神田夜宵視点②
何となくだけど、萩ちゃんが元気ない。お昼休みからだ。やっぱり朝のチョコが関係しているのかもしれない。萩ちゃんは繊細だから、その気がないのにチョコをもらってしまったのが尾を引いているのかも。
『好きでもないやつからもらったって、しょうがねぇもんな』
萩ちゃんの言葉が胸に刺さる。
そうだよね。僕だってそうだ。
萩ちゃん以外からもらったって、嬉しくもなんともない。まぁ、お母さんやお姉ちゃんからもらうのは嬉しいけど、それは家族からのやつだし。そういうことじゃなくて。
やっぱり渡さない方が良いのかな。
これでぎくしゃくしちゃって、それで親友ですらなくなっちゃったら、僕はもう萩ちゃんと一緒にいられない。それだけは嫌だ。
そんなことを考えながら帰り仕度をしていると、教室のドアが開いた。勢いよく顔を出してきょろきょろと誰かを探しているのは、同じ図書委員の紺野那由多――なゆ君である。
「良かったぁぁぁ、やよちんまだいたぁぁ! やよちん助けてぇ」
「なゆ君、どうしたの?」
僕のことを『やよちん』なんて不思議なあだ名で呼ぶのは彼しかいない。よくわからないけど、どうしてもそう呼びたいらしく、その代わりに『なゆ君』と呼んでほしいと言われたのだ。これが『なゆちん』なら断っていたけど、まぁ、『なゆ君』なら全然。
「ねぇ、今日の書架整理代わってくんない? このあと一世一代の大事な用があってさぁ」
「良いよ」
一世一代の大事な用なんて言われたら、もう代わるしかない。幸い、今日はまだ萩ちゃんと一緒に帰る約束もしていないし。
「ありがとう! やよちん大好き!」
「はは。やめてよ。ほら、一世一代の大事な用あるんでしょ? 急ぎなよ」
恐らくは、そんな深刻な用ではないと思う。もし本当に深刻なやつだったら先生に相談して早退すれば良いだけの話だからだ。だからつまりは、先生には言えないタイプの『用』ということである。今日はバレンタインだし、まぁ、それ系のやつだろう。
「図書委員の仕事、押し付けられたのか」
萩ちゃんだ。
「押し付けられたんじゃないよ。代わっただけ。なゆ君はたまにあるんだ。だけどちゃんと約束は守るから」
そう、なゆ君は割とよくあるのだ。だけど、きっちりその分は返してくれる。それがわかっているからこそ、僕も快く引き受けるのである。
「俺、バレー部の助っ人することになった」
「さすがだね、萩ちゃんは」
萩ちゃんは運動神経抜群なので、同学年だけではなく、先輩や顧問の先生からも助っ人を頼まれることもある。そのまま「ぜひとも我が部に!」ということもよく言われるらしいのだが、「次それ言ったら、もう助っ人もやりません」と釘を差したら勧誘はピタリと止まったのだとか。
「もしさ」
と、その言葉を吐き出したが、僕が聞き返すと、良いや、と濁される。その代わりに、頑張っての言葉をもらって、僕は怪我をしないように、と返した。
書架整理は思っていたよりも時間がかかった。それ以外の雑用もつい引き受けてしまったからだ。それで、やっと解放され、荷物を持って廊下を歩く。体育館の様子を見に行こうかと思ったけど、やめた。もしまだ部活の最中だとして、僕の姿が見えたせいで萩ちゃんの気が散っちゃったら大変だ。
歩く度にかさかさと鞄の中で音がする。
昨日の夜、僕が作ったチョコレートだ。
さすがにラッピングまで凝るのはどうかなと尻込みして、シンプルな紺色の紙袋に、金色のシールで封をしただけのやつである。中には、トリュフチョコが入っている。
今年こそは渡せるんじゃないかと思っていたのだ。何の根拠もないけど。男子校だし、まさかもらうなんてことはないと思っていたから、今年は誰からももらえなかったね、じゃあ僕からどうぞ、みたいな、そんな感じでイケるんじゃないかな、なんて。
捨てちゃおうかな。
ちょうどゴミ箱の前を通り、鞄から取り出してため息をつく。いや、もったいないな。上手く作れたし。家に帰って一人で食べよう。
そんな暗い気持ちで廊下を歩いていると、突き当りにある自販機に、誰かが立っているのが見えた。学ランの下に赤いパーカを着て、派手なチェックのマフラーをぐるぐる巻きにしている、あれは、萩ちゃんだ。キラキラした茶髪がマフラーに埋もれてて可愛い。寒くないのかな、っていつも心配になるんだけど、萩ちゃんは平気そうだ。
何か飲み物を買ったらしく、ガコッ、と商品が吐き出された音が聞こえる。僕も何か買って行こうかな。そんなことを考えながら、萩ちゃん、と声をかける。
「書架整理終わったのか?」
「うん。萩ちゃんも終わったの?」
「……おう。えっと、一緒帰る?」
やっぱり萩ちゃんちょっと変だ。
いつもなら、「一緒に帰ろう」と言うのだ。「帰る?」なんて聞いてこない。
「待って、その前に、温かいの買って良い?」
萩ちゃんも何か買ったみたいだし、一緒に温かいものを飲んで、落ち着いたら話してくれるだろうか。だって萩ちゃんはいつだってどんなことでも僕に相談してくれたのだ。
財布をがさがさと探していると、「ちょっと待って」と止められた。
「これ、いま買ったばっかでまだ温かいから。気になってたろ、これ?」
差し出されたのは、数ヶ月前に追加された新商品の豆乳ホットチョコレートだ。僕はいつもホットココアなんだけど、牛乳か豆乳かの違いなんだろうし、豆乳は身体に良いし、と思いつつも、なかなかその一歩を踏み出せないでいたやつである。
「良いの?」
「おう、その、間違えて押しちゃって」
「そうなんだ……。ありがと」
萩ちゃんはたぶん気付いてないと思うけど、これも『チョコ』といえばチョコだ。商品名だって『豆乳ホットチョコレート』って書いてあるし。そこに気持ちがなくたって、これは萩ちゃんからのチョコだ。特別な意味を勝手に乗せちゃうなんて、少しむなしくもあるけど、それでもやっぱり嬉しい。
いや、浸っている場合じゃないぞ。僕にこれを渡しちゃったら、萩ちゃんの分がない。さっき、間違えて押しちゃったって言ってたし、それならお返しに僕が買えば良い。
「それじゃあさ、僕が萩ちゃんの分を買うよ」
「え? 何で」
「何で、って。だってこれ、間違えて押しちゃったんでしょ? 本当はどれが飲みたかったの? やっぱりコーンスープ? 萩ちゃん、いつもそうだよね」
そう言いながら、百円玉を入れる。ここの自販機はペットボトル飲料以外すべて百円なのだ。
押して良い? と、コーンスープの辺りに指先を漂わせていると、
「ホットココアで」
と返ってくる。
これもある意味チョコ! チョコ味! ココアってチョコ味だよね?! カテゴリ的にはこれもチョコだよね!?
珍しいね、なんて平静を装ってボタンを押す。駄目だ、変に意識したら手が震えてしまう。だけど、意識せずにはいられないよ。だってこれは、僕から萩ちゃんへの初めてのバレンタインだ。本当は、いまの気持ちを全部伝えて渡したい。君のことが好きです、って。だけど、そんなこと言えるわけもない。
「飲みながら帰ろっか」
愛の告白の代わりに、口から出たのはそんな言葉だ。
萩ちゃんがそれに頷いて、靴を履き替える。
やっぱり渡したい。
いま買ったばかりのココアじゃなくて、本当は、チョコレートを渡したい。
昨日お姉ちゃんと作ったんだけど、余ったから、もし良かったら。
浮かぶのは、言い訳みたいな嘘の羅列だ。
違う。
僕が一人で作ったやつだ。
余ったやつじゃない。
君のために作ったんだ。
そう言いたい。
だけど、きっと、受け入れられやすいのは、さっき並べた嘘の方だ。だってそっちの方が自然だし。
渡す、という点だけをクリアするなら、嘘をつくしかない。
「萩ちゃんあのね」
どうせこの思いは叶わないのだ。
だったら、渡すために嘘をつくことくらい。
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