第5話 犬

 あれから三日が経った。四人の乗った舟は他の領主率いる家来たちの舟と共に、確実に鬼ヶ島へと近づいている……はずだった。

「なあ、犬千代。俺たち本当に鬼ヶ島に向かってるのか? 全く島なんて見えてこないぞ。」

 猿丸の何度目かの問いに、

「おそらく近づいているのさ、俺たちには見えないだけで。」

 そう答える犬千代も、この大量の舟を指揮する領主に不安を抱き始めていた。恩人のため、仲間と共に鬼ヶ島へ行くことを決心した犬千代だったが、強欲で自分勝手、権力がなければただの阿呆だと有名なあの領主についていくというのは、あまり気乗りするものではなかった。

「……。」

 ふと向かいに座る桃太郎を見た。出会ってから、まだ一言も言葉を発していないこの少年は、舟に乗る前からずっと鬼ヶ島のあるであろう俺たちの進む方向をじっと見つめている。瀬名に聞いていた通り、無口でぼーっとしていて、どこか不思議なやつだと思った。あの、人にも自分にも厳しく、怒るとその辺に冷気でも流れているのかというほど恐ろしい瀬名に、自分の養子の面倒を見てやってくれと言われた時は、明日は吹雪でも吹くのかと驚いたものだが、わざわざ俺たちなんかに頭を下げにきた瀬名を見て、その養子のことがどれほど大事なのかは一目瞭然だったし、その大事な子どもを頼むと、自分たちに頼ってきてくれたことが犬千代はなにより嬉しかった。瀬名は自分たちの恩人であると同時に、その厳しさに含まれた優しさや愛情は犬千代が誰よりも欲していた母親のようなものだった。だから、瀬名が養子だといって紹介してきた、自分よりも少し背の低いこの少年のことを犬千代は弟のように感じていた。

「……。」

 桃太郎はまだ鬼ヶ島の方を見つめている。その静かな視線の先に何を求めているかわからないし、桃太郎が話さない以上、聞き出すつもりはないが、世界で一番大事な人の一番大事な子どもなら、何があっても守ろうと犬千代は心に誓うのであった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る