第11話 仮病と看病

 モール内にある喫茶店。

 俺と夏希はお互いに少し気恥ずかしく、俯き向かい合っていた。


「っ……」

「……っ」


 どうなることか思った。さすがにホラー選択は悪手だろと思わないわけじゃなかった。

 だが、やはり陽の秘策に間違いはなかった。

 裏の裏まで読んでいるというのか、わが妹ながら、驚きと称賛の言葉が湧いてくる。


「ほ、ホラーにして良かったよな」


 あんな長いキスをしたあとで当然恥ずかしいけど、今は言葉が出ないわけじゃない。

 俺は瞬間的に脈打つ心臓の音を聞きながら、顔を伏せた夏希の人懐こい笑顔を見た。


「う、うんっ。は、恥ずかしかったけど、楽しかったし、う、嬉しかった……よ」


 顔を上げた夏希の顔はさらに口元がだらしなくなっていて、俺にその存在の印象を、強く、強く残す。

 きっと今日のことは一生忘れないだろうなとその瞬間に思ったほどだ。


 陽にはここからの秘策は聞いていない。

 このあとどうしようかと2人で話していると、電源を入れなおした俺の携帯が振動した。


『ごほっ、ごほっ。もしもしお兄ちゃん……』


 電話してきたのは陽だった。


「おう、どうしたお前その咳は?」

『風邪、引いちゃったみたいで。へくしょい!』


 ここのところ陽の様子がおかしかったのはやはり風邪だったのか。


『デートの様子が気になったから、ごほっ。あたしのせいで2人の仲が、悪くなったら申し訳、ないからごほっ』


 体調が悪いのにわざわざ気にして――

 考えてみれば陽は俺たちの為に仮デートまでしてくれたんだ。

 言葉だけだが、とりあえず讃えてあげたい。


「大丈夫だよ。お前のおかげでバッチリだ」

『……そ、それは何よりだよ、お兄ちゃん』

「お前、ちゃんと寝てるのか? なんかやけに車の音が聞こえるけど」

『っ!? ……い、いま、のどが痛すぎて、飴を買いに外に、ごほっ、ごほ』

「今すぐ戻れ。飴なら俺が買っていくから」

『ふっ、ふふふ……い、いや、でもお兄ちゃんには大事なデートが』


 俺たちの為に体調を崩したかもしれない妹を放ってはおけない。


「夏希とすぐ帰るから。大人しく寝てるんだ」

『えっ、夏希は、ちょ、ちょっとまってお』


 少し慌てだした陽の声を無視して、無理やりに電話を切り、目の前で話の内容を聞いていた夏希を見やる。

 人懐っこい笑顔はさらに進化を遂げ、より小動物ぽくなっておりただ力強く頷いてくれた。



 ☆☆☆



 午後1時を回ったころ、俺は夏希と一緒に家へと戻ってきた。

 玄関を開けた途端、ドタバタと二階で音がする。


 陽が倒れたのかもしれないと、俺と夏希は一目散に階段を駆け上り、陽の部屋のドアを開けた。

 陽の部屋は俺の部屋と同じくらいの広さで、置いてあるものもほとんど同じだ。

 部屋は赤を基調とした明るい感じで、本棚には陽の好きな推理小説やプイキュアのBDディスクが並んでいる。


 定期的に俺が掃除をしているので、そこまで散らかっていることはない。


「あっ、お兄ちゃん……ほんとに、戻って来てくれたんだ」


 全身汗びっしょりになった陽がむくりと起き上がる。心の底から嬉しがっているような笑顔を作る。

 だが、まるで長距離を走った後のように呼吸は荒い。

 髪は乱れ、顔の色もいつもよりも赤くなっていた。


「起き上がらなくていい。ちゃんと寝ていろ」


 俺は陽に近づき、その額に触れる。

 あ、あつい、あつっ。何だこの額は。

 高熱を出しているようだった。


「だ、大丈夫だよ、お兄ちゃん。寝てれば直るから」


 陽は少し慌てて、でもなんだかどこか嬉しそうな顔を向ける。


「そ、そうか。病院に行かなくて平気かな?」

「平気、平気。あたしの回復力を信じて」


 まあ、自分から起き上がれたし、ここは少し様子を見るか。


「パジャマを着替えたほうがいいな」

「う、うん、凄く汗かいちゃってる」


 なんだか、夏希のような小動物っぽい、助けを求めるような目を向けられた。

 体調が悪いから、不安で少し甘えたいのかもしれない。


「じゃあ着替えさせてや」

「じゃあ、わたしが手伝ってあげる」


「な、なな、なつっ、夏希?!」


 陽はまるで想定外だとでも言うように、目を見開き、困惑と驚きの表情を浮かべた。

 そこから徐々に目つきを鋭くして、夏希に威圧的な態度を取る。

 体調が悪いと、人の好意をきちんと受け取れなくて邪険にしちゃうときってあるよな。


「それじゃあ夏希、頼むぜ。俺は消化のいい物作ってるから」

「ま、任せて」

「お、おにい、ちゃ~ん、まってぇ!」


 陽の魂の叫びのようなものを背に受け、俺は台所へと降りていく。




 途中からは夏希が手伝ってくれたおかげで、短時間で料理は完成。

 2階に運んでやろうとしたらふらふらの体を引きずるようにして陽が台所へとやってきた。


「お前、無理すんなって」

「だ、大丈夫。ふ、ふたり……にさせ……か」


 何だかぶつぶつ言っていてよく聞き取れない。


「食べさせて!」


 ぶすりとした顔で、俺の方を真っ直ぐに見据える。

 こう見るととても具合が悪そうには見えない。

 まるで女王様みたいな印象だ。


「たくっ。今日だけだからな」


 スプーンで野菜スープを掬い、ふーふーしてから口を開けた陽の口に入れてあげる。


「……お、おいしい」


 至福の時とでも言うように、陽の笑顔は輝く。


「それは良かった。いっぱい食べて早く元気になれ」

「う、うん。お兄ちゃん、優しい」

「あ、あ、あき君。ふ~、ふ~、はい。どうぞ」


 なんだか今日の夏希はやけに積極的で、俺が陽にしたことをそのまま俺にしてくれる。

 陽の前だし、すごく恥ずかしかったけど、ここは拒絶しちゃダメだよな。

 だって今日はデートなんだし。


 夏希が飲ませてくれたスープは、なんだかいつもより甘く、そして美味しかった。


「な、なっ、夏希。お、の、れ。へんな……に目覚め始めやがって」


 やはり陽は具合が悪いのか、地団駄を踏みながら野菜スープをがっついて飲んだ。

 この食欲があれば安心だな。




「あき君、片づけはわたしがやっておくから、陽ちゃんを2階に運んであげて」


 食事が終わり、陽は少しウトウトし始めていて、それに逆らうように首を振っていた。


「悪いな、夏希。じゃあお願いする」


 ニヤリと陽が気味悪く笑う。


「お兄ちゃん、おんぶがいい」

「おまえなあ、甘えすぎだぞ。……まあ今日だけな」


 屈めた俺の背中に優しく覆いかぶさってくる。


 なんだかちょっと昔を思い出す。

 小さいころはよくこうしておんぶをしてあげていたな。

 こんなふうによく甘えてきてくれていた。


 ガキの頃、俺は陽といつも一緒だった。

 他の子が保育園や幼稚園で知っている人が誰もいない状況下でも、俺には陽がいた。

 だから新しい生活を迎える時も、友達が出来るかなって不安は俺には全くなかった。


「お兄ちゃん、大きくなったね」

「お前こそ、女の子っぽくなったな」


 俺に抱き着いてきて耳元でそんなことを言う妹。

 俺も思っていることをそのまんま伝えた。

 柔らかい胸とさらさらした髪が肌を通して柔らかさと甘い匂いを俺に感じさせる。


「へへへ、これでも人気あるんだよ」

「知ってるよ」

「お、お兄ちゃん……軽蔑されてもいい、あたしは……」


 ギュッと強く抱きしめられた俺は妹とはいえさすがに恥ずかしさを覚えてしまった。


 よっぽど疲れていたんだろう。

 陽の部屋に着くころには気持ちよさそうな寝息が背中から聞こえてきていた。

 数日前から、具合が悪かったはずなのに、俺たちのことで無理をさせてしまったかとちょっと罪悪感が芽生えた。


 でも、その可愛らしい寝顔を見ているとなんだかとっても癒やされる。

 ベッドに寝かせた陽の顔を目にして俺はそんなことを想う。


「あき君、陽ちゃんの様子は?」

「もう寝てる。なんだか熱も下がったみたいだし、大丈夫だと思う」

「よかったぁ、ほんとによかったね」


 陽の幸せそうな寝顔をみた俺たちは見つめあって、今日1番の笑顔を浮かべていた。

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