詩の中の動と静の調和から、松下さんのつぶやき、それから作品と読者の呼応までのつながりがすっと入ってきました。ただそこにある季節のように、自分のために書いた作品でも誰かへ響けば、そこには心の中の動が生まれるわけですよね。書くことの基本へ立ち返るようなお話でした。
作者からの返信
これを書きながらジュールの森を思い出していました。
柊さんがどのような思いであの作品を書いたのかは分からないけれど、わたしの琴線に触れて音が鳴ったのは確か。あのときの感動を言葉にするのは難しいのだけれど、柊さんからでてくる言葉は他の人にはない色をもっている。
みくまさんのコメントに『言葉に魂を載せる』とあったけれど、そういうことなのかも。
なんでもないような言葉でも、柊さんが発すると柊さんの色を帯びて、朝日を浴びた雪の結晶のように言葉が透明に輝く。文才というのは格調高い文章を書くことではなく、言葉に魂を載せられる人なのかもしれない。
松下さんが『良い作品には、良い読者がつく』とつぶやいていたけれど、柊さんが良い作品を書いたばっかりに、遊井そわ香という感情の起伏の激しい読者がついて大変ですね。
自分の言葉が嫌いだと言っていた?ふっ、昔のことは忘れたぜ。
それよりも圭介くんの折れた前歯を預かっている。今なら接着剤でくっつけることができる。
前歯を返して欲しければ、今年中に卵をヒナに孵化させるのだ(◍¯∀¯◍)
素敵な詩の数々。ご紹介ありがとうございます。とってもいいですね
作者からの返信
ありがとうございます。
素敵な詩や歌がたくさんありますね。小説も紹介したいと思うのですが、あらすじをまとめるのが大変で^^;
もうすぐカクヨムコンが始まりますね。雨さんのファンタジー楽しみにしています!
こんにちは。
秋の美しさに耐えかねて、しづかに鳴りだす……琴は鳴らずにいられなかったんですね。自身の分身のような琴を、詩人は幻視したんでしょうか。
動と静の調和が深みを与えるというのは、本当にそうだと思います。
作者からの返信
コメントをありがとうございます!
なるほど。琴が自身の分身!
琴線に触れるって言葉を考えると、確かにそうですよね。美しいものにふれたときに、琴を鳴らすことにたとえた感性が素晴らしいですよね。これがヴァイオリンとかビオラだとまた音色が違ってきますが、琴の優雅で繊細な音色と紅葉が映えますよね。
動と静をうまく調和させて書くって、技がいりますね。それと優れた感性。凡人には高みの世界です。