太郎が欲しいもの 後編 ※メタ発言有り
あっち、と言ったものの、当然目的地などあるわけもなく、ただひたすらに走り、再び石蕗屋の近くに戻る頃には、夜に変わりつつある赤い空の下、二人共ぜいぜいと肩で息をしていた。さすがの太郎も疲労困憊の様子である。
「……太郎」
「……何だよ」
「飯の前に風呂行かねぇ?」
そんなことを口走ってから、気付く。ああ、こいつは絶対におれと風呂に入りたがらないんだった、と。
「ああ、いや、別に一緒にじゃなくても」
「そうだな」
「へあ?!」
「早く汗を流したいし」
「え、ええ、え、い、良いのか?」
「良いのかって、何が」
「何がってお前。だって……」
おれと入るのは嫌なんだろ。
その理由がなぜかというのはここでは伏せておくにしても。下手に指摘すれば思い出してしまうかもしれない。だから白狼丸は、そりゃお前のアレがだな、という言葉を飲み込んで「そんならせっかくだし温泉でも行こうじゃねぇか」と声を上げた。
「温泉?」
「おお。この近くにあるらしい。ちょっと寂れてて小せえけど、それだけに穴場なんだとよ」
「いいな」
あっさりと承諾されたことに少々肩透かしを食らったものの、そうと決まれば気が変わらぬうちに――、と息を整えて歩き出そうとすると。
「――あっ、いたいた!」
飛助である。
こちらもこちらで真っ赤な顔をして息を切らしていた。その隣には涼しい顔をした青衣がいる。
「んもう、随分探したんだからぁ」
「どうしたんだ、飛助。それに青衣も」
ぜえはあゲホゲホと汗まみれの飛助とは対照的に汗一つかいていない青衣。二人を交互に見やっていると、「わっちはね、いまさっき合流したのさ」とその答えを述べた。
「そうだったのか。それで、どうしたんだ飛助。俺達を探してたって、何でまた」
「お前は今日半休じゃなかったはずだろ。何でそんな恰好でうろうろしてんだよ」
「それがさ、早く上がれたんだ。一平さんがね、タロちゃんと白ちゃんが半休なのにおいらだけ仲間はずれなんて可哀相だろって。それで、早上がりにしてくれたんだよ」
一平さん優しいでしょ、などと飛助は嬉しそうに目を細めた。それは確かにそうなのだろうが、ちくしょう余計なことをしやがってと思わなくもない白狼丸である。それにそれくらいのこと、ウチの伊助さんだってなぁ、と変に対抗心を燃やしていたところを、「だからさ」という飛助の声で我に返る。
「おいら達も一緒に良いでしょっ?」
そう言うなり太郎の腕をぎゅっと掴む。
「一緒にって?」
「温泉。行くって話になってたじゃん」
「聞こえてたのか」
「そりゃあね、おいらの耳の良さを舐めてもらっちゃあ困るなぁ」
へへん、と鼻を鳴らせば、耳の良さという部分でさっきの話を思い出してしまったらしい太郎が、「あぁ」といって表情を曇らせた。思わず「こンのあほたれ!」と白狼丸の拳が飛ぶ。が、そこは腐っても元軽業師である、するりと避けて「何だよぉ、あっぶねぇなぁ」と眉をしかめた。
「坊、どうしたんだい? 悩みがあるならわっちに話して御覧な。どォれ、あそこの宿にでも――」
「姐御、どさくさに紛れて!」
「ずるい! それならおいらも!」
「そういうことじゃねぇんだよ、馬鹿か!」
しょん、と肩を落とす太郎を囲んで犬猿雉がぎゃあぎゃあと揉める。いつもなら仲裁役に回るはずの太郎が、ただただ背中を丸めているのを見て、やっと事態の深刻さに気付いたらしい飛助と青衣が慌て出した。
「ちょ、ちょっと白ちゃん? どういうことだよ!」
「犬っころ! 可及的速やかに説明しなァ!」
太郎の頭を撫でながら、かくかくしかじか、こういうわけだと説明してやると、猿と雉もまた彼の肩やら背中やらを擦りながら、ふんふんと頷いた。
「そんなことならおいらに任せてよタロちゃん!」
飛助が得意気に、ぽん、と胸を叩くと、「本当か?」と太郎は顔を上げた。
「おいら、タロちゃんにぴったりなの思いついたから!」
「おぉ、さすが飛助。ありがとう!」
太郎が歓喜に潤ませた瞳で飛助を見つめると、彼はその手を優しく握って言った。
「『昼間は飛助の太郎』。これでどう?」
「……?」
「それかもしくは――『飛助と相思相愛の太郎』とかー、あとはー」
「おいちょっと待てや」
調子よくしゃべっているところに水を差され、不満げな声を漏らす。
「何だよぅ」
「何だよぅ、じゃねぇんだよ。何言ってんだお前」
「えー? こういうのって言ったもん勝ちだからさぁ。あっはっは!」
「よくもまぁぬけぬけと……!」
「成る程、その手があったねェ。それじゃァわっちだって」
「姐御も黙れぇっ! どうしてお前らは自分達に都合良く――」
と憤慨したものの、自分だってさっきは夜はおれのものなどと考えた口である。人のことは言えんよなぁ、とその先はもごもごと濁した。
「……てなわけでさぁ」
「何が『てなわけ』なんだ?」
まとめにかかろうとしている飛助に、少し気の抜けたような太郎の声が被さる。
「結局のところは『みんなのタロちゃん』で良いんじゃないのかなって」
「みんなの……?」
「そ。おいらが知ってる限り、タロちゃんのこと嫌いだなんて人は一人もいないよ。みーんなタロちゃんが大好きだからさ。だから、『みんなのタロちゃん』」
「タロちゃん呼びは駄目だろ。『みんなの太郎』だ」
「まァ、異論はないさねェ。なんたって事実だ」
そうだそうだ、これにて落着、じゃ温泉に行こう、と四人が揃って歩き始めたその時である。
「――待てぇいっ!」
それを背後から呼び止めたものがいた。
くるり、と一斉に振り向けば、そこにいたのは石蕗屋の大旦那、平八である。手に持っているのは大きな風呂敷包みで、どうやら遣いの帰りらしい。
「これはこれは旦那様。どうなさいました」
「何だよ、門限まで時間あんだろ。もしかして旦那も行きてぇのかよ」
「ええ? さすがに旦那様と一緒に、ってのはなぁ~」
「そうさねェ。わっちもいることだし、奥方様も良い顔はしないんじゃァござんせん?」
青衣が首を傾げて科を作ると、平八は「そ、そうじゃなくてだな」しどろもどろに視線を泳がせる。ぐぅ、と喉を鳴らしてから、「太郎はな」と絞り出すように言った。そして、ぶるぶると肩を震わせてから、すぅ、と大きく息を吸う。
「太郎は! 『石蕗屋の看板娘』だ――――!」
大股を開き、天を仰いで、平八は叫んだ。
道行く人々が、何だ何だと言いながらじろじろと平八――とその向かいに並ぶ四人を見つめる。
「い、いや旦那。『娘』って……」
「気持ちはわかるけどさぁ」
「まァ……、あながち間違いじゃァないかもしれないけどねェ」
そう三人が冷静に指摘する中、太郎は、というと――、
「申し訳ありません旦那様。実は、私は男でございまして。幼い頃はよく女児と間違われておりましたが、さすがにこの年になればそういったこともなかったものですから、男であると伝えずとも良いかと」
などと大真面目に返しながら、深々と頭を下げていた。
その後、旦那様を騙すつもりはなかっただの、信じられないのならこの場で証明致しましょうかだのと続け、着物の襟に手をかけたところで四人が一斉にそれを止めにかかった。
「馬鹿かお前! こんなところで何を見せる気だ!」
「何って……この扁平な胸でも見せればご納得いただけるかと」
「わ、ワシが悪かった、太郎! いいんだ、そこまでしなくても! お前が男であることはちゃあんと知っとる! あれは言葉の綾というかなんというか……」
「タロちゃん、あのね、扁平な胸の女の人だっているんだから、それじゃあ証明にならないんだよ」
「馬鹿猿! お前もお前で何言ってんだ!」
「そうだよゥお猿。いまの発言でどれだけの女性を敵に回したか。わっちは知らないよゥ?」
「えぇ~?! おいらはただ、証明するんだったらそっちじゃなくて下の方が良いんじゃないのかなって」
「馬鹿か! こんなところでホイホイ出すもんでもねぇだろ! あああもう! 真に受けんな太郎! とりあえず帯から手を放せ!」
「坊、後でわっちにだけ見せておくれな」
「姐御、それは絵的に色々問題がある!」
「そうだよ姐御、この後温泉でみんなで見るんだろ」
「馬鹿猿! 言い方ぁ!」
太郎を囲んでわぁわぁぎゃあぎゃあと騒ぐ中、犬猿雉の脳裏には、
みんなの太郎ではなく、『ド天然人たらしの太郎』とか、そういった言葉がよぎっていたという。
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