3-3
「わかった、わかった。説得しに行こう」
仕方なく折れた、というような態度をしながらも、本心では心配が尽きない私はクライシスと中庭を出てイーヴィルを探し始めた。交信を求めても全く反応がないので無視しているのだろう。ブラッドリーの下を訪れて話をつけようとしているのか、それとも直接シニガミの生みの親であるベアトリクス博士と交渉しようとしているのか……考えた結果、話が進めやすい博士のところだと思い、二階の彼女の研究室へ足を向けた。
途中、数人の研究員とすれ違ったが、私達に目を向ける者はいなかった。むしろ、視線を合わせないよう逸らしているようだ。アルバの研究員でさえシニガミに対し嫌悪感を抱いている辺り、一体、私達はなんのために人間の意識を入れられたのだろうと疑問が尽きない。そんなに忌々しいのなら、最初から人工知能でも利用すればよかったのに。今の科学技術を最大限に活かせば人間よりも遥かに知能が高いものを作れるはずだ。感情剥奪の手術を義務としなかったり、一般公募でシニガミの試験を開催したり、アルバは私達を忌憚として扱いながらも手間をかけすぎだ。彼ら何をしたいのか、全く理解ができない。
無機質な表面が剥き出しになった廊下を進み、第三研究室のドアを開けた。ためらうことなく足を踏み入れると、こちらを振り返ったイーヴィルとデスクで話を聞くベアトリクス博士の姿が。どうやら予想は当たったみたいだ。私達の姿を目にした瞬間に顔を逸らすイーヴィルの反応は、何か後ろめたいことでもありそうだった。その何かは既にわかっているのだが。
「あらあら、結局みんな揃ってしまったねえ」
長い白髪を背中で束ねたベアトリクス博士が苦笑いを浮かべて言った。彼女のほうれい線は上がり、まるで息子達を見守っているような目つきをしている。ベアトリクス博士はシニガミの親であると同時にヒューイの活動に賛同している人物である。彼女は人間らしいシニガミ、と都合の良いものを作ろうとしたが、ブラッドリーの提案がそれを覆し、あの手術を受けざるを得ない状況を作り出した。人間らしいシニガミなんて存在できるはずがないし、ただ中途半端なものと化してしまうだけだ。ブラッドリーの提案が正解なのかはわからない。もっと深く掘り進めると、シニガミを生み出したことについて賛否両論があるだろう。私は当事者だが、どちらの肩も持つ気はない。持ったところで何かが変わるわけではない。
「イーヴィル、考え直してくれないか」クライシスが四の五の言わず切り出した。「手術を受けてどうする? エリートなんてただの仮面なのはお前がよく知っているだろ? あのブラッドリーに跪くなんて、お前のプライドはどうかしてるぞ」
「彼はその話で悩むためにここへ来たのよ」ベアトリクスが口を出す。「本気だからこそ決断を悩む。葛藤は人間らしさの象徴。直前になるほど葛藤は大きくなり、恐怖が強くなる。感情剥奪手術を受けることはそう簡単ではないのよ」
彼女のその一言がイーヴィルを見る目を変えてくれた。まだイーヴィルは完璧な決断を下したわけではなかったようだ。高いプライドが邪魔をして私達には何も相談できなかったのだろうか。確かにベアトリクス博士は母親のような存在だし、三○年も家族と離れていたら彼女はイーヴィルにとって本当の親のようなものなのかもしれない。私もこの身になって十年が経過しているが、あれ以来、実母と顔を合わせたことがない。何をしているのか、そもそも生きているのかすらわからない。実の親とはなんなのか、最近よく悩むようになった。血縁関係がなければ親ではないのか、血縁関係がなくても自分が親だと思えばそうなのか……頭を抱えてしまう。
「イーヴィル、私達に相談してくれてもよかったじゃないか。あんな言い方しなくても」
「すまない。任務前に色々と話を聞かされて、少しパニックだったんだ。冷静じゃなかった」彼は自分を落ち着かせるような口調で続ける。「ブラッドリーから聞かされてな。近々、新人がジェット・ブラック・サイスに加入するようだ。Aチームを五人、Bチームを四人とし、俺をAチームに昇格させて人数を合わせたかったらしい。だが、それには手術を受けることが条件として提示されて迷っていたんだ。新人が手術を受ければ話は変わるが、もし新人がそれを断ったら? 俺が強制的に受けることになる。無理に新人に手術を受けさせるわけにもいかないし、俺が腹をくくらなければいけなかった。そういう運命だと割り切りたかったが……なかなか納得できなくてな」
「答えは出たのか?」
クライシスが問うと、少し俯いた顔は横に振られた。
「全く決心できない。だが、そういう事態に陥った時はブラッドリーに詰められるだろう。奴の権力なら俺の意見を強引に曲げることは容易だし、どのみち俺はそうなるしかないのかもしれない」
ブラッドリーさえいなければ、という言葉が私の脳裏をよぎった。私達には人間をいとも簡単に殺せる力がある。だが、そんなことをすればAチームが私達の抹殺命令を受けるだろうし、そもそもシニガミは人の手によってメンテナンスや劣化ウラン等の補給が行われているので、反逆したとしても長くは続かない。その考えは捨てた方がいいとあっさり結論が出る。
「なら、新人を殺してしまえばいい」
同じことを考えていただろうが、全くの別方向へ思考を巡らせたクライシスの一言は、一瞬で全員を黙らせるのに効果的な内容だった。クライシスはいつも誰も思いつかないような発想をする。それはとても良いことだが、さすがに今回は個性的な考えというもので片付けられない。
「それはブラッドリーやその他の研究員が黙ってないわよ」ベアトリクスは困惑していたが、完全に否定するわけではなさそうだった。「けれど、これ以上シニガミを増やすのもどうかと思うけどねえ……あの人は殺人集団でも作るつもりなのかしら」
「増やすかどうか博士に相談は?」私が聞く。
「ないわ。ここのトップはあの人よ。私はシニガミの親であって、それらの権限はブラッドリーが握っている。彼の前では私は無力でどうしようもないの」
嫌な沈黙が全身にまとわりつくと同時に、クライシスの突飛な提案が頭の中で渦巻いていた。ただそれが引っかかっているだけなのか、既に賛同してしまった証なのか自分自身でもわかっていないが、どんな手段を使ってでもイーヴィルを守りたいという気持ちが強くなる一方で、新人が我らのチームに加入する前……いや、シニガミになる改造を受ける前に始末してしまえば何もなかったことになるのではないだろうか。誰にも気付かれず殺せば、面倒事を嫌うアルバはそれ以上首を突っ込もうとしないだろうし、被験者死亡という形で終わる。しかし、そうなるとアルバは別の人材を探し始める可能性がある。それでは延々と繰り返されるばかりで根本的な解決には至らない。もっと思考を捻らせて負の連鎖を断ち切らなければ。
「そもそも、シニガミを増やす理由はなんだ? 三人でも十分な成果を挙げているのに」
クライシスが素朴な質問をこぼした。私もそれが不思議だった。
「アルバがここを一つの国として支配するためだ」
イーヴィルの言葉は相手に衝撃を与えるに十分すぎていたが、同時に薄々と感じていたものを決定付けるきっかけにもなった。
「アルバは一つの組織であって政府機関ではない。アラランタの支配権もない。アラランタは自由な集落で指導者が不在でもなんとかやってこられたが、そんな中でもシニガミの影響力は多大だ。あの強欲なブラッドリーはそれに目をつけて、アラランタを国として興し、自分達で政治を始めようとしている。そのためにはいずれ国民となる者達を絶対的に支配する武器が必要だ。それがシニガミだ。命令にのみ従う殺戮兵器として名を広められ、ジンの討伐よりも優先的にアラランタの支配の鍵となるシニガミを増やして、国民が抱く恐怖を更に増加させる気だ。求めているのは俺達の成果じゃない、恐怖だ」
殺戮兵器。口にするのは簡単な言葉だが、それは私達は既に怪物の域まできてしまったという現実を容赦なく叩き付けてきた。恐怖政治を行うためのただの脅し道具。ジンの討伐は二の次だって? 冗談じゃない。燃え上がる憤怒は身体の節々に余計な力を入れて強張らせた。
「もう誰を信用していいのかわからない」
私の口から溜め息のように出た一言。絶望が大きくなるばかり。
「イーヴィル、あなたは手術を受けないと言いなさい」
この状況でもベアトリクス博士は希望を捨てていなかった。やる気に満ちて、負けず嫌いな性格が表情に滲み出ている。少し口を閉ざした後、博士は両手を組んだ。
「私が裏で少しだけ手を回してみるわ。その結果次第で今後をどうするか決めましょう」
ベアトリクス博士が何をしようとしているのか予想もつかなかったが、彼女への厚い信頼がそれらを有無を言わさず納得させた。可能性がある方へかけてみようと。
満場一致で博士の考えに今後を託した時だ。嫌で嫌でたまらない、憎たらしい姿がこの研究室を訪れてきた。安心が緊張へと変貌した感覚は実に不愉快なものだった。
三人の漆黒のシニガミは、もはや人間の気配ではない忌々しいものを放っていた。常に無表情で人工皮膚の内側は全く動かされず、私達を見る目だけは偉そうで感情的だった。中央の黒髪の男がAチームを率いるエセルバート。その右にいる少々小柄なブロンドがルシアン。左側に突っ立っている黒い長髪の男が、過去にイーヴィルを再起不能の手前まで暴力を振るったハンニバルだ。彼の姿を目にした途端、イーヴィルの表情が不安げに曇ったので、私とクライシスはイーヴィルを守る盾のように前へ移動した。重たい空気が気管のフィルターに引っかかるような感覚が苛立ちを募らせる。
「お前達に用はない。博士に話があるだけだ」
ゴミに向かって言い捨てるような声のトーンはエセルバートの見下しの証だ。感情剥奪手術とは一体なんだったのか? ベアトリクス博士やブラッドリーらにはごまを擦る都合の良い部分だけは立派に残されているようだ。感情剥奪なんて大層な言葉を使っているが、実際は権力者達に従うよう仕組まれた人格へ変換、というよりも作られた人格を元々の人格に上書きさせられるだけだ。人間らしい道徳や秩序などを無視し、人間関係そのものを否定、仲間を仲間と思わず、捨て駒のように扱う独裁者となんら変わりない。
「用件は何かしら?」
私達の衝突を避けるためかわからないが、博士が立ち上がって自ら忌まわしいシニガミへ近寄った。彼らの意識を自分に向けてしまうのが手っ取り早いと考えたのだろう。
「新しく加入するメンバーのことです。もちろん、彼がうちのチームに入りますよね?」
そう言ってエセルバートは馬鹿を見るような目でイーヴィルに視線をやった。本人は少々俯き加減で絶対に視線を交わそうとしない。当たり前だ、あれだけのことをされたのだから。
「さあ、どうかしら」彼女は話をはぐらかせた。「そもそも新メンバーを迎え入れる話が本当なのか、それすらも確定していない。もしかしたらチームを増やすかもしれないし、成果が不十分なBチームに新メンバーを所属させるかもしれない。どちらにせよ、イーヴィルはAチームに昇格するだけの実力は持っていないわ。あなた達は三人でも素晴らしい戦果を挙げている。Aチームのメンバーを追加するつもりはまだない、とだけ言っておきましょう」
「そうですか」あからさまに残念がるエセルバートだが、どこか誇らしげで満足そうだった。「わかりました。新メンバーは我々には関係ないという解釈でよろしいですね?」
「ええ、きっとね」
「了解です。それでは失礼します」
事務的な会話を終わらせ、彼らは颯爽と研究室を出て行った。甲高い三人分の足音が遠ざかるのを黙って耐えた。
それが完全に消えた時、安堵の波が襲ってきたが、未だイーヴィルの表情は険しいままだ。ベアトリクス博士は長い溜め息をつき、再び椅子で腰を休めた。
「悪かったわね、イーヴィル。あなたのことは評価しているけれど、この場しのぎでこう言うしかなかったのよ。まずは落ち着いて、しっかり頭を整理しなさい」
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