺達を仲間と思っていない。外面が良いだけだ」


「やめないか二人とも」ヒューイが割って入る。「こういう時だけ他人の悪い部分をつつくのは弱者がすることだ。君達はそんな愚かではないだろう? だから醜い争いをする前に、イーヴィルを説得しなさい。オースティン、言って良いことと悪いことはよく考えることだ」


 ヒューイの鋭い指摘に私は言葉を詰まらせた。放たれた正論に黙るしかなかった。私ももう子供ではない。しかし、シニガミとなったのは二一歳の時で、人間社会に揉まれることなく金属になったからか、あまり人間関係というものを理解できていない。もちろん学習や成長はしているが、人間的な上下関係や友人関係とは異なる世界にいるため、世間一般とずれた考えを持ってしまっていることを自覚していた。なんというか、私達は我が儘だ。未発達の対人関係を築く能力で争いが絶えず、子供みたいな口論を招くこともしばしばある。私達は他者と関係を持つことが何よりも苦手で、だからといってそれが問題となることはない。私達の存在理由はただ一つ、無駄な努力を重ねて他人と関係を築くことではなくて、ジンを殺すことだ。戦える能力があればいい。ただ、私はそれを否定したい。否定し続けているからこそ、私達は人間的な思考や人格を保っていられる。Aチームのように手術を受けたあかつきには……何かに対して感じることもなくなり、自我さえ失われ、命令されるがまま行動する全く別の人格を受け入れる破目になる。どんなに嫌な思いをしても、どんなに見苦しい言い争いをしようとも、あの手術だけは人間の根本、人間性を容赦なく奪い去ってしまう。

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