第三章 無機質の劣等感
3-1
アルバ統括のブラッドリーから自由行動を言い放たれた私達は、尖った精神を落ち着かせるために中庭へと向かった。
アルバが所有するこの施設『ユイール』では、ほぼ遮断された日光を完璧に再現して、太陽の光がほんの僅かであっても植物がなんの問題もなく成長させる実験を行っている。その舞台となるのがこの広大な中庭だ。人工的な空は朝、昼、晩と自動的に変化し、試験運用中の人工日光が空と連動して光の量を調節しながら植物に降り注ぐ。定期的に雨の日も訪れ、今では死んでしまった自然のサイクルを保っている。時折、外界を汚染しているL-30という害悪な物質を二酸化炭素と共に中庭へ送風し、育成中の改良した植物がどれだけ汚染物質を浄化できるか、というテストも同時に行われていた。
この実験は、人間が再び外界で暮らしたいという強い思いから始まったものだ。外から汚染された土を採取し、そこにL-30を取り込んで分解、栄養に変換できるよう遺伝子を組み替えた様々な植物の苗を植え、水をやり、外界と変わらない温度に設定し、人工日光を与え、数値を確認しながら酸素を送る。ジンの研究と同じくらい重要視され、最初の苗が植えられてから三十年以上が経過しているようだ。実験を開始した当初に比べて中庭はとても充実していて、立派に成長した木が広く根を張り、花が受粉して子孫を残せるようになるまで発展した。残すは外界で実際にその浄化能力や繁殖能力を発揮できるかをテストするのみだった。
しかし、それを実施するには大きな問題がいくつか立ちはだかっていた。
まず一つ目は水の確保が難しいこと。外界ではほぼ全ての自然が消滅しているため、蒸発して雲を作る水分すら残っておらず、雨が地面を濡らすということは皆無だった。水がなければ植物は決して成長できない。どんなに地中の栄養素や温度などが完璧でも、水は必要不可欠だ。
次に金属生命体ジンの存在。基本的に金属にしか興味を示さない奴らだが、最近では人間などの肉を好む個体も出現したというデータがある。さすがに植物を食べようとは思わないかもしれないが、いずれ草食動物のような植物を食糧とする個体も現れるかもしれない。そうなると大切に育てた植物達を無防備に外界へ放り出すわけにはいかない。
三つ目は前の二つをカバーするために考えられた施設の建設案。全面を強化ガラス貼りにし、天井をくり抜いて外界と温度が同等になるように調整。水やりは人の手で行われ、少しずつ範囲を広げていって雲を作ろうという安易な計画だ。強化ガラスでは外から丸見えだと反対意見が挙がり、それならマジックミラーの使用を、という案が出たが、ジンはこちらと同じように赤外線で温度を見分けることができるので無駄だった。それに加えて外界で新たな施設を建設するという自殺行為のようなそれは、もはや根本的な問題だ。恐ろしい数の死者が出るに違いないと異議を唱える者達は口を揃えてそれらを危惧している。
そういうわけで今回の建設案はものの見事に崩壊した。あまりにも危険が多いと判断されたのだ。外界でのテストを見送り、現在は新しい水分確保の方法を模索しているらしい。詳細は聞いていないのでわからないが、研究チームは強引にでも外界テストを行う気のようだ。
中庭はL-30を発生させていない時に限り出入りは自由だった。ただし、生身の人間は万が一残ってしまった汚染物質の影響を避けるため防護服の着用を義務付けられている。中庭の存在するL-30は微々たる量のため私達はガスマスクを必要とせず、消毒室を抜けてそのまま中庭に足を踏み入れた。
ユイールで唯一、心が休まる場所といえばこの中庭だけだった。まだ動物はL-30に適応できず存在していないが、それでも自然を目にするのは精神的にとても良いことだ。四季が失われた土地に対応できるよう植物達は一定の温度で暮らしていける遺伝子を組み込まれ、本来なら異なる季節に開花するはずの花が、この中庭では年がら年中咲き乱れている。いつ訪れても満開を保ち、枯れる前には種を残して散り、再びそこから発芽するというサイクルが常に働いている。その様子を見ていると命の営みを再確認でき、これを感じられている自分はまだ人間としての部分を消失していないと実感できる。全てが機械に侵食されてしまうのは覚悟したとはいえ、やはり恐怖が大きかった。
「花が一種類ほど増えているな」
花への関心が最も高いイーヴィルは、たった一種類増えただけの変化でも見逃さない。彼の遠い先祖が花屋を営んでいたようで、代々その話を受け継いできているせいだ。実家には色あせてぼろぼろになった花の図鑑があったとか。幼少期からそれを読んだり聞いたりして育ったので、シニガミになった今でも彼の花への興味が消えることはない。
「これはなんの花だろう?」
「さあ……黄色くて茶色の大きな目が付いているようだが……」詳しくないが観賞が好きだというクライシスは頭を悩ませていた。
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