俺と彼女の正しい現世

仙ユキスケ

第1話 現世

 =ドンドン、ドン=

「優 起きなさい! ま・さ・る! 遅刻するわよ。 早く起きなさい!」


(――ん……。ん? もう、朝かぁ……)

 お袋が俺の部屋のドアを叩いている。

 ふあぁ~と大きな欠伸をして上半身をベッドから起こし、ボーっとしながら覚醒を待つ。

 どうして朝って眠いんだよ。早く寝ても、遅く寝ても朝ってやつは本当に眠い。今は中間テストが終わった6月。春眠暁を覚えずって季節でもないのだが……。

 寝ぼけ眼をこすりながら、キッチンへと入っていった。

 母親が流し台に向かって食器を洗っている。


『……全く、優は起きないし、お父さんは昨日帰りが遅かったのに、いつもより早く出勤したと思ったら、ワイシャツからキャバクラのカードが出てくるし! 専業主婦を舐めるんじゃないわよ!』


「――お、お袋。おはよ……」

「わっ! びっくりした。急に入ってくるんだもの驚くわよ。早くご飯を食べなさい。いつまでも片付かないでしょう」


 俺は、坂田優さかたまさる、市内の公立高校に通う高校2年生。

 どこの家庭でも同じような朝の光景だと思うけど? 一つだけ大きく違うこと。

 それは俺が他人のネガティブな思考をキャッチし、聞こえてしまうという事だろう。


『お父さんめ、若い女と酒を飲んで何が楽しいのよ? 私も若い男と浮気してやろうかしら……』


(おいおい! お袋の心情は穏やかではない)

 やれやれと、味噌汁を啜りながらとっておきの秘策を持ち出す。


「お袋、親父が次の休みには、お袋が見たがっていた映画に連れていくと言っていたぞ」

「――なんで、あんたがそんなこと知っているのよ」

 超低気圧のお袋が、疑り深い目でジロリと睨んでくる。

「いや、この前親父がスマホで映画を検索していたから、聞いてみただけなんだけど……」

 まだ、お袋は疑っている視線を崩さない。ちっ、今朝は手強いな。

「そうそう、この前、学校の先生が、最近珍しくなってきた専業主婦だけど、主婦業を専業にできるってことは才能の一つだって言ってたな。お袋ってば、料理も掃除も完璧だよな。さすが主婦の才能ありって、かぁ? ……っ」

 さすがに嘘っぽいかぁと、思ったが、

「あぁ!?」

 お袋はみるみると機嫌が良くなっていった。“専業主婦”というワードにヒットしたのか、お袋は、今や鼻歌まじりで家事を進めている……。

 そんな様子に安心しつつ「ご馳走様」とキッチンを後にし、早々に支度をして学校へと向かった。



 今朝のような事なら便利な“能力”なのかもしれないが、一歩家を出ると苦痛の連続だ。

 小さい頃はこのノイズが聞こえてもあまり気にしなかったし、内容も理解できなかった。もしかしたら聞こえてなかったのかもしれない。でも、年齢を重ねていくうちに徐々に認識してきて、年々辛くなってきた。

 約半径1~1.5メートル以内のネガティブ思考“ネガ思考”をキャッチしてしまうので、根本的な解決にはならないが、いつも大きなヘッドホンを耳にかけて、ロックを垂れ流ししていた。

 その方が気が紛れて、幾分かマシだったから。

 どうして俺がこんな特殊能力を持って生まれてきたのかは、全く分からないし検討もつかない。前世からの呪いに違いないと恨めしく思うものの、自分ではどうしようもできないし。

 でも、一番許せないのは、この世の人達は、こんなにもネガティブな感情を抱えて生きているんだという事だ。それは、日々思い知らされ、最近は人間不信の一歩手前と言ってもいい。


 朝のまだシャッターが閉まっている商店街を、いつものとおりバス停を目指して歩いていたら、

(――つっ、また誰かの感情が流れてきた……)


『あぁ……、昨日もまたユミを叩いちゃった。だって、全然言うこと聞かないし、ご飯も食べてくれないし……』


 ネガ思考は誰なのかと目をやると、すぐ斜め後ろに20台後半と思しき母親と3歳くらいの女の子が手を繋いで歩いていた。母親は出勤前、子供はこれから保育園というところか。母親は暗い表情を浮かべている。


『なんで、さっさとご飯を食べないの? なんで、さっさとお風呂に入らないのよ? 

 そういえば私も子供の頃はいつもご飯を食べるのが遅くて、母親から殴られていたんだっけ。そうよ、私が母親からやられていたように――私もやればいい! 躾よ!叩くのは躾!! 私は悪くない。私だって散々叩かれてきたんだから……』


(マジか……、やめてくれよ。そんな小さな子を叩くなよ……)

 胸が痛くなった。でも、こんなちっぽけな高校生の俺がどうすることもできない。もし『やめて下さい』と直談判したところで、頭のおかしいヤツと警察を呼ばれるのが落ちだろう。情けないが、自分の器をよく知っている。

 流れてくる思考を絶ち切るようにヘッドホンの音量を上げ、小走りで通りを走り抜けた。

 商店街を抜けて、大通りのバス停でバス待ちをしていたら、

(――うっ、また、入ってきたぁ……、もう、マジで勘弁してくれよ――)


『――どうしよう。死ぬしかない。もう、終わりだ……』


 誰の思考なのかを突き止める事はしなかった。きっと、このバス待ちで並んでいる人の誰かだろう。もし、誰かを探し当てて顔でも確認してしまったら、もし、その顔が次の日の新聞で見ることになってしまったら、そんな寝覚めの悪いことはない。


 ――何で、みんな不幸なんだよ!!

 きっと、誰よりも俺が一番不幸なんだよ!! 

(本当は俺が一番死にたいんだ)


 やるせない思いのまま、到着したバスに乗り込み、一番後部座席の長いベンチシートの端に座ると、俺は小さくなって、じっとヘッドホンのロックに集中した。



 ****


 =キーンコン~、カーンコン~♪=

 朝のホームルーム開始のチャイムが教室に響く。

 2年E組。これが俺のクラス。

 地元のほとんどのヤツがこの高校に入学する、学力が中レベルのマンモス高校。

 教壇に近いドアが開いて、担任が入ってきた。

 俺はいつもどおり、机にうつ伏せになり、やる気の無いオーラを発する。いつもこんな状態だから、クラスメイトは誰も近寄ってこない。偶に授業でグループ活動とか、どうしても人と関わらなくてはならないときは、ヘッドホンを付けたままか、サボるなどしていた。

 だって、ネガ思考を聞きたくないし、ある意味、人の秘密を知ることになるので、正直、こっちのメンタルが持たなかった。

 クラスメイトのネガ思考なんて、まっぴらゴメンだ。


「今日は転校生を紹介する」


(……ん? 転校生なんて珍しいな)

 さすがに俺も興味がある。顔を上げて、その転校生を見た。

「父親の仕事の都合でこちらの市に転校してきました。波多野はたのミクです。皆さん、仲良くして下さいね」

 彼女は教壇の高いところから生徒を見回し、ニコっと笑顔を見せた。

 途中、俺と視線があってビクっとしたが、(なんで俺がビクつかなければならないんだよ)と自分で自分を突っ込みつつ、彼女から視線を外した。


 彼女はイメージでいうと白だ。

 セミロングの髪の毛をハーフアップしていたリボンが白だからか、ニコっと見せた歯が白かったからか、はたまたソックスが真っ白のせいか……。なぜか瞬間的に“白”を連想させた。


 彼女は、先生から席を指定されるとコクンと頷き、俺の隣の席に座った。

 嫌な予感がしたが、案の定、休み時間毎に彼女の周りには人だかりができ、クラスメイトから質問攻めにあっている。当然、隣の席の俺も被害に合い、ニコニコしながら群がっている女生徒達の嫉妬のようなネガ思考をキャッチしていた。


『――どういうこと? クラス一のイケメンのアキラ君まで波多野さんに夢中で話しかけている! 波多野さんってば、少しくらい可愛いからっていい気にならないでよね。アキラ君は絶対に渡さないんだから』


(――はぁ……。うんざりだな)

 嫌気がさして席を立とうとしたとき、「ちょっと待って」と波多野ミクに腕を掴まれた。

「――何か用?」

 彼女の咄嗟の行動に、回りが一斉に俺を見る。

「ねぇ、学校の中を案内してくれる? あ、えーと、坂田君!」

 俺の名札を確認して屈託のない笑顔を見せる彼女。クラスメイトがざわついている。

 選りにも選って、孤高の一匹狼に案内を頼む必要もないだろう。

「誰か、他にお願いしてくんない?」と突き放した。

「でも、坂田君、あなたに話があるの」

 初めて会った彼女から何の話があるというのか、正直さっぱり分からなかったが、彼女の口調が気になり、下校時に案内する約束をした。もしかしたら、俺にも多少の下心があったのかもしれない。



 そして放課後、

「はい、ここが音楽室でーす、そしてあっちが家庭科室……」

 やる気がないと言わんばかりにタラタラと説明する俺。

 何故だか波多野ミクにずっと腕を掴まれながら案内をしている。

 彼女に連行されているみたい。

「って、ちょっと、腕離してくれない? 何でずっと、掴んでんの?」

 女の子に腕を掴まれるなんて恥ずかしいし、他人の目も気になるし、歩きずらいし、とにかく恥ずかしいし……。

「ねぇ、何か気が付かない?」

 彼女がワクワク・キラキラした瞳で俺を見つめる。

「何がぁ?」

「ふん、まぁ、いいわ。少し疲れたから、あそこで休みましょう」

 と、彼女は不服そうにして、校舎に繋がっている外階段を指さした。

 下から3段目に並んで腰をかけたところで、彼女はやっと俺の腕から手を離した。


「うーーん、夏前のちょうど良い陽気ねー」

 彼女は腕を上にあげて伸びた。セーラー服の上衣からチラッと白いキャミソールが見えて、慌てて目を泳がし、俺は制服の上に羽織ってたパーカーのフードを被った。

「で、話って何?」

(!! ――つっ、こんな時にまた誰かのネガ思考が入ってきやがった――)

 俯いて両手で頭を抱えこんだ。


『どうして、高木がレギュラーなんだよ。あいつよりも俺の方がずっとサッカー上手だし、センスも才能もある。コーチは一体どこ見てんだよ!』


 外階段の1階脇には運動部が使う水道の蛇口が3つ並んでいる。そこでさっきから頭に水をかけているサッカー部員の思考と分かった。


『ちくしょう、許せねぇ。――どうしてやろうか。そうだ! 高木の…』


「!?」

 突然、波多野ミクが俺の手を握ってきた。

 と、それと同時にネガ思考がブチっと途切れた。テレビのチャンネルが突然切り替わったように。

 彼女を見ると、ニヤりと不敵な笑みを浮かべている。そして、彼女が俺を見ながらゆっくりと手を離す……と、まるでチャンネルが戻ったかのようにネガ思考が流れ始める。


『――高木のユニフォームをゴミ箱に捨ててやれ、ついでにコーチのも……』


 だが、彼女が再び手を繋ぐと、ブチっと回線が途切れるのだ。

(どういうことなんだ、一体!?)

 彼女は俺の不思議そうな顔を確認して、

「うーん、そうね、私はあなたのノイズキャンセリングってとこかな」

 と空いている方の手を顎の下にもっていき、考えるポーズをとった。

 そして、ちょっとノイズがうるさそうだから、手を繋いだままでごめんねと話を続けた。


「実は私には前世の記憶があるの。人の魂は何度も転生していて、でも、生まれ落ちた瞬間に過去のことは忘れてしまうのね」

「そんなこと、嘘だろう!?」

 まるでお化けとか、未知のものに遭遇した感覚に包まれ、自然と呼吸が荒くなる。

 彼女は俺の反応がまるで想定内といった感じで、全く動じていない。

「でも、まれに私のように前世の記憶が残って生まれてくる人もいるの。そういう人は、大概前世の使命を請け負ってきている場合が多いわ。そして、私とあなたは前世の繋がりを持っているのよ」

 彼女と繋いでいる手が、ジワリと汗ばんできた。

「そうねぇ、百聞は一見に如かずよ! 私の指導霊の文ちゃんがあなたに過去を、いいえ、前世を見せてくれるわ。何故あなたは、現世でこんなにも人のノイズを拾わなくてはならなくなったのか。その原因を自分自身で見るのよ」

 突然前世って言われても……って感じで、全く信じられない。

 ここはオカルト研究所かあぁ! って大声で叫びたくなる心境……。

「でも、あんたは、何だって俺にそんな話をしてくるんだ」

 単純に疑問だった。もし、百歩譲って、彼女が前世の記憶を持つ者だとしても、俺の事は関係ないはず……。

「私とあなたは前世で似た境遇を持っていた。そして、私はこの現世では、あなたを救うという大きな役割をもって最後の転生を終える事になっているの。あなたはこのままだと、間違いなくネガティブな思考に引きずられ、自ら命を絶つ事になるから」

「…………」

 いつも考えていたことを言い当てられ、急に背筋が冷たくなった。

 自殺は常に考えていた。人の思考に振り回される毎日に嫌気がさし、無を求めていたから。無とはなんだ? 即ち“無=死”それこそが俺の求める世界なのではないかと気づき始めていたんだ。


 あれから波多野ミクは、特にこの話を深堀することもなく、ただずっと手を離さないで、俺を自宅まで送ってくれた。

 途中で、何人もの同級生に手を繋いで下校している様子を目撃されてしまい目の前が真っ暗になる。

(なんだよ、俺、めちゃくちゃかっこ悪いじゃないかよ! 普通、逆だろう!?)

 でも、ネガ思考が全く聞こえてこない状況がこんなにも清々しいものだったなんて知らなかった。

 彼女と手を繋ぐのも嫌ではなく自然にしっくりくるし、不思議と安心感みたいなものを感じていた。

 こうなれば、俺は、波多野ミクを信じるしかない。

 ネガ思考に振り回されるのはもう嫌だ。俺の前世が原因なら、それに向き合うしかないだろう。望むところだと覚悟を決めた。


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