02

 足早に歩く。

 仕事が残っていた。街に潜り込んだ狐を、捕まえなければならない。通信機器インカムからは、定期的に位置情報と同僚の域内捜査情況クリアリングが流れていく。

 ネオンの街。空には、満天の星空。綺麗な景色そのものが、余計に心を焦らせる。


『おい。落ち着けよ。狐狩りだぞ』


「わかってるよ。わかってるけど」


 何か、おかしかった。狐や街の平和のことではない。自分のこと。ざわついている。

 通信機器。ノイズが走った。


「待って。近いかもしれない」


『いや。こちらからも見ているが何も』


「違う。インカムにノイズが走った。傍受されているかもしれない」


『海辺の基地局にも念のため連絡してみるが、こちらに不具合がない以上なんとも言えん』


「人じゃない何か、なのかも」


『そりゃあ、まあ、相手は狐だからな』


 通信機器のノイズ。何か、喋っているように聴こえる。


「こっちの音声を録音できる?」


『10秒返しで聴いてるが、ノイズは聞き取れない』


 私だけに聴こえるノイズ。


「口頭で繰り返す」


『分かった』


 聴こえてきたノイズ。いつの間にか声になって、会話になって、物語になった。


『なんだこれ。物語なのか。ニクス、おまえ出てきてるが』


「うん。コペルも」


 そこで。気付いた。


「わかった。狙いは街の電力だ。火山が電力供給網。科学ではなく魔法で崩落するから、たぶん洗脳か何か人的な手法」


『クラッキングか?』


「分からない。エレクトリッカーは今どこに」


『はい通信代わりましたエレクトリッカーです。聴いてました。発電所行けばいいですか?』


「いちおう、一個小隊ぐらい管区から借りていって」


『了解です。総監に連絡してみます。発電所の安全を確認し次第繋ぎ直しますので』


 さっきのノイズ。もう消えている。


「誰からのノイズだったんだろう」


『不思議だよな。物語のなかにおまえがいるなんて。亀だっけか』


「うん。この前コペルと水族館に行ったから、その影響かもしれない」


『なあ。気になってたんだが、そのコペルって、誰なんだ?』


 焦りとざわつきが、消える。代わりに、冷静で残酷な理解が、思考を支配した。


「ねえ。あなたは誰?」


『は?』


「あなたの名前と所属。現在の任務」


『俺は通称、監視カメラ。街の正義の味方で、現在の任務は街中を駆けずり回っている他の正義の味方の援護』


「合ってる」


『そりゃどうも』


「私の名前と所属。現在の任務」


『おまえの名前はニクス。正義の味方で、夜目が異常なほど効くから夜の女神と呼ばれている。現在の任務は狐探し』


「合ってる。大丈夫。私は存在している」


『おい。まさか』


「名前はコールドペックス。略称がコペル。ひとの心を往き来できて、凍ってしまった精神を溶かすことができる。正義の味方ではないけれど、私の、恋人」


『そんな人間は知らないぞ俺は』


「コペルのこと、知らない?」


『知らない。おまえに恋人がいることも、知らなかった。おかしい。俺かおまえか、どちらかがおかしい』


「狐のせいかもしれない。私いまから誰かと合流を」


 通信機器。切り替わる音。


『こちらエレクトリッカー。連絡が遅れてごめんなさい。発電所近辺で銃撃戦。狐です。監視カメラさん視角支援してほしいです』


『分かった』


「私に繋いで。夜の女神が直々にマークする」


 通信機器を繋ぎ直して、映像を出す。出てきた映像から、敵と味方を区別してひとつひとつマークしていく。


夜間装備サーマル要らずだな』


「これでいいかしら」


『助かりました。あとの制圧はエレクトリッカーと小隊が行います』


 狐は、これで狩られたことになる。


「ねえ。今のが狐だったとしたら」


『おまえがおかしいのは、狐のせいではないってことになる。索敵から、他に狐の連絡は来てない』


「そんな」


 コペルが消えた。人の記憶のなかから。


「もともと、ひとの心の氷を溶かすのが好きなひとで。もしかしたら、どこかに閉じ込められて出れなくなってるのかもしれない」


『いま、全体にコールしてコールドペックスという人間を知っているか訊いてみたが、誰も知らなかった。どうやらおかしいのは、おまえひとりらしい』


「私だけか」


 恋人だからか。私だけ覚えていて。他の人間の記憶から。

 人間。

 目の前。狼が、1匹。


「真神。ねえ。コールドペックスって、知ってる?」


 吼え声が、1回。尻尾を細かく振って、とりあえず落ち着けというしぐさ。


「真神。ありがとう」


 この狼は、覚えている。私の恋人のことを。


『すまん。いま遅れて回答が来た。真朱からだ。覚えている。コールドペックスは実在すると』


「真朱も」


『ただ、かなりやばい情況らしい。いま繋ぐから直接喋ってくれ』


 通信。切り替わる音。


『真朱です。通信に乗ってた物語。さっき監視カメラさんから聞きました。やばいです』


「どこがどうやばいの。おしえて。おねがい」


『このままだとコペルさん消滅します』


 消滅。その言葉だけが、肚の底に、重くのしかかった。


『急ぎなので詳しい説明を省きますが、たぶんコペルさんは幻想の中にいます』


「幻想」


『幻想というのは、説明のしようがない、なんというか、とにかく幻想的ななにかです。それはひとによって同じだったり違ったりします。わたしは狸だから幻想に近いので、人の幻想があんまり分かりません。とにかく、コールドペックスさんの行きそうなところとか、何か、手がかりはありますか?』


「手がかり」


 思い出そうとしても、思い出せない。


「どうしよう。私。思い出せない。コペルとの思い出が。思い出せない」


『落ち着いてください。たぶんもう、あなたの記憶しか残ってないんです。なにか、なにかないですか』


 必死に、思考をぐるぐる回す。


「水族館。そう。水族館に行った。水族館に行って、亀を見て。そして。帰りの車のなかで。コペルと」


『それです。帰りの車。どこをドライブしましたか?』


「環状」


『コールドペックスさんは環状のどこかにいます。早くそこへっ』


 通信を切った。

 車がない。まずい。ここには徒歩で来た。

 吼え声が、1回。さっきのように、細かく尻尾を振って落ち着けと諭す、狼が1匹。


「真神。乗せていって、くれる?」


 顎をくいっと曲げ、乗れというしぐさ。


「ありがとう」




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