神田夜宵視点①

 2月14日、今日はバレンタインだ。

 僕は毎年、密かに萩ちゃんへのチョコレートを用意してる。だけど、毎回なんやかんやあってあげられていない。


 今年こそは。


 そう意気込んでの今日なのだ。

 今日もどうにか偶然を装って一緒に登校する。家がお隣同士と言っても、「矢萩ちゃーん、一緒に行ーこーうー」とやれたのはやはり小学生までである。萩ちゃんが来てくれるパターンもあったけど。

 だけど、中学の時、たまたまその現場を目撃したクラスの女子に「毎朝毎朝『矢萩ちゃん矢萩ちゃん』って、南城君の迷惑も考えなよ」と言われ、萩ちゃんに迷惑がかかれば大変だと思ってやめた。あとからわかったのは、その子は萩ちゃんのことが好きだったらしい。


 それからしばらくは一人で通っていたけど、やはりお隣同士、タイミングが合えば、同時に玄関を出ることもある。そんな偶然の力を知った僕は、そういう場合は良いよね、と己に言い聞かせながら再び一緒に登校するようになった。……最近はまぁどうにかタイミングが合うようにしてるんだけど。


 今日もそんな感じで、並んでの登校だ。鞄の中には、昨日作ったチョコレートがある。男からのチョコ、それも手作りなんて重すぎるかなと思わないでもなかったが、深夜のテンションというのは恐ろしい。それを、いつ渡そうかとソワソワしている僕だ。


 あんまり改まって渡すのは良くない。本命チョコだと思われちゃうから。いや、本命チョコなんだけど。でも、あくまでも『友チョコ』の体で渡さなければいけないのだ。だって、男から好きなんて言われるの、萩ちゃんは嫌だよね。


 だから、あくまでもサラッと。昨日お姉ちゃんのチョコ作りを手伝ってさ、余ったのをもらったんだ、くらいの軽い感じで渡せれば。好きだよの一言は、僕の胸の中にしまっておけば良い。


 そう思っていると――、


「あの、すみません!」


 角から女の子が二人飛び出してきた。これは確か、望月女子の制服だ。クラスの友達が、可愛い子が多いんだって騒いでいたっけ。


「これ、もらってください!」


 彼女達はさっと二手に分かれて僕と萩ちゃんそれぞれにチョコを渡してきた。チョコと断定するのは早計かもしれないけど、だって今日はバレンタイン。これで中身がタオルとかだったら逆にびっくりだよ。


 萩ちゃんは中学の頃から男子女子関係なく好かれていた。もちろん友達としてなんだけど、女子の中には恋愛的な意味での好意を抱いている子も多くて、バレンタインにはチョコをたくさんもらっていたし、調理実習なんかがあると、決まって「多く作りすぎたからあげる」があったものだ。多く作りすぎたのに、あげるのは萩ちゃんにだけ。僕らはそれが何を意味するかわかっていたけど、萩ちゃんは気付いていない様子だった。それで「おーサンキュー」なんて軽い感じで受け取ったそれを、「夜宵も一緒に食おうぜ」とやるものだから、僕はその子からの視線で射殺されるのかと思ったよ。


「あの、ごめんなさい。受け取れません」


 勇気を出して来てくれたであろうその子には悪いけど、受け取るわけにはいかない。いま差し出されているのは、ただのお菓子ではないのだ。これには、何かしらの思いが乗せられている。わずかにでも期待させてはいけない。僕の心はいつだって萩ちゃんでいっぱいで、そこにそれが入るような隙間なんてないのだ。


 ぺこりと頭を下げ、ちらりと萩ちゃんの方を見やれば、彼もまた「いや、ごめん。マジで無理だからそういうの」としどろもどろになりながらも断っていた。そのことに安堵する。良かった。萩ちゃんはまだ誰かのものにはならない。


 けれど。


「もらってくれるだけで良いんです!」


 その子は諦めなかった。

 ぐいぐいと萩ちゃんのお腹辺りにチョコの箱を押し付けて、「お願いします! もらってくれないと、私、死にますから!」ととんでもないことまで言い出した。そんなことを言われたら優しい萩ちゃんは受け取るしかない。


「え、ええと、そんじゃもらうけどさ。でも、マジでもらうだけだよ? 俺、お返しとか無理だし」

「良いんです! それでも!」

「じゃ、じゃあ、その、ありがと……?」


 これで終わりかと思いきや、その子は、僕の方を見て、顎をくい、としゃくって見せたのだ。いや僕に、ではない。僕にチョコを渡してきた子に、である。


『ほら、アンタも』


 パクパクと口がそう動いたような気がした。


 と。


「あっ、あの! 私も! 死にます! 死にますから、受け取ってください!」

「えぇぇっ?! そんな簡単に死ぬとか言っちゃ駄目ですよ!?」

「お願いします! それくらいの気持ちで来てるんです!」

「そんな! でもあの、ほんと、僕もお返しとか無理ですし」

「良いんです! 受け取ってくれるだけで!」

「え、えぇぇ……? あの、それなら、まぁ、はい。ありがとう、ございま、す……?」


 もしかしてこれ、罰ゲームとかなんじゃないかな。実はあっちの陰に友達とかがいて、ちゃんと渡せたか見張ってたりして。だとしたら、受け取ってあげないと酷だ。そう思うくらいに彼女らは必死だった。


 そうして嵐のような二人が去り、しばらく呆然としながらのそのそと歩いていると、さすがにこれほどではなかったけれど、萩ちゃんは二人、僕は三人の女の子からそれぞれチョコを渡されたのである。みんな、望月女子の制服を着てた。まぁ、ここから一番近い女子高だしなぁ。


 一人目のチョコを鞄にしまわず、持っていたのがまずかったのかもしれない。向こうから、「この人はもらってくれる人だ」と認定されてしまったのかもしれないし、僕らも僕らで一人目から受け取ってしまったことで、「もらう」ことへのハードルが下がってしまったというか、あとはまぁ単純に、また「もらってくれないと死にます!」みたいに脅されるんじゃないかと怖かったのもある。例えその場限りの勢いでも、死ぬとか簡単に言っちゃ駄目だよ。こっちにもダメージが大きいよ。


 そんなこんなで、気合を入れまくっていた僕のバレンタインは、完全に出鼻をくじかれ、最悪のスタートを切った。


 

 教室に入って、持っているチョコでみんなにからかわれたけれど、遠藤君というクラスメイトが、そのチョコを持ち主に返してくれるという。望月女子に知り合いでもいるのかな?


 それで、疲れたまま授業を受け、お昼休みだ。

 萩ちゃんの隣の藻部もぶ君の席を借りてくっつけ、一緒にお弁当を食べる。もちろんチョコは渡せていない。次のチャンスはやっぱり食後だろうか。デザートにどう? みたいな感じでさ。


 食べながら話題になるのは、やはりインパクトが強すぎた「もらってくれないと死にます」の子だ。断ったら刺される気がした、と萩ちゃんが言う。


「すごい剣幕だったよね。でも大丈夫、その時は僕が身を挺してでも萩ちゃんを守るよ」


 冗談めかして笑いながら言った言葉だけど、僕は本気だった。好きな子を守れないで、何が男だ。こんな弱い僕に守られるなんて萩ちゃんは心外かもしれないけど、いざって時は僕だって好きな子を守るよ。


 それにしても。

 

 毎年この時期になると、チョコレートというものが何だかとても怖く感じる。それは、好きでもない子から向けられる好意とセットになっているからだったり、友チョコと言い聞かせているのに変に意識しすぎて毎年渡せないでいる萩ちゃんへのものであったりと、とにかく良い思い出がない。あんなに甘くて美味しいのに、この時期だけはちょっとほろ苦いのだ。


 そんなことを思って、つい、ぽつりと、「チョコに良い思い出がない」なんて口走ってしまう。いや、そんなことでどうするんだ僕。今日こそは。今年こそは、そういうネガティブなイメージを払拭するんだ。


 今年こそは萩ちゃんにチョコを。


 そう思って、鞄の中の袋に視線を落とす。


 と。


「……俺もバレンタインなんていい思い出はねぇな。好きでもないやつからもらったって、しょうがねぇもんな」


 萩ちゃんは、うんと悲しそうな顔をして、そう言った。

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