第3話 どうしようもなく呪われた騎士3


「ここから先へは一歩も通さん!!」


 ナシャルは汗だくになったミサランを追い越し、スライムの前に立ちはだかる。

 スライムは特に反応を示さず、草原に茶色い線を描きながら猛然と迫った。表面の泥からは時々、石や木の枝が顔を見せては、内部に沈んでいく。

 ナシャルは両手を大きく広げて、スライムを受け止めるつもりのようだ。人間の走る速度で迫ってくる巨大な汚泥をその身一つで受け止めようという騎士道精神に感動を覚えるが、あまりに無謀すぎる。


 俺は指定された木の下で待機し、走ってきたミサランを持ち上げる。俺は急いで木から離れた。

 ミサランがなんとか太い枝に上り切ったその時、スライムとナシャルが重なろうとしていた。


「来い! 受け止めてや――」


 ナシャルは威圧するように叫んだ。

 そして、ナシャルはスライムに飲み込まれた――と思ったらすぐにスライムは通り過ぎて、その場には泥まみれになったナシャルが立ち尽くしていた。


 一体なにが起こったのか。いや、なにも起こらなかったのだ。スライムを受け止めようとしたナシャルはスライムの内部を通過しただけだ。

 一方のスライムはミサランのいる木の下でその勢いを止めた。


「ナシャル大丈夫?」


 ミサランの呼びかけにナシャルは振り返ると、顔の泥を拭いながら手を上げて無言で答えた。

 騎士としては申し分ない行いだったが、足止めすることはできずに泥まみれという結果に終わり、泥の拭われたナシャルの顔は赤らんでいた。


「よかった、大丈夫そうね。あなたも助けてくれてありがとう!」


 ナシャルに手を振っていたミサランは俺にも手を振っていた。

 ミサランは汗で顔に張り付いた黒髪を手でかき上げて、通気性の悪そうな黒いローブの胸元を前後に動かして、空気を送り込んでいる。


 ミサランの安全が確保できたところで、冷静になってみるとふとおかしな事に気が付いた。何故かスライムはミサランのみを狙い、俺とナシャルには見向きもしない。目があるのかはわからないが。


 というわけで、異世界に来て初めての怪物、スライムをじっくり観察することにした。これは敵の情報を得るという目的で、決して好奇心だとか本物のスライムに興奮しているなどという不埒な考えではない。俺は誰に言い訳してるんだ?


 木の幹を包むようにしているスライムに俺は近づいた。

 近づいても俺には一切興味を示してこない。

 表面はおおむね泥。べっとりと濡れていて、木漏れ日をてらてら跳ね返している。乾き始めているところもあり、そこからは顔をしかめるほどの凝縮された泥の臭いがした。突き出ていた枝を引き抜くと、表面が一瞬プルプルと揺れて、泥が飛び散った。

 このスライムはミサランを諦める様子が全くない。ただミサランの方向に向かっていくのみだ。俺や茫然自失の様子で立ち尽くすかわいそうなナシャルには一切見向きもしなかったところを見るとミサランになにかあるのか、それとも……。


「そんなに近づいて危険じゃないか?」


 いつの間にか俺の隣に来ていたナシャルは恨みを持った目でスライムを見ながら言った。全身に付いた泥は強い日差しでほとんどが崩れて落ちている。


「なぜか俺達には反応しないらしい」

「そうか。それはともかく、もう倒してしまっていいか? スライムの討伐依頼は定期的に出るから今回観察しなくても次があるさ」

「定期的にスライムが出現するのか?」

「ああ。街の外に魔法の演習場があって、決まってそこに現れるんだ。いつもは魔法使い達がすぐに火炎魔法で蒸発させて倒すんだが、今日は人手が足りなくてな」

「お二人とも~、ゆっくり話をしてないで早く燃やしましょうよ~」


 木から降りられないミサランにとっては死活問題なので倒す気満々だ。

 正直に言えばもう少し観察しておきたかったが、仕方がない。


「で、どうやって倒すんだ? 魔法で燃やすのか?」

「ああ、ミサラン頼む」


 振られたミサランは首を横に振った。


「杖が無いから無理よ。逃げてる間にどこかに落としてきたっぽいから探してきてくれない?」


 この世界の魔法の発動には杖が必要なのだろうか。


「杖無しじゃ魔法は使えないのか?」

「狙いが定まらないのと、体中の魔力を効率良く吐き出すのに必要らしい。実力のある魔法使いは杖無しでも魔法を使えるらしいがな」


 ナシャルがそう小声で教えてくれた。ミサランは実力が無いという言葉が本人に聞こえてしまったのか、ミサランは顔を真っ赤にしていた。


「いいわ! 杖無しでもやってやるわよ」


 ミサランは木の枝に必死にしがみつきながらも下にいるスライムに、手をかざし始めた。

 必死に集中しているのか、ミサランは目を閉じて眉間にシワを寄せなにかぶつぶつとつぶやいている。ミサランが一層力を込めると、その手の先に小さな火の粉が舞い始める。異世界に来て初めて見る魔法に俺は釘付けになった。


「やったか!?」


 ところがミサランの炎の魔法が発動することはなかった。

 かなり近くまで手を近づけていたせいか、魔法の発動前にスライムがミサランの手を飲み込んだ。


「嫌ぁぁ! なんかぐちゃぐちゃする!」

「ミサラン! 魔法は一旦中止して木の上に逃げるんだ」


 ミサランは手を引き抜くと、さらに上の枝に慌てて逃げた。


「うう、私の魔力が減ってる……」


 泥だらけになった手を木にこすりつけながら、ミサランは涙目になっている。


「手は骨になったりしないんだな」

「流石に溶けたりはしないさ。でも襲われた人は大抵、体内の魔力がごっそり減っているらしい」

「そこの二人はもっと私の心配しなさいよ……」


 ミサランは大丈夫なようなので放っておくとして、魔力が吸われるというのは興味深い。スライムに飲まれたら、てっきり窒息でとどめを刺されてから体内でゆっくり消化されると思っていた。

 いや、もしかしたらこの世界のスライムは魔力を食べているのだろうか。


「そうか、魔力がエサだと考えれば説明がつくな。ミサランは魔力があるからエサだと思われた。俺には魔力が無いからエサだと認識されない」

「なるほど、確かに私も魔法は使えない。だから無視されたのか」


 ナシャルも同様に魔力が無いらしい。この仮説が裏付けられた。


「いやー、すっきりした。今後のために記録しておこう」

「怪物の研究が進んだようで何よりだ」

「そんなことどうでもいいから、早く私の杖を探してきて!」


 まあそうだよな。どうでもいいよな。スライムのエサが魔力と判明しても、やることは変わらない。

 現在スライムを倒せるのはミサランの魔法だけ。杖を見つける必要がありそうだ。


「たしか、持ち手に銀の装飾があって、先端に赤い宝石が埋め込まれた長杖だったか?」


 ナシャルがスライムを眺めながらミサランに問いかける。


「あら、よく覚えていたわね」

「スライムの中に入っているぞ。三分割で」


 確かに泥の表面から杖らしきものが顔をのぞかせている。飲まれて移動中にへし折れたのだろう。


「なあ、シズオ。スライムなんだが、ちょっと大きくなってないか?」


 ナシャルの言葉通り、まずいことが起き始めていた。ミサランの魔力のおかげでスライムの腹が満たされたのか、徐々に大きくなっている。内側から沸騰するようにボコボコと盛り上がっていた。


「ねえ、なんだかスライムが私に近づいてきてるみたいなんですけど!?」


 このままではまずい。ミサランが草原で溺死してしまう。

 でも火の魔法を使えるミサランには杖がない。


「折れた杖ではだめか?」


 ナシャルが杖だったものを持って問いかけるも「そんな棒きれで魔法を使ったらどこに魔法が飛ぶかわかんないわ!」とのこと。今ミサランに頼るのは無理そうだ。


 魔法使いに頼らない方法――といえば、ナシャルが持っていた。


「ナシャル、火を起こすあの魔道具って後どのくらい使えるんだ?」

「結構いい値段がしたから数百回分は魔力が残っているはずだが。どうするんだ?」

「確かこれ強く叩きつけると火傷するんだよな。強い炎が出るんだったら、何とかならないか?」

「衝撃によって放出する炎の量が決まってるからな。確かに出来ないことはないし、持っている分全て使えばいけるかもしれない。しかしそんな炎を出すにはかなりの衝撃が――」


 ナシャルは自分の右腕を見て言葉を止めた。必要なものは全て揃っていた。


「なるほど、いい案だ。呪いの装備の剛力を使えば魔道具に与える衝撃は十分だ」


 ナシャルは火を起こす魔道具を三つ持っていた。

 スライムに魔道具二つを埋め込み、そこにナシャルの呪いの剛力を使って、全力で残りの魔道具を叩きつける。そうすることで、魔道具から炎を出すという算段だ。


「合図をしたらミサランを飛び降りさせると同時にスライムを燃やす。お前はミサランを受け止めてくれ」


 それだけ言ってナシャルは準備に取り掛かった。

 俺は木から伸びる枝の下で待機する。その時にはミサランのいる枝にまでスライムは上り始めていた。そこから上の枝は、人が昇れそうな太さは無い。二メートルほどの高さだったスライムはその倍にまで膨れ上がっている。少しの魔力でこんなに成長するとは凄い生き物だ。


「嫌ぁぁ! 足に付いた!」


 感心している場合ではなかった。何とかできないかとスライムを手ですくい取ってみるも、それ以上のスピードでスライムは膨れ上がっている。


「ミサラン! 今だ、飛び降りろ!」


 ナシャルの準備が整ったようだ。

 ミサランはそれを聞いて木から飛びのいた。

 ナシャルは大きく足を広げて武闘家のようなポーズを取り、大きくなっていくスライムに半ば取り込まれながらも、設置した魔道具に慎重に狙いを定めている。


「はああああああッ!!!」


 ナシャルの手に握られた魔道具は、渾身の力でもう一つの魔道具へと叩きつけられた。

 その瞬間、まばゆい光と衝撃が草原を駆け巡った。爆発音と何かがはじけ飛ぶ水音、そしてミサランがいた木が砕けて辺りへとばらまかれた。

 俺は何秒くらい宙を舞っていただろうか。景色が一回転したと思ったら、背中に鈍い衝撃が伝わり、その後にミサランが俺に向かって降ってきた。


 ナシャルさん、やりすぎだ。

 スライムがいたであろう爆心地は地面がえぐれて黒い煙が上がっている。ナシャルも飛ばされたようで、遠くにいたがこちらに向かって手を上げて答えている。この世界の騎士頑丈すぎませんか。


「そりゃそうよね。軽く叩いただけで火花が出るんだもの。サイクロプスも壊せなかった城門を破壊したナシャルのパンチじゃ爆発もするわ……」


 それだけ言ってミサランは大の字になって空を見つめていた。

 俺も一緒になって草原に身を投げ出した。今はただゆっくりと考え事がしたい。


「ナシャルからの頼み……どうやって断ろうかな……」

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