ヘタレ陰陽師のホワイトデー⑤
「えっ、何これ。でっか……」
天高く――は言い過ぎだけれども、とにかく山のように積み上げられたシュークリームである。
「クロカンブッシュです。どうぞ!」
「いや、すごいけど。これ、あたし一人分? どうぞ、って言われても」
「い、いりませんでしたか……?」
「そうじゃなくてね! ええい、泣くなイチイチ! 違うの! 明らかに一人で食べられる量じゃないでしょってこと!」
高さにして、恐らく30センチ。一つ一つのシュークリームは小さいけれど、これ絶対百個くらい集まってるでしょ。アンタあたしをぶくぶくに太らせたいわけ?!
「皆で食べよ。歓太郎さんも呼んでさ、皆で」
そう提案すると、おずおずと「良いんですか?」と返ってくる。
「良いに決まってるじゃん」
さっきから、ケモ耳ーズの尻尾は何かを期待するようにゆらゆらと揺れているのである。「ケモ耳ーズも食べたいよね?」と聞けば、返事より先に、尻尾をぐるんぐるんと回転させる勢いで振り出した。
「食べたいっ! で、でも、それは慶次郎が葉月のために……」
「そ、そうですよ。これは葉月のです。食べたいですけど……」
「一個一個丁寧にクリームを絞ってなぁ……。うう、食べたいけどよぉ」
「だーから、食べよって。良いよね、慶次郎さん?」
「はっちゃんが良いのなら、もちろんです。実は皆に食べさせられないのが心苦しくて……。ありがとうございます、はっちゃん」
その後、喜衣子さんを送り届けた歓太郎さんも加わって和やかなお茶会が開催されたわけだが――、
「ていうか、お母さんも呼べば良かったんじゃ……。だって久しぶりに会えたんでしょ? むしろあたしが邪魔だったんじゃない?」
もぐもぐと一口サイズのシュークリームを食べながら、ふと気付く。すると歓太郎さんは「いーのいーの」とぱたぱたと手を振った。
「あの人ね、もうしょっちゅうこんな感じで帰ってくんのよ」
「へ? そうなの?」
「そうなんです。だいたい月に一度……多い時は下手したら二週に一度くらいは帰ってきます」
「そんなに? ハワイでしょ!?」
「ハワイなんですけどね」
「あの人、色々距離感バグってんだよな」
いや、バグりすぎでしょ、ハワイだよ?!
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「こんな良い部屋に一人で泊っても!」
エクゼクティブルームのダブルベッドにボストンバッグを放り投げ、喜衣子は、むすぅ、と頬を膨らませた。
「ていうか歓ちゃんたら、こんな良い部屋よくとれたわねぇ。もしかして、誰かとお泊りする予定でもあったのかしら? さっきの葉月ちゃんは慶ちゃんの彼女さんみたいだし……」
うーん、と3秒くらい考えたものの、「まいっか!」とあっさり諦める。基本的に彼女はあまり深く考えない質なのである。底抜けに明るく、切り替えの速さも秒だ。喜怒哀楽の沸点がとにかく低く、さっきまでけらけらと笑っていたかと思えば、頬を膨らませてプンプン御立腹だったりもする。
夫の康悦とは彼女が幼稚園からの付き合いである。
園内行事のひな祭りでお雛様とお内裏様のペアになったその瞬間に「わたし、コウくんとけっこんする!」と宣言し、そして、二十歳を待って結婚したのである。互いに初恋をそのまま実らせた形で、正式に恋人なったのも、二人の間では幼稚園のその瞬間から、ということになっている。
先述の通り喜怒哀楽がはっきりしていて、裏表もなく天真爛漫な彼女に対し、康悦はというと、息子の慶次郎に引けを取らない――というか慶次郎の方が彼に似たのだが――ヘタレである。性格も真面目で学業の成績も申し分なく、容姿に関しては誰もが美男子と口を揃えるほどなのだが、そのあまりのヘタレっぷりに密かに恋心を寄せていた女子も必ずどこかで幻滅するため、一度もモテたことがないという奇跡のような男である。
そんな康悦が慶次郎と違って立派に神主としてやってこれたのは、まず彼は息子ほどコミュ障を拗らせてはいなかったことと、それから喜衣子がいたからである。彼女は口下手な康悦の補佐に回り、面倒くさい年寄り連中を転がしまくった。そしてその結果が、うるさいやつらのいない、ハワイ分社の設立と異動というわけである。だから――、
「コウ君、大丈夫かしら」
怒りが冷めると心配になるのはやはり彼のことである。ハワイ分社は
問題は――、
「ちゃんとご飯食べてるかなぁ」
生活の方である。
何せ康悦という人物は、とにかく生活力が欠けている男なのである。その点についてはまだ慶次郎の方がマシというレベルで。
恐らくいまごろ、抜け殻のようになって、自室に転がっているだろう。
「ディナーも取ってあるから、もったいないから食べてって」
けれど、もったいないのもわかる。飛び出してきたのは自分なのに、一人で食べてもなぁ、と零しつつ、とぼとぼとレストランへ向かう。案内されるがまま席に着き、料理が運ばれてくるまでの間、ぼぅっと外の景色を眺めていると――、
かたり、と向かいの椅子が引かれた。予約席のはずなのに相席だろうか。それとも誰かと間違えてるとか?
「すみませんけど――」
と顔を上げると。
「コウ君。何で?」
康悦がいた。
真っ赤な顔で、息を切らせて。
「喜衣ちゃんを、迎えに来た」
「だって、仕事が」
「早めに上がらせてもらって、後は皆にお願いしてきた。……迷惑なら、このまま帰るけど」
「迷惑なわけない。ごめんなさい、私、また勘違いしちゃって」
「良いんだ。僕も突然のことにびっくりして、何も反応出来なかったから。喜衣ちゃんに嫌な思いさせてしまって、ごめん」
一通りの謝罪を終えたタイミングで、料理が運ばれてくる。
「コウ君、座って。食べていきましょ。せっかく歓ちゃんがお膳立てしてくれたんですもの」
「歓太郎が?」
そう言いながら席につく。
「ディナーに、部屋はエクゼクティブのダブルよ? あの子ったら誰と来るつもりで取っていたのかわからないけど。あの年でエクゼクティブなんて! んもー! 生意気なんだからー!」
「あぁそれは――」
こほん、と咳払いをして顔を背ける。
「実はそれ、僕が歓太郎に取ってもらったんだ。喜衣ちゃんが飛び出してすぐ、歓太郎に連絡して」
「何で私が
「君の家出先はここしかないでしょ」
「うう……」
悔しい気もするけれど、彼が自分のことを知り尽くしてくれているというのは、案外嬉しかったりもする。
その後運ばれてきた料理はすべて喜衣子の好みに合わせたもので、その度に「これ私が好きなやつだわ」と彼女は瞳を輝かせた。
デザートはホワイトチョコレートで作られたフォンダンショコラである。
「ホワイトチョコのフォンダンショコラ! いやーん、可愛いじゃない! しかもこれもしかして、ハートの形だったり?」
「ホワイトデーだからね」
「あっ、そういえば……。でも私、バレンタインに贈ったの、チョコソースをかけたパンケーキだったけど」
「美味しかったよ?」
「まぁまぁ上手に出来たけど……。釣り合い取れてなくない?」
「そうかな。僕の中ではちゃんと釣り合ってるんだけど」
「そうなの?」
「そうだよ。あの時の僕はいまの喜衣ちゃんくらい喜びを爆発させていたからね」
「わかりづらすぎだから!」
などと、人生のほぼすべてを共にしている夫婦が愛を囁き合っている頃――、
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「それじゃ、あのホテルとレストランはご両親のために取ってたのね」
なぁんだもー、と安堵の息を吐きつつ、一口サイズのシュークリームにフォークを刺す。一応ね、もったいないって気持ちはあったのよ? いや、レストランとかお泊りとかは絶対にお断りだけど、キャンセル料とかどうなるんだろう、みたいな。
「そ。何? ちょっと残念? 大丈夫大丈夫、あそこのホテル、
やっぱ俺と朝まで過ごしたいでしょぉ〜? とあたしの二の腕に鼻先を擦りつけて甘えた声を出す。
「過ごすかぁっ!」
そのまま肘打ちすると、それを見ていた慶次郎さんが、「あ、あの、やっぱり僕もそういうのをした方が良かったんでしょうか……」としょんぼり肩を落とした。
「しなくて良い! ていうか、これ、めっちゃくちゃ美味しいからね? こんなの作れる慶次郎さん、マジですごいと思うし、あたしはこういうのの方が良い」
「ほんとですか!」
ぱぁっと瞳を輝かせる慶次郎さんの右隣に座るおパさんが、「ね? ぼくの言った通りだったでしょ? 葉月は絶対スイーツの方が喜ぶって」と得意気に胸を張る。
は? どういうこと?
「それ、私が『花より団子』だと言ったやつですよね」
「いやいや、先におれが『色気より食い気』つったんだ」
「ちょっと待って。確かにそうなんだけど。何、アンタ達の入れ知恵ってわけ? 慶次郎さんが考えたんじゃないの?」
おいどういうことだこのヘタレ野郎、と慶次郎さんを睨みつける。
「最初、歓太郎に相談したら、『全身にリボン巻き付けて全裸で正座すればばっちり』って言われたんですが、さすがにそれは恥ずかしくて無理だったので」
「はあぁ? おいコラわいせつ神主。お前、自分の弟に何させようとしてんだよ!」
「え~? だって君達なかなか進展しないからさぁ。言葉の方で無理なら、いっそ肉体言語ってやつで――ごふぅ?!」
「バッキャロー! 展開が二段飛ばしどころじゃねぇんだよ!」
脇腹を思い切り蹴り飛ばしてやると、彼もまた、面白いくらいに吹っ飛んだ。何この兄弟、軽すぎなんだけど。ちゃんとご飯食べてる?
「慶次郎さんもね! イチイチこの馬鹿兄貴の言うこと真に受けなくて良いからね?!」
「そ、そうなんですか?! 歓太郎が言うなら間違いないかと――」
「間違いしかねぇんだわ! むしろ何でそこまで信じられるんだよ!」
そう声を張り上げると、あっという間に復活した歓太郎さんが、懲りもせずにあたしの肩にこてんと頭を乗せる。
「だーって俺、良いお兄ちゃんだし? 好きな子の笑顔と弟の幸せを一番に願ってるからさ。てなわけで、はい、俺からのほんとのホワイトデー」
ぐふ、と笑うその顔は、はっきり言って今日イチむかつく顔である。
だけどまぁ、その言葉自体に嘘はないんだろう。それがわかってしまうのが尚更腹立たしい。渡されたのは小さな瓶に入った金平糖だった。「
「いつもありがとう、歓太郎」
そして、弟想いの兄の言葉にまんまと騙されているこの純粋すぎる二十三歳もまた、どうしてくれようかとも思うわけだが、そんな彼を好きになってしまったのだから、もう本当にどうしようもない。
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