第20話 旅立ちの前日

 当主様からいただいた滞在許可もいよいよ明日で終わる。途中、何度も挫折しかけ、館から逃げ出そうと思ったがなんとかやり遂げた。体育会系の厳しい合宿を終えた後、妙な自信を得る理屈がいまさらだが理解できた。ただ・・・ただただもう全力で無理なので2回目は絶対に辞退する。


 「当主様、ほんとうに3ヶ月お世話になりました」


 最後の晩餐・・・というわけでは無いが、ここで言わなければ御礼を直接伝える機会はないだろう。変わらない静かな晩餐も随分となれ、一般教養・・・というか目の前のナスカがお手本となってくれたため、少しだけナイフとフォークの扱いに慣れた。4本指だけど器用になるもんだなぁ、と自分自身のことなのに達観している。


 「えっ!?なに、なに?どういうこと?パパ!!」


 ナスカの声が静かな晩餐会場に響き渡る。当主様が額に手をあてがっている姿に、俺がやらかしたことを悟る。


 「も、申し訳ございません!!!」


 俺の声もナスカに負けず、ダイニングをかき乱すが気にせず続ける。


 「いや、『3日、3ヶ月、3年』って単位で謝辞を伝えるのが礼儀じゃなかった?」


 「はぁ〜?なにそれ?どこの一般教養なの?バカじゃ無いの、ゲイン」


 急に何かを勘違いをし、それが早とちりだったことに気恥ずかしくなったナスカが拗ねたように言う。その様子に当主様は笑いを堪えているのか、珍しく肩が震えている。ツボった?ねぇ、当主様ってばツボった?


 「なに笑ってるのよ、ゲイン!!!」


 当主様の震えに俺までつられていたようで、ナスカに怒鳴られた挙句、ナプキンが顔面に飛んできた。これが白い手袋なら決闘になるかもしれない。


 「ナスカお嬢様、ナプキンを投げるなどレディの風上にも置けません」

 「ゲインッ!!」

 「あははははは!!やめろ、やめてくれ、ゲインよ」


 珍しく(初めて会って以来)当主様が爆笑され、その姿にダイニングに控えるアンさん、ナスカも驚愕していた。ジグさんだけがやれやれという雰囲気で、俺はなんとか無事に晩餐を終えることができてホッとした。



◇◇◇◇◇◇◇


-----(ゲインの部屋)



 「アンさん、ナスカが知らない事、教えといてよぉ」


 焦った。さすがに明日居なくなるなんて急に言えないし、当主様が伝えていない以上は俺から言うべきことはない。ジグさん、アンさんも知ってるわけで、ルドルフさん達も知ってるだろう。あっ、レシピをオープンしても良いって伝えてないや。


 「こちらとしてもゲインさまが当主様に直接話しかけるとは思いもしておりません」


 あくまで『勝手に話しかけたゲインが悪い』という反応である。視線も合わせずに素晴らしいメイド様に支援を受けてきたものだ。


 「それは”常識の無いゲインだから”仕方がありません」


 「うふふ、何回か当主様に言われてましたもんね」


 「常識知らずついでに。・・・アンさん、ほんとうにお世話になりました。おかげで室内は綺麗で、いつも気持ちよく過ごせました。日々の疲れもアンさんの支援があったお陰で乗り切ることができました。感謝しきれないのは当主様同様、アンさんにも僕は感じています」



 自室でのサポートも今日が最後で、しかも、もうすぐ就寝時間だ。ナスカが知らない以上、明日、まともに挨拶できるかすら謎である。


 「いえ、こちらこそ。ナスカお嬢様とゲイン様のほほえましい日々を支援でき、楽しかったです。あと、甘いもの作りに来てくださいね。これは絶対に」


 きっぱりと最後の方だけ言い切り、俺の挨拶の湿度も10%まで軽くなる。カラッとしていて、とても良いと俺は思う。また機会があれば会えるだろうし、料理は作りに来るかもしれない(適性に『料理』までついた)。


 「さて、それでは今日は最後なので同衾どうきんですね」

 「しないから!!!」

 「えぇ〜、だって私の胸とかお尻見てたじゃないですか」

 「見てたけど!!!」

 「だから同衾しま」

 「しないってば!!ヤダよ、見てたの気がついてもソッとしとけよ!!」


 クスクス笑いながらアンさんは部屋を出ていった。相変わらずドアの開閉時に音が鳴らない。不自然な消音エリアがそこに存在するみたいな・・・あっ!!


 「魔法だったんだ。・・・『静音空間サイス』だ。これで音を消してるんだ」


 自分で試しに『静音空間サイス』を詠唱し、ドアの周囲を対象空間として使うとアンさんと同じく音が消える。『静音空間サイス』は時空系の魔法で、音を消す効果があると本に書いてあった。発見できたこと、自分が使えたことで心の中にジンワリと静かに達成感が広がっていく。


 「おめでとうございます。家事技術の初級をクリアですね」

 「ひぃぃい!!いいから!!急に出てきたらびっくりするから!!」

 「『静音空間サイス』に気づかれたのは流石でございます」

 「普通に進めないでよ!!」

 「ご褒美は同衾ですね」

 「天丼もいらないから!!どこで覚えてるんだよ!!!」

 「はて?と言われても私には娘も母もい」

 「どこのオッサンだよ!!!出てけッ!!!」


 ハッーーハッーー。あのメイド、完璧に俺で遊んでるな。最後の晩なのにどんどん湿気が減っていく。最高のメイドだったし、心の片隅で同衾もったいないなぁと思う自分がいる。まぁ、元が高校生ですし、美人ですからアンさん。よく分からない言い訳を自分にしている。


 「まっ、許されるのならケーキとか作りに来れば良いか」


 月明かりが窓から漏れている。いろいろとあった3ヶ月で、覚醒してから4ヶ月近くたっている。前世の自分はきっとあの事故で亡くなったのだろう。改めて考えると生きていることの方が難しい。



 ふと、ピンクの前髪が視界に入る。あまり考えすぎると良く無いな。喋る鹿やピンク色の自分の髪、魔法等々に違和感を覚えなくなった自分に笑いがこみ上げてくる。明日の天気が晴れていれば良い、その程度にしてベッドに横たわるとすぐに睡魔が訪れた。

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