飛助と雛乃のハロウィン
※時系列的には前の二話よりもさらに前の話です。
「『とりっくおあとりいと』ですわ!」
昼休憩を終え、作業部屋に向かう飛助の前に、目の位置に穴の開いた真っ白な敷布を頭から被ったおそらく『お化け』を模したと思われる物体が立ちはだかった。敷布の下に誰が隠れているかなど、暴かずともわかる。
雛乃である。
声もそのままだし、その背丈で、「〜ですわ」などという女児は彼女しかいない。
けれども、ここであっさりと暴くのも可哀想だ。何せ彼女はまだ十の
「うひゃあ! 物の怪だあぁ!」
演技なら任せろと情けない声を上げ、ぺたりと尻をついて見せる。すると目の前の小さなお化けは敷布の下でくすくすと笑うのだ。うんうん、子どもはこうでなくちゃ、と飛助も内心ほくそ笑んだ。あのこまっしゃくれたお嬢様にも子どもらしい面があるのだな、などと微笑ましい気持ちにすらなる。
けれど目の前の物の怪は、それだけでは満足出来ぬようであった。
「飛助、『とりっくおあとりいと』ですわ!」
今度は名まで呼び、その呪文を唱えるのである。
えっと、この物の怪、おいらの名前を知ってるっていう設定なのかな……?
そう思いつつ。
「な、なぜおいらの名を!? 妙な術を使うあやかしだ! うわわ、怖い怖い!」
これで良いのかな?
正直少々手探り気味の飛助である。
頭を抱えてうずくまり、カタカタと震えながら考える。顔見知りという体よりは心を読むなど不思議な術を使える方が恐ろしいのではないか、という判断である。
ちらり、と雛乃の方を盗み見ると、くつくつと笑っているのが見え、ひとまずあっていたようだと胸を撫で下ろす。
さて、これはどこまで付き合えば良いんだろう。
まさか、はいおしまい、と切り替えるわけにもいかない。最良なのは、雛乃が満足して立ち去ってくれることなのだが、なかなかそうもいかないようである。
やがて、何かに焦れた様子の雛乃――もといお化けが、敷布をふわりふわりと膨らませながら駆け寄り、うずくまる飛助の前に、ばふ、としゃがみ込んだ。
「うわぁ! こっち来た!」
こればかりは演技ともいえない声が出た。こんなに至近距離ではあらが気になってしまうし、目が合えば気まずい。
すると雛乃は敷布をもぞもぞと捲り上げ、「飛助」と名を呼んだ。ふはぁ、と顔を出すと、めくれた前髪の間から、汗が光っている。
「わたくしですわ」
「な、なぁんだ。お嬢様でしたかぁ」
おいらてっきり物の怪かと、と最後まできっちり気を抜かずに付き合ってやると、彼女は「飛助は怖がりですわね」と笑いを噛み殺してご機嫌である。いやぁ情けない、などと頭を掻いて苦笑のおまけもくれてやった。
良いんだおいらは。
だって芸人ってのは、笑わせて、笑われてなんぼなんだから。
憂い顔の多かった少女が楽しそうにしているのを見れば、飛助の心もじわりと暖かくなる。乱れた前髪を手櫛で直してやりながら、「それにしてもお嬢様、先ほどの呪文は何なんです?」と問う。
「これはね、異国の言葉なんですって。こないだ
そう言って、帯に挟んでいたらしい書物を取り出す。緩んでしまった帯をさっと直して栞の挟まれた頁を開いた。
「これですわ。『はろういん』というみたいですの」
「へぇ、異形の変装をして菓子を要求する、かぁ」
「菓子を渡さないものはいたずらをされてしまうのですってよ。先ほどの呪文は『菓子を出さねばいたずらをするぞ』という意味のようです」
「なるほど」
へぇ、良いなぁ。
よし、準備しておいらもタロちゃんにやってみようっと。
そんなことを考えていると。
「ですから」
「え? 何ですか?」
袖をついつい、と引かれる。
一尺ほどの距離にいる雛乃が、ぷく、と頬を膨らませて口を尖らせた。
「お菓子をくれないといたずらしますわよ」
「あ、そっか」
そう、先ほどから雛乃はそれを繰り返していたのである。『
「ううん、でも困ったなぁ。いまなーんも持ってないんですよねぇ。あ、でも作業部屋に行けばありますよ」
そう答えると、桜色の唇を、つん、と突き出していた雛乃は、ぷくりと膨らんでいる頬をふしゅう、と萎ませて、「別に」と呟いた。
ちょっとひとっ走りして取ってきますね、と腰を浮かせかけたその裾を、ぎゅ、と掴む。
「――ううん? どうしました?」
「べ、別にいたずらの方でもよろしいんですのよ」
「はい?」
「無理にわざわざ取りに行かなくとも、いたずらの方でも」
わたくしは、別に、と敷布をいじりながら、もじもじと膝を擦り合わせている。
そんなこと言われてもなぁ。
子どものいたずらというのはかなり質が悪い。団にいた頃は、背中に蛙やら虫やらを入れられるなんてことは日常茶飯事だったし、団員の履物がすべてあべこべにばら撒かれてたこともある。顔にいたずら書きだって何度されたか。
特に飛助みたいなやつは標的になりやすい。怒る時は怒るけれども、大抵の場合は一緒になって笑ってくれるような年の近い兄貴分というのは。
それが嬉しくもあったのは事実だけれども。
まぁ、それでお嬢様が楽しいなら良いけどさ。
「わかった。わぁーかりましたよぅ」
ふぅ、と大きく息を吐き、覚悟を決めて目をつぶる。
「ほら! いたずら、して良いですよぅ!」
煮るなり焼くなりしろってんだい、と廊下の真ん中で大の字になる。その横を通り過ぎる従業員達の笑い声は聞こえないふりだ。まーた飛助が捕まってら、我が儘お嬢様のお守りも大変だな、などというささやき声すらも拾ってしまう己の耳の良さが憎い。どうか本人には聞こえていませんようにと、それだけを願う。
とたとたという足音が聞こえなくなっても、雛乃からの『いたずら』の気配はない。随分と待たせるじゃないか。もしかして、ここで阿呆のように一人寝転がることこそが『いたずら』なのではないか。いや、寝転がったのは己の意思だが。
とにかく、目を開けたら、そこには誰もいないのではないか。
そう思ってうっすらと目を開ける。
けれどそこに雛乃はいた。
のぼせ上っているのではと思うほどの真っ赤な顔で、小さな手で敷布をぎゅっと握りしめ、視線を左右に泳がせながら、ぷるぷると震えている。
「あの――……お嬢様?」
「な、何です!」
「何ですっていうか……おいらどれだけ待たされるんでしょう。ていうか、いたずらって、何するんですか?」
「そ! それは、その……!」
その表情を見れば、何となく、察しはつくのだ。何せ彼は太郎ほど色恋に鈍くはない。口吸いこそ、後生大事に取っておいた(なのにあっさりと奪われてしまった)けれども、それ以外のことであれば、団にいた姉さんに教えてもらったことはある。ある程度は経験済みだ。
だけれども。
「お嬢様」
優しい声でそう言って、カチカチに緊張しているその手をふわりと包む。
「やっぱり作業部屋に行きましょ」
「で、でも」
と泣きそうになっている雛乃の頭をもう片方の手で撫で、「おいらのとっておき、二人で食べましょうよ」と笑えば、滲んできた涙を隠すように俯いて「そうですわね」と返してきた。
そのまま手を繋いで歩くが、雛乃はしょぼんと肩を落としたままである。
これくらいの子は背伸びをしたがるものだからなぁ。
特に女児はそういった色事への興味を持つのが早いものだ。周りにいるのが年上の姉さんばかりなのもあるかもしれない。
けれど、何事も焦って済ませれば良いというものではない。確かに自分のような者は
天下の石蕗屋の一人娘がそんな不埒な輩に誑かされてはならない。
小萩と同い年ということもあり、何だかんだ雛乃には滅法弱い飛助である。ちゃんとした相手が現れるまで、おいらが目を光らせてやんなくちゃなぁ。兄貴みたいなもんだしなぁ。
そんなことを考える。
「おやぁ?」
作業部屋には誰もいなかった。そうか、今日は自分が先に飯をもらったから、兄さん連中は入れ違いに食堂へ行ったのか。
雛乃に壁際に置いてある椅子を勧め、隠しておいた甘味を渡す。
ここで食べるのなら、茶でもないと喉に詰まれば大変だ。そう思って、「お茶持ってきますね」と食堂に向かおうとすると。
最中を膝の上に乗せた雛乃が、彼の袖を掴んだ。艶のある唇を、つん、と尖らせている。
仕方ないなぁ。
引くに引けないのかもしれない。無理に背伸びをしすぎて、筋が戻らないのかもしれない。芸事でも、そういうことはある。
「お嬢様」
だから飛助は、多少灸を据えてやる気持ちで、雛乃の後ろの壁に手をついた。いくら自分が
恐らくいままでに見せたこともない真剣な表情で、ずい、と距離を詰めれば、雛乃の顔はまた、破裂せんばかりに赤くなる。
「おいらが『とりっくおあとりいと』って言ったら、お嬢様はどうします?」
「ど、どう、って」
「その菓子をくださいますか? それとも――」
さらに顔を近付け、いつもより数段低い声で吐息混じりにささやく。
「おいらにいたずらされたいですか?」
「ひゃああ!」
彼から逃れようとして身体を捩り、そのまま椅子からずるりと滑り落ちる。目に涙を浮かべているのは、ぺたん、と尻を打ったからか、それとも――。
「なーんてね。冗談ですよ、冗談」
あっはっは、といつものように笑って手を差し伸べると、雛乃は、ぽかんと口を開けて固まった。その手を彼女の頭に乗せて、優しくぽんぽんと撫でながら、腰を落として視線を合わせる。
「だけどねお嬢様。ちょっと怖かったでしょう? おいらだから冗談で済んだけど、そうならないこともあるんですよ。お嬢様は可愛いんだから、気を付けなくちゃ」
「は、はぁ……」
「ほらほら、座って座って。いまお茶持って来ますから」
「え? お茶?」
「最中、一緒に食べるんでしょ?」
「そ、そう、でしたわね」
「ひっひっひ、それ受け取ったんですから、もういたずらはなしですよぅ~。あっはっは。そんじゃ、ちょっと待っててくださいねぇ」
「わ……わかりました」
いつもの雛乃であれば、冗談だと明かした時点でカンカンに怒りそうなものだが、拍子抜けするほど大人しい。ちょっと効きすぎたかな? などと思いながらいそいそと食堂へと向かった。
この一件により、雛乃がさらに彼を男性として意識するようになったのだが、それはまた別の話である。
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