太郎の休日・青衣編②
「おや、坊じゃないか。お供も連れずにどうしたんだい?」
いつものように扇子屋の店先にある長椅子に腰かけていた青衣は、太陽を背にして立つ太郎を見上げて目を細めた。
「お供って……。俺は子どもじゃないんだぞ」
拗ねたように口を尖らせる太郎に苦笑しつつ「そんなこたァわかってるよゥ」と返す。
「一人でわっちに会いに来たなんて知れたら、あの二人が悋気を起こすんじゃないかと心配でねェ」
「そうか。そこまでは考えてなかった。そうだよな、二人も青衣に会いたかったよな」
そんなことを言って困ったように眉を下げる。
違うよ坊。そういうことじゃないんだよ。
「そんなことより、わっちに何か用かえ? 立ち話ってェのもナンだ。茶ァくらい出すよゥ」
そう言って腰を上げようとした時、すい、と目の前に彼の手が伸びてきた。
「何だい?」
「茶は良いよ。青衣を誘いに来たんだ」
「わっちを?」
「正午まで時間をもらえないだろうか」
「正午まで、ねェ」
「もしこれから客が来るのなら出直すけど」
「いいや、来ないよ」
「そうなのか?」
「そうとも、別に看板を出してるわけでもないからねェ。それより坊からの誘いの方がわっちににゃァ重要なんだよ」
そう言うと、目の前に差し出されている手を取って立ち上がった。白狼丸や飛助と並ぶと小柄に見える太郎であるが、それは身体の線が細いからであって、上背は青衣よりもある。傍から見れば恋仲同士のようではないか、などと内心ほくそ笑む。
「行こうか」
と歩き始めて自然と解けそうになる手を、そうはさせじと強く握った。いまだけは、わっちのものだよ、と。この場にいない犬と猿に向けて念を飛ばす。
さて、しかし坊の用とは何だろうか、とどこか夢見心地で歩きながらも首を傾げる青衣である。
この太郎がただ自分と歩きたいというだけで貴重な休日を消費したいなんてことが、果たしてあるだろうか。真面目且つ純粋過ぎてさすがの青衣でもその思考が読み取れないほどの太郎であるから、もしかしたら本当にただ散歩したかっただけ、というのも案外ありうる話かもしれない。それはそれでもちろん嬉しいのだが、長年人の裏の裏をかくような世界で生きてきた青衣のような者にとっては、正直落ち着かなかったりもする。
いっそ身体目当てで、通りの向こうの連れ込み宿にでも引っ張っていってくれたら色んな意味ですっきりするのだが、この男に限ってそれだけはないと断言出来る。
ただひたすらまっすぐ前を見てすたすたと歩くその横顔を見れば、やはり何かしらの目的があるようにも思える。一度もこちらを見ようともしないその横顔から、何かを読み取れないかとじぃっと見つめていると、やっとその視線に気づいたか、目玉だけをきょろりと向けて、ほんの少し口元を緩めた。
「青衣、随分待たせてしまったな」
「何のことだい」
どうやら目的地に着いたらしく、黙々と進んでいた足が、ぴたりと止まる。
太郎の横顔を見てばかりでろくに前を確認していなかった青衣は、その店を見て何もかも悟り、「あァ……」と吐息混じりの声を吐いた。
金物屋である。
これまた随分な別嬪さんで、などと目尻を下げて揉み手をしている店主が、その妻らしき女に尻を抓られている。
「坊、まさかと思うけど」
つい、とその袖を引くが、太郎は「大丈夫だから」と何やら自信に満ちた顔で、ぱちりと片目をつぶってみせた。どんな惚れ薬よりも効きそうな仕草に、ぎゅ、と胸が締め付けられる。
「店主」
「はいはい、ご用意出来てますよぉ」
どんなに抓られても最早痛みも感じないらしい店主が、でれでれと鼻の下を伸ばしながら、それを持ってくる。
「ウチで一番の鍬ですよぉ。これはねぇ、もう十年、二十年使ったってへこたれないんですから!」
「ありがとう。これはまた随分立派な鍬だ」
「そうでしょうそうでしょう」
「どうだ、青衣。立派な鍬だろう?」
「そ、そうだねェ」
「店主、これをいただく」
「はい、毎度ぉっ!」
重いからこれは俺が持つよ、と立派な鍬を肩に担いだ太郎の隣を歩く青衣は、もう苦笑するしかない。
「坊、随分高価なものみたいだけど、本当に良いのかえ?」
「もちろん。給料をもらったら、最初にこれを買うと決めていたんだ」
「まさか全部使っちまったなんてこたァないだろうね?」
「大丈夫。俺の給料で買える範囲のものだし、ちゃんとおじいさんとおばあさんの分は残してあるさ」
「坊の分は?」
「俺の分?」
「何か欲しいものでもあるだろう?」
「ないよ」
「ないわけないだろう。坊だって若い男なんだから」
「本当に何もないんだ。石蕗屋では飯ももらえるし、風呂も入れる。寝るところもあるし、着物だってこれがある」
「そうじゃなくてねェ……」
「俺は、もう本当に十分なんだよ。石蕗屋には白狼丸も飛助もいるし、毎日は会えないけど、青衣もいる。おじいさんとおばあさんにはたまにしか顔を見せられないのが残念だけど、文を出せば返って来るし」
「欲のない男だねぇ」
扇子(もちろん薬は仕込んでいない)をはたはたと扇ぎつつそんなことを言えば、そんなことはない、という言葉が返ってきた。
「欲はあるさ」
意外な言葉に目を剥いて彼を見る。すると太郎は、にぃと口角を上げて歯を見せるのである。太郎にしては珍しい、年相応の笑みの中に、彼の一番の友人の面影が見て取れるのが青衣は正直面白くない。そんな笑い方を教えたのがあの白狼丸かと思うと腸が煮えくり返る思いである。さらに言えば、その顔も決して悪くないと思えてしまうのがまた憎い。
「俺はまだまだ知らないことがたくさんあるからな。色んなことを知りたい」
「成る程、そういう欲かい」
勤勉な太郎らしい返答に、安心するやら拍子抜けするやらである。
が。
「一月くらい前、飛助が良いことを教えてくれると言ったんだ。俺の手を取って、何やら真剣な顔で。だからきっとものすごく大事なことだったんだと思う」
「……うん?」
「その時は白狼丸が来て結局聞けないまま終わってしまったんだけど、ずっと気になっててさ」
「……ううん?」
「ほら、一月前は色々バタバタしてただろう? 店もかなり大変だったから休みももらえるような状況じゃなかったし。今日は飛助とも会う約束をしてるんだ。せっかくだからゆっくり教えてもらおうと思って」
「……ヘェ」
わざわざ手を取って告げるような『良いこと』とは何だろう。その相手が飛助となると、どうにも嫌な予感がする。
「坊」
「何だ?」
「お猿とは決して二人きりになるんじゃァないよ」
「どうして」
「どうしてもこうしてもさ。犬っころは? あいつはどうしたんだい?」
そもそもあの番犬が黙っているはずがないのである。けれど先程からその名が出て来ないことに違和感を覚えた。
「白狼丸とはこの後会うよ。いつも三人で固まってるから、たまには一人ずつ会おうかと思って」
「成る程ねェ」
「飛助は夕方に声をかけようかと。ほら、白狼丸は夜……用があるから」
「あァ、そうだねェ」
夜は白狼丸が茜と会う時間である。
「でもどうせ夜半なんだろう? 悪いこたァ言わないから、お猿と会うのはお天道様がしっかり顔を出してる時におし。それと、なるべく人のいるところにするんだよゥ?」
「え? う、うん。わかった」
「良い子だ」
目を細めてぐりぐりと頭を撫でてやると、「だから、俺は子どもじゃないって」などと言いながらも、太郎はほんの少し嬉しそうだった。
扇子屋までしっかり送り届けてくれた太郎をにこやかに見送った後で青衣は――、
「とりあえず無いよりはマシだ」
と、扇子の骨となる竹を数本拝借し、懐へ入れた。
今後のためにも、多少の忍具はそろえておいた方が良いかもしれない。
元忍びとして、どんな手を使ってでも、太郎の貞操を守らねばと決意を新たにしたのである。
※何か続きそうな感じで締めましたけど、太郎の休日・白狼丸編と飛助編はまだノープランです。何か良い感じの小ネタを思いついたら書きます。
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