白狼丸の夜這い ※

※自作品を読み返していたら、「太郎にも襲いかかる白狼丸を短編の方でも書かねばならない」みたいなことをコメントの返事で書いていたので、過去の自分との約束(?)を守るために書きました! 



「どうした、白狼丸」

「夜這いに来た。とりあえず、中に入れろ」


 さらりと告げられた夜這いの意味をわかってるのかいないのか(確実にわかっていない)、太郎が鍵を開けて白狼丸を迎え入れたのは、夜もどっぷりと更け、皆が寝静まった頃のことである。


「お前、明日休みだろ」

「そうだけど。明日は白狼丸も休みだろ」

「まぁな」

 

 でも飛助は急ぎの仕事があるみたいだからなぁ、と残念そうな顔で廊下の方に視線をやると、それを遮るように白狼丸が身を滑り込ませた。戸を背にして向かい合う恰好である。その顔がやけに真剣というか、余裕がなさそうに見え、太郎は、どうしたんだ、と言って布団の上に(この部屋は狭すぎるため、床は一面布団である)正座をした。


「座れよ白狼丸。話があるんだろ?」

「話……はまぁ、ないわけじゃないけど」


 太郎がそう促すと、白狼丸は半端に開いていた戸を後ろ手で閉め、視線を左右に泳がせながら、ぼす、と音を立てて布団の上に尻をつく。


「今日は天気が良かったから干しておいたんだ。どうだ、ふかふかだろ」

「え、あ、そう……だな」


 たっぷり空気を含んだ掛け布団をふこふこと押し、満足げに目を細める。


「今日はこれで寝るのが楽しみでさ」


 その表情のままそんなことを呟く太郎に、白狼丸は「おう」と何やら不満げに相槌を打つ。


「今日は特別忙しかったから、さすがの俺もくたくただよ。だからこの布団で明日は思い切り寝坊してやろうと思って」


 生真面目な太郎の口から飛び出した『寝坊』などという言葉に乗っかることもなく、白狼丸はやはり、「おう」とだけ言った。


「どうしたんだ白狼丸。腹でも痛いのか?」


 何だかお前らしくないぞ、と太郎が身を乗り出し、白狼丸の肩に手を置いて、その顔を覗き込む。

 すると彼は驚いたように目を見開き、その手をやんわりと払って「そうじゃない」と顔を背けた。その顔は、耳まで赤くなっている。


「なぁ、やっぱり熱でもあるんじゃないのか」

「ねぇよ」

「でも、真っ赤だぞ。そうだ、手拭いを冷やして持ってくるよ。ちょっと待っ――」


 片膝を立てて腰を上げた太郎の手を掴み、「いや」と引き寄せる。

 わずかに体勢を崩しかけ、危うく白狼丸の方へ倒れ込むところだったが、もう片方の手をつき、腹に力を入れ、太郎はぐっと堪えた。


「おい、急に引っ張ったら危ないだろ。どうしたんだ」


 さすがの太郎も少々焦ったような声を上げれば、白狼丸は相変わらずの赤面で、さっきよりも近い距離にある彼の顔をぎろりと睨む。知らないうちに彼の機嫌を損ねてしまったかと、太郎は眉を下げた。


「なぁ、本当にどうしたんだ。俺、何かしたか?」

「してねぇ」

「じゃあどうした」


 体勢を立て直そうとしている太郎の肩を掴み、ぐるりと反転させるようにして布団の上に押し倒すと、抵抗する様子もない彼はきょとんとした顔で真上にある白狼丸を見つめた。


「本当に何なんだ」

「おれもさすがに限界なんだよ」

「限界って何が」

「茜だよ」

「それなら茜の時に言えよ。俺に言ったって仕方ないだろ」

「まだならねぇのか」

「はぁ?」

「茜に」

「あぁ、そういうことか。そうだな。もうすぐ……かとは思うけど。大抵、俺が寝てる時だから、具体的にいつなのかは」

「寝てる時?」

「そう。起きることもあるけど、気付かずにそのまま朝になることもある」

「何だそりゃ」

「ここ数日、お前に会いにいくために頑張って起きようとしてたらしいんだけどな、さすがに俺の方が疲れていればそうもいかないみたいで。今朝は戸に向かって手を伸ばしてる状態で目が覚めた」

「お前達、別々なんじゃないのか?」

「別々だけど、身体は一つだからな」

「それじゃここ最近会えなかったのは……」

「いま繁忙期だからなぁ」


 そういうことだったのか、と白狼丸は太郎を組み伏せたままがくりと項垂れた。


「どうした白狼丸」

「……石蕗屋ここの忙しさが憎い。茜に会いたい」


 太郎の胸にべたりと頬をつけ、弱い声を出す。本当ならこんな偏平な胸ではなく、彼女のもっと柔らかな――いや、茜のはそこまで大きくはない気がするが、その際それはどうでも良い――それに顔を埋めたいのである。けれど現実は、ほんのりと甘い桃の香りがする野郎の胸の中だ。

 なのに、


 ――畜生。これはこれで。


 そう思ってしまうのが癪だ。


 いや待てよ。

 太郎は遅かれ早かれ茜になるのだ。ならば、ここでこうしていればそのうち――、


 茜への想いが募りに募った結果、いよいよ白狼丸の『何か』がぷつりと切れた。想いを確かめあって晴れて恋仲――どころか夫婦めおとの関係になれたというのに(まだ式は挙げていないが)、島から戻って以来、石蕗屋の日常を取り戻すのに忙しく、一目見ることすら叶わなかったのである。


 寝間着の合わせからちらりと覗く太郎の鎖骨を甘噛みすると、さすがに彼も驚いて声を上げた。


「うわぁ! おい、白狼丸何をする!」

「仕方ねぇだろ。だって……」


 起き上がろうとするその肩を、ぐいと押さえつけられる。力比べはいつだって太郎の勝ちで決まっていたというのに、それを振りほどけなかったのは、白狼丸が苦しそうだったからだ。だって、と言ったきり言葉を詰まらせた白狼丸のその表情に太郎は怯んで、力を抜いた。何かよくわからないが、目の前の友は酷く辛そうなのだ。


 他ならぬ、白狼丸だからな。


 太郎はそう思った。


「わかった」

「何が」

「そういえばそうだったな」

「何を言ってるんだ太郎」


 目を瞑り、うん、と一つ頷いてから、太郎はゆっくりと目を開き、そしてまっすぐに白狼丸を見上げた。


「お前になら、生きたまま食われても良い」


 そう言って、にこりと笑う。


「――は?」

「でもここだとせっかく干した布団が血まみれになるよなぁ。絵巻の大蛇でもあるまいし、俺を丸呑みなんて出来ないもんな」

「……はあぁ?」

「場所変えるか? いくら合意の上でも人に見られるのはまずいし……、あぁ、浴場なら誰もいないから、血も洗い流せてちょうど良いかも――」

「ちょちょちょちょっと待ったぁ!」

「何だよ」

「お前さっきから何言ってんだ?」

「え? 白狼丸、俺のこと食らいたいんだろ?」

「いや、食らいたい、わけでは」

「違うのか? だってさっき鎖骨をかじったろ」

「か、じったけど……」


 あぁそうだった。甘噛みなんて、太郎にわかるわけがないのだ、と白狼丸は思った。太郎の中でかじるといえば、それは即ち『食らう』ことなのである。


「何せ白狼丸の兄上は狼なんだし、お前だってたまには生きた肉を食らいたいんだよな。うん、仕方ないよ」

「いやいやいやいや! だからそれは違うってこないだ言ったじゃねぇか!」


 確かにその白狼は、白狼丸の兄のようなものではあるのだが、『兄』と『兄のようなもの』は全くの別物である。


 だとしても! と白狼丸は目を吊り上げた。


「何でお前はなんの抵抗もなくおれに食われようとしてんだ!」


 もうすっかりその気も失せた白狼丸が身体を起こすと、太郎もそれに倣って、のそり、と起きた。


「何でって言われても」

「しかもてめぇが食われた後の心配までしやがって。生きたまま食われるんだぞ? 痛いなんてもんじゃねぇんだぞ?!」

「そうだろうけど」

「だろうけど、何だよ」

「俺は、腹を空かせて辛そうなお前を見る方が余程胸が痛いよ。飢えているなら、俺を食らえば良い。きっとお前は優しいだろうから、俺が長く苦しまないようにしてくれるだろうし」


 最初に狙ったのが鎖骨だったから、次はここだろ、などと言いながら、首にある太い血管をつぅ、となぞる。


 優しいのはどっちだ。


 その言葉が喉元まで上がってきて、白狼丸は、がくりとこうべを垂れ、それを吐き出す代わりに深くため息をつく。


「もう良い。おれ、戻る」


 項垂れたままそう告げると、そのしょぼくれた頭の上にそっと手が乗せられた。


「戻っちゃうのか、本当に?」


 その声に驚いて顔を上げる。その勢いに驚いたか、頭の上にあった手が、わぁ、という可愛らしい悲鳴と共に、ぱっと離れた。


「あ……かね」

「茜だよ」

「さ、さっきまで、た」

「太郎だったけど」


 久しぶりだからなのか、恥ずかしそうにはにかんで、身を捩らせているのは、紛れもなく彼の妻の茜である。


「戻っちゃうのか? せっかく会えたのに」

「も、戻らない! ここにいる!」

「良かった。ごめんな、白狼丸。本当はお前にすごく会いたかったんだけど」

「良い良い! 気にするな!」

「ありがとう。それで、その……」


 もじもじと余り気味の寝間着をちまちまとつまんで、上目遣いに白狼丸を見やる。小さな行灯あんどんの淡い光の中にいる茜は、月明かりの下で見るよりも一段と妖艶で、思わずごくりと喉が鳴る。


 互いに明日は休みだ。

 ならば、と白狼丸は茜の華奢な肩を抱いた。おれ達は夫婦なのだ。何の遠慮がいるだろうか、と。


 が。


「……すぅ」

「……え?」


 白い喉を晒してかくりと天井を仰いだ茜は、すやすやと寝息を立てているではないか。


 そういえばさっき、太郎は「今日は特別忙しかった」から「くたくただ」と言っていたのである。ならば身体を共有している茜だって眠いのだ。


 さすがにこの状態の茜に手を出すことは出来ない。出来ないわけではないのだが、虚しさが勝る。愛しい女との『初めて』がこんなもので良いはずがない。


 だから彼は、その身体を胸に抱いて、干したばかりでふかふかの布団に横たわった。きっと明日の朝はまた、「俺を抱いたまま寝るなよ」と太郎に叱られてしまうだろうけれども。


「それくらい屁でもねぇ」


 そう呟いて、茜の額に口づけを落とすと、彼女は満足そうに柔らかい笑みを浮かべた。


 そういや太郎はさっき、思い切り寝坊してやるとも言っていたのである。たっぷり眠れば明日の夜こそは茜とゆっくり出来るだろう。


 よし、明日だな。


 そう決意して、白狼丸も瞼を閉じた。

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