朱く青い夏の空
私、
たったそれだけのことで跳び回るほど嬉しい。
しかし、今日はそれどころかランチまでともにしてしまった。
私はこれから50年以上生きていくだろうけど、今日という日を忘れることはないだろう。
スマホのカレンダーに初ランチ記念日と入力する。
きらりんを図書館で見かけるまでは、ただ会えるだけで十分だと思っていた。なのに、今はお喋りしたいし、なんで辞めてしまったのか、今何しているのか、ファンとしていけないことだとは分かっていても知りたいと思ってしまう。
それにしても、きらりん私の事気づいてなかったなぁ……。
私だけが一方的に相手のことを知っているのはフェアじゃない気がする。けど、私に気付かないきらりんも悪いと思う。
自分で言うのもなんだけど、トップオタの一人には入っていたはずだし、チェキ会にも毎回参加していたのだから、顔くらい覚えてくれてもいいのに。
「アカネさん今日もありがとうございます。」と言いながら私の手を握ってくれるきらりんを思い出して頬がにやけてしまう。
緩んだ頬を両手でパチンと叩いでにやけ顔を無理やり止める。
やはり、勝負服を着ていくべきだったか。『いい歳して、そんな服で外に出ないでちょうだい。あなたが良くても私が恥ずかしいのよ。』とは、今朝の母の言葉だ。しかし、アイドルに会いにいくのに普通の格好では、応援の気持ちが伝わらないし、誰推しかも判りづらいし、何より推しの記憶に残り難いじゃないか。母への恨みつらみが膨れ上がってくるが、養ってもらっている以上反抗は出来ない。
きらりんは、明日も図書館に来るだろうか。きっと来るのだろう。そしたら、なんの話をしよう。もしかしたら、仲良くなってそのまま遊びに行ったりして。なんてこと妄想していると、日付が変わっていた。そろそろ寝なくちゃと思い、部屋の照明を消してベッドに横になる。しかし、眠気が訪れるどころか胸の内から、遠足の前の日のようなそわそわと落ち着かない感じがして全く眠れる気がしない。
気晴らしに窓を開けると、湿気を含んだ冷たい空気が部屋中を満たしていく。今にも雨が降り出しそうな空気に、初めてきらりんを見た日を思い出す。
どんなに暗く、星の見えない夜でも、煌々と輝いている私の一番星。気持ちがどんどん溢れてくる。無性に落ち着かなくなり、気づいた時には窓の外に向かって叫んでいた。
「きらりぃぃぃぃぃぃぃぃぃん!!
すきだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「明音うるさい! 今何時だと思ってんの!」
私に負けず劣らずの声で、母が怒鳴る。こんなことで血の繋がりを感じなくなかった。
「あっつーい」
毎年のように思うのだが、今年の夏は暑すぎる。来年にもきっと同じことを思っているに違いないと思いげんなりする。
きらりんと共に冷やし中華を食べた日から二週間が経過して、暑さはさらに増していた。
きっといつか、夏は北海道で生活して、冬は沖縄で生活してやると思いながらも、実行に移す日は来ないだろうと自己完結する。
私は今までもそうだったが、理想や夢に近いものは持っているが、それを実行に移す程の気概といものが湧いてこない。
人生で唯一夢中になれたものも、今や手の届かないものになってしまった。いや、寧ろ距離は近づいている気はするが、きらりんになんと声をかけていいのかが分からない。
世間話の一つでもできたらと思うが、学生の頃には有り余った時間のほとんどを無駄話に費やしていたというのに、そのやり方を忘れてしまったようだ。友達というものにも久しく会っていない気がする。
大人になって得たものよりも、失ったものの方が多いような気がして、胸がモヤモヤする。そしてまた、夏の暑さに思考を遮られて、ベットから転がるように起き上がる。
リビングに行くとエアコンの残りか、空気が少しひんやりとしていた。
テーブルの上には母が作ってくれたであろうサンドウィッチがラップに包まれていた。
時計を見ると既に11時を指していた。
「日に日に起きるのが遅くなってる気がする」
つぶやくが、返事を返してくれる人はいない。親は共働きで、平日の日中に家族が家にいることはほとんどない。
エアコンをつけて、冷蔵庫から冷えた麦茶をとりだしコップに注ぐと、テーブルの上に並べた。サンドウィッチは手軽なハムときゅうりのものと、ツナマヨの2種類だ。卵も欲しいと思ったが、わざわざ作ってもらっている身で文句は言えない。
私への扱いも段々と雑になっていくのを感じる。最初の頃は東京から帰ってきた私を気遣って色々と尽くしてくれたが、最近はなかなか働かない私を疎ましく思っているのではと感じることが多い。
家が静かだと、余計なことを考えすぎてしまう。
テレビのリモコンを操作して、テレビをつける。
サンドウィッチを咀嚼しながら、つまらないワイドショーを眺める。議題はニートが社会問題になっているとかそんな内容だった。
余計なお世話だと思いながら、父が読んでいたであろう新聞紙を広げる。
政治の汚職だの、どこかで火事があって人が死んだだの、見出しをざっと読み進めていく。しかし、世の中のことに興味を持つことができない。私には世の中の歯車として組み込まれる機能がないのかもしれない。
サンドウィッチの最後の一切れを麦茶で流し込み、コップと皿を洗って麦茶を冷蔵庫に戻す。
時計を見るとまだ11時20分を指していた。
少し考えてから、今日も図書館に行こうと思った。
図書館に着く頃には、汗をかき始めていた。自動ドアから押し寄せてくる冷気にホッと息を吐きながらも、本棚から適当な本を取り出してテーブルへ向かう。
世間的には夏休みに入り、自習目的で利用する学生が増えたせいで、空席を探すのも一苦労だ。
席を探すときに、自然ときらりんを探してしまう。
夏休みに入って学生が増えてからというもの、きらりんを見かける機会はぐんと減ってしまった。一体どこへ行ってしまったのだろう。
考えても分からないことは頭の隅におき、やっと見つけた空席に腰を下ろして、本を読み始める。
向かいの席には学生が座っていて、その隣に座っているのは友達なのだろう。時々、小声ながらも話し声が聞こえてくる。
しかし、私は本を読み始めるとかなり没頭できるタイプらしく、周りの声はやがでまった聞こえないくなっていた。
気がつくと、窓から見える空は朱く染まり始めていた。
向かいの席に座っていた学生もいつも間にかにいなくなっていた。
全身の筋肉が凝り固まっていることに気づき伸びをすると、関節からバキバキと音が鳴る。自分が年を取ってきていることを実感して、思わず笑ってしまう。
こんな風にいつもでも本を読んでいるわけにはいかないなと思い、スマホを取り出し時間を確認する。
ディスプレイには『18:38』と表示されていた。
閉館時間は19時だから、そろそろ退館しなければいけないと思い席を立とうとすると、隣から声をかけられる。
「もう帰っちゃうんですか。司書さん?」
聞きなれた声だ。私が聞き間違えるはずがない。紛れもなくきらりんの声だった。
振り向くと、そこには悪戯っぽい表情で私を見つめるきらりんがいた。なんで?かわいい!いつの間に??司書さん???かわいい!!どういう状況!?!?
急な情報方で固まっていると、「司書さんって嘘だったんですね」と不満げな顔で問い詰められる。
「い、いえ。嘘というか誤解というか。その、申し訳ございませんでした。」
「ふふ、別に怒ってるわけじゃないんですけど、ここまで驚いてくれると揶揄いがいがありますね。」
きらりんにとって揶揄いでも、私にとっては生死に関わる問題なのでやめていただきたい。
「でも、その、なんでですか?」
聞きたいことがたくさんありすぎて、うまく言葉がまとまらない。
「なんで分かったかってことですか?実は数日前から、日向さんを見かけるたびに少し観察していたんです。
そしたら、昼頃にきてからずっと本を読むだけ読んで夕方には帰ってしまうんですもん。考えなくてもわかりますよ。」
私の行動を見られていたと思うと、湯を沸かしたかのように顔が熱くなる。
「それに、こっちこそ何で司書のふりをしていたのか、まだ聞いていませんよ。」
「それは、話しかけるのに緊張してしまい、つい。」
「ふふふ、日向さんって面白いですね。話しかけるのにそんなに緊張するのにご飯には誘えるんですね。」
彼女に笑われるたびに体温が上がるのがわかる。きっと今体温を測ったら救急車を呼ばれてしまうだろう。
でも、きらりんの笑顔を久しぶりに見ることができて、幸せすぎて死んでしまいそうだ。きらりんの為ならば、何でもできてしまいそうな気がしてくるから不思議だ。
「あ、あの、よかったら連絡先とか交換しても良いですか?」
きらりんはキョトンとした少し笑ってからこう答えた。
「いいですよ、アカネさん。」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます