南城矢萩視点②

 なんやかんやで放課後である。


「南城! 一生のお願い! 今日だけで良いからちょっと出てくんね?」


 バレー部の園田そのだが、顔の前で両手を、ぱぁん、と勢いよく鳴らしてそのまま拝んでくる。神様仏様南城様、などと並べられると正直断りづらい。


 園田の『一生のお願い』というのは毎回同じだ。部活の助っ人である。


 今年のバレー部は入部希望者が少ない上に、怪我や体調不良などで何人か休んでいたりして、試合形式の練習が出来ないのだそうだ。


「今日だけ、ってお前先週も言ってなかった?」

「言っ……たかもしれないけど! いやマジでさ。安田先輩、肉離れしちゃって、トス上げられる人がいないんだよ」

「顧問の先生はよ」

「今日は職員会議なんだよぉ。先輩方から、『南城を連れてこい』って毎日毎日詰められてるんだ、俺。今日は特に圧がすごくて」

「そりゃ気の毒な話だけど」

「だろ? な?! な?! 友達を助けると思ってさ! そうだ! お礼にチョコ買ってやるよ! 今日バレンタインだし!」

「お前からは絶対にいらねぇ!」


 チョコ、の言葉で、つい視線が鞄に行く。もちろん、渡せていない夜宵へのチョコが入っている。どうしようか。兄貴にでもあげちまうか。


「まぁ、仕方ない。今日はちょっと身体動かしたかったし、良いよ」

「南城ううううううううう! ありがとう! 友よ!」

「ちょ、やめろ、抱き着くな、マジで!」


 お前からのハグはマジでいらねぇぇぇぇ!


 とにもかくにも、俺の放課後の予定は決まった。悶々とした気持ちは、汗と共に流してしまえば良いのだ。

 だけど、そうなると残念ながら夜宵とは下校出来ないな、と密かに肩を落としていると、教室の入り口から、ひょこ、と隣のクラスの紺野那由多なゆたが顔を出して、帰り仕度をしている夜宵を呼んだ。


「良かった、やよちんまだいた! やよちん助けてぇ」

「なゆ君、どうしたの?」

「ねぇ、今日の書架整理代わってくんない? このあと一世一代の大事な用があってさぁ」

「良いよ」

「ありがとう! やよちん大好き!」

「はは。やめてよ。ほら、一世一代の大事な用あるんでしょ? 急ぎなよ」


 ありがとう、恩に着る! と叫んで、小動物のような紺野はパタパタと廊下を駆けて行った。


 紺野みたいに、その場のノリとか勢いで「大好き」って言えたら良いのに。いや、俺のキャラなら別に言ってもおかしくはないのだ。食べ物やキャラクター、服のブランドなどなら、好きだの愛だの、よく口にする。だけど、夜宵に対しては言えない。だって、俺が夜宵に対して持っているのは、そんな軽いノリで言えるような『好き』じゃない。


「図書委員の仕事、押し付けられたのか」

「押し付けられたんじゃないよ。代わっただけ。なゆ君はたまにあるんだ。だけどちゃんと約束は守るから」


 ただのクラスメイトとか、同じ委員会とかのやつは『名字+君』で呼ぶ。親しければ『名前+君』だ。なのに、紺野のことは下の名前の『那由多』から『なゆ君』と呼ぶ。向こうからは『やよちん』だ。俺の記憶にある限り、夜宵のことを下の名前で呼ぶのは俺だけだった。

 けれども、「『やよちん』って呼びたいから、『なゆ君』って呼んで!」と言われたらしく、呼び捨てとかおかしなあだ名じゃないのなら、と夜宵はそれを承諾したのだとか。紺野とは、同じ図書委員だ。他クラスだけど、割と仲が良い。


「俺、バレー部の助っ人することになった」

「さすがだね、萩ちゃんは」

「もしさ」


 帰る時間が被ったら――、と言おうとした。けど。


「ううん? 何?」

「あ――……えっと、いや、良いや。頑張れな、書架整理」

「うん、萩ちゃんもね。怪我しないようにね」

「おうよ」


 もしかして、紺野のことが好きだったりするのかな、なんて馬鹿なことを考える。もし万が一、紺野のことが好きだったりしたら、つまりは、男でも良いわけで、となれば、俺だって付け入る隙もあるんじゃないか、なんて。


 今日の俺はもう全体的に駄目だ。うん、やっぱり健全に汗を流して、頭を冷やそう。


 

 で、部活が終わって、だ。

 着替えを済ませて、さて帰るか、と鞄を持つ。三日前から用意して、どうやって渡すかのシミュレーションまでしたチョコレートは、空の弁当の下敷きになっている。鞄越しに、ギィィ、と睨みつけてから、ガサッと乱暴に取り出す。その勢いのままゴミ箱にシュートしてやろうかなんて思ったが、こいつに罪はねぇもんな、と思い直して再び鞄に突っ込んだ。兄貴にでもあげちまおうかな。そんなことを考えつつ、とぼとぼと廊下を歩く。


 それでも何となく気になって、図書室の前を通ると、まだ電気はついていた。閉館時間はまだなんだから、当たり前だ。だけど夜宵がいるとは限らない。あいつが引き受けたのはあくまでも書架整理だけのはずだ。


 もう帰ったかもしれないしな。


 そう呟いてくるりとUターンする。

 昇降口にある自販機の前で立ち止まり、温かいもんでも買うか、と小銭入れを出した。


『見て萩ちゃん。豆乳ホットチョコレートだって。新商品かな』


 そういや、そんなこと言ってたな。


 夜宵が買うホットドリンクといえばホットココアが定番だ。だけど、初めてそれを発見してからは、毎回「たまには冒険してみようかな……」とちょっと悩むのである。それでも結局ホットココアを買うのが、何だかおかしかった。そうか、あの時俺が豆乳ホットチョコレートを買って、一口飲むか、って聞けば良かったんだ。そしたら間接キスも狙えたのにな。


「何を考えているんだ俺は」


 そう思いつつ、豆乳ホットチョコレートを買う。ガコッ、という音と共に商品が吐き出された。


「――萩ちゃん」


 後ろからそんな声が聞こえて振り向いた。俺のことを「萩ちゃん」なんて呼ぶやつは、一人しかいない。


「書架整理終わったのか?」

「うん。萩ちゃんも終わったの?」

「……おう。えっと、一緒帰る?」

「うん」


 待って、その前に、温かいの買って良い? と言って、夜宵は俺の返事も待たずに財布を探し始めた。返事を待たないのは、俺が駄目なんて言ったことがないからだ。


「ちょっと待って」


 待っての言葉に待ってで返すと、夜宵は鞄の中に手を入れた状態で顔を上げ、不思議そうな表情で俺を見つめてきた。


「これ、いま買ったばっかでまだ温かいから。気になってたろ、これ?」


 さっき買った豆乳ホットチョコレートを渡す。


「良いの?」

「おう、その、間違えて押しちゃって」

「そうなんだ……。ありがと」


 それじゃあさ、とそれを受け取りつつも、探し当てた財布から百円玉を一枚取り出す。


「僕が萩ちゃんの分を買うよ」

「え? 何で」

「何で、って。だってこれ、間違えて押しちゃったんでしょ? 本当はどれが飲みたかったの? やっぱりコーンスープ?」


 萩ちゃん、いつもそうだよね、と言いながら百円を自販機に入れる。押して良い? と聞く夜宵に、


「ホットココアで」


 と返す。


 だって今日はバレンタインだから。チョコの味のするものを、俺はお前からもらいたい。


 夜宵は少し驚いたような顔をしたけど、「珍しいね」なんて言って、ココアのボタンを押した。取出口に手を突っ込んでそれを出し、「どうぞ」と渡してくる。


 俺が渡せたのは、三日も前から用意したチョコレートじゃなく、いま買ったホットチョコレートだ。それでも良い。こんなバレンタインでも良い。夜宵からもらったのは、確実に何の気持ちも込められていないホットココアだ。だけどそれでもチョコのカテゴリではある。


「飲みながら帰ろっか」


 それに頷いて、靴を履き替える。

 少しもたついていた夜宵が、俺の背中に向かって「萩ちゃんあのね」と、何だか恐る恐る声をかけて来た。


「どした?」


 と振り向くと、何やら真剣な顔をした夜宵がいる。学校指定の鞄は、さっき財布を取り出したからだろう、ファスナーが開きっぱなしだ。そこから、『いかにも』な紙袋が見えた。


 もしかして――いや、確実にチョコだろう。

 朝もらったやつではない。あんなのはなかったはずだし、全部遠藤に託したはずだ。だからつまり、これは、その後にもらったのだ。誰からだろう。チクリと胸が痛んで、咄嗟に視線を逸らす。夜宵が受け取るなんて。また『もらってくれないと死にます』なんて脅されたのだろうか。そうだと言ってくれ。それで、「聞いてよ萩ちゃん」って眉を下げて泣きついてくれれば良いのに。

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