第2話 前世と未来

 =バサバサッ=


 耳元で鳥の羽音が聞こえた。ゆっくりと目を開けたら、ん? 

(ここはどこだ? 確か自分の部屋で寝ていたはずだけど……)

 見たことのない田園風景だ。さしずめ、中世ヨーロッパの田舎という感じか。

 美術館で見た光景さながらって感じだから。


「きゃあああぁぁ―――、助けて――」

 どうしたんだ? 女の人が叫んでいる。

 急いで行ってみると、道沿いで男数人が女を捕まえている。

「いやあぁ、助けて、お願い家に帰してぇ――」

 咄嗟に助けようと男の前に飛び出したが、誰も俺の存在に気が付かない。

 自分の身体がまるで霞のようだった。

 波多野ミクが言っていた、これが前世の世界ってやつなのか。

 どうにもできないので、黙って様子を見ていると、

「おまえは領主様の元に行くんだ」

「そうともさ、残虐でいかれた領主様の元にな。くくくっ」

 男2人が愉しそうに話しながら、女を引きずっていった。


 その後、舞台が一瞬で場面転換するように、急に薄暗い部屋の中に変わった。

(な、何だ!? ここは拷問部屋か!!)

 ギロチンやら、棘がびっしりついた椅子やら、物騒なものが沢山ある。

 しかも、全て使用済みらしい跡もベッタリと……。

(うえぇぇ、マジで吐き気がする――)

 更に、あちらこちらから、断末魔の叫びが聞こえてくる。

 ここは、さっきの男達が言っていた残虐で、いかれた領主の城なのかもしれない。

 この気味の悪い部屋を出てみると、廊下の壁に立派な肖像画が掛けられていた。

 多分これが領主の肖像画だな。よし、どんな悪人顔なのか見てやれ。

「!?」

(こっ、これは、俺じゃないか――)

 そこには立派な口髭を生やした、俺そっくりな男が描かれていた。

(じゃあ、その残虐な領主って……、俺の前世なのか――……)



 =バサバサッ=


 愕然としたのも束の間に、また、羽音とともに場面転換された。

 今度は時代も国も違う。ああ、あれは江戸城だ。日本の江戸時代かもしれない。

 ここは、大きな通りを挟んで両側に立派な見世や小さい見世、露店などがひしめき合っており、多くの人々が忙し気に歩いていた。町人文化って、こんなに活気溢れる感じなんだなぁとお登りさん状態で通りを見物していたら、大きな見世の前で人だかりが出来ているのを見つけた。

(ああ、いたいた、俺だ)

 この時代の俺は、何故か人だかりの中心に立っており、立派な羽織を着こみ、頭には丁髷が乗っている。


「旦那さん、こんな金額じゃあ、家族を養えないです。もう少し高く買っていただけないかと……」

「ええい、うるさい、うるさい! 貧乏人め。お前たちがどうなろうと儂は知らん。はよ去れ!」

 小作人風の男と大店の旦那の“俺”が店先で揉めていた。

 どうやら農民から安いお金で農作物や布を買い取り、それを高い価格で転売して莫大な利益を得ていたようだ。


「旦那さん、お願いします、うちにはかかぁと腹を空かした子供が3人もいるんだ」

「ええい、うるさい。水でも飲ませとけ」

 そう言うと、旦那は小作人の男を突き飛ばし、店前に汲んであった桶から柄杓を持ち上げ水をばらまいた。

 ずぶ濡れになった小作人の男は恨みがましい目で旦那を睨んでいる。

 辺りは騒然として、この騒動を見ていた通行人達が口々に旦那の悪口を言っている。

(何だよ、俺の前世は悪人ばかりじゃないかよ――)

 目の前の出来事に茫然としてしまい、居たたまれず目線を足元に落とした時、またもや羽音が聞こえてきて場面転換された。




「どう? 自分の前世を見た感想は?」 

 波多野ミクだった。彼女は真っ白なワンピースを着て、肩には嘴が黄色の白い文鳥が止まっている。

(指導霊の文ちゃんって文鳥かよ……)

 

 背景も何もない無の空間の中で、俺より一段高い場所にいる彼女を見上げて言った。

「どうって、最悪の一言だ」

「あなたは、見たとおり幾つかの前世で残虐非道、そして無慈悲の振る舞いを行い、多くの恨みを買ってしまった。その恨みの思念が負のカルマとなり、現世に影響しているのよ」

「――そのようだな……」

 俺はすっかりうな垂れ、この摩訶不思議な空間に普通に佇む彼女を見つめた。

「で、波多野はなんでこんな不思議なことができるんだ?」

「私も同じだったの。かつて、多くの悪行の限りを尽くし魔女と恐れられた時代もあった……。そんな負のカルマを断ち切るには、同じくらいの正のカルマを得るしかない。私は運よくこの文鳥姿の指導霊に導かれ、これまでとは正反対に善行を行うための転生を何度も繰り返したの。そしてやっと私の魂が白くなり、誰かを支えられるようになったのよ」

 悪行を断ち切るための善行の転生。壮大なスケールの話に頭が追い付かない。


「私のミクの名前は、真名は“未来”。あなたの未来を守るために逢いにきたのよ」

「何でだよ。波多野は俺を助けても何にもメリットは無いだろう? どうせ、自殺するならしたっていい。こんなロクデナシの魂なんて消滅した方がいいんだ」

「突然色々と見せられて混乱しているのは分かるけど、もし、死に逃げたとしても、あなたの魂は変わらないから延々と同じ事が繰り返されるのよ」

 負のループは延々と終わらないという事なのか!? そんなの信じられないと否定しつつも、一方では恐怖を感じており震える手で口元を覆った。

「私は、あなたを絶望させるために前世を見せたのではないわ。あなたの魂の深淵に根を下ろしていた負のカルマを認識し、そこから脱却させるためよ。深淵を見た者は大きな力を得るのが理。あなたはきっと変われるわ!」

「いい加減にしてくれ、そもそもお前は何なんだよ。お前には俺を助ける理由がないだろう!」

「――それは……っ、何度目かの転生で気が付いたのだけど、私はあなたのソウルメイトだったの。即ち魂の伴侶なのよ」

「はぁ!? 訳が分からねぇ!!」

「私があなたのネガ思考を消すことができるのが大きな証拠よ。私の魂があなたの負のオーラを中和できるの。どの人生や時代でも出会っていたり、出会っていなかったりしたけれど、逢えば分かる。あなただって、私と一緒にいる時に安心感や充足感を感じたはずよ。私はあなたを助ける事ができるの」

「――確かに安心感はあったかも……しれないが……」

 波多野ミクの話はどれもスケールが大きすぎて、理解を超えており、俺が今すぐに情報処理するには難しいことばかりだ。頭がグルグルしてきた。


 ふと気が付けば、彼女は音もなくすっと隣に立っていた。

 そして、静かに俺の目をじっと覗き込んだ。

「な、何だよ……っ」

 その目は潤んでいて、とても懐かしいそうに俺の顔を見つめている。

「ずっと、逢いたかったんだよ」

 まるで彼女から告白されたかのような気持ちになり、恥ずかしくなった。

 波多野ミクは、客観的に見てもアイドルのような可愛い女の子で、彼女のぱっちりとした瞳に射抜かれて、ドキドキしてしまう。

 照れて彼女から顔を背けると、急に腕を強く引っ張られた。

 次の瞬間、その拍子で前かがみになった俺は、彼女からそっと触れるようなキスをされた。


「えっ!!」


 =バサバサバサ=


 突然、ぐらっと足元が崩れ、視界がぐにゃっと大きく歪んだ。

「波多野!」

 鳥の羽音が聞こえてきて、咄嗟に手を伸ばしたが、彼女の手を取れないまま意識を失ってしまい、気が付いたら自分のベッドの上だった。



 次の朝、いつも通りの支度を終え自宅玄関を出ると、波多野ミクがニコニコしながら立っていた。

「おはよう、坂田君。迎えに来たの。一緒に学校へ行こう」と手を繋ごうとしたが、俺は彼女の手を振り払った。

 無視して無言で歩き出すと、彼女は鼻歌まじりで俺の後についてきた。

 昨日の事を思い出し、心臓がトクトクと世話しなく鳴っている。


 いつものまだシャッターが閉まっている商店街に入ると、昨日見た母親と小さな女の子が並んで歩いていた。

(ああ、虐待している母親かぁ……、でも……あっ!)

 

「あの、これ落ちましたよ」

 子供が持っていたぬいぐるみが落ちたので、直ぐに拾って声をかけた。

 今までだったら、絶対に見て見ぬふりをしていたのに。

 母親は黙ってぬいぐるみを受け取った。

 俺は母親と女の子を見比べて「ママ似ですね」と、たった一言呟いた。

 母親は目を大きく見開いて俺を見ると一瞬、何か話しかけようとした感じだったが

「さあ、行くわよ」と子供を促して行ってしまった。

 女の子は母親に手を引かれながら後ろを振り向き「ありがとう」と言って笑った。

 母親がふっと柔らかい表情を見せた。


 ――運命が変わり始めた。


 俺の言動や行動で世界が激変することはない。

 でも、何か小さなきっかけで未来が大きく変化する事がこの世にはあるのだ。


 様子を近くで見守っていた波多野ミクが駆け寄ってきた。

「やったわね。育児をしている女性は一人で何でも抱えてしまって余裕が無くなる時があるけど、ほんの少しでも他者との関わりを持つ事で心が和む時もあるのよ」

 満面の笑みで喜ぶミク。

「坂田君はあの母親が変わるきっかけになったのかもしれないわね」

「人のネガティブなんてそんな簡単なものじゃないだろう」

 頭を掻きながら紅潮した顔を背けた。

「さあ、バスに乗り遅れるぞ」

 余裕がないのに余裕のあるフリをして、自分から彼女の手を取って歩き出した。

「ねぇ、私達って付き合うってことでいいよね?」

 予想もしない質問に目が丸くなった。

「はあぁ、俺、告ってないし」

「えぇ? キスしたくせに」

「お、俺はしてねぇ、お前だろう!」

 彼女の一言一言に振り回され、俺の心拍数が急上昇する。

「じゃあ、私が坂田君のファーストキスを奪った責任を取るよおぅ」

「……ふぁあすと、きすって――、違うかもしれないだろうが……っ」

「だって、分かるもーん」

 きまり悪さから、彼女の手を離して逃げ出した。

 後から「待ってよー」って可愛い顔をして追いかけてくる。


 波多野ミクと一緒にいると、昨日までの自分が別人に感じるくらい、いつもと違って変化している。少なくとも俺にはノイズキャンセリングが必要なのと、彼女とこれから始まる未来に何だか胸がワクワクしている。

 取りあえず運命に足掻いてみよう。

 精一杯足掻けよ、俺。

 未来は変えられるのだから。


【了】


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俺と彼女の正しい現世 仙ユキスケ @yukisuke1000

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