4話
次の日、僕は約束通りコーヒショップに向かった。昨日と同じ席でメメントは座ってコーヒーを飲みながら本を読んでいた。
「遅くなりすみません」僕はメメントに声をかけた。
「いえ、大丈夫ですよ」そう言いながらコーヒーを飲んだ。
「何か要りますか?」
僕は彼女からの誘いに対して、
「お願いします」と言って、キャラメルマキアートを注文した。
「何か注文する余裕が生まれたのですね」メメントは言った。
「昨日、小説を書いていたらなんだか吹っ切れちゃってね」
「いいことじゃないですか」そう言ってメメントはコーヒーを飲む。
「それで、今日はどんな話ですか?」
「そうですね。まずは、死ぬまでに何をしたいのかをはっきりしないといけません。それが決まらない限りにあなたの死ぬ日は決まらないのですから」
僕は、持ってきていた鞄から一冊の手帳を出した。
「ここに、僕のしたいことが詰まっています。でも、全てしたわけではありません。いくつかだけでいいです」
「なるほど」
メメントはそう言ってその手帳を見た。まるで古文書を読むかのようにその手帳をじっくりと目を細めながら読んでいった。
「この中から何がしたいのですか?」メメントは言う。「女性とのセックスですか?」
「確かにそれは魅力的かもしれないですね」
「では、なんでしょうか?コース料理でも食べにいきたいのですか?」
「いえ、そんなのではありません」
「この手帳には、そんな欲望にもならないようなことしか書いてありませんが」
「そうですね。でも最後のページを見てください」
彼女は言われるがまま手帳の最終ページを見る。
「小説を書き残したい」
「そうです。僕はこの自分の人生の最期を自分の手で遺したい。自分がここにいた証を。そして忘れないで欲しいんです。僕のことを」
「そんなことをしてどうするのですか?誰がその小説を読むのですか?」
「あなたです。メメントさん。あなたに読んでもらいたい」
「私が、ですか?」
「そうです。あなたに読んでもらいたい。僕が話す最後の人だから。あなたに僕の存在を覚えていて欲しい」
「そうですか」
メメントは少し困った顔をする。
「変なお願いだと分かっています。でも、あなたが僕を殺してくれないなら、それぐらいのお願いはいいかなと」
「そう言われると、断れないですね」彼女はそう言って下を向いた。
「三日ください。それまでに小説を書き切ります。そしてそのノートをあなたにお渡しする。そして僕は死ぬ。それでどうでしょうか?」
「私はかまいません。あなたが死ぬことを決めた時私の目的の多くは達成されています。最期のあなたの思いを受け取りましょう。三日後私はあなたから小説を受け取ります」
「ありがとうございます。三日後の同じ時間、同じ場所でどうですか?」
「わかりました。それでは三日後に」そう言って彼女は鞄から本を取り出し、読み始めた。
「まだ、帰らないのですか?」
「あなたのキャラメルマキアートが来ていないでしょう?あなたが飲み終わるまでは一緒にいますよ」
そう言って、本を読み始める。
僕は、手持ち無沙汰になり、これだったら小説を書くノートを持ってくればよかったと少しだけ後悔した。
しばらくすると、キャラメルマキアートが運ばれ、僕はそれをなるべく早く飲もうとする。
「そんなに無理して早く飲まなくてもいいですよ?」と彼女は言う。
「でも、お待たせするのはよくないですし」
「いいんですよ。この本、まだ読み切らないので」そう言って彼女はまた本を読み始める。
「そういえば、何の本を読んでいるのですか?」
彼女はそっと本の装丁を見せてくれた。僕には何の本かさっぱり分からなかったけれど、すごく難しいものであることは伝わった。
「死について考える事は、転じて生きることについて考えているんです。私もあなたも。死を考えるとき一番生を考え、残りの時間をどう生きるのかを考える。私たちは死を考えているようで、生きることについて考えているのです。だからこそ、死は素晴らしい。生きることに最上級の価値を与えてくれるのだから。だから私は他の人の死に立ち会いたい。一人でも多くの人の死に立ち会うことで私の生はより純化されるから。死はね。悪いものじゃないんです。もしかしたら人によって死はいいものなのかもしれない」
「死は救済になりうるってやつですか?」
「死は救済にならないですよ。究極の逃げですからね。でも、それでいい。逃げることは悪くない。そして逃げる結果これまでの人生以上に自分の人生に向き合い、全うするなら、無意味に八十年生きるよりよっぽどいい三日を過ごせるはずです」
「哲学ですか?」
「そんな堅苦しいものではないです。信条に近いかも」彼女はそう言って少し笑った。
僕が見た彼女の最初で最後の笑顔だった。
キャラメルマキアートを飲み干し、僕は財布を出す。
「いいですよ。これから最期の目的を果たそうとする人にキャラメルマキアート代を出させるわけにはいけません」彼女はそう言って二人分の会計を払ってしまった。
「昨日に引き続きすみません」
「いいんです。あなたはあなたのために残りの全てを使ってください。最高の三日間にするために」
彼女はそう言って店を出た。あと追って僕も店を出たが、人混みに紛れて彼女は見えなくなっていた。
「お前、あいつに惚れたのか?」moriは言う。
「そんなバカな」
「それならいいけどさ」moriはつまらなさそうに言った。
moriに嘘をついたかもしれない、そう思いながら僕は家に帰った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます