桃太郎のハロウィン ※
せっかくなので白狼丸&茜夫妻にもハロウィンをさせてみることにしました。
ほんのり、ほんとにほんのり程度ですが艶っぽい感じになっております。
「茜、入るぞ」
そう言って、返事も待たずに戸を開ける。
もう既にそれくらいの不躾は許される間柄であった。
「おう、入れよ」
とそれに返す茜の口調はいまだに男のものだ。けれども、それが愛しい女の口から零れたものであれば、何だって可愛らしく聞こえてしまう。
いつものように火鉢を用意し、布団の上にきちんと正座をしている茜だが、今夜はいつもと様子が違う。
角が、長い。
いつもは前髪をかき上げねばわからぬほどの――何なら、ただの瘤と大して変わらぬようなそれが、今日は髪をかき分けてまっすぐ天井に向かって伸びているのだ。四寸ほどはあるだろうか。これぞ鬼と呼べるほどの立派な角である。
「茜、どうした、その角は」
震える声でそう言うと、彼女はそれをゆっくりと擦り上げて、にや、と笑った。その唇の端からちらりと覗く糸切り歯も何だかいつもより大きく鋭い。
「どうしたもこうしたもない。俺は鬼だぞ」
「そう……だけどさ。一昨日まではそんなのなかったじゃねぇか」
昨夜は桃を食べた青衣が遊びに来たせいで会えなかったが、その前の晩に会った時は確かにこんな角も牙もなかった。それは間違いない。
「俺が怖いか、白狼丸」
「怖かねぇよ。驚いただけだ」
「この姿でも、お前は俺を抱けるのか?」
「何も問題はねぇな」
「この牙で、お前の喉を喰い破るかもしれないんだぞ?」
「お前に喰い殺されるなら本望だよ」
その場しのぎの戯言ではない。白狼丸は腹の底からそう思っている。人の生など、いつ何時何があるかわからぬ。自分の両親のように、それこそ予期せぬ天災によってあっけなく終わりを迎えるかもしれない。ならば、己の命を刈り取るのがいっそ愛しいものであれば良いとさえ思う。お前がそうしたいのなら、おれを喰らって生きれば良い。共に死んでくれても良い。
そんな重い覚悟を乗せて返すと、茜は、ふ、と肩の力を抜いて柔く笑った。
「冗談だよ、白狼丸。せっかくお前と夫婦になれたっていうのに、むざむざこの幸せを手放してたまるか」
「そうか。おれはお前に喰われるのもある意味幸せだと思っているがな」
それで、と白狼丸は、一つ大きく咳払いをする。
「その角と牙は本物なのか?」
そう言って、真向かいに座り、恐る恐る角に触れる。ざらりとした感触ではあるが、いつも触れる瘤のような角とは違う。
「いや、これは飛助が作ったものらしくてな。被せてあるだけなんだ。牙も」
「あの馬鹿。何のつもりだ」
腕を組んで、大部屋の方を睨み、大きなため息をつく。
形を整えた木っ端に着色をしてあるらしいそれらを外して、膝の上にきちんと並べた茜が、ぽつり、と言う。
「とりっくおあとりいと」
「――ううん?」
「昨日、飛助が言ってたろ?」
「お? おう」
「これをもらったのは今日の昼なんだけどな。その時に太郎を通じて教えてもらったんだ。異国では、異形のものに化けて、それでいまの文言を唱えるのだと」
「言われてみればあいつも姐御も妙な恰好をしてたっけなぁ」
昨夜を思い返して顎を擦る。
「俺はもともと異形のものだから不要だと言ったんだけど、飛助が言うには、それじゃ足りない、とのことでな」
「あの阿呆……」
「それで、どうする、白狼丸」
「何がだ」
とん、と胸を押される。
女とは思えぬ力である。何せ彼女は鬼なのだ。
抵抗する理由もなく、そのまま布団の上に押し倒された。
「菓子をくれるか、それとも、いたずらが良いか」
「そ……だなぁ」
ふと、懐に手をやる。
いや、ここに飴玉を仕込んでいたのは昨日のことだし、それも気付けばどこかに落としてしまっていたのか、どこにもなかった。
まぁ、あったところで、という話ではある。
柔らかな髪が、頬にかかる。
いつもとは逆の立場に、どきりとする。
「菓子は……ないしな」
「そうか。なら、仕方ないな」
「おう、仕方ねぇ」
「いたずらだな」
「甘んじて受けてやろう」
さてこれから一体どんな『いたずら』をされるものか。この体勢なのだ、だいたい察しはつく。そうか、今日は茜からか、などと考えて、つい笑みが零れてしまうそうになるのをぐっと堪えた。
「白狼丸、目をつぶってくれないか」
「わかった」
「いや、つぶるだけでは安心出来ない。目隠しをさせてもらう」
「え? お、おう」
これは予想外の展開である。まさか茜にそのような性的嗜好があったとは。いや、これはこれで、などと思いながら、素直に応じる白狼丸である。
さて、準備は整った。
どこからでもかかってこい、と期待に胸を膨らませていると。
寝間着の袷を、ゆっくりとはだけさせられた。
おお、こう来るか、とやけに冷静な自分がいる。
つぅ、と何やらぬるりとしたものが、腹の辺りを滑った。
まさか茜の舌ではあるまいか、と思わず声を上げてしまいそうになるが、それにしてはやけに冷たい。
「あ、茜? いまのは何だ?」
「何だと思う? はい、もう一つ」
「え? ――ひゃあああ!」
答えるまでもなく、またも、冷たく、ぬるりとしたものが腹の上に落とされた。そしてやはりそれは、つぅ、と彼のなだらかな腹筋の上を滑っていった。が、帯で止まったそれは、そこからもぞもぞと動き始めたのである。
「う、うご……?! え? な、何だ? ちょ! くす、くすぐってぇ……っ!」
思わず目隠しをはぎ取って身体を起こし、帯を解いて寝間着を脱ぎ捨てる。ぱた、と布団の上に落ちたのは二匹の蛙であった。
「え? ちょ、蛙……?」
「ははは、驚いただろう。飛助がな、白狼丸は絶対にいたずらを選ぶだろうから、だったら、これがお勧めだと言ってな。くれたんだ。着物の中に入れてやれ、って」
「あンの阿呆……っ!」
再び寝間着を羽織り、蛙を桶の中に戻して、がくりと項垂れる。
そもそも茜にそれ系のいたずらなど出来るわけがないのである。わかっていたはずなのに、ついつい期待をしてしまった自分も情けない。
「白狼丸? 怒ったのか?」
うつむいたまま動かなくなってしまった彼の肩に触れ、茜がおろおろと眉を寄せる。
と。
「とりっくおあとりいと」
うつむいたまま、ぼそり、と白狼丸が呟いた。
「え?」
「どっちだ。選べ、茜。お前、菓子は持ってるのか?」
「菓子は……あったんだけど。実はお前が来る前に飛助が」
来て、と続けると、彼は、がば、と顔を上げて茜の肩を掴んだ。
「あいつが来たのか?! お前、まさかこの姿で会ったんじゃねぇだろうな?! こん、こんな、薄い寝間着で!」
「落ち着いてくれ、白狼丸。飛助が来た時はまだ太郎だったから」
「な、なら良いけど……。それであの阿呆は何しに来たんだ」
「何でも、小腹が空いて仕方がないと言って、この部屋に菓子はないかと」
「小腹だぁ? あいつ白飯を三杯もおかわりしてたんだぞ」
「そんなの知らないよ。だから、本当はお前と食べようと思って、甘味を一つ二つ用意してあったんだけど、全部やってしまったんだ」
「ぐぅ……あの野郎」
これじゃ怒るに怒れねぇ。
畜生、蛙の件はこれでチャラにしてやる。
喉の奥でそう呻き、じゃあ、と今度は逆に茜を布団に縫い留めた。
「菓子がねぇんだから、いたずらだな。おれが手本っつぅもんを見せてやる」
「手本?」
「おう。夫婦間のいたずらってのは、蛙を着物に入れることじゃねぇんだ」
「そうだったのか。それは済まなかった」
「今日はおれに何をされても文句言うなよ」
「何をされても、って何を……」
「文句言うなよ」
「わ、わかった」
「今日は灯り消さないからな」
「そんな!」
「文句言わない」
「わかった……」
その翌朝、「大変だ白狼丸、身体中に発疹が! これは何か悪い病かもしれない!」と慌てた太郎が、青衣に薬をもらってくる、と石蕗屋を飛び出してちょっとした騒ぎになったのだが、それはまた別の話である。
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