第3話 老婆
桃瀬が家に帰る頃には、空はすっかり暗くなっていた。
「……遅い。何してたんだい。」
桃瀬が町で買ってきた米を洗っていると、奥から右足を引きずる老婆が乱れた髪を鬱陶しそうにしながら出てきた。
老婆は名を
そんなある日、夫が子どもの入った籠を拾ってきた。どうしたのかと聞くと、家のすぐ傍の川の淵に引っかかっていたという。籠の中では二、三歳くらいの少女が白い衣と薄桃色の小さな花たちに身を包み、静かに眠っている。視線に気づいたのか、少女の瞼がぴくっと動くと重たそうなものを持ち上げるように目を開けた。大きく光る目がきょろきょろと辺りを見渡すと、次の瞬間、少女は籠から落ちるように飛び出した。家の中や外を何かを探すように走り出した少女は「……! 」「……! 」と必死で何かを叫び続けていたが、取り乱すその子が何と叫んでいるのか、聞き取ることはできなかった。
「瀬名さん、ごはんにしようか。」
呆然とする瀬名に茂ノ助は言った。
「え、でも……。」
「いいから、いいから。」
背中をとんとんと押された瀬名は仕方なく三人分の夕餉の用意をした。その間、茂ノ助は、少女を追いかけて外に出て行ってしまったが、しばらくすると、大人しくなった少女を連れて帰ってきた。
「いいかい、お前の名は桃瀬だよ。」
夕餉が終わると茂ノ助は少女に言った。
「お前が入っていた籠にたくさん入っていたこの花はね、桃というのさ。かわいらしい花だろう。お前にぴったりの花だ。それと私の大事な人の名から一文字もらったんだよ。その人は、強くて美しい人なんだ。桃瀬にもそういう人になって欲しいな。」
そう言って茂ノ助は未だ俯いたままの小さな頭をそっと撫でた。
茂ノ助が風邪をこじらせて他界してから、足を悪くした瀬名は塞ぎ込むようになっていた。この家で一番おしゃべりだった人がいなくなると、家の中は太陽を失ったように暗く冷たい場所になった。
何をしていたのか聞かれた桃瀬は紙に『領主様の話を聞いてきました。』と書いて瀬名に渡した。
「領主? なんでそんな人が……。」
桃瀬は領主が話していたことを紙に書くと再び瀬名に渡し、自分は夕餉の準備に取り掛かった。
「なるほど。あの領主も飽きないね、まったく。」
二人は夕餉を食べ終えると、いつも通り会話もろくにせず、布団に入った。
「……桃瀬。」
いつも通り、背中を向けて寝ようとしていた桃瀬に瀬名が背を向けたまま、声をかけた。
「……。」
振り返り、次の言葉を待つ桃瀬に瀬名は、
「……お前は自由に生きなさい。」
と言った。その後、すぐに瀬名の寝息が聞こえ、桃瀬はいつの間にか自分より小さくなった養母の背中を見つめながら眠りについた。
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